『星獣戦隊ギンガマン』第三十二章『友情の機動馬』
◾️第三十二章『友情の機動馬』
(脚本:武上純希 演出:小中肇)
導入
今回は第二十六章以来のリョウマメイン回だったわけだが、実はリョウマが勇太以外のゲストキャラクターと絡むのは第十五章以来、しかも一対一で「男の友情」が描かれたのは今回が最初で最後である。
武上脚本も本作はこれが最後であり、ここからは次作『救急戦隊ゴーゴーファイブ』の企画に集中し始めていた頃かと考えられるが、そんな彼が仕上げた最後のリョウマメイン回がこれだ。
ドラマ的なポイントはあまりないわけだが、最後の玩具販促として出てきたのがギンガの光を1つに集めて形成される「ガレオパルサー」という機動馬であり、一回も破られたことがない。
ギンガの閃光でさえ後半に入ると普通に破られるようになってくるわけだが、その辺りも含めて今回はギンガマンという作品におけるパワーバランスについても考察しよう。
今回は一郎とその妹が出てくるわけだが、ここで提示されている「兄妹」という要素は別に大きく物語の中に関わってくるわけではなく、ただそういう人物として出てくるだけだ。
演じる三国一夫はあまり名のある俳優ではないが、割と古臭い昭和な感じのダンディな顔つきと声量のある声が特徴的で、それが爽やかでハスキーな声をしている前原一輝と好対照を成している。
リョウマは基本的にヒュウガか勇太との絡みが多いこともあってか、交友関係はレッドにしては意外と広いようで狭いのだが、そんな彼が外の人との絡みを多く描いたのは今回が最初で最後だろう。
4クール目に入ると、どちらかといえばチームのリーダーとして動くことが多くなるので、こういう通常の戦隊シリーズにありがちな「ゲストキャラとの共演」は珍しいかもしれない。
お話の内容自体はリョウマの底知れない優しさが一人の青年の心を動かし、またその青年の思いがリョウマに影響を与え新たな力を生むという割と王道的な図式ではある。
しかし、ファンタジー世界に「バイク」という現代科学の力が入り込んでくるのは一歩間違えると完全に事故になりそうだが、実はよくよく見返すとそこまで事故ではない。
これまでに積み上げた要素から無理なくバイクを生み出し、更に友情と信念で物語を成立させてしまうという、本作においてはむしろ異例中の異例と言える回だ。
今回のポイントは以下の3つだ。
一郎と絡むことでわかるギンガレッド/リョウマの「異質さ」
ガレオパルサー>ギンガの閃光というパワーバランスについて
ギンガの光は持ち手の「想い」に応える
この3つをもって今回のレビューに変えさせてもらう。
一郎と絡むことでわかるギンガレッド/リョウマの「異質さ」
改めて今回一郎と絡むことで分かったのがギンガレッド/リョウマの「異質さ」であり、リョウマはいわゆる「内に秘める熱さ」があるタイプだが、火の玉熱血野郎ではない。
どちらかといえば、一郎の方が火の玉熱血野郎として描かれているわけなのだが、どうして武上脚本で描かれる「男」ってどいつこいつも暑苦しいんだろうか?
