鮮魚御料理御宿泊鳴門公園千畳敷新築水野支店
(戦前絵葉書より)
鳴門海峡に突き出した鳴門山の中腹には、千畳敷という名の平場があり、古くから景勝地として知られていました。絵葉書に写る水野支店にも「東久邇宮殿下、北白川大妃殿下、御休憩所」などと記載した看板が掲げられているのが確認できます。
昭和60(1985)年に神戸淡路鳴門道の鳴門北~西淡仮出入口間が開通した後には、千畳敷からの景勝に大鳴門橋が加わり、平成12(2000)年には「渦の道」が開業したこともあって、千畳敷は令和時代に入っても多くの観光客が訪れる人気のスポットです。
小鳴門橋と鳴門市街
(観光絵葉書より)
この絵葉書は大毛島から小鳴門橋と鳴門市街を撮影したもの。辷岩浜に塩田が残っているので、撮影時期は昭和40(1965)年頃だと思われます。
小鳴門橋が開通したのは昭和36(1961)年7月のことで、建設費を関西電力、四国電力から借り受けたことから、返済に当てるために有料道路としての開通でした。鳴門公園の観光開発のほか、本四架橋の実現を国にアピールする目的もあったそうです。昭和46(1971)年に開通した鳴門スカイラインと共に鳴門公園への集客に寄与し、利用実績が好調に推移した結果、予定よりも早い昭和52(1977)年3月に無料開放されました(鳴門スカイラインの無料開放は平成8(1996)年8月)。
榎瀬江湖川樋門
(令和8年1月25日撮影)
徳島市内の近代土木遺産のうち、まだ訪問していないのは「榎瀬江湖川樋門」だけになったので、次女が鳴門で剣道の昇段審査を受けている間に行ってみると、事前にネットで見ていた姿とは違い、既に樋門としての役目を終えて遺跡になっているではありませんか。
現地の案内板の記載によると、
吉野川(旧別宮川)の堤防整備に伴い、吉野川の新堤と榎瀬川が交差するところには、洪水時に一時的に閉鎖することができる施設である樋門が建てられることになり、榎瀬川が重要な航路であるという背景から、平常時は舟の通行に支障がないよう、舟が通過できる高さと深さ、幅が確保された榎瀬川樋門が大正11(1922)年に誕生した。
大正時代の姿のまま約90年間使用されたが、平成25(2013)年に建て替え工事のため役割に幕をおろした。
ということです。
【9:07】 天神森で客待ち中のトテ馬車
(平成23年11月6日撮影)
県道7号・甲府昇仙峡線のうち渓谷沿いの旧道区間には、かつてトテ馬車が運行されていた名残で、「5/1~11/30の土曜、日曜、休日の9時~17時は車両通行止め(観光用馬車を除く)」、「5/1~11/30の月曜から金曜の9時~17時は北行きの一方通行(観光用馬車を除く)」という意味の標識が立っています。
昇仙峡のトテ馬車は昭和28(1953)年に昇仙峡が国の特別名勝に指定された頃から運行が始まり、最盛期には10台を超える馬車を運行していたのですが、利用客の減少や後継者の不在等を原因として平成29(2017)年8月に廃業してしまいました。
その後、令和3(2021)年にはトテ馬車を復活させるクラウドファンディングが企画されるも、目標金額に達することはできず(200万円に対して50万円弱)、令和8(2026)年になってもトテ馬車の運行が再開したという話は聞きません。
南側から見た吉野川橋梁
(令和8年1月17日撮影)
吉野川北岸における鉄道の歴史は、阿波電気軌道が大正5(1916)年に撫養(鳴門)~古川間、同12(1923)年に池谷~鍛冶屋原間の路線を敷設したことに始まります。その後、昭和8(1933)年に国有化されて高徳線、鳴門線、鍛冶屋原線になったものの、この時点では高徳線は県境の大坂山トンネルと吉野川橋梁が未開通で、昭和10(1935)年に吉野川橋梁が以前は吉成駅から方へ進路を変えて南下し、中原駅から吉野川、新町川を下る吉野川連絡船で徳島駅に接続していたそうです。
北側から見た阿波中央橋
(開通記念絵葉書より)
国道318号の阿波中央橋は、大正10(1921)年に徳島県が策定した「11大橋梁架設計画」の1橋に含まれていたのですが、県道1号・徳島引田線の名田橋と同じく開通したのは戦後になってからでした。
この間に両岸の住民は手をこまねいていた訳ではなく、善通寺師団工兵第十一大隊に働きかけて架橋演習訓練として、昭和3(1928)年に木造潜水橋の「中央橋」を完成させています。しかし、この中央橋は人道橋程度の規模であった上に、洪水によってたびたび流失したため、橋梁としての役割を十分に果たすことができず、阿波中央橋が開通するまでは「源太の渡し」の(渡船)も存続していました。
眉山と新町川
(観光絵葉書より)
この絵葉書は眉山付近の上空から新町川沿いの徳島市街を撮影したもの。眉山の山肌を大きく削って建設された道路は眉山パークウェイで、徳島市城南町と眉山山頂を結ぶ観光道路として昭和45(1970)年に開通しています。当時の我が国は高度経済成長期のただなかにあり、眉山パークウェイと同じコンセプトの観光道路が全国各地に建設されました。しかし、自然環境を無視した観光開発は世論の反発を買う結果となり、環境問題に対する意識が高まった現在では、このような道路を建設することは許されないでしょう。
なお、開通当初の眉山パークウェイは有料道路(平成6年の時点で普通車600円)だったところ、開通から29年後の平成11(1999)年に無料開放されています。