『星獣戦隊ギンガマン』第三十七章『ブクラテスの野望』
◾️第三十七章『ブクラテスの野望』
(脚本:小林靖子 演出:小中肇)
導入
「イリエス……お前の魂を利用し、ワシまで石ころのように捨てたこと、必ず後悔させてくれるぞ!」
いつにも増して不穏な空気とBGMから始まる本話だがmいよいよここから、『ギンガマン』という作品の“真の物語”が動き出す。
第二十六章で一度完結を見た「炎の兄弟」の物語が再び動き出し、3クール=箸休め的な期間を経て、物語はついに最終章へ向けてまとめの段階に突入する。
今回は、復讐鬼と化したブクラテスによって、ヒュウガとゴウタウラスが利用され、その影響で再び引き裂かれるリョウマとヒュウガを中心とした絆の物語が描かれる。
さらに、黒騎士の命を狙う高性能AI魔人ゴビース一味も絡むことで、物語は三つ巴の構造に突入する。
第2クール(ブドー編)でも、黒騎士ブルブラックの登場を契機に物語が加速した。
今度はそれを踏まえて、ここからはまさに「ブクラテス編」と呼べるほどに、全編を通しての集大成が始まるのだ。
冒頭は、ヒュウガとゴウタウラスの元を訪れたリョウマが、対等な兄弟として稽古をし、「ギンガの森に帰ろう」と誓う場面から始まる。
しかし、その絆を復讐に取り憑かれたブクラテスが引き裂くことで、再びリョウマとヒュウガの道は別れ、ギンガマンは「VSバルバン」に加えて、「VSブクラテス・ヒュウガ」という構図になった。
ここで注目すべきは、第2クールとの構造的な違いであり、第2クールは「ギンガの光争奪戦」というマクガフィンが物語を引っ張っていた。
いわば「ドラゴンボール式」のバトル構造だったが、第4クールでは物語の主軸が「力の奪い合い」から「いかにバルバンを倒すか?」にシフトすることで、より戦略的かつ内面的なドラマ性が強調される。
もちろん、この「謎の第三勢力が登場」という構造は珍しいわけではない。
初出は『電子戦隊デンジマン』のバンリキ魔王、さらに曽田博久が『科学戦隊ダイナマン』『超電子バイオマン』で進化させた流れがある。
特に『ダイナマン』のダークナイトや『バイオマン』のバイオハンター・シルバがその典型だ。
そういった過去の要素を『ギンガマン』は自分たちなりの方法で“復古”させたという点に注目したい。
ただし、大きく異なるのは、80年代戦隊には「追加戦士」や「番外戦士」の枠がなかったという点だ。
つまり、過去作ではドラマはあくまで敵側の人間ドラマとして展開された。
対して本作では、黒騎士ヒュウガという「番外戦士」であり、同時に「メンター」でもあるキャラクターが使い放題である。
この圧倒的に“美味しい”キャラクターを、最大限に物語に活用することで、本作ならではの深みが生まれている。
一部の視聴者の中には、「ヒュウガがギンガマンから離脱する展開」に違和感やモヤモヤを覚えた人もいたようだ。
実際、私も当時は少なからず動揺した記憶があるが、これは歴代戦隊のメタ構造、特に『ジェットマン』から『メガレンジャー』に至る流れを俯瞰して見ることで、その意味が浮き彫りになる。
ここからが本作『ギンガマン』の“真骨頂”であり、戦隊シリーズ全体の流れの中でも極めて過激な挑戦をしているということだ。
そして、その挑戦こそが、今なお本作を傑作たらしめている要因でもある。
また、今回はシリアス展開に寄り過ぎず、アクション面の工夫も魅力的だ。
前回の手つなぎアクションに続いて、今回はギンガマン5人による「モノマネアクション」というコミカル要素がエンタメ性を引き上げている。
つまり、本筋は重厚でありながら、それを感じさせないテンポと演出で過去の流れを踏まえた“アンソロジー的魅力”を内包しているのだ。
今回のポイントは以下の4つ。
「カリスマの凋落」という90年代戦隊の裏テーマ
ゴビースというデータ系最強の敵
「復讐」の反復とズレ
想定外に強いギンガマンVS想定外に弱いゴビース
さあ、1つ1つを丹念に掘り下げていこう。
「カリスマの凋落」という90年代戦隊の裏テーマ
