魏志倭人伝に出てくる人物は、確実に日本書紀や古事記にも登場してると考えてましたが、今回ちょっと可能性を感じました。
難升米(難斗米)
卑弥呼の時代だった西暦2~3世紀のころ、難升米(難斗米)という人がいました。難升米は、大夫と呼ばれる上級の官吏です。
難升米はナンショウマイとか、ナシメ、日本書紀に引用の難斗米の場合ナントマイ、ナトメと読む説があります。
一説に、升(ます)に米だから農家だったとか、苗字が難で名前が升米で難氏だとか言う人がいますが。べつにシュウマイに難があるわけじゃなさそう。
魏志倭人伝では、難升米は3回登場してましたので、2~3世紀では卑弥呼に次いで存在感が大きかったです。
古代に海をわたり、魏の皇帝に謁見を実現して卑弥呼の親魏倭王の称号や銀印をうけて率善中郎将に任命されたり、魏から黄幢(軍旗)を受け取ったり。重要な役割果たしてます。倭国の外交と軍事の大臣みたいな感じだったとか。
難升米は日本書紀の少彦男心命か
こんな立派な人だから、日本書紀に記録があるんじゃ?と思って調べたけれど、一見して全然ありませんね。
一説には日本書紀の垂仁天皇の条に登場する、田道間守(たじまもり)であるとの話もあるようでしたが。
魏志倭人伝の2~3世紀の卑弥呼は、崇神天皇の時代だと思うのです。
崇神天皇の皇女だった豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)の墓所は、ホケノ山古墳と伝承されており3世紀の古墳でした。倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)の墓所と伝わる箸墓古墳も3世紀。
すると崇神天皇は3世紀の人物で、ちょうど魏志倭人伝の時代の天皇てことになるわけです。だから崇神天皇の兄弟関係、四道将軍、このあたりに難升米がいそうな気がする。
それで名前が似てる人を、探してたわけです。
するとなんか1人いました。
少彦男心命(すくなひこおこころのみこと)日本書紀
少名日子建猪心命(すくなひこたけいごころのみこと)古事記
この方がちょっと怪しいです。
少彦男心命は孝元天皇の皇子で、第九代の開化天皇や、四道将軍の大彦命(おおびこのみこと)の兄弟みたいでした。
たぶん2世紀後半の生まれで、3世紀半ばまでの人物だったでしょう。
少彦男心命記録は、何故か記紀にはあんまりないです、名前が載ってるだけみたいな扱い。存在感が少ない男だから、存在感少な彦だとでも言うのか。
少彦男心命と難升米を、音読みで比較すると、なんかそっくりなことがわかってしまいました。
少彦男心命 しょうげんだんしんめい
男心命 なんしんめい Nan-Shin-Mei
難升米 なんしょうまい Nan-Sho-Mai
なんでこんなに似てるんだろう?
日本書紀の編者は、少彦男心命が難升米であるとの情報源を持ってたかもしれないです。しかしはっきりしなかったので、漢字を音読みすると難升米ぽくなるよう、男心命と記録したのかもしれんです。
しかも「少彦」というのは、出雲神話のなかで海を渡って出雲に来た、少彦名命(すくなびこなのみこと)にあやかった命名のよう。
つまり少彦男心命は、海を渡った存在であることが表されてるでしょう。難升米のイメージにぴったり。
というわけで日本書紀に出てくる皇族の少彦男心命は、魏志倭人伝の難升米かもしれませんよ。
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