『星獣戦隊ギンガマン』第三十五章『ゴウキの選択』
◾️第三十五章『ゴウキの選択』
(脚本:小林靖子 演出:諸田敏)
導入
東映特撮の歴史でまさかの「ガチで錘つけられて海に沈められる」展開があるとは思わなかったが、スーパー戦隊の歴史も含めてこの展開は意外とありそうでなかったりする。
やはり宇宙海賊バルバンは北野映画並に義理も人情もクソもないヤクザ映画の世界観なので、この展開を見せつけられても納得できてしまうのが面白い。
しかし、これがまさか第三十七章以降に訪れる悲劇の引き金になっていたなどと誰も予想はできまい、私でさえリアルタイム当時見た時に衝撃だったのだから。
それは置いておくとして、今回からバットバス軍団との本格的な決戦に入るわけだが、その一発目がギンガブルー/ゴウキというのがもう「わかってる」としか言いようがない。
これまでギンガマンの新しいクールを始める時は常にギンガレッド/リョウマから始まっていた、第一章「伝説の刃」第十三章「逆転の獣撃棒」第二十六章「炎の兄弟」と。
そう、これまで全て新しく展開を始める時は主人公であるリョウマが起点となっていたが、この4クール目だけはゴウキからスタートしているのが面白い。
これには2つの意味があり、まず1つは4クール目で鍵を握るのがゴウキとヒカルの成長であり、バットバス魔人部隊編を相手に成長するのはこの2人だ。
そのうちの1人であるゴウキがいよいよ今回鈴子先生との「友達以上恋愛未満」の物語に1つの決着をつけたのが今回の話ではないだろうか。
逆にいえばギンガレッド/リョウマはもう第二十六章まででキャラクターが完成を迎えたため、第三十七章からは「ギンガマンのリーダー」として全体を導く役割へシフトしていく。
思えば前回のイリエス編において、最後まで生身でイリエスの元に立ち向かったのがリョウマとゴウキだったのもそういった意味合いもあったのだろうか。
2人ともギンガマンの中で「優しい」「純粋」なキャラクターだが、改めて今回ゴウキのゴウキたる所以をしっかり描いてくれたのも好印象だ。
そして今回は『激走戦隊カーレンジャー』のレッドレーサー/陣内恭介役だった岸祐二が岸本先生というコミカルなキャラクターとして再登場している。
今回から黒騎士ヒュウガもリョウマ達のところから去っていくために実質5人に戻ったわけだが、個人的にはこうなって良かったと思う。
詳しくは第三十七章以降のレビューで述べるとして、今回のレビューポイントは以下の4つ。
ゴウキは何を「選択」したか?
猿顔の一般市民もとい教師の複雑な立ち回り
「自分のことは自分で守る」を選択した鈴子先生の強さ
「公か私か」の二者択一ではなく「公の中に私を含む」こと
それでは具体的にフィードバックしていこう。
ゴウキは何を「選択」したか?
今回のサブタイトルにもある通り「ゴウキの選択」が主題なわけだが、そもそもゴウキは何を「選択」したのであろうか?
