女性の理想の男性像を突き詰めるとゲイになる
「」を観て気付いたこと。女性が理想の男性像を突き詰めていくと、最終的に辿り着くのは、驚くほど洗練されたゲイ的存在なのではないか、ということ。清潔感があり、肌が綺麗で、髪型も眉毛も整っていて、良い香りがして、オシャレで、センスが良く、感受性も高く、繊細で、優しくて、心の機微をわかってくれて、感情を言語化できて、話し合いもできて、エモーショナルで、ロマンチックで。
ボーイフレンドに出演しているゲイの方々は、女性の理想の男性像に近いなと。
多くの女性は男性に対して、もっと清潔感があれば良いのに、もっと髪型とか服装に拘ってオシャレでいてくれたらいいのに、もっと繊細に私の気持ちをわかってくれればいいのに、もっと言葉で密なコミュニケーションが取れたら良いのに、もっとロマンチックにしてくれたら良いのに、と不満を持つことがあると思う。
けれど、その不満に思える特徴こそが、”男性性”なのかもしれない…とハッとしたのだ。
その不満を解消せよという要求は、結局のところ「もっと女性性に寄れ」という圧力なのではないか。
清潔であれ、繊細であれ、共感的であれ、言語化せよ、ロマンチックであれ。
それはつまり、男性的な特徴を削ぎ落とし、女性にとって理解可能で、女性に扱いやすく、女性の感情を担える、女性的な存在になれ、ということなのではないか。
その結果できあがる理想像は、もはや異質な他者=男性ではない。
女性的価値観を高度に内在化した男性。つまり、女性と同じ言語で、同じ感受性で、同じ温度で振る舞える女性的存在。
だから極限まで洗練されたその理想形は、ヘテロ男性よりも、ゲイの男性の方が近くなるのではないだろうか。
その不満を完璧に解消した理想像が目の前に現れた時、たぶん私は「素敵な人だな」とは思うものの、異性としての魅力=男性性を強く感じることができず、恋に落ちることはない気がする。「いいな」とは思っても、燃え上がるような恋にならない気がする。
清潔感がありすぎない、繊細すぎない、綺麗すぎない、優しすぎない、だからこそ男らしさを感じるのかも。
心の機微をわかりきってくれない、言語でコミュニケーションがとりきれない、だからこそ、もっと知りたいという興味が湧いて、もっとわかってほしいという執着が生まれる。
それでもわかりきれず、完全に異質な存在だからこそ、もっともっと分り合うために一つになりたくて、セックスしたいと思うのかもしれないなと。
この異質さ、粗さ、不完全さ、分かり合えなさ、それが原因ですれ違ったり、傷ついたりするのだけど、これがあるから強烈な引力が生まれるのかなぁと。
だからこそ完璧な理想を求める女性は、現実の男性に恋をすることができず、BLやアイドルといった安全な幻想へ向かうのだろう。そこでは男性性は中和され、洗練され、無害化されている。女性を傷つけない究極の理想がそこにある。
男性アイドルに恋する女性たちは、男性アイドルが他の女性と恋愛やセックスをすることを許せず、男性アイドル同士でイチャイチャしている姿に萌えるのだそう。そういう面でも、やはり理想を突き詰めるとゲイ的な存在となる。
世の母親たちが理想とする息子像もまたどこか似ている。毎日きちんとお風呂に入り、母の作るお弁当を美味しく食べて、「ありがとう」と感謝し、洗い物もして、暴言を吐かず、他の女性と遊ばない、清潔感のある穏やかな安心できる息子であってほしいと願う。
しかしそれもまた、男性性の荒さを削ぎ落とした姿を求めていることにならないだろうか。そうして不安や脅威の要素を徹底的に取り除いた理想像は、やはりゲイ的な存在となる。
私がBLやアイドルといったファンタジーに一切興味を持てず、現実の男性ばかりに恋をしてしまうのは、理想像そのものではなく、男性性という異質さや不完全さに惹かれているからなのだと思った。
男性が自分の理想に近いから惹かれるのではなく、理想に満たない欠落や引っ掛かりや摩擦や不可解さに心が動くのだと。
整いきらない部分、理解しきれない部分、自分にはない粗さ。そこにこそ、抗えない魅力があり、惹きつけられてしまう引力がある。
そう気付いたとき、これまで不満に見えていた男性の異質さや粗さや不完全さが、とてもとても愛おしく思えてきた。「それが不満だ」とも、「それを治してほしい」とも思わなくなった。それは欠点ではなく、それこそが私を惹きつける魅力なのだと思えた。私は理想に恋をするのではない。完璧ではない、ありのままの男性を、愛しているのだとわかった。
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