『星獣戦隊ギンガマン』第三十四章『不死身のイリエス』
◾️第三十四章『不死身のイリエス』
(脚本:小林靖子 演出:辻野正人)
導入
「私が死ぬと思ってるならお生憎よ。宇宙で最強の魔術を極めたこの私は、たとえ死んでも、何度でも復活できるわ。ほほほほほ」
船長ゼイハブに煽られる形で自ら出陣したイリエスから始まる今回は、サンバッシュ・ブドーに続くイリエスの最期であると同時に、改めてバルバンという悪の本質がどこにあるかを浮き彫りにした回だ。
「ギンガマン」という作品において象徴的かつ決定的なのはどれだけギンガマンが強くなろうとも、決してバルバンの恐ろしさ・脅威自体は最後までなくならないということである。
それは決して「力の強弱」「パワーバランス」なんて皮層的なものではなく、もっと奥の部分にある考え方=脳のOSが終盤に進むにつれて明かされていくという構造だ。
本作が「大河ドラマ的連続性」として評価されてきたのはリョウマたちがバルバンと戦えば戦うほど、どんどん敵側の悪が暴かれていくというところにこそあるだろう。
そもそも考えてほしい、ゼイハブはサンバッシュに対してもブドーに対しても一貫してドライな態度を貫いており、決して身内だからと甘くするようなことはなく、ラストは「お前海に沈めたろか?」位のノリだった。
それが今回のイリエスと来たら「ここまで来たらお前自身が戦ってみたらどうだ?その代わり、金貨は倍にする」という形で全く「処刑の場所を選べ」みたいなことは決して言わない。
これは決して男女差別でも贔屓でもない、むしろ逆でイリエスみたいな強欲な感情でしか動かないタイプはあえて泳がせておいて自滅させればいいという「見放し」「戦力外通告」である。
実際、後の展開で「しかしだ、イリエスのあの欲深さと小狡さは始末に終えねぇ。どっちにしろ奴はここまでだ」とイリエスをバッサリ損切りしてしまっているのだ。
そしてラストの結末、今回は珍しくギンガマン側ではなくバルバン側で締め括られる形となったわけだが、ここで改めてゼイハブというラスボスの器が改めて脅威として画面に示される。
「ボスは動かずとも一番後ろで立っているだけで強さが滲み出る」とは誰かが言っていたことだが、そのボスが重い腰を上げて刀を振り下ろしたというのは歴代でもそうあるものではない。
単なる「義理に反することをやった裏切り者を始末する」とは別の方向性・種類のものであり、ゼイハブは「義理人情を踏み躙られた」などとい右ことは一切思っていないのだ。
これはまさにたとえ一人一人になろうが奥底ではチーム全体を信じて戦うギンガマン+黒騎士という構造とは対極であるといえるだろう。
一方でギンガマンとヒュウガの6人が巨大戦を含めて「チーム」として戦ったのは最終章を除けばここで最後であり、この後ギンガマンとヒュウガには厳しい試練が再び待ち構えている。
3クール目はある意味で言うと「インターバル」ようなものであるといえるのだが、今回は以下の4つを軸としてレビューを行う。
イリエス編の目的は「ギンガマンがいかなるチームか?」の補強と完成
「1の力を5分割」したギンガマンVS「死者の魂さえ食い物にする」イリエス
最強フォームのイリエスには「痛覚」がない
自業自得の末路を迎えたイリエスとブクラテス
では、早速本編に入ろう。
イリエス編の目的は「ギンガマンがいかなるチームか?」の補強と完成
導入でも書いたが、3クール目のイリエス編は大筋が動かず、言うなれば「ONE PIECE」で言うところの空島編のようなものだと思っている、言うなれば「山場を盛り上げる前のインターバル」みたいなものだ。
それを悪く言うと「中弛み」なのだが、ここまで振り返るとそこまで酷い中弛みかというとそうではない、むしろ4クール目に入るために敢えて激しい戦いや物語を描かず「幅を広げる」ことを選んだのである。