さあ、今回から次回にかけて、小林靖子はついに黒騎士ヒュウガというキャラクターを通して、90年代戦隊の裏テーマである「カリスマの凋落」を浮き彫りにしていく。
ここで、第二十六章『炎の兄弟』のレビューを思い出してほしい。そこで私はこのように書いた。
それはヒュウガから炎の戦士ギンガレッドの資格を剥奪することで、ヒュウガが「主人公」としての力=物語を動かし運命を変える力を手放したことの残酷さだ。
ヒュウガはもうギンガレッドではなくなった事実はヒュウガが物語の中心から完全に外されてしまい、リョウマにその権限を全て譲渡してしまったことを意味する。
今回私が指摘したいのはまさにここであり、ヒュウガはもうギンガマンとしてあの5人の輪の中に混じることが許されない段階へ入ったのだ。
リョウマにとっては「兄超え」という1つの目標がここで浮き彫りになったわけだが、同時にヒュウガも物語の中心から外されることの残酷さをその身に受けることになる。
そう、あの時点でヒュウガは主人公としての権限も、ヒーロー性も、ギンガレッドの資格すらも手放した。
そして彼に残されたのは、「黒騎士ブルブラックの魂」であるブルライアットとゴウタウラスだけだった。
だが今回、ブクラテスの罠によってその立場すらも剥ぎ取られ、ついに完全に“蚊帳の外”へ追いやられる。
これが唐突に描かれた展開ではないのは明らかであり、第一章でリョウマに星獣剣を渡して地の底に沈んだあの瞬間から、ヒュウガが背負う「カリスマの凋落」は始まっていた。
これほどまでに“凋落のドラマ”を克明に描いた戦隊は、当時としては異例だった。
もちろん「カリスマの転落」という構図だけで言えば、井上敏樹が『鳥人戦隊ジェットマン』で天堂竜=レッドホークを通して描いている。
だが天堂竜にはまだ「物語を動かす主導権」があったし、一度凋落しても再び主導権を握り、「主人公」として物語に返り咲いた。
また、他の番外戦士に目を向けても、「ジュウレンジャー」のブライは影から戦隊を導き、「メガレンジャー」の早川裕作は高校生たちの精神的支柱であり続けた。
ヒュウガはそのどれとも違い、彼は主人公としてもチームの精神的支柱としても、完全に「終わった男=物語上の死人」になってしまった。
いまや彼はただの“傀儡”であり、その存在すらもブクラテスの手の内で翻弄されるだけの存在でしかない。
それでも彼は、戦士の誓いにあった「苦難と悲しみは受け入れる」の言葉通り、自分に降りかかる運命をただ黙って受け止めるのだ。
こういった「カリスマの凋落」は、本作に限らず90年代の作品に多く見られた傾向だった。
『スラムダンク』では山王戦で赤木剛憲というカリスマが沈み、桜木や流川が主導権を握る。
また本作と同時期に始まった『ONE PIECE』は、まさにカリスマの象徴・ゴールド・ロジャーの処刑という衝撃のシーンから物語が幕を開ける。
90年代という時代を横断していたのは「昭和型カリスマ」から「平成型後継者」への物語構造のシフトだった。
その中でも『ギンガマン』は、ヒュウガという「昭和の象徴」を丁寧に脱構築し、新しい主人公=リョウマへの「主導権移譲」の物語を明確に描いてきた。
そして、皮肉にもヒュウガが去ったことで、ギンガマン5人は再び“本来の姿”を取り戻し、チームとして活き活きと動き出す。
まさにここから、リョウマの“兄超え”は本格化し、物語は最終局面へと向かっていく。
次回ではその構図がさらに強調され、ヒュウガにとってもギンガマンにとっても「最後の試練」が訪れる。
ゴビースというデータ系最強の敵
今回は、データ系最強の敵・ゴビースが登場したわけだが、面白いことにこういったデータ収集型の敵は前作『メガレンジャー』のバッファローネジレや次作『ゴーゴーファイブ』の無限サイマカードといった形で展開されている。
要は、「データを取って完璧にコピーすれば対策は簡単」という発想であり、ある意味では昨今急成長しているAIやChatGPTの先駆けのような存在と捉えることもできる。
