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鹿乃つのさんの異様な炎上について少し考えてみる。
先に結論なのだけど、多くの人にとってこの記事は不要だろう。
それでも公開する理由は、読んでほしいと言うよりは(もちろんその気持ちもなくはないけど)題材的に認知バイアスを避ける意図が強い。
真意はどうあれ「自己正当化を繰り返し、人の意見を取り入れず、自分の尺度で線引きを語り、リスペクトを欠いた利己的な自己表現を積み重ねている」ように見えてしまっている他人がいたとして、
そんな複雑怪奇な現象は気にせずほっとけば良いのだけど、そうもいかない構造や、声を上げないといけない人もいて、ただ私のような外野が何を言っても仕方がない。
つまりこの記事は、そんな不毛に見える現象に対して、不毛と割り切れない感情を、できる限り論理と体系に置き換え、自己満足的に整理した拙いログのようなものである。
📝目次
  1. ⚡️はじめに
  2. ⚡️「鹿乃つの」さんとは(概要)
  3. ⚡️炎上し続けている理由(きっかけ・内容)
  4. ⚡️否定派は何を問題視しているのか(論理構造・倫理)
  5. ⚡️アンチは何を怒っているのか(感情・道徳)
  6. ⚡️鹿乃さんの主張や考え方(正当性・価値観)
  7. ⚡️過剰なバッシングの正体
  8. ⚡️まとめと感想

⚡️はじめに

ここ数ヶ月、Xの荒地を眺めていると定期的に話題になっている「鹿乃つの」という人物。そしてその殆どがいわゆる「炎上」として話題になっている。ように感じる。
それを見かけるたびに「なんか燃えてる」程度の感想で、特に興味関心を持つことはなかったのだけど、
とはいえ、ここまで長期的に炎上し続けている理由(論理構造)を知らないのはなんだかモヤモヤするし、自分がこの件に表層的な炎上イメージしか持てなくなる(感情論を鵜呑みにする思考体系になってしまう)のは勿体無いなと思った。
ということで、違和感やモヤモヤがあったら言語化して自分なりに整理することが好きなので、ちょっとだけこの件について調べてみる。
念の為に言っておくと、私は鹿乃さんのことを知らないし、ファンでなければアンチでもない。なのでフラットな立場で、つらつら綴っていけたらと思う。
なお、ソースはwikiと各種SNS。

⚡️「鹿乃つの」さんとは(概要)

主に同人界隈で活動している北海道出身の一般女性で、現時点で活動の主軸は二次創作コスプレ。
2024年8月、コミックマーケットで漫画「ダンジョン飯」のキャラクターである「マルシル」のコスプレを行い、その衣装や表情などクオリティの高さで話題になった。
2025年4月、一般客として「マルシル」のコスプレ状態で大阪万博に来場し、Xやnoteでその様子を発信。自分なりの新たな楽しみ方の提示や、楽しむ姿そのものに対してポジティブな反応を受ける一方、万博の規約違反や、コスプレイヤーとしてのモラル・マナーを指摘する声も多数上がるなど賛否両論で話題となった。
そんな万博での批判に対して反論していく中で、その背景にある二次創作やコスプレに対する彼女の思想が徐々に広まることになり、さらなる物議を生んだとされている。
また、彼女の思想を裏付けるような過去の対人トラブルやルール・マナー違反などが発覚し、加えて万博以降も、万博とは関係のない文脈で様々な話題性のある発言やトラブルを引き起こし、その度に注目されている様子。
なお、万博の炎上以降で「創作や二次創作文化を守る」方向へ強く舵を切った(二次創作やコスプレ文化を制度やルール側から動かしたい、的な思想の発信が増えた)とされている。

⚡️炎上し続けている理由(きっかけ・内容)