「メガレンジャー」のメガレッド/伊達健太からしてそうだったが、武上純希がメインライターを担当した戦隊のレッドは直情径行なタイプが多い。
だけど、私が見ていてあまりバカレッドを好きではない理由として、それが「気に入らない奴はぶん殴る」という脳筋的なところに行きがちだからである。
謝ったからよかったものの、いきなりリョウマをぶん殴る一郎はあまり見ていて気持ちのいいものじゃなかったし、基本は爽やかだがどこかで滲み出る「オレがオレが」みたいな感じは好みではない。
それとは対照的なのがリョウマだったが、リョウマが個人的に一番理想のレッドだと思えるのが「正しさ」や「価値観」を「押し付けない」というところが見ていて気持ちいいのだ。
奥底には滾るような熱さを持っているしバルバンに対しては容赦ない殺意を向けるにも関わらず、ちっとも偉そうにしないしリーダーだからと正論をメンバーに押し付けない。
「こうしよう!」「俺はこうする!」とは言ったとしても、相手が嫌がることまでをも強要しないし、他者に対してその力を振るったりしないのだ。
逆に一郎のキャラクターはどうにも見ていて次作「ゴーゴーファイブ」の纏兄や「ゴーオンジャー」の走輔にも繋がる「頭に血が上りやすい喧嘩っ早さ」が特徴的である。
打ち解けると爽やかなタイプではあるし礼儀礼節もきちんとしてはいるのだが、リアルにこういうタイプの過保護な兄がいたとしたら好きではない。
過保護な兄といえば翌年の『デジモンアドベンチャー』の八神太一もヒカリに対しては過保護だったっけ……いずれにしても私は生まれてこの方「兄妹」にいいイメージを持ったことがない。
まあリョウマとヒュウガがあまりにも理想化された「兄弟」として描かれているというきらいはあるかも知れないが、改めてリョウマは歴代レッドの中でむしろ異質な方である。
「うちに秘める熱さ」はあるが決して「熱血」もしないし「カリスマ」でもない、さりとて「冷静沈着」というような感じでもない、でもきちんと「主人公」だし転生前の穏やかさと転生してからの殺意が凄い。
この二面性というのは改めて本作ならではの面白さでもあるわけだが、改めてリョウマがなぜ一番印象に残る戦隊レッドなのかというと、どうにもそのあたりに秘訣があるようだ。
「ギンガマン」という作品自体は確かに「王道的」なのだが、主人公が「王道」からは外れたところにいるというのが逆に本作の独自性の1つなのかもしれない。
ギンガの光は持ち手の「想い」に応える
第二十三章『争奪の果て』で示された、「ギンガの光は持ち主の想いに反応する」という伏線が今回で明確に回収されるという面白い構造になっている点も注目したい。
歴代戦隊の中で「強化アイテム」も「金ピカの強化アイテム」も出てきたが、いわゆる「1つの大きな力から全く違う力が想いによって生まれる」というケースはまずないのだ。
今回出てきた「ガレオパルサー」は確かにそれを形にして兵器として用いているのはギンガマンの5人だが、その根源としてあるのは「一郎の妹に対する想い」である。
過保護なところは確かに目立つものの、リョウマだってヒュウガという兄がいることからもその気持ちがわかるから、リョウマたちも彼のことを認めるのだ。
ここでギンガの光が単なる「宇宙にあった大いなる力」というだけではなく、「ギンガマン5人の団結の象徴」と同時に「ギンガマンと大衆の絆」としても機能しているのが面白い。
選ばれしものでも戦士でもない一郎の強く熱い思いがギンガの光をして動かすという双方向性が面白く、勇太少年もそうだがギンガマン5人と一般人は決して一方的な関係性ではないのだ。
誰かを想い真剣に信じ抜く気持ちが星の力を引き出すというところが積み重ねられてきたからこそ、ファンタジーの枠を超えたヒーロー作品としての核心として描いてきた。
怒涛武者が「力」を強くすることを願い、ギンガマンが「星を守る」ことを願い、そして一郎が「妹を助ける」ことを願ったことから生まれたのだ。
そして迎えるラストバトルはギンガレッドVSメルダメルダというバイク同士の一騎討ちになるわけだが、このバイクアクションもスピーディーながらよく撮られている。
ギンガレッドの一騎討ちというと第二十章の氷土笠との一騎討ち以来だが、あの時と違ってギンガレッドは完全に肉弾戦でメルダメルダを圧倒していた。