ゴビースのデザインは、中世ヨーロッパの騎士の甲冑+チェスモチーフという実に凝ったデザイン、ギンガマン5人と黒騎士ヒュウガ、さらには星獣の戦術まで完全にデータ収集・コピーし、性能面でもそれらを上回る存在として描かれている。
しかもこのゴビースがパワー系中心のバットバス魔人部隊に所属しているというのも興味深い。むしろキャラクター性で言えば、ブドー魔人衆やイリエス魔人族にいてもおかしくないほど知的で戦略的な存在だ。
最近の報道では、AIが「生後10ヶ月程度の知能」としながらも、東京大学理科三類の合格最低点に匹敵する学習能力を持つと言われている。
この「知能を戦いに特化させた結果」が、まさにゴビースであり、ギンガマンたちの技を模倣+精度向上して再現することで、彼らの強さそのものを“乗り越える”ことに成功している。
巷で言われる「コピーはオリジナルを超えられない」という命題も、再現性のない属人的な技術ならともかく、理論化された技術であればコピーがオリジナルを凌駕することは十分可能だ。
その点においてギンガマンという作品の根底はガワこそ「ファンタジー」だが、根幹は実に「SF的マインド」で貫かれている。
自然の力=アースを“感覚”ではなく、仕組み化・理論化・戦術化して扱っており、ファンタジーな世界観の中に科学的なアプローチが常に流れているのが特徴だ。
そしてそれはギンガマン側だけでなく、敵である宇宙海賊バルバンにも共通しており、ギンガマン5人が経験と実戦で進化していくように、バルバンも裏で着実に学習し対策を立ててくる。
だからこそ、この作品のパワーバランスは一見インフレしてるようで、実は極めて整合性があり、「最強」や「伝説」などの概念が常に更新・上書きされるダイナミズムがあるのだ。
私は何度も強調してきたように、『ギンガマン』は決して安易な強さのインフレではなく、「戦い方」や「考え方」が最も重要な作品であり、それを体現する存在こそが、ゴビースという名の高性能AI型魔人なのだ。
ちなみに本作と似た構図は『ドラゴンボール』の人造人間編にも見られる。19号のようにエネルギーを吸収したり、17号・18号のように無尽蔵のエネルギーと冷静な知能で超サイヤ人すら圧倒するAI戦士たちでも描かれている。
あの時代のSF的想像力が、今、現実世界で現実味を帯びており、90年代のSFが描いた“未来”が今、現実化している。
ゴビースもまた、そんな「ファンタジーの中に潜むリアルなAI型の敵」の代表例だと言えるだろう。
ここに本作の真骨頂があり、「王道」でありながら、同時に「革新性」という相反する要素を矛盾なく両立させている。
そしてそのバランスが絶妙な加減で成り立っているからこそ、何度見返しても新たな発見があるのだ。
一見シンプルな構成に見えるこの作品も、一つ一つの要素を掘り下げていけば、実に緻密で巧妙に作られていることがわかるはずだ。
想定外に強いギンガマンVS想定外に弱いゴビース
そんな高性能AI型魔人・ゴビースに対して、ギンガマン5人がとった戦法は、実にシンプルかつ本質的なものであった。
ヒカルの「あいつの真似をしてやる」という一言にハヤテが反応する。
「それだ!もちろん奴(ゴビース)の真似は無理だが、もう1つだけ方法がある。俺たちにもできるはずのことがな」
ハヤテが思いついたその作戦とはギンガマン5人が互いの戦術・戦い方を模倣するというものだった。
具体的には以下のローテーションだ。
ギンガレッド→ギンガグリーン
ギンガグリーン→ギンガピンク
ギンガブルー↔ギンガイエロー
ギンガピンク→ギンガレッド
このように、それぞれが仲間のスタイルを真似ることで、「ゴビースが持つ戦闘データに存在しない動き」を生み出し、AIの予測をかき乱したのだ。
特にギンガピンク/サヤがギンガレッドの二刀一閃を繰り出す場面は象徴的で、普段はフィニッシュに関与することが少なかった彼女に、しっかりと見せ場を与えている。
では、なぜこんな芸当が可能だったのか?