炎上のきっかけは、大きく言えば「版権キャラ(マルシル)のコスプレで、公共性の高い万博に行き、撮影・発信をした」こと。
これが燃えてしまった理由は、二次創作やコスプレは「作者や作品へのリスペクトと黙認という見えない信頼」で成立しているのに、公共空間での振る舞いと発信がその信頼を踏むように見えたからなのだろう。
(万博は規約・撮影ルール・一般客の動線などが絡むので、趣味の範囲・私的利用・営利っぽさ・公共マナーなどが一気に争点化しやすい土壌だった。)
そこから炎上が長期化したのは、万博の是非だけでは終わらず、彼女が二次創作や著作権、界隈の暗黙ルールについて語り始めたことで、論点が「行為の良し悪し」から「スタンス(借りる側の態度)」や「正統性(誰が線引きを語るのか)」へ移ったからと判断できる。
加えて、SNSで批判を受けるとその多くに反論し、言い回しや言葉そのものが対話より自己正当化に見える瞬間も多く、論理破綻や自己矛盾に感じる人が増えてしまい、批判の焦点が人格に移っていった。
故に過去の発言や過去事例も掘り返され、それとは別に新たな火種も発動させ続け、ネガティブな物語が積み重なっていき、結果として「信頼を踏む行動→反発→強い反論→印象の固定→次のきっかけ」が同じフレームで読まれるというループが完成してしまい、定期的に再燃し続ける構造になってしまったのだろう。
つまり、彼女の炎上は単一の出来事ではなく、複数の独立した事象が連鎖的に積み重なる「多層的炎上」の典型であり、その主な火種として扱われている事例の一部を挙げてみる。
🔥大阪万博での版権コスプレ来場および撮影:一般来場者と「マルシル」として写真撮影を行う非公式グリーティング行為や、イタリア館の展示を背景にコスプレ撮影を行うなど、その振る舞いが不適切との批判が生じた。鹿乃氏はその批判に反論しつつ、博覧会協会の説明責任を問題視して「人柱にされた」と批判した。加えて、万博閉幕直前に、版権コスプレ状態で再訪し、撮影を実施した。また、関連したnote記事の投げ銭機能が有効のままになっており、収益導線を指摘された。
🔥二次創作およびコスプレ界隈に対する発言:界隈を因習村と表現し、従来のマナーやTPO論を「主観的な感情」と断じて批判するなど、その因習的な風潮を強い口調で否定。また、二次創作やコスプレおよび著作権についての改革活動(二次創作ガイドライン.com作成発言など)をしている。
🔥ファンアート削除要求:自身の他社版権コスプレ(マルシル)をモチーフにしたファンアートに対し、「勝手に描くことを許可していない」と強いトーンで否定し削除要求。
🔥被害者であるという自己認識と主張:万博騒動以降、本人は事実無根の情報拡散と長期的な誹謗中傷にさらされ、精神的に大きなダメージを受けていると繰り返し訴える。 炎上は集団心理と憶測によるもので、自身は悪いことはしておらず、法的にも問題ないし、謝罪すべき相手もいないという立場を一貫。
※事例が多く内容もハードめなので、ここでは最低限の骨格になりそうな事例を紹介。
※直近では「クラファン規約違反問題」や「リアルインフルエンサー騒動」があるのだけど、現在進行形のため割愛。
※上記の最低限の骨格以外で、以下本文の前提材料となる発言や行動については、切り抜き的に機能することを避けるためにここでは割愛。とはいえ、少しWikiなどで調べれば即時補完は可能。

⚡️否定派は何を問題視しているのか(論理構造・倫理)

否定派が問題視しているのは、ざっくり言えば「好き嫌い」ではなく、二次創作が成立してきた前提(黙認と信頼)を不当に壊そうとしているように見える、という点。
二次創作やコスプレは、本来「借りる側」が慎重にふるまい、権利者や一般の人に迷惑が波及しない範囲で成り立ってきたグレーゾーンの文化なので、そこに公共性の高い場所での撮影・発信や、収益導線が絡む気配があると、「法的にどうか」と合わせ「締め付けの口実を作るな」という防衛反応が起こる。
否定派は、個人の自由よりも「文化全体が生き残るための損得」を見ていて、個別の行動が将来的にルールの厳格化や規制につながることを恐れている。
そして論理の核は、「誰が線引きを語るのか」という正統性の問題。本人が二次創作ガイドラインのような話をしたり、原作者の意思を精密に伝える仕組みを語ったりすると、内容が正しくても「それは一次(権利者)側の領域であって、二次側が裁定者ポジションに立つのは越権では?」という反発が生まれる。
つまり否定派は、彼女の提案そのものよりも、借りる側が「ルールを作る側・代表する側」に寄っていく構図を問題視している。その構図が固定されると、二次創作文化は「黙認」ではなく「許可制・取締り」の話に引き寄せられやすくなり、結果として多くの二次創作者が萎縮し、文化が冷えていく可能性が生じてしまう。
もう一点、否定派の論理は「説明責任」も問題視している。二次創作の線引きは、透明性と手続き(誰と合意しているのか、何を根拠に言っているのか)がないと成立しないのに、発信が強い人ほど断定や挑発が切り抜かれ、周辺を巻き込む形で燃えやすい)
否定派から見れば、行為そのものよりも、指摘された時の反応や言い回しが「対話より正当化に寄っている」と映るほど、文化側の信頼を回復する道が閉ざされていく。
だから否定派は、個人攻撃がしたいというより、「グレーを支える秩序が崩れるのを止めたい」という論理で「危険な前例」として止めようとしている、という構造なのだろう。

⚡️アンチは何を怒っているのか(感情・道徳)

