「冬こそJR」はどこへ行ったのか 雪に弱くなったJR北海道は変えられるのか
札幌都市圏で遭遇した間引き運転
2026年2月2日も、札幌都市圏では大雪の影響により列車の間引き運転が行われた。快速エアポートを中心に運休が相次いだほか、函館本線の小樽―長万部間では終日運休となり、列車の運休に伴う代行輸送は実施されなかった。鉄道を中心とした交通の乱れは1週間以上にわたって続いており、道民の生活や経済活動に少なからぬ影響を及ぼしている。
2月1日、筆者は雪でダイヤが乱れる中、臨時特急「雪のはまなす」に乗車し、札幌から旭川へ向かった。この様子については、筆者の記事(札幌―旭川を富良野経由で3時間 臨時特急「雪のはまなす」が走った理由)でも触れた通りだ。
この日は夕方以降、札幌都市圏で大幅な間引き運転が行われるとの発表があったため、旭川市内にもう少し滞在をして観光をすることも考えたが、早めに札幌へ戻る判断をした。旭川からは、いったん石狩沼田行に乗車し、石狩沼田駅を経由して深川駅へ。深川駅からは特急ライラック号に乗車し札幌へと戻った。帰りの特急列車の車窓からは、雪原が広がる景色を楽しむことができた。札幌駅に到着したのは14時半頃であったが、各所では17時ころから列車の間引き運転が行われる旨、アナウンスが流れていた。
交通機関の乱れによって人の移動に制限がかかることは、道民の生産性や観光による経済活性化の面でも、マイナスの影響が大きいと感じざるを得ない。
かつてJR北海道が元気だった1990年代には、冬になると「冬こそJR」と題したテレビCMが盛んに流され、鉄道利用が積極的に呼びかけられていた。関係者の話によると、「当時は大雪が一度降るだけで、マイカーやバスから鉄道への利用シフトが起き、1000万円規模の増収につながることも珍しくなかった」という。北海道の雪は「鉄道需要を呼び込む要素」でもあった。
筆者は、高校時代から大学時代にかけて通学にJR北海道を利用していたが、少なくても筆者の経験がある2000年代までは、雪の影響でここまでJRのダイヤが乱れる経験をすることはほとんどなかったことから、近年、顕著になっている雪による大幅なダイヤの乱れには驚きを隠せない。
なぜ、かつてほど雪に対応できなくなったのか
では、なぜ現在のJR北海道は、かつてほど雪に対応できなくなったのか。その一因として、経営安定基金の運用益が大きく減少していることが挙げられる。この点については、筆者の記事(「雪に強いはずの鉄道がなぜ止まったのか」――新千歳空港“7000人孤立”で見えた本当の原因)でも触れた通りだが、財源の制約が除雪体制や人員配置に影響していることは否定できない。では、除雪作業そのものを、より効率化する余地は残されていないのだろうか。
ラッセル車への乗務経験もあるJR東日本OBで、現在は交通コンサルタントとして活躍する阿部等氏は、次のように指摘する。
「私は、JR東日本時代に長野で3年間勤務した際、ラッセル車の操作を担当したり、飯山や数十年に1回の大豪雪となった松本へ除雪の助勤に行ったり、雪の経験を30年分くらいしました。雪のベテランから『列車を動かし続けると、線路にも架線にも雪は積もらない。間引き運転すると積もって、にっちもさっちも行かなくなる』と教わりました」
その上で、現在の対応については慎重に言葉を選びながらも、こう続ける。
「今のJR北海道は、間引き運転どころかどんどん運転中止とし、わざわざ線路と架線に雪を溜め込み、ラッセル車やモーターカーロータリー、挙げ句の果てには人海戦術で除雪するという、雪国の鉄道の基本から外れたことをするばかりと言わざるを得ません。
私はJR北海道を一方的に非難するつもりは一切ありません。JR北海道自身が、北の鉄路の維持・発展のために、経営安定基金の運用益減の問題を分かりやすく社会へ説明し、国へ適正な財政措置を求めるべきです。経営の不適切による赤字の尻拭いではなく、日本国の運輸政策として必須の財政支出です。
JR北海道の役員・社員、また無念の思いで退職した皆様も、国の運輸政策の不作為による被害者です。JR四国も同様です。当事者が堂々と自己主張してこそ、本質的な問題解決をしようとの機運を生み出せます。今回の雪対応の災いを転じて福と為したいです」
近年の北海道では、冬になるたびに札幌都市圏の交通が大きく乱れる状況が、半ば「恒例行事」のようになってしまった。しかし、このまま状況を悪化させ続けることは、地域の将来にとって決して望ましいものではない。今回の雪対応をきっかけに、現場論にとどまらない、政治的・制度的な解決が本格的に議論されることを期待したい。
※【2026年2月4日17時44分追記】
一部の内容を追記しました。