それは、ギンガマン5人が「ギンガの森」で兄弟同然に育った幼馴染であり、お互いの戦い方の癖・動きの傾向・押し引きのタイミングまでを熟知しているからこそだ。
模倣が成立するだけの関係性と信頼感のの蓄積があり、自分たちの個性を活かしながら、戦い方を固定化せず、他者の戦術を取り入れる柔軟性を持っている。
この展開は後に同じ小林靖子メインライターの『烈車戦隊トッキュウジャー』における「トッキュウチェンジ」にも継承される。
あちらも同様に、5人が同じ故郷で育った幼馴染という設定であるため、この“戦術の相互理解と模倣”が自然に描けているのだ。
つまり、この作戦はプロの戦士5人が集まっただけでは成立しないものであり、長い時間を共にし戦いを重ねてきた“家族のような関係性”があって初めて可能になる芸当である。
そしてトドメの一撃としてガレオパルサーの再登場だが、Aパートで敗れた際に使っていたのは獣装光だったが、Bパートにおいてギンガマンは同じ失敗を繰り返さず、もう一つのギンガの光の力「ガレオパルサー」を出してきた。
この選択が視聴者の予想はもちろんゴビースのデータ戦略も裏切る見事な不意打ちとなったが、それはガレオパルサーは第三十二章で登場して以降一度も使われてこなかったため、視聴者の記憶からも少し外れつつあった存在だ。
この使いどころの絶妙さには、他脚本家のアイデアを柔軟に取り入れる小林靖子の強みがよく現れており、その丁寧な作劇こそが『ギンガマン』の骨太さであり、安心して観ていられる理由の一つだ。
最終的に、柔軟性を持ち、データにない行動を起こしたギンガマンが勝利し、完璧なはずのAI・ゴビースは呆気なく敗北する。
この対比が描き出すのは、AIの本質的な弱点=「柔軟性と発想力の欠如」であり、AIは蓄積されたデータに対しては最適解を返せるが、未知の要素・不確定な動きには極めて脆弱だ。
一方で、ギンガマン5人はというと、サンバッシュ、ブドー、イリエスとまったく異なるタイプの敵に対して柔軟に対応し、勝ち抜いてきた。
それは「経験」や「準備」だけではなく、本質的な柔軟性と創造力を持っており、その柔軟性の根幹にある“OS”が、「すべては星を守るために」という信念である。
このブレない理念があって初めて、どんな変化にも対応できる枝葉が育っていく、そんな兵法の真理を証明した一戦だった。
「復讐」の反復とズレ
そして最後に、ギンガマン5人が自分たちの戦術を応用してゴビースに逆転勝ちする裏で、もう1つの残酷な「復讐」の物語が静かに進行している。
それがブクラテスと黒騎士ヒュウガの関係性だが、ここで重要なのはヒュウガが再び「自分の力を復讐鬼に利用される」構造に巻き込まれ2クール目とまったく同じ状況の“反復”になっていることだ。
2クール目では、ヒュウガは黒騎士ブルブラックに戦士としての強大な力を利用されたわけだが、当時は「一体化」していたため、ヒュウガには抵抗の余地がなかった。
そして第二十六章でそのブルブラックの遺志を継ぎ、ブルライアットとゴウタウラスを受け継いだヒュウガは、その瞬間から“復讐のカルマ”をも背負ったことになる。
ヒュウガがブクラテスの復讐に巻き込まれることは“偶然”ではなく“必然”であり、劇中の出来事としてではなく、「ヒュウガ自身がその運命を「引き寄せた」」とすら言えるだろう。
そしてこの4クール目復讐鬼としての“ズレ”なのだが、黒騎士ブルブラックとブクラテスが、いずれも「復讐鬼」として描かれている点だが、両者には明確な「ズレ」がある。
ブルブラックは味方寄りの復讐鬼
ブクラテスは完全に敵側の復讐鬼
この似た立場に見える二人の“反復”の中に、“決定的なズレ”が存在しており、ヒュウガの運命にさらなる苦しみを与えている。