アンチが怒っているのは、出来事そのものの是非よりも、「態度」と「語り口」が作る不快感や不信感なのだろう。
二次創作やコスプレは借りている側がへりくだれ、という話ではないけれど、少なくとも「借り物である」という自覚と、権利者・周囲・同業者への配慮が前提として期待されやすい文化であって、
その前提に対して、彼女の言動が「自分の正しさを先に置き、批判を切り捨て、相手を見下すように見える」瞬間があると、論理ではなく感情が一気に沸騰する。
ここで燃えているのは、ルール違反かどうかよりも、「その態度で借りるのか」「その態度で語るのか」という道徳的な反発なのだろう。
さらにアンチの怒りには「裏切り」の感覚が混ざる。多くの二次創作者は、リスクを避けるために長年「やりすぎない」「目立ちすぎない」「公共を乱さない」という自制を積み上げてきた。
その自制の上にある黙認と信頼が、派手な露出や公共空間での振る舞いによって踏まれたように見えると、「こっちは我慢して守ってきたのに」という不公平感が生まれる。
これは正義感というより、共同体としての損得と努力が踏み台にされた感じに近く、だから批判は「間違っている」ではなく「許せない」に移ってしまう。
加えて、自己正当化への嫌悪感も大きい。炎上の最中に被害者として語る、煽りや皮肉に見える言い回しをする、説明を拒む、という印象が重なると、アンチ側は「反省がない」「都合がいい」「人のせいにしている」と受け取りやすい。
結果として、批判は行為の評価から人格の評価に落ちていき、どんな新しい話題も「また同じだ」に回収されてしまう。アンチが見ているのは、出来事の白黒ではなく「誠実さの欠如や他者への想像力の薄さ」という人間的な欠点に見える部分で、そこが満たされない限り怒りが収まらない構造になっている。

⚡️鹿乃さんの主張や考え方(正当性・価値観)

鹿乃さんの主張をできるだけフラットに要約すると、「自分はルールを確認して行動しており、違反者として扱われる筋合いはない」「批判の多くは誤情報や曲解に基づく」「謝罪や迎合は加害的な炎上に成功体験を与えるだけで、問題の解決にならない」という立て付けとなる。
つまり彼女の正当性の核は、規約・ルールの範囲内でやっているという認識、批判側の空気やお気持ちによる排除への抵抗、炎上構造そのものへの告発、といったものと解釈できる。
また、精神性としては「黙って引くのは不当で、現状の歪さを可視化し、是正したい」という戦い方に寄っている。ここには、ただ好きでコスプレしているというより「問題提起者・改革者」として振る舞いたい自己像が見える。
倫理観としては「二次創作は原作を傷つけるものではなく、文化や経済にプラスもある」「親告罪の領域を第三者が正義棒にするのはおかしい」といった、やや法と合理に寄った整理が中心に見える。
これ自体は一理あるが、同時に「権利者(原作者)への敬意」や「共同体の自制」に強く依存してきた界隈の倫理と噛み合いにくい。結果として、「原作者に言われたらやめる」という姿勢は一見まともに見えつつも、批判側には「言われない前提で言っているだけ」「原作者の権威を盾にしている」と解釈され、逆効果になりやすい。
さらに、被害者として語るほど、相手を加害者として固定し、対話の回路が閉じてしまうため、炎上が終わるために必要な落とし所が消えていく。
要するに、彼女の主張は「正当性」は組み立てられているが、その正当性の出し方が文化の前提(黙認と信頼)と衝突し、結果として自分の目的(理解される・是正される)から遠ざかっている、という構造になっている可能性が高いと感じる。

