6

「あの、ちょっと失礼」
 平日の夜、学校や職場から帰る人達が行き交う駅の北出口で、スーツを着た体格の良い男性に声を掛けられ、藍子とまどかは足を止めた。
 学校帰りの女子大生と思われる二人に声をかけたのは、学生なら平日の同じ時間にこの駅を利用していると考えられるため。突然声をかけられて訝しげな顔を浮かべる二人に、男がスーツの内ポケットから、
「私はこういう者なんだけど」
と取り出したのは、警察手帳だった。
「刑事さん、ですか?」
 怪しい男ではないと分かって二人の緊張が若干緩んだところで、彼は頷いて、続けた。
「私はタカノと言います。実は今、とある男性のことで聞き込みをしていまして、ご協力願えますか」
「はい、いいですよ〜」
「この男性なのですが……、見覚えはありませんか?」
 タカノが見せたのは、どこにでもいるような、眼鏡をかけた30代くらいのサラリーマンの写真だった。彼女達はそれを数秒間じっと眺めたが、ほぼ同時に首を傾げた。
「う〜ん……、知らないと思います」
「この男の人がどうしたんですか?」
 二人の答えに、タカノは写真を胸ポケットにしまって、頭を掻いた。
「実は、この男性が行方不明になって捜索願が出ているんですよ。この駅の防犯カメラに写っていたところまでは確認できたのですが、その後の足取りが掴めていません。ちなみにお二人は三日前の月曜日、この駅に来ましたか?」
「はい。三日前も来ました」
「今と同じくらいの時間でしょうか。この男性に限らず、何か不審な人間を見たようなことは……」
「確か今くらいの時間だったと思いますけど……。でも、変な人は見てないです」
 それを聞いて、タカノは肩をすくめてから、二人に軽く頭を下げた。
「そうですか……。わかりました。ご協力感謝します」
「いいえ。心配ですね……」
「無事見つかると良いんですけどぉ……」
 そう答えた二人は、ぺこりとお辞儀を返してその場を後にする。
 刑事に聞き込みを受けて、二人はしばらく顔つきを崩さずに歩いていたが、……刑事が見えなくなり、人混みから離れたところで、……お互いに顔を見合わせて、ぷっと吹き出した。
「藍ちゃん演技派〜!『心配ですね……』ってあの神妙な顔、ニヤニヤしながら連発すかしっ屁責めしてたのと同一人物とは思えないよぉ!」
「そう言うまどかだって『無事見つかると良い』なんて、ウフフッ、あれだけノリノリで遺書書かせてたのによく言うわ」
 ――そう、先ほどの写真の男は、他でもない、三日目に藍子とまどかの毒牙にかかり、犠牲となった男だったのである。

 ――三日前。
 ターゲットをその男に決めたのはまどかだった。
「ねぇ藍子ちゃん、今日はあの人にしようよ」
「あのサラリーマン?どうして?」
「ん〜。理由はないけど、なんとなく!」
「ああいう真面目そうなサラリーマンって、一番“処理”に困るのよねぇ」
 駅から少し離れたところで通りすがりに彼に目をつけて、二人はこそこそと話し合っていた。
 “処理”というのはもちろん、男を殺めた後の偽装処理のこと。例えば、チャラそうな男は繁華街の裏路地で事故死、やんちゃしていそうな男はドラッグ中毒など、理由を自然に装える。そうではない男の場合は、心臓麻痺の突然死を偽装することになるが、その手はつい最近、別の男相手に使ったばかりだった。流石に同一の地域で「突然死」が多発すると怪しまれる可能性がある。そう考えて、藍子はその男を「“処理”に困る」と判断したのだった。
 しかし、意外と頑固なまどかは一度決めたターゲットをなかなか変えようとしない。
「え〜、いいじゃんあの人で。なんとなくだけど、あの人がいいんだけどな〜」
「うーん……、まぁ、“処理”のことは後から考えればいいか」
 こうして、まどかの「なんとなく」という理由になっていない理由で選ばれた哀れな男は、人通りが少なくなったところで二人の美女に声をかけられ、いけないと思いつつも、チラ見せされる太ももや胸の谷間に騙されて、「秘密基地」へと誘われたのだった。

