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 金曜の夜10時過ぎの電車内。
 サラリーマンのマサシは、上司との飲み会を終え、電車で家路に就いていた。
 毎日残業続き、仕事が終わっても無理矢理飲みに連れて行かれ、聞きたくもない説教を百ほども聞かされるし、飲み代だってほとんど奢ってもらえない。独身の一人暮らし。家に帰っても寂しいワンルームの部屋が待っているだけ。マサシは疲れ切った様子で、座席に腰掛けてぼんやりスマホを眺めていた。
「……に到着、右側のドアが開きます」
 車内アナウンスと共にドアが開き、乗客の何人かが入れ替わる。
 この時間帯の電車は、ほとんどが自分と同じような飲み会帰りのサラリーマン。その中に、明らかに他の乗客とは違う雰囲気をまとった二人が乗り込んできたとき、マサシは思わずスマホから顔を上げた。
「それでね、その後に来たお客さんが〜」
「ウフフッ、なにそれ可笑しい」
 乗り込んできたのは、仲よさげな二人の若い女性。おそらく女子大生だろう。遊びの帰りと見える彼女達は、何気ない雑談を二人楽しみながら、マサシの座る目の前に立って吊革に捕まった。
「………っ」
 マサシは思わず数秒間、今日の嫌な仕事の記憶も忘れ、彼女達のことを凝視してしまった。そうさせるだけの圧倒的な魅力が、二人にはあったのだ。
 栗色ヘアの洋風人形のような女の子と、黒髪のモデルのように凜とした女の子。二人が前に立っただけで、酒臭かった車内に、ふんわりと女の子の匂いが漂った。
 そこでマサシはハッと我に返って二人から目をそらし、スマホの画面を見るふりをする。こんなに凝視しては怪しまれるだろう。幸い、二人はおしゃべりに夢中になって目の前のマサシのことは気にもしていないようだが。
 それにしても、奇跡のように可愛い二人組だ。マサシだけではない、周りの全ての男達が、気づかれないように注意しながらも堪えきれず、彼女達にチラチラと目を送っているように見える。
「え〜?ウソでしょぉ?アハハハッ!」
「それがホントなのよ。冗談みたいだけど」
 黒髪の子の話に、栗毛の子がお腹を抱えて笑っている。その素振りによって、マサシの視線はまた釘付けになった。
 栗毛の子が笑うと、胸元がぷるんぷるんっと上下に揺れるのだ。
 目の前にいるマサシには分かった。この子、あまり目立たないような服を着てはいるけど、かなりの巨乳だ……!
「次は、**、**です。お出口は右側です」
 そこで流れた車内アナウンスに、二人は、
「あ、もう着いちゃう」
「出口の方に行きましょ」
と下りる支度を始めて、マサシの前から立ち去っていく。
 毎日仕事に追われ、楽しいことが何ひとつない生活。そんな中、電車の車内で出会った奇跡の美女二人。
「………」
 彼が下りる駅はまだ先であるにも関わらず、マサシは席を立ち、ふらふらと彼女達の後を追うように電車の出口の方へと向かっていった――

 それはほとんど衝動的な行動だった。
 下りるべき駅はもう3つ先。それでも、美女の魅力に引き寄せられたマサシは、少しだけ距離を置きながら、彼女達の後ろを静かについて歩いていった。
 ついていって何をするのかは、彼自身よく分からない。よく分からないが、もう理性的な判断を越えた部分で、彼の頭が「彼女達についていきたい」と欲していたのである。
 駅のホームから階段を上がる二人。
 その後ろ、数段後をマサシが歩く。
 ここはあまり大きな駅ではない。下りる乗客もごく少数。この時間だとほとんど駅員もほとんどいない。
 階段の下から彼女達の後ろ姿を見上げると、マサシはまた、別のものに目を奪われた。
 ミニスカートから伸びる栗毛の子のむっちりとした太もも。
 そしてそれ以上に――スキニージーンズをぱっつんぱっつんに張らせた、黒髪の子の驚くほど大きな尻。
 電車内で見ていたときは、栗毛の子の方が巨乳でどちらかと言うと肉付きもよく、黒髪の子はスレンダーな美人という印象だった。
 だがこうして下から仰ぎ見ると初めて分かる。黒髪の子の下半身はとんでもなく立派だということが。ヒップが強調されるスキニージーンズだからという以上に、まずもって、あんな凄まじい巨尻は見たことがない。ヒップが売りのグラビアアイドルやAV女優、果ては南米系のヌードモデルまで、マサシが写真やビデオで見たことがあるどんな巨尻をも凌ぐ迫力。そんな尻が、黒髪の子が階段を一歩一歩上がるたびに、ぶっりん、ぶっりん、と揺れている……
 ゴクリ……
 生唾を飲み込みつつ、マサシは彼女達の背中を追って改札を出る。
 二人はいつの間にか手を繋いで、駅の正面とは反対側の出口へと向かっていく。
 そこは人通りが少ない……、というよりも、ほとんど無いに等しいシャッター街。なぜ女の子二人がそんな方へ向かうのだろう? 不思議に思いつつ、マサシは心のどこかで、「これはチャンスなんじゃないか」という考えが芽生えていることに気づいた。
 チャンス? いや、俺は何を考えてるんだ。
 必死で自分を律しようとしながら、彼はもう、後戻りできなかった。
 ただ偶然を装って彼女達と同じ方向、人気のないシャッター街へ。
 少し進むともう街灯すらまばらで、月明かりだけが夜道を照らすようになる。マサシはやや俯きながら、ポケットに手を突っ込み、息を忍ばせて二人の10メートルほど後ろを歩いて行く。
 ――と、十字路にさしかかったところで、二人がふと足を止めた。
 見つかった!? マサシは慌てて電柱の陰に隠れる。早鐘を打つ心臓。だが、どうやら気づかれたわけではなさそうだ。彼女達は、ここで分かれて各々、違う方向へ向かって帰宅するらしい。
「またね、藍子ちゃん。今日も楽しかった♪」
「そうね、じゃあ、まどか、また明日」
 藍子ちゃんと呼ばれた黒髪巨尻の子は左方向へ。まどかと呼ばれた栗毛巨乳の子は右方向へ。
 分かれた二人の姿が見えなくなる。
「………ッ」
 マサシの顔からは、表情が消えていた。酒が入っていることもあるかもしれない。日頃のストレスが彼の判断を鈍らせているのかもしれない。
 それが何の言い訳にならないことも分かっている。それでも、電車内で二人の美女に魅了された彼の潜在的な性欲は、たとえ人倫に背こうとも、もう後には引けなくなってしまっていた。
 左と右。
 どちらの子へついていくか。その選択はしなければならない。
 十字路の分岐点で一瞬立ち止まり、左右を見渡すマサシ。まだ彼女達の後ろ姿は、各々見えている。
 彼は震える手でグッと握り拳を作ると、カラカラに乾いた口から小さく息を吐き、進路を決める。
 マサシが後を追うのは――

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