両者とも「肉親を無惨に切り捨てられたことに対するゼイハブへの復讐」を背負っており、ブルブラックは弟クランツを、そしてブクラテスは姪のイリエスを喪った。
つまり、どちらも“家族の死”をきっかけに闇に落ちたという背景を持つのだが、ここでもう1つ比較されるのが、同じく「兄ヒュウガの死」を背負ったリョウマとの違いだ。
リョウマは第一章で兄・ヒュウガの死を乗り越え、炎の戦士ギンガレッドとして成長したが、ブルブラックもブクラテスも、喪失を超えられず「復讐」に呑み込まれてしまった。
この“同じように見えるけれど根本はまるで異なる”という物語の構造こそ、ある種の小津映画にも通じる「反復とズレ」の美学ではなかろうか。
二人の復讐鬼によって引き離されるヒュウガの孤独、ブルブラックは、ヒュウガにとって「理解者」たり得た存在だった。
だが、ブクラテスはギンガマンたちと決して相容れない“敵側”の思想を持っており、あくまでヒュウガに対して情は全くない。
この「復讐」に身を焼かれた者たちの違いこそが、本作における倫理観の中核を形成している。
だからこそ、ブルブラックもブクラテスも単なる「第三勢力」ではく、同じ“復讐鬼”でありながら、そこに明確な善悪のズレ、思想の断絶があるのだ。
脚本家・小林靖子全盛期の凄みは、一見「同じような状況をもう一度繰り返している」ように見えて、実はきっちり異なる展開として描いている点にある。
今回、ゴウタウラスを人質に取られながらも、ヒュウガは決して取り乱さず、静かにギンガマンの元を離れていく。
そんなヒュウガの背中を追って、必死に彼を探すギンガマン5人の姿もまた、ドラマとしての核心を成している。
復讐が導く「運命」の行き先、再び繰り返された「力の利用」と「復讐」というテーマ、そしてそこに潜む“反復とズレ”という残酷ながら美しい物語構造。
この復讐が、ヒュウガとギンガマン5人にどんな結末をもたらすのか?
運命の歯車は確実に回り始めている。
総括
まとめると、今回は「ギンガマン」の物語がいよいよ最終章に突入する転換点にして精神的クライマックスの序章だ。
「カリスマの凋落」「AI的戦闘思考の限界」「復讐というテーマの多層性」といった要素が、すべて連動しながら進行する非常に高度なエピソードだった。
ただ盛り上げるための章ではなく、作品全体のテーマを照射し、終章に向けた「意味のある助走」として緻密に構築された傑作回と言える。
総合評価はS(傑作)100点満点中110点。



コメント
6『轟轟戦隊ボウケンジャー』邪悪竜ダガーギン
Task45『最凶の邪悪竜』に出てきた強敵で、自分の右腕を相手の武器にコピーさせる。
この敵を如何にして倒すのかって話の焦点なのだが、色々と問題が多い話である。
真墨が負けるのは良いとしても、その後に勝利したチーフのセリフが、
「気持ちだよ!(中略)最高のレベルがぶつかれば、もう技術の差では結果は出ない。そうれば決め手になるのは気持ちだ。なんとしても相手に勝ちたいという思いだ!」
っていう、昭和でも通用しないような下らない精神論に過ぎず、説得力は皆無だった。
チーフの問題点を明らかにする点では間違っていないかもしれないが、
荒川稔久さんの脚本には雑さやテキトーさを感じてしまい、ノレない。
が、ここまで終盤まで来たら、そもそもこの回の脚本は會川昇さんが書くべきであり、
サブライターの荒川さんだけの責任とは言い難い。
48話で炸裂するチーフのふざけたテキトーさは、
會川昇さん自身のテキトーな仕事ぶりを象徴してもいて、
セルフパロディーとして楽しめることは楽しめるが、下品であることは否定できない。
コピー系って他にもいっぱいありそうですね。
>スーパー戦隊シリーズで、コピー系の最初の敵キャラクターってどの作品の誰ですかね?