まず画面の表層に露呈しているのは「鈴子先生に告白する」という選択であり、もう1つが「星を守る戦士である」ということの選択であり、どちらかといえば今回は後者の方が大きな意味を持つ。
言うなれば「公」を取るか「私」を取るかという二者択一が今回ゴウキの課題というか試練だったわけだが、ただ今回のこれがゴウキのみの問題なのかというと決してそうではない。
『鳥人戦隊ジェットマン』(1991)から大々的なシリーズ全体のテーマとして「公」と「私」の間で葛藤・苦悩する機会が度々描かれてきたのが90年代戦隊の特徴と言えるだろうか。
その中でも「ギンガマン」はそういう「公と私の間での葛藤」はどちらかといえばギンガレッド/リョウマを中心に描かれてきたが、振り返ってみればギンガブルー/ゴウキまたそんな葛藤が描かれていた。
第十一章では特に勝手に鈴子先生のことを諦めていたからこそというのはあるのだが、今回は後述する岸本先生という「恋のライバル」が現れたことでそれが物語的なテーマと密接に繋がってきたというところか。
本作はこの点で言えばやはり演繹的な構造となっており、いわゆる「戦っていく中で答えが明らかになる」のではなく「最初から答えは決まっており、後の展開はその根拠を裏付けるもの」という構造なのだ。
ギンガブルー/ゴウキが「星を守る戦士」として動く以上は彼の選択は「星を守る」以外にはないわけだが、ゴウキはリョウマ・ハヤテ・ヒカル・ヒュウガと違っていささか私情に流されやすい傾向にある。
第二十五章で黒騎士ブルブラックが「貴様、どこまでその甘さを押し通すつもりだ!」と言っていたが、リョウマは「優しさ」はあるが意外にも「甘さ」はだんだんとなくなってきている。
対してゴウキはもう物語も佳境へ入ろうという段階でなおもその「甘さ」を克服しきれていない、そのことが今回改めてゴウキ自身の課題として浮上してきたということだろう。
元々そういう性格として描かれてきたわけだが、その弱点とも言える部分を乗り越えることがゴウキは自分でできなかったからこそ、そのツケがここで回ってきたようにも見える。
リョウマが早い段階から自分の弱点・欠点としっかり向き合い第二十六章までで完成してきたからこそ、余計にゴウキの方がどうしても精神的成長が鈍化して見えるのだ。
後の第四十四章でもそうだが、ゴウキはヘタレとまではいかなくとも、あれだけ力持ちにもかかわらずバルバン関連以外だと割とナヨナヨしているところがある。
「気は優しくて力持ち」というよりも「図体ばかりデカいのに内面は超乙女」というまるで「オトメン」を地で行くような展開・キャラクターになっているのだ。
これもゴウキのキャラクター性というよりはやはり照英という一番泣き顔が絵になる俳優の持つ人間的な力という側面が大きいのではないだろうか。
単なるムードメーカーというのではなく、小心者が図体と力だけ人一倍あって、その不器用さが生物的な面白さを持って動いているのがゴウキだ。
猿顔の一般市民もとい教師の複雑な立ち回り
さて、今回猿顔の一般市民もとい教師である岸本先生が登場、演じるは『激走戦隊カーレンジャー』のレッドレーサー/陣内恭介役を演じていた岸祐二だ。
面白いことに、コメントでも指摘されていたが本作は結果としてギンガレッド/リョウマ、ニンジャレッド/サスケ、レッドレーサー/陣内恭介の3人が揃ったことになる。
『海賊戦隊ゴーカイジャー』のような共演が当たり前の作品を除けば、こんなに1つの作品に戦隊レッドが揃うことはなかなかなく、別の役柄とはいえ豪華キャスティングだ。
そのレッドレーサーだった人が今回は鈴子先生を巡るゴウキのライバル役として出てきたわけだが、何が面白いと言ってこの人、「憎めない」のである。
考えてもみてほしい、ゴウキがずっと片思いしてきた人を横から奪おうとするだけでもヘイトを買いやすいく、 尚且つ「お前は戦士失格だ」というようなことを言っている。
しかも最終的に鈴子先生が緊急入院までする羽目になったため、岸本先生はここぞとばかりにゴウキの心の優しさにつけ込んで鈴子先生を自分のものにしようとした。
演じているのが元戦隊レッドということを鑑みても普通に考えれば「嫌な奴」ではあるのだが、それをそう見せていないのはやはり演じる岸祐二の人間的な力だろう。
