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高卒から30歳で東大受験を決意し、33歳で合格した男の話・中編【自己紹介】

前回はワーキングホリデーでオーストラリアに行くところまで書きました。まだ読んでいない方はコチラ⇩からどうぞ。

さて、英語を鍛える目的でオーストラリアに行くわけですが、その一年前からNHKのラジオ英会話で勉強を1年間続けていたおかげで、初めての海外生活でもリスニングは何とか使えるレベルにはなっていました。中学の時から英語は好きだったのと、高校でも英語だけは直接的に役に立つ可能性が高いからという理由で比較的まともに授業を受けていたこともあり、仮定法や倒置など難しい文法を除けば一応理解出来ていたことも大きいです。

1年の滞在期間のうち、最初の3ヶ月は語学学校に通い、スピーキングとリスニングを中心に4技能をトレーニングして、ネイティブとも難しい内容でなければ普通に会話が出来るようにはなりました。その後の半年はバーやレストランなどでアルバイトをして、稼ぎながら生きた英語に触れて勉強を続けました。

英語の勉強面では順調でしたが、お金の面ではちょっと問題が起きていました。滞在期間が残り半年になった時点で、貯金が10万円しか残っていなかったのです。アルバイトをしているとはいっても、生活費の足しにするくらいのもので、当時のオーストラリアはインフレが進んでいたこともあり、毎月4~5万円は支出の方が上回ります。さらに、帰国用の飛行機のチケットもまだ買っていませんでした。この状況に陥ったのは、カジノにハマったことが原因です。

私がいたのはオーストラリア第3の都市ブリスベンで、街の中心地にコンラッドという名前のカジノがあります。このカジノが、私が通っていた語学学校からも、私が一時期住み込みで働いていたバックパッカー向けの宿からも歩いて5分という立地で、ギャンブルに興味があったので毎日のように遊びに行っていました。当然ながら、渡航時に持ってきた100万円が次々と溶けていきます。

いよいよ食うにも困ってきたので、友達の家に転がり込んで家賃と食費を賄ってもらうようになりました。それだけでは足りないので、収入を増やすためにある秘策を思いつきました。

それは落ちているお金を拾って貯めることです。

オーストラリア人は非常におおらかな気質であるのと、インフレだったことが幸いして、道端に誰かが落とした小銭がそのまま放置されているのを、オーストラリアに来た当初から毎日のように見かけていました。額面にして10円や20円程度なので、もちろん誰も気にしません。そこで私がありがたく頂戴することにしました。また、働いていたバーでも閉店の時にはカウンターの周りにかなりの量のコインが落ちていました。向こうでは飲み物を注文するたびにカウンターで支払いをするため、酔った客がお釣りを落としてそのままにした分です。毎回掃除役を買って出て、ポケットにごっそり拝借して帰りました。それだけではなく、カジノでもスロットマシンのエリアで換金された1ドルコインがあちこちに落ちていたので、毎日全フロア歩き回り、回収に勤しみました。

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色んな思い出の詰まったコンラッド・トレジャリーカジノ

そうしてお金拾いを続けた結果、3ヶ月で600ドル(当時のレートで約6万円)貯まりました。これで帰りの飛行機のチケットを買うことができ、出国不可能の危機を脱して一安心です。しかし生活費の方はまだままならないため、アルバイトではなくもう少し稼げる仕事を探すことにしました。

滞在期間は残り3ヶ月しかありませんでしたが、とにかくお金ということで、友人から現地の日本人滞在者向けの情報誌を発行する会社を紹介してもらい、英語力を買われて営業職で採用されました。広告を集めるためにガンガン英語でメールやアポ電をし、担当者に拙いスピーキングで営業トークを仕掛ける日々です。

この最後の3ヶ月の仕事で英語力がグッと鍛えられ、渡航前はTOEICで400点くらい(測ってないですが感覚的に)だったのが、帰国直後では805点(L:435、R:370)まで伸びていました。

こうしてめでたく英語力はある程度ついたのですが、この頃には再びお金を貯めてアメリカで裸一貫でチャレンジする気概がもう弱まっていて、妹が大学に行って母親が田舎で一人暮らしになっていたこともあり、安心させるために地元に戻って、何か英語力を活かせる仕事に就くことに決めました。

そんな折、肺気胸を患い手術することになります。

肺気胸とは突発的に肺に穴が開き、そこから吸った空気が漏れて胸に痛みを引き起こす病気です。手術自体はそこまで大きなものではなく、一週間程度で退院できたのですが、その後が大変でした。肺気胸は原因が不明で、再発の危険性も一生あります。私は発症してから感じた呼吸の苦しさと胸の痛みがトラウマになったのと、軽い運動をした際に同じような痛みを覚えたことが原因で、再発を恐れだんだん外出を避け引きこもるようになりました。

肺気胸になると息を吸う際に痛みが生じるため、「息を吸うのが怖い」という感覚を覚えるのですが、これが外出中で、例えば周りに誰もいない状況で発症したら一人で苦しいまま倒れ込んでのたうちまわるのかと思うと、怖くて出かけられなかったのです。