これだけ先に答えておくと、おそらく「秘密戦隊ゴレンジャー」の牛靴仮面とかがそれに近いかなと思います。ゴレンジャーハリケーンの構造をまんまコピーした「黒十字ハリケーン」ってのを開発してる、ゴレンジャー屈指のギャグ回。シュールギャグみたいな感じで進みますが、本質的には恐ろしいことやってる。脚本は曽田博久さんなので、おそらくバトルヅノーとかあの辺の発想はここから来てると思います。
『秘密戦隊ゴレンジャー』第61話「桃色のKOパンチ!エンドボール勝負」牛靴仮面
クロサキさんに紹介されたので、さっき視聴しました(笑)
しかし『秘密戦隊ゴレンジャー』って見た目はコミカルですが、
ガチの殺し合いをしている感じが伝わって、近頃のスーパー戦隊シリーズには無い、
迫力と殺伐さがありますね。やっぱり戦争を知っている世代が作っただけあります。
あとキャラクターが全員大人(笑)
バカガキ丸出しの近頃のスーパー戦隊より全員しっかりしていて、
改めて現在の東映が陥っている平和ボケも痛感しました。
で、肝心の牛靴仮面ですが、コピー系の敵としては結構頑張った印象でした。
ゴレンジャー側が偽物を掴ましたり、ゴレンジャーハリケーンを強化したり、
強化された黒十字ハリケーンを対策したり、
近頃のスーパー戦隊にはない「戦いの駆け引き」が描かれていて面白かったです。
一方、牛靴仮面も真面目に頑張ればゴレンジャーを上回れる可能性もあったわけで、
軽い打ち合わせだけでゴビースを倒したギンガマンの方がゴレンジャーよりも、
クロサキさんの仰る通り、「想定外の強さ」があることも感じましたね。
『仮面ライダークウガ』第45・46話「強敵・不屈」ゴ・ガドル・バ
『クウガ』の25周年でYoutubeの関連動画を見て思い出しました。最強のゴ怪人ですね。
クウガと同じ「格闘体⇔俊敏体⇔射撃体⇔剛力体」+電撃体を持ち合わせていて、
状況に応じて変化するクウガと同じような戦闘スタイルで戦った怪人でした。
戦闘では第1戦目はクウガを圧倒して勝利、2戦目にクウガがリベンジという定番の流れ。
倒され方は、瀕死の重傷を負った五代がもう一度電気ショックを受けることで、
「アメイジングマイティ」フォームを覚醒させてライダーキックの打ち合いという決着。
単純にクウガが強くなったことで力押しして勝っただけで、戦いの駆け引きは無い。
ただし、アメイジングマイティフォームの色が黒でカッコいいのと、
上位のアルティメットフォームへの布石になる伏線であることを考慮すると、
戦いの駆け引きが無いから「つまらない、ダメ」と切り捨てることは出来ない良作。
脚本が同じ荒川稔久さんだから気付きましたが、『轟轟戦隊ボウケンジャー』の闇堕ちする真墨(ボウケンブラック)の元ネタってこの話だったんですね。