⚡️過剰なバッシングの正体

ここまで色々みてきたが、それにしてもネガティブの度合いやヘイト量が異常に感じる。
その過剰なバッシングとも見える正体はきっと、「彼女がどうか」だけで説明できるものではなく、二次創作・コスプレ・SNSという3つの土壌が、それぞれ固有の歪みを持ったまま接続してしまったことにあるのだろう。
二次創作界隈は、建前としては著作権に依拠しつつ、実態としては黙認と自制で回ってきた文化。故に性質的な弱点として、「線引きが曖昧で、誰も公式に責任を取らない」構造を抱えている。この構造の中では、目立つ人が境界線上の行動をすると、個人の問題というより「文化全体が締め付けられる恐怖」が先に立つ。
結果、批判は本人を止めたいというより「前例を潰したい」「口実を消したい」という集団防衛の圧力になる。過剰に見えるのは、相手が個人ではなく文化の存続を見て殴っているからなのだろう。
コスプレ界隈の性質も同様で、コスプレは公共空間との摩擦を抱えやすく、成立の前提がTPOと配慮に強く依存している。つまり、やっていいか悪いかの二択ではなく、「許容される振る舞いの幅」を皆が空気で調整してきた文化。
このタイプの文化は、外から見ると不合理で不透明に見える一方、内側では秩序維持の仕組みになっている。彼女は因習と揶揄したが、実態として因習が必要とされている側面は強い。
そこに公共性の高い場での目立つ行動が来ると、界隈は瞬時に「一般客に迷惑をかけるな」「規制を呼び込むな」という方向に振れ、警察的な圧力が生まれる。ここで起きるのは、ルール違反の糾弾というより、共同体を守るための制裁に近い。
そしてSNSが、この二つの界隈の防衛本能を燃料に変換してしまう。ここで言うSNSの性質的な問題は、議論を収束させる仕組みが弱く、逆に「人格評価」と「物語化」が最も拡散されること。
一度「信頼を踏んだ人」「越境する人」というフレームが出来ると、新しい出来事はすべてそのフレームに回収され、デジタルタトゥーが証拠の束として再利用される。さらに反論や説明が出るたびに切り抜きが増え、切り抜きが次の怒りを呼ぶ。これは正誤の問題ではなく、燃えやすい形に整形される問題。
結果として、炎上は個別行為の是非から離れ、「この人を許すと文化が壊れる」という恐怖と、「態度が気に入らない」という嫌悪が合流し、正義と快楽の両方で加速する。
重複するが、過剰なバッシングの正体は、これらが噛み合ったとき個人の炎上が共同体の制裁に変容して止まらなくなる、という因果なのだろう。
(まあ結局のところ一番の問題はSNSで、収益化やアルゴリズムによるアテンションエコノミーの促進、手軽な拡散や匿名性、承認欲求や優越感の回収など、その具体を挙げ出したらキリがないし、そもそも前提となる資本主義や競争社会のトレードオフ問題や、インターネットの性質的問題も多々あるわけで、無理やり一つのフレームに整理するなら感があるのは否めない。)

⚡️まとめと感想

ここまで調べて整理してみて腑に落ちたのは「鹿乃さんの炎上は、出来事の大小で起きているのではなく、燃え続ける「型」が完成している」という点。
単発のトラブルや言い間違いなら、時間とともに薄まっていくはずなのにそうならない。なぜならこの件は、二次創作とコスプレが本来「黙認と信頼」で成立している領域で、借りる側に求められる敬意や配慮よりも、自己正当化や制度化(線引きを語る立場取り)が前に出て見える瞬間が繰り返し発生し、そのたびに「また同じだ」という解釈が強化されていく構造となっている。
否定派は文化全体の損得と前例化を恐れて止めようとし、アンチは態度や語り口への嫌悪と不公平感で怒り、本人はルール面の正当性や炎上構造への抵抗で押し返す。
この三者の力学が噛み合うと、出来事が起きるたびに印象が固定され、過去ログが薪として再利用され、炎上が定期的に再燃する。要するに「燃えやすい場に、燃えやすい形で立ち続けている」こと自体が、炎上の原因になっている。
その上で、学びとして残すならざっくり二つ。ひとつは、グレーゾーンの文化では「正しいかどうか」より先に「信頼を壊さない振る舞い」が優先されるということ。ルール上の正当性があっても、敬意や配慮が薄く見えると、それは正しい主張ではなく挑発として受け取られ、燃料になり、対話が成立しなくなる。
もうひとつは、SNSでは説明が鎮火剤になりにくく、態度が可燃物になりやすいということ。反論が強いほど切り抜かれ、切り抜きが次の怒りを呼び、怒りが次の解釈を固定する。この循環に入った瞬間、出来事の是非とは別に「燃え続ける状態」が成立してしまう。
(どちらも当たり前のことではあるし、学びとしては薄い気がするけど、論理構造と炎上体系を捉えられたのは良かった。)
冒頭でも簡単にお伝えしたが、この整理をしたかった理由は、論理構造を知らないまま、表層の「炎上キャラ」という雑なラベルに自分の思考を預けたくなかったからで、
SNSの炎上は正しさの議論に見えて実際は、権利(法)・文化(黙認)・倫理(リスペクト)・感情(好き嫌い)などが一つの鍋で煮込まれて、最後に「人格戦」といういちばん雑で、いちばん拡散しやすい形に落ちていくわけで、そのプロセスを理解しないまま熱量だけを浴びると、気づかないうちに自分も「感情論を鵜呑みにする思考体系」に寄ってしまう。
だから今回は、どこで何が混線して、どこから人は怒り、どこで論理が崩れていくのかを、構造として自分の中に置き直したかった。
ここまで整理できると少なくとも私は、次にこの話題を見たときに表層の熱量に巻き込まれにくくなる。そういう意味で、この整理は「他人を裁くため」ではなく「自分の思考を守るため」の作業だった、というのが今の暫定的な感想になるのだろう。
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