地元に帰ってさあこれから就職活動だという矢先のことで、ここから一年間、仕事もせずひたすらゲームとネットの引きこもり生活に陥ります。

引きこもっている間も「これじゃまずいなあ」とは思っているのですが、肺気胸になる前に一度行ったハローワークでは「田舎だから英語ができても活かせる仕事がない」と言われ、それ以外に目立った技能も職歴も無し、私が通ったゲームの専門学校は学校法人ではなかったので学歴上は高卒扱い、さらに空白の引きこもり期間ありで、どうにもならんなあという諦めから腰がなかなか上がらないという感じでした。

そうして時間だけが過ぎゆく中、25歳になる2008年のある日、北京オリンピックが開催された時期に一つのニュースを目にします。

「2大会後の2016年のオリンピックでは、ビリヤードが正式種目に登録されるかもしれない。」

日本ではビリヤードがスポーツとしてよりも遊びの一種として認識されている感が強いですが、ヨーロッパやアメリカ、アジアでは中国や台湾、フィリピンなどを中心に世界中で盛んにプレイされているスポーツです。

今では他のメジャーなスポーツと同じように、日本のビリヤードのトッププロは海外勢と同じように幼いころから競技に集中的に取り組んでいるケースが多いですが、当時の日本のトッププロは高校生あるいは高校卒業後からビリヤードを始めたという人もかなりいました。

私は高3の何もすることがない時期にビリヤードに出会い、遊びでちょこちょこ撞く程度でしたが、ビリヤードが好きだったこと、プロ野球選手のように自分の実力一本で勝負する世界に憧れがあったこと、経歴上失うものが何もないこと、今から頑張ればプロになれるかもしれないこと、8年後にはオリンピックで日本代表になれる可能性があることに背中を押され、「よし、俺はビリヤードのプロになるぞ。」と決意します。

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結局ビリヤードはオリンピックの種目にはなりませんでしたが、当時は本気で信じていました

さっそく翌日から近所のビリヤード屋に毎日通い、猛練習に励みます。家に帰ったらフォームチェック、教則本でシステムやテクニックの勉強、Youtubeでプロの試合を観て駆け引きや技術の分析の日々です。夢の中でもビリヤードをしていることも多々ありました。肺気胸の恐怖は依然(というか今でも多少)ありましたが、この時はプロになるんだという熱意がはるかに上回っているため、克服して普通の生活に戻ることが出来ました。といっても、仕事もせずひたすらビリヤードだけに集中する毎日ですが…。

そうして3、4カ月が過ぎた頃、なけなしの貯金がついに底を尽きます。収入ゼロでやっているので当然ですが、一つのことにしか集中できない性格なので、なくなってからさあどうしようかと考えます。父が死んでから母にお金の負担をかけることは自分の中で禁忌になっていたため、ここでようやくビリヤードを続けるために働くことに決めます。

最初は2か月ほど飲食のアルバイトを始め、無事に社会復帰を果たしますが、この頃にはビリヤード場に通うより自分の家にビリヤード台を買って、空いた時間をそこで全て練習に注ぎたいという願望が生まれており、それに必要な経費の300万円を貯金する(実際はもう少し安くできますが、当時はそう思っていた)ために、きちんと就職することを決断します。

そこで色々と探していると、塾の正社員募集の広告が目に留まりました。私は子どもの頃から人に勉強を教えるのは得意であり、学んだ英語が活かせると同時に、経験したことがない業種だから面白そうという浅い動機で応募します。

面接までは進みましたが、当然ながら学歴が高卒であること、経歴がめちゃくちゃであること、志望動機が弱いことが原因で、3日後には「他にいい方が見つかったので。」と断りの電話を受けます。

まあ断られるのも当然かと思いながら翌週の求人欄を見ていると、私が面接をしてもらったところの全く同じ職種が掲載されているのを発見しました。社交辞令でも割と真に受けてしまう根が素直なタイプの私は、「いい人が見つかったというのは嘘だったのか!」と義憤に駆られ、もう一度面接を申し込みます。

2回目の面接は嘘をつかれた腹いせで行っただけで、特に自分から話すことももう無かったのですが、「2回も来るなんてそんなにやる気があるのか!」と先方が勘違いしてくれたおかげで、ひとまず3ヶ月の試用期間が設けられることになりました。私も会社側もお互いにここでやっていけると思ったら正式に採用しましょうということです。

私のポジションは副教室長候補で、教室の管理業務の傍ら、現場を知るという目的で英語の授業も担当することになりました。最初は色々な苦労がありながらも、塾の仕事の面白さに目覚め、3ヶ月経って正採用されることになり、ここから結果的に5年半ほど働くことになります。

当初はビリヤード台を買うための資金が貯まるまで2~3年働いて辞めるつもりでしたが、勉強を教えるということが天職に感じるほどに楽しくなってしまったので、もうビリヤードは趣味のレベルに留まるようになりました。

2年目には教室長に就任し、仕事の幅も広がってますます楽しくなってきたのですが、さあこれからという時期に、新たな試練が立ちはだかることになります。

ここから東大受験まで、また一波乱あるので後編にまとめます。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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