葛城カモ族の考察

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前回の記事『いわはし山考察』に

兎と亀の亀さんが興味深いコメントをくださった。

私の妻、旧姓賀茂氏( 字を変えて加茂 )姓で、

山城( 京都 )賀茂別雷系ではなく葛城賀茂の血筋です。

色々あって落人となり越の国から江戸時代会津に行きました。

 

 

これを見て驚いた。

山城の賀茂別雷系のカモではなく、葛城カモがいる!?

しかも越國から会津に入ったと。

越から会津に……

となると

葛城カモは阿賀野川を伝って会津に入ったのだろうか?

カモには鴨、賀茂、加茂などいろんなカモがあるので、

ここでは音を大切にして漢字ではなく「カモ」と書くことにしますね。

 

 

で、カモ氏について調べた。

すると解ったのは、

カモ氏発祥の地は大和の葛城

という事である。

カモ氏というと京都の上賀茂・下鴨神社が有名だが、

そうか。

カモ氏発祥の地は大和の『葛城』であったか。

 

 

『山城国風土記』逸文によると、

カモ氏の祖と言われる賀茂建角身は神武天皇の先導役として日向に降臨し、

はじめは大和の「葛城山」の峯に、

続いて北上して南山城の「岡田」に移り、

さらに鴨川を遡上して山城の「賀茂」に鎮座したのだという。

 

 

大和の葛城

南山城の岡田

山城の賀茂

 

 

歴史学者の平林章仁氏によれば、

5世紀前半のカモ氏は葛城氏の下で、

水運・海運業の維持、経営の実務に従事していて、

金属加工に不可欠な良質の木炭生産なども担っていたという。

水運に海運か……

そこはかとなく漂う海洋民族の匂い。

ならば船を使い、阿賀野川を伝って、越から会津に入ることも可能だ。

 

 

しかし……

5世紀後半になると葛城氏が滅亡してしまう。

雄略天皇に攻められたのだ。

で、葛城カモ氏はどうしたか。

葛城カモ氏は「大和葛城」を離れて北上したようである。

しかも技術者集団の「秦氏」とともに。

カモと秦氏。

まさかこんなところで繋がっていたとは。

 

 

彼らは、

大和葛城を離れ、北上した。

北上すれば山城國( 京都 )がある。

確かに山城國はバリバリの秦氏のテリトリーだし、もちろんカモ氏もいた。

が、山城國ではなく、北陸経由で会津に入ったグループもいた。

 

 

 

 

面白いことに、

会津若松市の上吉田遺跡から「秦人」

同じく会津若松市の東高久遺跡から「秦□人カ」の墨書須恵器坏が出土している。

秦人。

つまり秦氏。

確かに古代会津には「秦氏」が来ていた。

しかも北陸経由で。

兎と亀の亀さんのコメントにも「越の国から会津に行きました」とあった。

秦氏とともに葛城カモ氏も、北陸経由で会津に行ったのである。

 

 

 

 

さらに面白い資料を見つけた。

この資料によれば、

カモ氏には3系統ある
第1の系統が味鋤高彦根命を始祖とする
味鋤高彦根命-天八現津彦命→都佐・長国造。
第2の系統が事代主命を始祖とする
事代主-天日方奇日方命→賀茂・三輪君。
第3の系統が賀茂建角身命を始祖とする
賀茂建角身命-玉依彦-生玉兄日子命→賀茂・鴨県主。

この3系統はいずれも葛城山麓に住んでいたということである。

 

 

兎と亀の亀さんは、こう仰っていた。

わたしの妻は加茂姓で、

山城の賀茂別雷系ではなく葛城賀茂の血筋です。

山城の賀茂別雷系ではない。

ということは賀茂建角身を祖とするカモ氏ではないということだ。

となると残りはふたつ。

味鋤高彦根命を祖とするカモか。

事代主を祖とするカモか。

 

 

 

 

結論から言おう。

おそらく、兎と亀の亀さんの奥様の旧姓「カモ」は、

味鋤高彦根命を祖とするカモ氏である可能性が高いと思うのだ。

何故なら、カモ族発祥の地「大和の葛城」に鎮座する高鴨神社の主祭神は、

味鋤高彦根命だからである。

 

