好きをやめて大好きをやる。
東京在住の女性R様から「古い自分を捨てて新しい自分に生まれ変わりたい。自分ど真ん中で生きたいのだけど勇気が出ない。人に会うのは怖いけど、坂爪さんに会わなきゃと思って連絡した」とご連絡をいただいた。私の正しい使い方である。参考になるかはわからないが、私が過去に料理教室を主宰していた時に「お客様満足を考えると人生が退屈になる」と思ってやめた時の話をした。
最初は好きではじめた料理だが、料理教室を重ねるうちに「参加者が百楽しんでくれたら、自分も八十くらい楽しむことができる。だけど、参加者が五十くらいしか楽しんでいないように見えた時は、自分の楽しみはゼロになる」ようになった。参加者が楽しんでくれたら嬉しい。だけど、参加者が楽しんでくれなかった時は、非常に慌てる。存在価値が揺らぎ、自信が崩壊する。この時に悟った。あ、これは喜びではない。単なる安心だ。
客の喜びは自分の喜びではない。客の喜びは、自分の安心だ。安心を求めると、客に媚びるようになる。数字を気にしたり、毎月生活をするためにはこれくらいの集客がないとダメだなとか考えるようになり、口先では綺麗なことを言いながら、結局客の財布をあてにするようになる。このままだと最低の人生になると思って、料理教室をやめた。料理が嫌いになったからやめたのではない。好きをやめて、大好きをはじめるためにやめた。
この時、生き方が反転した。これまでは「誰かを楽しませることができた時、はじめて自分も楽しむことができる」みたいな世界を生きていた。それが「自分が百楽しめば、周囲の人も八十くらいは楽しんでくれるだろう。自分の感じる楽しさに賭ける。場合によっては楽しんでくれないかもしれない。その時は死のう」と思うようになった。人が何を思うのかなんて知らない。それは私の領域ではない。自分を説明しない。もっともらしいことを言わない。言葉ではなく生き様を見せる。
こんな生き方だと死ぬかなと思ったが、まだ生きている。しぶとく生きている。ストレスはない。モヤモヤもない。自分の人生を気に入っている。古い自分を捨てるには、好きをやめて大好きをはじめることだと思う。今の仕事が好きならば、好きなままやめる。今の旦那が好きならば、好きなまま別れる。今の環境が好きならば、好きなまま離れる。好きだけど「大好き」とは言えないものを捨てる。そうじゃないと、好きなものに殺される。好きは執着。大好きは解放。俺とお前のプロミス。暴れ死ぬ。ちゃんとやらなきゃと思ってちゃんとなんてできないと思って死にたくなるくらいなら、暴れ死ぬ。ちゃんと最後には死がお迎えに来てくれるのだから、嫌なことをやって生きるより、好きなことを好きなようにやって死のう。
おはようございます
はじめてまして
◯◯◯◯◯と申します
突然のメッセージ失礼します
毎日たのしみにnoteを拝読しております
本当に、本当に、
毎日ありがとうございます
坂爪さんのnoteを読む毎に
自分が耕されていくような感覚です
坂爪さんの言葉、文章が
すべて自分の1部のようで
掘りおこされては、知らなかった分っていなかったそれに気づき、その姿をそういうものだったのかと認識していくような、そしてぐさりと痛くともほぐされていくような、、、
毎日そんな衝撃と血が通うようなじんわりとした感覚を受けております
坂爪さんのnoteを読むことは、私にとって毎日の大切な業となり、なんだか他のSNSはみれなくなりました
今朝はどうしてもこの想いを伝えたくてコメントをメッセージしてしまいました
これからも坂爪さんのnoteをたのしみにたのしみにしております
どうぞご自愛いただきながら
これから歩む道のり坂爪さんにとって福徳あることをお祈りいたします
一方的なメッセージを失礼しました
今日もすてきな1日になりますように!
おおまかな予定
2月7日(土)東京都文京区界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
いいなと思ったら応援しよう!
ばっちこい人類!!うおおおおおおおおお!!


コメント