普通に演じたら嫌な役どころになってしまう岸本先生のキャラクター性も岸祐二が演じることによって決して悪印象を抱かせないというこの配慮が素晴らしい。
後やはり岸祐二さんはなんと言っても「声質」が非常に素晴らしい、「カーレンジャー」でもそうだが舞台畑でミュージカルをやっているくらいだから、芸能の素養がとても高い。
これは声がくぐもりがちなゴウキとは違うものであり、この透き通るようなバリトーンの声による演技がいいアクセントとして機能している。
小林靖子脚本と諸田監督のコミカルな演出の力ももちろんあるとはいえ、一番の魅力はやはり役者の演技力が演技を超えたリアルとして機能しているのだ。
お話としては割と通俗的な「ヒーローは戦う使命=公と大切な人=私のどちらを優先すべきか?」だが、ここにおいてそれを卑近な観点から描いた「カーレンジャー」から持ってくる発想力も面白い。
だから、バランス的にはあまりにもゴウキの方ばかりが正しく見えてしまうと台無しになってしまうところを、決してゴウキだけが正しく見えるような描き方をしていないのだ。
岸本の主張することも一般人の目線から見ればヒーローとは同時に危険な存在であるということの示唆にもなっているし、ゴウキがこの部分において甘いのは事実である。
ただ、それを前作「メガレンジャー」の終盤のように「悪意をむき出しにしてヒーローを叩く身勝手な一般人」として描いてしまうと、これは悪夢の再来となるだろう。
それを本作はギリギリのところで「何もわかってない一般人が我が身可愛さにヒーローを批判する」という展開にしていないところに好感が持てる。
元ヒーローが現役ヒーローのダメ出しをすると同時に、コミカルさや愛嬌をプラスすることで絶妙に「悲喜劇」に仕立て上げているというわけだ。
「自分のことは自分で守る」を選択した鈴子先生の強さ
さて、最初はドタバタコミカルな恋の三角関係というところから始まった今回の話だが、もちろん小林靖子がそんな簡単な構図に落とし込むわけがない。
彼女の狙いは「鈴子先生自身の自立」を描くことであり、単純な「男に守られる女」というありがちな存在にはならないようにすることだ。
青山勇太もそうだが、本作の素晴らしいところは決してギンガマン5人だけが活躍するのではなく、セミレギュラーやゲスト枠にもきちんと物語が見えることである。
「誰が守ってほしいって言いました!?私、自分のことは自分で守ります!だから、大丈夫です!」
この一言こそが今回最も忘れられない重要な細部であり、そこにあるのは勝手に「庇護対象」扱いされたことへの怒りとゴウキを支えてあげたいという鈴子先生の愛情からだろうか。
演出的にも素晴らしく、小津を思わせる真正面の切り返しにすることで2人きりの空間を演出、その上で松葉杖を使ってヤートットを倒し逆にヒーロー側を元気づけている。
ここがとても面白く、この中に岸本先生は混ざることができない、そのくらいにギンガブルー/ゴウキと鈴子先生の関係性が今ここで1つの完成を見たと言えるだろう。
しかも転生前のゴウキではなく、転生後のギンガブルーの前でこの芝居をさせることにより、ヒーローとヒロインの一対一の演技が成立するという面白さがある。
これは下手なラブシーンよりも味わい深い名シーンに仕上がっており、ここからゴウキは力が入って元々持っていた凄まじい力で追い込まれていたギンガレッドを助けた。
鈴子先生というある種の女神様からの加護をもらう形となったギンガブルー/ゴウキはこれまでにないほどに力を発揮するが、まさに「愛する者の存在が強さを与えた」という図式である。
小林靖子は決して「愛」を強さの根拠にすることなどしないわけだが、ギンガブルー/ゴウキはそれが成立してしまうほどに十分な力と反比例する心の弱さ・脆さが同居していた。
だからこそ鈴子先生のように「依存」ではなく「共存」することを選んだというのは1つ男女の関係において面白いアプローチから描いてきたなと思うところだ。
どうしても通常のヒーローものだと「女と子供は庇護されるべき存在」と見做されがちだが、そこを安易に「ゴウキに鈴子先生が守られる」形にしなかった。
最終的に「私だけを守ってくれるより星を守って戦ってるゴウキさんが好きなんです」と言っていたが、この好きがlikeかloveかはわからない。