 そうして行われた、いつも通りの残虐な遊び。
 人間の領域を逸脱したとしか思えない放屁で服従させられ、必死で許しを乞いながらも、二人にオモチャとして扱われた。
 そして彼の“処理”方法も決まった。「自殺偽装」である。
 現代社会の自殺者数は、考える以上に多い。普通に暮らしている人でも心に闇を抱えており、ある日突然自ら命を絶つということも珍しくない。それを逆手に取れば、偽装して“処理”するネタとしてはうってつけである。
 問題はどうやって自殺を偽装するか。その最も簡単な方法は、男自身に自殺を宣言させることだった。
 憔悴しきった男は、平机の前の床に正座させられた。
 机に置かれたのは、紙とペン。それも、多少水に濡れても文字が消えない、特殊なシートとインク。男はそれに、言われた通りの「遺書」を自ら書くよう命じられたのである。
 当然、死にたくもないのに自ら進んで遺書を書く者などいない。それもこの状況で、もしそれを書いてしまったらどのように使われるかは誰でも分かる。
 だが、正座している両脇を藍子とまどかに囲まれ、頭部を左右から生尻で挟まれていたら……、話は別である。
 彼女達の尻から放たれるガスのおぞましさを嫌というほど思い知らされた上で、彼女達の並外れて巨大な尻を両耳付近に両側からむにゅっと押し付けられる。彼女達の尻割れにこびりついた最悪の臭いが鼻につく。その上でその巨尻の持ち主達から、
「書き間違えたりしたら、おならプ〜だからね!」
「まどかは厳しいわねぇ。そんなこと言ったら字が震えちゃうじゃない」
「ちょっとくらい震えた字の方が死ぬ前に書く遺書としてはリアルだよ〜、きっと♪」
「フフッ、確かに。じゃあ私も、間違えたら思いっきりスカシちゃおうかしら。さっき連発で嗅がせたのよりも、もっと濃いのを、ね」
「あっ、怯えてる怯えてる。さっきので絶対スカシがトラウマになっちゃったんだよ〜。藍子ちゃんのムスゥ〜ッ、かなりヤバい臭いだったもんね。何発出しても全然濃さがダウンしなかったし!」
「あら、あれくらいでビビられちゃ困るわ。まだまだ濃いの、スカせるんだから」
などという会話を聞かされたら、なおさら背筋が凍る。もう誰も逆らえない。
 こうして二人の指示通りの偽造遺書を書き終え、ガタガタと震えながらペンを置いた男は、
「はい、ご苦労様」
「じゃあ、続き、やろっか♪」
と言う二人に引きずられ、さらに3時間のおなら責め地獄を受けた末に、絶命した。
 おなら責めの途中で遺書を書かせたのは、彼が字が書けるうちにそれを用意させるため。遺書が出来上がって“処理”の準備が整った後の責めはさらに過激さを増し、まどかが
「ちょっと出しすぎちゃった〜、アハハッ!」
と大笑いした驚異的な爆音放屁32連発によって、男は完全に気が狂った。立ち込める悪臭に藍子が眉をひそめて顔の前の空気をぱたぱたと手で仰ぐ横で吊るされた男は、目の焦点が合わず、うわ言をブツブツ呟きながら全身がブルブル震えていた。あれでは遺書を書かせるどころか、言葉すら伝わらなかっただろう。彼がそうなる前に、二人は段取りよく遺書を書かせたのだった。
 “遊び”を終えて満足した二人は、死因を餓死に見せかける「死因偽装薬物」を投与した男の亡骸を車に積み、県境の山へと向かった。自殺の名所として知られる山中の奥深くまで運び、木にもたれかかるような格好で遺棄する。そばには彼の鞄。中にはあの遺書が入っている。特殊なシートとインクが使われ、ケースにも仕舞われているため、雨が降っても文字が消えることはない。
 こうして彼は、発見されたときには明らかな「自殺」と判断され、不審な点なしとして扱われる。今の時期はキノコ狩りもタケノコ狩りもオフシーズン。山中をくまなく探されることがなければ、発見すら当分されないだろう、と藍子は踏んでいた。
 山中での餓死、目立った傷はなし、加えて自筆の遺書が発見されればそれ以上の捜査は行われない。完璧な偽装工作を経て、また一人の犠牲者が真相を暴かれることなく眠りについたのだった。

「目立った収穫はなし、か。……だが………」
 聞き込みを終え、警察署に戻ったタカノは、その日得られた情報をまとめながら独り言ちていた。
 深夜の署には、タカノ以外誰も残っていない。捜索願は出されたものの、元々大掛かりな事件ではないため、チームも小さい。行方不明者の発見は、彼の手腕にかかっていると言っても良い。
 その日得られた情報は、「その男性を見かけたかも。しかしどこへ向かったかは分からない」という程度のものが数件だけ。有力な手がかりとは言い難い。
 しかし、タカノの頭には、ある証言者のことが引っかかっていた。
 あの二人組の女子大生……
 彼が行方不明者の男性の写真を見せたとき、二人はその男性を「知らない」と答えた。また、三日前には同じ駅にいたが、不審な人間は目撃していない、と。
 その証言は至って普通のもの。だが、彼女達の返答は、いささか即答すぎた。複数人のグループに不明者の写真を見せると、経験的には、互いに「見たっけ?」「見てないよね?」などと確認し合うことが多い。しかし先ほどの二人は、ほぼ同時に「知らない」と答えた。……まるで、あらかじめその答えを用意していたかのように。
 さらに、不審な人間を見なかったか、という質問にも、栗毛の女性の方が見ていないと答えた。駅のように、ある程度以上の人が集まる場所であれば、事件に関連があるかどうかは別にして、何かしら奇妙な人間を見かけるものだ。だが彼女は、尋ねたのは三日前の出来事であるにも関わらず、すぐに「見てないです」と答えた……
 明確な証拠や根拠があるわけではない。それに、あの二人の女子大生(それも、二人ともとびきりの美人だった)が事件に関与しているとも思えない。怪しい点は無いに等しい。
 が、タカノは彼女達のことが「なんとなく引っかかる」と感じていた。それは彼の刑事の勘だった。そして彼は、こうした「勘」に基づいて、チームの中でも独自の個人プレーで捜査を進めるタイプだった。
「……いつもあの駅を利用してるみたいだったし、また当たってみるか………」
 何しろ手がかりがほとんどない案件だ。刑事は足で稼ぐもの。わずかでも可能性があればアタックしてみる。それが彼の信条でもあった。
 タカノはパソコンを閉じ、手帳に「女子大生 二人組 黒髪と栗毛」とメモをして、その日の仕事を終えた。

inserted by 2nt system