それを今回改めて見直すと「ギンガマンがいかなるチームか?」の補強と完成であり、言うなれば「6人のチーム」としての動き方をここで見せることによって4クール目以降の激闘に必要な下地を整えた。
ギンガレッド/リョウマが第二十六章で「真のギンガレッド」として完成を迎えてからこの3クール目は鋼星獣・ガレオパルサーなどを盛り込みつつ、全体としては「戦隊=チーム」であることに重きを置いた作りになっている。
イリエスの魔法陣が貼られた広場へ向かう前に6人揃って決意するところがあるが、ここで「助け合っている余裕はない」「行こう!街の人たちを救えるのは俺たちだけだ!」とリョウマとハヤテを中心に「チーム」としての盛り上がりを見せる。
こういう「決戦前の円陣」というのは「秘密戦隊ゴレンジャー」の頃から伝統の1つとしてあるわけだが、ギンガマンの場合はそもそも幼少期の頃から付き合いが長いこともあってか、いちいちこんな円陣じみたことをやらない。
それは決して「仲が悪い」「チームとしてドライ」といったことではなく、むしろ逆でお互いを信頼しきっているからこそ、そこまで大きく声掛けをする必要がないほどに完成したチームであるということだ。
その証拠に今回は魔法陣に突っ込んでいき一人また一人と復活したイリエス魔人族と生身で戦うという形を取っているわけだが、小林靖子は第二十一章然り「敢えてチームをバラバラに分割する」手法を好んで使う。
リョウマが「俺は一人じゃない!俺の後ろに支えてくれる仲間たちがいる!」と口にするが、これが決して上辺だけの綺麗事に終わらないのはまずリョウマ個人の成長を2クール通してしっかり描いてきたからだ。
いわゆる「俺の屍を超えていけ」「離れていても心は一つ」というのを今回は6人全員が転生できない中で生身で奮闘するという状況をうまく作り出すことで成立している。
一番驚くべきは小林靖子が3クール目の終わりでこれを使っていることであり、この「転生できない中で戦う」という、普通のシリーズが終盤で使うであろう展開をここで使っている。
「行くんだ!たとえ最後の一人になっても、その後ろで仲間が支えてることを信じろ!」というヒュウガのセリフもまたそんなギンガマン5人を俯瞰する存在として見事に機能しているだろう。
つまりギンガマン5人の足並み揃って戦う「チーム」としての描写を3クール目は徹底して補強してきたわけであり、個でも強いギンガマンと黒騎士が敢えて6人揃って再び戦う「ファミリー」のような距離感とチームワークを見せる。
かといって、それは決して「馴れ合い」「傷の舐め合い」ではなく、イリエス編は能力バトルという変化球の戦いをベースにしていたからこそ全員が一致団結しなければ勝てないことを示すためでもあった。
だからこの3クール目は6人の距離感が一番近い感じに描かれていたし、だからこそたとえば青山親子の仲直りの話やハヤテと勇太少年の繋がり、リョウマと一郎との友情など「繋がり」を大事に描くことができたのである。
とはいえ、ずっとこのまま全員が仲良しこよしの状態でこれから4クール目に控えている激闘・死闘を切り抜けられるわけではないので、最終章を除けば6人全員が一丸となって戦うのはここが最後だ。
通常の戦隊が定番として使うお約束・展開のレールに実は本作は安易に乗っからず、タイミングと使い方を見極めて上手にずらすことで意図的な「戦隊らしくなさ」を浮き彫りにすることで「戦隊らしさ」を強調するのだ。
「1の力を5分割」したギンガマンVS「死者の魂さえ食い物にする」イリエス
今回、実は大きな対比となっているのが「1の力を5分割」したギンガマンVS「死者の魂さえ食い物にする」イリエスというのが実は大きな対比になっていることに気づいた人がどれだけいるだろうか?