ただ、この関係性をより現実的な「セックス」の絡む関係性として描いたのが「タイムレンジャー」のドモンとホナミであることだけは指摘しておこう。
「ギンガマン」はあくまでも子供向けとしての王道をいく形なので流石に大人のリアルまでを描くわけにはいかないというところで思いとどまった節はある。
世の女性どもは是非とも見習ってほしいものだ、男性の経済面に依存しない芯の強さを持つ鈴子先生のような「儚くも美しく気高い」人を。
「公か私か」の二者択一ではなく「公の中に私を含む」こと
さて、最終的に今回の話で出た結論としてはギンガマンというヒーロー像並びに作品の根底にあるものは「公か私か」の二者択一ではなく「公の中に私を含む」ことだ。
数学でいうところの集合論で図式化してみるとわかりやすいのだが、ギンガマンは決して「公」と「私」をどちらか一方だけ選び取るという考え方がそもそもない。
いうならば必要十分条件であり、また目的→目標→戦略→戦術の4つがあることを考えると、いわゆるマトリョーシカ方式になっているのではなかろうか。
このように、ギンガマンの価値観は第一章から完璧に構築されており、「星を守る」という壮大な目的があり、そのための目標として「バルバンを倒すこと」がある。
その「バルバンを倒す」の後に「ギンガの森を元に戻す」があって、それを果たすためには1つ1つの目の前の大切な命を守っていくことによって果たされる。
奥底まで辿っていくと、ギンガマンの根底の価値観が第二十九章・三十章で出てきた「戦士の誓い」になるわけで、この構造が非常に良くできているのだ。
これが通常の戦隊作品やヒーロー作品と違うところで、普通のヒーローは戦いの中で己がなすべき使命を見つけたり、精神を昇華させたりして目的を果たす。
しかし、ギンガマンというヒーローは昭和戦隊と同じように戦う目的が明確であり、尚且つそのための具体的なフェーズへの落とし込み方も完璧なのだ。
そして何よりすごいのはそれを視聴者側に「理屈」としてではなく「感覚」としてしっかり落とし込んで伝えているというところである。
「ジェットマン」〜「メガレンジャー」までのヒーローが「公を取るか私を取るか」というところでずっと右往左往していた、両者は両立し得ないと考えていた。
だが「ギンガマン」は決してそうではない、公の為に私を犠牲にすることもしなければ、私のために公を無視するようなこともやらない。
あくまでも「公の中にこそ私がある」から、全ては1つにつながっているのであって、その順序立てと実際の行動・ヒーローとしてのあり方が完璧すぎるのだ。
もちろんこの図式はゴウキと鈴子先生だけではなく、リョウマたちを通して描かれてきたことだが、それを更にゴウキと鈴子先生の恋愛模様から浮き彫りにしたのである。
このわずかな細部でさえもしっかり作品の全体像へと連動・還元させていくところの見事さが「ギンガマン」「タイムレンジャー」を作っていた時代の小林靖子脚本の凄さだ。
普通はどちらかになりがちだが、どちらかではなく全てを包含できるほどの力も技も心も全部を持っている最強最高のヒーローこそがギンガマンである。
だから今後どんなにすごい力を持ったヒーローが出てこようが、「あり方」「考え方=脳のOS」において「ギンガマン」以上の作品はないと断言する。
総括
今回はゴウキと鈴子先生の恋愛話に元戦隊レッドを絡めつつ、最初は三角関係から始まったドタバタラブコメが1周回って「ギンガマンとは何か?」まで辿り着いた。
ゴウキと鈴子先生の物語がここで1つの完成を見つつ、また決して単なる「鈴子先生に振られる人」で終わらなかった岸本先生の味わい深いキャラクター性も見事である。
あらかじめ決められていたギンガマンという作品の構造をしっかり可視化し、誰でもが見られるところにまで落とし込むこの構成力・演出力・演技力の全てにおいてパーフェクトだ。
よって、評価はS(傑作)100点満点中105点。



コメント
1岸本先生役はカーレンジャーの恭介と同じ人
お前にはゾンネットがいるだろって突っ込みが入りそうです 個人的にこの回はハートフルコメディなのでギンガマン当時どうじに
放送されたアニメ 守護月天と内容が同じ為タイムリー