大好きなかずみんと弟の話。
ふと思い立ったので、今まであまり人にしてこなかった話を大好きな乃木坂46の高山一実さんの話に交えてしてみたいと思います。
とても個人的な話です。
まず、突然ですが
私には弟がいました。
私が小学六年生の時、3つ下だった弟は病気で旅立ちました。
もともと体が弱く活発ではなかったけど、私がどこかに行く時はよく着いてきて遊んでいました。
近所の公園に行く時は控えめな弟を友達にかまってもらったりしていたのを覚えています。
コミュニケーションもあまり得意な方ではなかったかもしれないけど、家族の前ではよく笑う、私にとっては可愛くてたまらない弟でした。
少し不自由ではあったかもしれないけれど、幸せな日々がずっと続くと思っていました。
けれどもその時が来るのは突然で
体調を崩してしまい入院したその数日後に弟は旅立ちました。
当時私は小学六年生で様々なことを感受しやすい時期だったと思うのですが、事実を受け入れられないままただ悲しみに暮れていたことを覚えています。
なにかもっとしてあげられることはなかったのか。あの時もっと笑わせてあげられなかったのか。そんなことばかりを考えていた気がします。
それから両親は私に気を遣ってからなのか、弟の話はほとんどしなくなり、アルバムもほとんど開くことはありませんでした。
ただ避けているわけではなく、悲しまないように。
私も弟の話を自分からすることもなく、友達にもなるべく隠していました。
気を使われるのが嫌だったのか、変に可哀想な奴と思われなくなかったからなのか今ではよくわかりませんが、今考えるとあの時話せていればだいぶ心が楽になっていたのかなと思います。
そのようにして私はこの事を誰にも言えないまま心の奥にしまい込んでいました。
引きこもるわけではなく普通に生活をしていたけど心にはずっと弟のことがあって。後悔のような気持ちがずっと離れないまま過ごしていました。
それから何年か後。
私が乃木坂46に初めて興味を持ったのは、13thシングルの”今、話したい誰かがいる”でした。
それまで乃木坂の存在は知っていたけど、たまたま聴いたこの曲がなぜかすごい当時の自分に刺さり、一気に乃木坂にハマっていきました。
かずみんを好きになったのはそれからすぐのこと。
明確なシーンは覚えてないけど、初めてリアタイした乃木中から、かわいい!元気!おもしろい!が揃ったかずみんに釘付けで夢中になっていました。
いわゆる一目惚れで推しが決定。
それから調べてみると、
私と同じ千葉県出身。
地域こそ違うけれど、のちに紹介されるかずみんがバイトをしていた道の駅にも何回か行ったことがありました(びわソフトも食べてた)。
出身地が同じだとどうしても親近感が湧いてしまうもので、当時はこれは運命だ推すしかない!と思っていました(今考えたら単純すぎますね)。
ただ、かずみんが私にとって特別な推しになったのにはもう一つ理由がありました。
それはある日読んだかずみんのブログに書かれていた、弟が亡くなっていたということ。
これを読んだ時、あ、同じなんだと思いました。
もちろんただ同じだというのはあまりにも失礼だし、それぞれの事情があることは分かっています。ただ、共通点を感じてしまいました。
かずみんは詳しいことは何も明かしていないし、私の勝手な結び付けなのだけれど、その時から普通のアイドルには見れなくなりました。
きっと計り知れないようなとても辛い思いをしていたと思います。それでもアイドルという夢を叶えて、常に明るく振る舞っている姿はとても逞しい人に見えました。
とっても元気で明るくて、努力を怠らない優しい人。
私はいつしか”この人はずっと応援しなければいけない”と思うようになっていました。
これは同情とかそういう意味ではなくて、ただ自分をいつも勇気づけてくれる存在として、このような人になりたいという目標のような存在として思うことです。
ずっとずっと笑顔でいてくれる。そして笑顔にしてくれる高山一実さんが大好きです。
優しくて優しくて。優しさでできたような人で。その優しさが私だけでなく何人の人を救ったのかわかりません。
暗い過去にずっと依存しているのではなくて、弟に誇れるような人生を送りたい。
悩んだ時や辛いとき、こう思うようにしています。
かずみんにこの事を話そうとは迷惑だし、全く思わないけど、握手会やミーグリで感謝は伝えてきたし、これからもそうしようと思っています。
ただオタクになった話を良いように、気持ち悪い文章を書いてしまいました。
今日このnoteを公開した7月23日は弟の命日です。自分自身の気持ちを整理するためにもこの文章を書けて良かったと思います。最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。
【追記】
このnoteを書き終えた後でかずみんが卒業を発表しました。
私の中でかずみんは最初の推しであり、最高の推しです。
かずみんがアイドルでいる残り少ない時間もたくさん愛して、卒業してからも応援し続けます!
本当に本当にありがとう。



コメント
1松本隆さんをご存じだろうか?
松本隆の妹が生まれつき病弱で早くに亡くなっており(1980年)、そのことで詞が優しいといわれています。
「最愛の妹を亡くした後の半年は作詞が出来なかった。ある日渋谷に出かけた時に街がモノクロームに見えた。その経験をきっかけに、妹が自分の人生に色天然色を加えてくれていた事に気づいた」と語っている。
大瀧詠一の「ロングバケーション」の中の「君は天然色」は妹への鎮魂歌である。
一方、彼の作詞した1曲に瑠璃色の地球(1986年に発表)という商業色を排除した1曲が有り、絶望の淵から救われた様な楽曲です。
「瑠璃は照らせば光る」「才能や素質をもった人はどこにいても際立つ」ことのたとえで使われ、瑠璃色にこそ希望があるという深い意味があります。妹が過去に「松本隆は才能を生かして周りの人を救ってやるのが使命だ」と言って、絶望の淵に立つ主人公松本隆自身を見事に救った楽曲なのだろう。
高山一実が優しくファンを救ったのは、そういう思いなんだろうと勝手に思っています。
松本や高山の様に相手が大勢でなくても、あなたが救える人がいると思います。