そう、転生前も転生後もそうだがギンガマンは一人一人がしっかり独立した存在であり、ギンガの光という大きな力を5つに分割することで「チーム」として大きな1つの「和」を生み出している。
一方でイリエスは対照的にこれまで自身が繰り出してきたイリエス魔人族の魂でさえも魔力・魔術という禍々しいものを使って自分のものとして吸い上げ強化するというのが完全な「搾取」の構造だ。
私はこの邪帝イリエスのゴテゴテしたフォームが不快感を催すから嫌いなのだが、もっと不快なのは死者の魂を食い物にすることに対して何らの躊躇いすらないことである。
これは第二十五章で黒騎士が自身の魂をブルライアットに封印してヒュウガに託したのとは対照的であり、黒騎士は第二十六章で自らの意思でヒュウガに力を託すことを選んだ。
しかし、イリエスはどうだろう、死者の魂をその力共々勝手に引き出して、それだけでは飽き足らず自らの魂すら最後は宝石として残すということまでやってのける。
ブクラテスが裏で絡んでいたとはいえ、まさにゼイハブが言う通りイリエスの狡猾さ・強欲さは始末に負えない、魂がどこまでも澱み切っていると言わざるを得ない。
だからこそ対比として1の力を5分割し、更にそれを星を守るためだけに抑制して使ってきたというギンガマンの考え方=脳のOSが改めて輝くわけだ。
放送当時からどうにも私はイリエスのことがうまく消化できずにいたわけだが、イリエスというキャラクターは一番「宇宙海賊」の中に渦巻く下卑た欲望を最も色濃く表している幹部である。
ブドーやバットバスは確かに「悪党」ではあるし罷り間違っても好きにはなれないタイプだが、イリエスほど強欲ではないというのが大きな違いとしてあるだろう。
逆にいえばイリエスは生身のリョウマに蹴られて呆気なく踏み台にされていたように、生身でそのまま戦ったとしてもギンガマンと黒騎士に勝てるわけがない。
だから全員分の魂を現世に擬似的に復活させて自らをゴテゴテと強く着飾るとい悪趣味な選択を最後の最後で取ったのだと言える。
ギンガマンの5人とヒュウガが「今あるものとをきちんと大事に使う」のに対して「現世にないものすら利用価値があると見做せば簡単に手を出して住まう」のがイリエスだ。
とはいえ、そんな一時的に手にした力で勝てるわけもなく、結局は目先の感情だけで動いてきたイリエスの弱さがここに露呈していると言えるだろう。
結局は他者を食い物にすることでしか自らの強さを証明できないのに対して、ギンガマンとヒュウガはそんなことをしなくても積み重ねてきたもので勝つことができる。
幼少期の頃から鍛え上げた力に加えて、これまでの経験で積み重ねてきたものとそこから得られる自信、そしてそれを支えてきた星を守る戦士としてのあり方。
結局のところ戦いのハードルが上がれば上がるほど、最終的に大事なのは考え方=脳のOSであり、イリエスはもう遺影フォームを選んだ時点で負けることは決まっていたのだ。
遺影フォームのイリエスには「痛覚」がない
さて、この遺影フォームのイリエスは閃光星獣剣+獣装の爪+ダブルライダーキック+黒の一撃を喰らっても起き上がった上でギンガの閃光を喰らってもくたばらなかった。
それどころか巨大戦にまで持ち込んだが、なぜこんなことができたのかというと単純に「痛覚」がないからであり、もはや死者の魂と一体化してゾンビになってしまったのだろう。
ここがサンバッシュ・ブドーと違うところであり、サンバッシュとブドーは「しぶとさ」「執念」はあったが、きちんと「痛覚」はあったし最期の事切れ方は見事である。
だから等身大戦でリョウマに負ける形で死んでいったわけだが、イリエスの場合はもはや「痛み」すらなくなってただ欲望のままに戦い続けるだけの生物兵器と化した。
つまり死者の魂を呼び寄せて禁忌の力に手を染めたのだが、実は同じ「巨大化」でも彼女はバルバエキスを使ってではなく水晶玉を使って巨大化している。
なるほど、ここでこれまで繰り返されてきた「バルバエキス=自らの命を縮める最期の手段」であるということにも納得が行くのではないだろうか。
バルバエキスはいうならばアドレナリンを増幅+巨大化能力を与える代わりにギンガイオーと戦ってしまえば最期ということだろう。
一方でイリエスがバルバエキスを飲まない、口にしないのは自らの命を消費せずに復活するために敢えて残しておくという選択を取った。
女の執念とはかくも恐ろしいと言わんばかりだが、逆にいえばこんな小細工を労せねばギンガマンとまともに渡り合うことすらできなかったのである。
これは同じ海賊ものの「ONE PIECE」のナミがそうだが、こういう魔法や魔術のような肉体に直接頼らない力は強大なものとして描くことはできる。
しかし、それは自然の摂理に反した行為であり、だからもはやドーピングをかけすぎたことで痛覚すらなくなってしまったのだろう。
