376.観察記録を取りつつ
「少しずつ馴染んでますね」
昨日確認した、太い血管。
手を当てるとどくどくと脈動を感じる。
ちゃんと血が流れている。
彼女の血が。
それが、今日は少し小さくなっているように思う。
シロトの魔人の腕。
赤い肌。
節くれ立つ血管と筋。
表面は少しざらつき、波打つように隆起している。
指は長く。
なぜだか爪が尖っていて、凶器のようだ。
この爪。
どう整えても、翌日にはこの形状まで伸びるそうだ。
そんな歪な腕だが。
毎日観察していると、少しずつ変化しているのがわかる。
ただただ興味深い。
「それより、その魔建具の話を聞かせてくれないか」
ロジー邸へやってきたクノンは。
日課である、シロトの腕の観察を行っていた。
場所は応接室だ。
というか、どこでもいいのだ。
たまたまこの部屋に近くにいたシロトを捕まえた。
だからここになっただけだ。
まあ、あくまでも観察実験の一環として、触診もさせてもらっている。
だから座りながらの方がやりやすいが。
「それよりレディ、あなたの個性的な腕の話をしたいな。この世の富の全てを掴んで離さなそうな野心的な腕だね」
と、クノンはシロトの右腕を観察しながら言う。
「悪魔っぽいか?」
「いいえ、野心的です」
「私は結構悪魔っぽいと思うが。邪悪というか」
「面倒見のいい邪悪ってシロト嬢にピッタリですね!」
「さすがに何を言っているかわからんな」
わからなくていいのだ。
意味などないし、クノン自身もよくわかっていないから。
脈を取ったり、表面を撫でたり。
昨日メモした節や血管の変化を、一つ一つチェックする。
丁寧に、抜け目なく。
しっかり観察する。
まあ、見えないが。
「この腕に関しては、できる話などもうない。散々話しただろう。
それよりおまえの話を聞かせてくれ。そっちの方が気になる」
それよりそれより、と。
二人して相手の話を聞きたがっていたが、そう。
「そうですか?」
確かに散々質問責めにしたな、とクノンは思った。
今思いつく限りの質問をしたところで。
「特に変化はない」としか返答がなさそうだ。
経過は順調。
穏やかに、ゆっくりと、同化していっているから。
「どこまで話しましたっけ?」
「今ディラシックで流行しつつある魔建具の話だ。
うちの派閥でも盛り上がっているし、私もある程度は把握している」
シロトは「調和の派閥」のリーダーである。
魔人の腕を馴染ませている今現在でも、学校には顔を出しているのだ。
「それで、さっき風呂を作った、と?」
そうだ、そんな話をしたっけ。
クノンは忘れていた。
観察とメモとレポートに夢中だったせいで。
あくまでも、重要じゃない世間話をしていたつもりだったから。
「そうなんですよ。できたんですよ、孤立型浴場」
孤立型浴場。
暫定で決めた名前であり、言葉通りの代物だ。
魔建具で小さな部屋を建て、その中に風呂がある、という簡素なものだ。
「えっと、お風呂……お湯が出る装置と、洗濯装置と、熱風が出る装置。
この三つがセットになっていて、これ一つでお風呂周りが完結する、というものです。
思ったより簡単にできちゃって」
そう。
簡単にできてしまった。
後輩セララフィラと魔建具を開発した時。
クノンは、基礎魔術にこだわった。
魔建具には難しい魔術や技術を使わない。
あくまでも基礎、初歩的な魔術だけでできるように考案した。
少なくとも、雛形は。
発展形はその限りではない。
その延長線上で、できてしまった。
土の基礎魔術。
水の基礎魔術。
風の基礎魔術。
これだけで、できてしまったのだ。
「ただ、セララフィラ嬢が青い顔をしてましたけど……」
ラディオ、エルヴァ、カシス、そしてクノン。
四人でなんだかんだやっている時に合流した、セララフィラ。
状況を話すと……すごく困った顔をした。
――新しい技術じゃないか。
――これはまた契約の申請が、調整が、交渉が、と。
魔建具の契約上。
この技術が広まると何かしらのトラブルが発生しそうだ、と言っていた。
――まあ、彼女にはマイラがいる。
かの老使用人は交渉事に強い。
彼女がいれば大丈夫だろう。
「クノン」
「はい」
「その孤立型浴場とやら、どこで買える?」
「え? 欲しいんですか?」
「欲しい。湯が出る魔道具はあるが、特定の場所に設置されているだけだからな。
持ち運べる、どこででも使える。
この利便性は大きい」
水魔術師であるクノンは、すぐに風呂代わりの「水球」を出せる。
だから、少し感覚がわからない。
そうなのか、と思うばかりだ。
――しかし、確かにそうか。
さっきカシスが出してみせた熱風。
あれを見て、羨ましい、こういうのできたらいいな、と確かに思った。
属性違いとはそういうものなのだろう。
「でもまだ売り出せないんですよね」
セララフィラに頼まれたから。
「頼むからこれ以上は少し待ってくれ、大人しく魔建具の範疇だけでやっててくれ」と。
泣きそうな顔で言っていたから。
その辺の事情を話すと。
「そうか……後輩を困らせてまで作ってもらうのも悪いな」
シロトは不承不承という顔で頷いた。
さすが派閥の代表、気遣いが素晴らしい。
――だが、彼女は頷かなかった。
「面白い話だね、クノンお兄ちゃん」
グレイちゃんである。
そう、今日も彼女はこの屋敷にいるのだ。
ひょこっと顔を出して。
緊張しているクノンを他所に、今話していたことをシロトが説明すると。
「孤立型、っていうか個人用のお風呂を作れるんだ。
……ふうん? 遊べそうな玩具だね」
食いついた。
思案気にニヤニヤし始めるグレイちゃんは。
どこか老獪な雰囲気を帯びていた。
見た目の年齢に似合わず。
「あの、やり過ぎないでくださいね?
まだ公表されたばかりっていうか、大事な時期っていうか、……大事な時期だから、ね?」
クノンは言わずにはいられなかった。
不安しかない彼女の様子に。
具体的なことは言えないが。
言わずには、いられなかった。