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とってもおセンチなはなし その5  2の「べきすう(冪数)」から始まった旅は,じつは2から出発したのではなく,文字通り1から出発したことが分かった。1をもとにしてつぎつぎに2をかけるのがバイバイゲームで,こちらの行き先は「むげん(無限∞)」だった。どんどん大きくするバイバイゲームは,いわばドラえもんの道具であるビッグライトで照らしていることになる。  これに対して,もとにもどって2でわるのは半分にしているのだから,こちらは「半分ゲーム」と呼ぼう。どんどん小さくするこちらはスモールライトで照らすことにあたる。  出発点である1をもとにして,バイバイゲームと半分ゲームの世界をまとめると(表3)になる。出発点が2から1にかわったことで,倍と半分がちょうど対称になって見やすくなった。まるで鏡の世界みたいだ。  実はこのように出発点が2つ考えられるところに混乱のもとがある。数列は出発点によって数え方が1つズレる。このズレが公式の表し方に影響して,数え方によって公式が変わってしまうのだ。高校数学のとき,数列の和の公式でとまどった人もいたかもしれない。  半分ゲームの方にもちゃんと遊びがある。これもやり方は簡単だ。それは 半分ゲーム (1)できるだけ大きな紙を用意する。 (2)じゃんけんやさいころで先攻・後攻を決める。 (3)先攻の人から紙を半分に折ってハサミで切って,その半分を相手に渡す。 (4)半分に折り曲げることができなくなったり,ハサミで切れなくなったら負け。 というものだ。  こちら方はバイバイゲームとちがって,かなりの回数を続けることができる。それでも15~16回くらいまでが限度だろう。20回続けられたら大したものだ。  この半分ゲームは理屈と実際の違いを説明するのに利用しやすい。夏目漱石『思ひ出すことなど』の文中にも,次のような一節がある。(ぼくはここで確認するまですっかり柿ではなく林檎だと思い込んでいた。おそらくニュートンの林檎と混同したに違いない)  「人が余に一個の柿を与えて、今日は半分喰え、明日(あす)は残りの半分の半分を喰え、その翌日(あくるひ)はまたその半分の半分を喰え、かくして毎日現に余れるものの半分ずつを喰えと云うならば、余は喰い出してから幾日目(いくかめ)かに、ついにこの命令に背いて、残る全部をことごとく喰い尽すか、または半分に割る能力の極度に達したため、手を拱(こまぬ)いて空しく余(のこ)れる柿の一片を見つめなければならない時機が来るだろう。もし想像の論理を許すならば、この条件の下(もと)に与えられたる一個の柿は、生涯喰っても喰い切れる訳がない。希臘(ギリシャ)の昔ゼノが足の疾(と)きアキリスと歩みの鈍(のろ)い亀との間に成立する競争に辞(ことば)を託して、いかなるアキリスもけっして亀に追いつく事はできないと説いたのは取も直さずこの消息である。」  1個の柿を無限に分割するなど実際にはできないが,ここで大切なのは発想を逆転させることだ。しかし,人間は逆を突かれると弱い。多くの人が数学ギライになるのは,この逆を突くという発想が苦手だからだ。  大切なのは1個の柿を無限に分割するという事実を逆転させ,無限に分割したものが1個という有限のものに化けるという発想に着目することだ。現代数学はここから始まる。  これはとても大事なことなので「ていり(定理)」にしておこう。 「ていり(定理)」その3 無限に分割したものを加えると有限になることがある。 つづく…
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