例えとして持ってきたくはなかったが、いうならば覚醒剤のようなドラッグで薬漬けになっているのと大差はない、一時的に偽物の嘘っぱちの快楽に酔っているだけだ。
超装光ギンガイオーは圧倒したとしても、サポートメカとして出てきたギガライスやギガフェイックスらに勝てるわけないし、最後は銀河大獣王斬りでやられる。
これが仮に1クール目に出たとしてもイリエスは似たような結果になったには違いなく、遅かれ早かれこうなっていたという末路は何も変わっていない。
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」というが、これまでがそうであったように、イリエスもまた欲をかいてギンガマンに負けてしまった。
決して力の差だとかで負けたのではない、そもそも勝負する前の考え方=脳のOSの段階でイリエスは全ての歯車が狂ってしまったのである。
自業自得の末路を迎えたイリエスとブクラテス
さて、今回は「イリエスの負け方」以上にもっと悲惨だったのがラストでダイタニクス復活のために利用されたイリエスの魂と無惨に損切りされたブクラテスであるが、どっちも自業自得だ。
「先生、俺ぁ大抵のことには目をつぶる。たとえてめぇとイリエスがブドーを陥れたってな。だが今度だけは別だ。先生、長い付き合いだったが残念だぜ」
なんとゼイハブは第二十一章から行われたイリエスとブクラテスのブドーに対する謀略を既に見抜いていて、それを知った上で敢えて泳がせておいた。
まさに「天網恢恢疎にして漏らさず」とはこのことであり、裏でこっそり考える悪事などは一見バレないようで実はバレてしまうということが今回示された結末である。
死者の魂を利用して遺影フォームなんてものを一時的に得て偽物の快感によっていたイリエスだが、その代償として彼女は自らの力をゼイハブに逆に利用されることになった。
ブドーを陥れた上で自らに有利なようにポジショニングを図ってきたイリエスだったが、悪はどれだけ行こうと上手くいかず破滅の未来しか待ち受けていない。
その上で今回見えてきた宇宙海賊バルバンの構図とは「小さな悪がより巨大な悪に利用されている」ことに他ならない、言うなればフリーザ軍とサイヤ人のようなものだろう。
サンバッシュもブドーもイリエスも結局は力関係で言えばゼイハブおよび魔獣ダイタニクスという巨悪に従っているだけの小童に他ならなかったということだ。
しかし、だからと言って船長に絶対的な忠誠心を持っていたわけではない、あくまでも食い詰め者の烏合の衆が群れを成して徒党を組んでいたにすぎない。
ここから終盤にかけてバルバンという悪の本質が浮き彫りになってくる形なわけだが、ここで徹底してドライに損切りできるゼイハブは経営者として超一流である。
組織のトップに立つものは決して情に流されては行けない、どんな悪のカリスマであろうと一時的な感情で動くとイリエスのようになってしまうとわかっているからだ。
だからブクラテス然りイリエス然り、ゼイハブにとっては「無能な味方はいらない」というそれだけのことであり、言うなればこれである。
そう、動けなくなった無能な奴など要らない、利用価値があるうちに消耗させるだけさせて美味しい部分だけをいただくということだろう。
「有能な敵以上に厄介なのは無能な味方である」とかつて歴史の偉人は述べたが、バルバンは形を変えながらもこのモチーフを繰り返し使っている。
それはギンガマンとはまるで異なる悪党ならではの価値観であり、改めてバルバンの悪辣さが改めて活劇として示されたということだろうか。
自業自得な末路といえばそうなのだが、思えばサンバッシュ然りブドー然り、バルバンは全員己の行動理念に従った結果それに相応しい末路を辿っている。
ギンガマン側がストレートなヒーロー像であるのに対して、バルバンはならず者の集団でありながら決してバカではなく、組織構造が実に複雑だ。
一筋縄ではいかぬバルバンの底知れない悪にどう立ち向かうか、それがここからの物語であると私は思う。
総括
今回はイリエス編の最後であるが、チームとして1つの完成を見つつもまだ成長の余地を残しているギンガマンと悪の本質が浮き彫りになったバルバンが示された。
3クール目はインターバルの期間だったが、まさにその「インターバルだからこそできること」をやって見せたと言えるのではないだろうか。
とはいえ、このままの状態で勝てるほどゼイハブとバットバス軍団は甘くない、そんな4クール目に控える激闘・死闘を予感させる回だった。
ここからギンガマンは最終章にかけて再び奇跡の伝説を見せてくれる、その前段階として非常にいい節目となってくれたと思う。
評価はA(名作)、100点満点中95点。



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