 

大和葛城

高鴨神社

味鋤高彦根命

 

 

高鴨神社。画像はお借りしました。

 

 

高鴨神社の鈴鹿宮司の話によれば、

カモ族はある種の霊的集団であったと。

その背景には葛城山で培った高い技術力があったという。

カモ族は山を支配した一族であり、

天体観測や薬学の知識が深く、

製鉄技術、農耕技術、交通手段である馬術にも長けていた。

天孫ニニギノミコトに馬術を教えたのは鴨之大御神。

修験道の開祖である役行者もカモ族。

天体観測は陰陽道にも通じ、

安倍晴明の師匠で陰陽道を極めた賀茂忠行もカモ族だった。

古代日本の発展にカモ族はいろいろな形で貢献していたと言える。

 

 

天体観測

薬学の知識

製鉄技術

農耕技術

馬術

修験道

陰陽道

まさにキーワード満載である。

これらのキーワードは、りまりまさんのブログでもたびたび目にしていた。

会津にはこれらのキーワードがすべて当てはまる。

 

 

カモ族は争いを好まない一族だった。

優れた製鉄技術で農耕器具を作って人々に与えることはしても、

武器を作られるのを恐れて製造方法は明かさなかったという。

弥生時代の末期には鉄を田んぼに刺して雷を落とし、

土壌を電気分解して収穫量を上げることもしていたようだ。

どんなに高い技術を誇ろうとも武器を作ろうとはしない平和的氏族。

おそらく大和の葛城を離れたのも戦を避けてのことだろう。

そしてカモ族が移住した先は実り豊かな地となった。

米も野菜もたくさん穫れて、

病気になれば薬がある。

移動手段の馬の扱いにも長けている。

彼らは行く先々で人々に受け入れられたはずである。

 

 

 

 

しかし……

不思議なことに、

カモ族発祥地の地である「大和の葛城」に「賀茂氏」の名前はない。

上の地図を見ればわかる。

葛城山の麓にあるのは「葛城氏」の文字。

本来ならばカモ族のエリアなのに……
川は葛城川
山は葛城山
地名も葛城
どこにも「賀茂」のつく地名はない。

残っているのは「葛城」の名前ばかり。

せっかくカモ族発祥地の地なのにね……

奥ゆかしいと言うか、彼らの温和な性格を表しているような氣がする。

 

 

 

 

さらに……

こちら「伊勢」も同じである。

上のブログによれば、

縄文時代~弥生時代に、

鴨族が「猿田彦大神」を祖神とする「安曇族」に舟運帯同して、

九州から瀬戸内海ルートで紀伊に至り、紀伊半島を南下し、

志摩半島の伊勢の地に至った。

鴨族は鳥羽湾に注ぐ加茂川流域に入植し、

安曇族は的矢湾奥地の現在の磯部町辺りに入植し、

製塩や漁猟や稲作を生業とする「伊勢鴨族」として土着した。

ああ……

伊勢の安曇族には氣づいたけれど、伊勢鴨族がいたとは知らなんだ。

製塩

漁猟

稲作

やはりここでもカモ族は、

地域の人々の役に立ち、平和的に暮らしていたのだ。

 

 

 

 

わりと堂々と「賀茂」の名が残っているのが伊豆である。

賀茂郡

東伊豆町

河津町

南伊豆町

松崎町

西伊豆町

余談だが……

あ〜、子供の頃、よく行ったなぁ。

賀茂郡東伊豆町の熱川バナナワニ園。

あとコバルトアローという船に乗っていたら具合が悪くなって、

松崎で途中下船したんだよなぁ。

海岸でしゃがみ込んで海風に当たっていたら回復したけれど。

賀茂郡ではないけれど伊豆長岡に伊豆ホテルっていうのがあって、

よく泊まりに行った。( 伊豆ホテルは今はもうない )

プールで泳いで、グリル松の木でクリームソーダを飲んで。

あの雰囲気すご〜く良かった。

伊豆にはいい思い出がいっぱいある。

 

 

 

 

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