ここからリョウマは一騎討ちで相手を倒すことはほぼなくなり、ガレオパルサーは使うがどちらかといえば「仲間と共に戦う」ことが多くなる。
だからこそ、今回は「みんなの想いを背負いながらの一騎討ち」というのが素晴らしいし、だからこそこの展開は文句なしにかっこいいと言える。
そして必殺技「獅子の走光」は「仮面ライダーBLACK」のロードセクターの必殺技「アタックシールド」のオマージュだが、あれよりも見応えがある。
ロードセクターに関しては「孤独な戦士の悲哀」であるのに対してガレオパルサーはそういう悲壮感が全くなく、純粋な友情の産物というプラスに肯定されているものが素晴らしい。
そのように考えると、ギンガマンはいわゆる昭和時代の作品がマイナスの産物として描いてきたものをプラスに変えて肯定するというのが最大の特徴だろう。
だからこそ単なる「新アイテム」でも「強化アイテム」でもない物語の中で描かれる「意思」の表れとして描かれているのも素晴らしい。
ガレオパルサー>ギンガの閃光というパワーバランスについて
さて、ここで改めて触れたいのがなぜガレオパルサー>ギンガの閃光というパワーバランスになっているのかについてももう1つ語っておくとしよう。
何度か言われていることだが、ギンガマンは四軍団のパワーバランスについて突っ込まれることが多いが、なるほど、確かにガレオパルサー>ギンガの閃光というパワーバランスはそれ単体で見るとおかしい。
なぜ5人の力よりも一人で持つ力の方が強いのかという話だが、これに関してはそもそもギンガマン自体がチームワークよりも実は個人戦を重視するような形で描いてきたからだ。
だから通常の「戦隊的なるもの」の文脈で見ればこの細部は異端なわけだが、その「異端さ」を「異端」ではなく「正統」として演出してしまうのが本作である。
そして2つ目、ガレオパルサーはギンガマン5人の思いだけではなく一郎の想いもそこに加わっているという「一般大衆の思い」もまたそこに重なっていると考えられる。
言うなれば「ドラゴンボール」の元気玉方式ではないが、やはり志を同じくするもの同士の思いの強さによってこれが実現したと考えると、まさにヒーローものの「王道」は抑えているだろう。
ギンガの閃光は1つの力を5人で分割しているのに対して、ガレオパルサーは単なるバイクではなく、5人の思いと黒騎士の教え、そして一郎の想いという実質7人分の想いが詰まっている。
だからこそギンガの閃光以上の威力を持った技として演出されていることにも納得がいくわけで、ギンガマンは一見パワーバランスが無茶苦茶なようでいて、実はきちんと考えられているのだ。
本作の改めてとてもいいところは星獣剣然り機刃然り、全ての武器や能力・道具にきちんと「魂がある=色気がある」ことであり、単なる子供向けの「かっこよさ」には収まらないのである。
単に「かっこいい」だけの武器や作品だったらいくらでもある、だが問題は「その武器をどのように用いてどのように戦うのか?どんなあり方・心構えで使うのか?」という考え方なのだ。
そう、どこまで行こうと、どれだけ強くなろうと、結局のところは「考え方=脳のOS」が全てであり、ギンガマンは自分たちの使命を基本に忠実に実行し続けてきたからこそ今がある。
だからパワーバランスがどうのこうのなんてのはその本質すら掴み取れない底の浅い知性と感性しか持っていない者が安易に走ってしまう他責思考の成れの果てでしかない。
それにパワーバランスがどうのこうのというが、結局のところ勝負は常に時の運であり、お互いに実力が拮抗している場合はその日のコンディションや運なども大きく作用する。
本作を「運が良かっただけの戦隊」などという戯言はまず己でギンガマンクラスの戦闘力とマインドを手にしてギンガマンレベルの実績を残してから言えという話だ。
一流のステージに上がれば上がるほど単純に「力がある」だけでは勝てなくなってくるから「勝てる奴の考え方」をしなければ勝てないのである。
運が良かったから勝てるのではない、勝てる考え方=脳のOSで動いているやつに運が味方するのだ。
総括
今回はギンガマンという作品の“幅”を見せつけた回だった。
日常描写、一般人との友情、そして想いが生む新たな力など「ファンタジー」という制約の中に現代的なガジェットを突っ込んでなお、それを“熱さ”と“誠実さ”で飲み込んで見せる構成力が素晴らしい。
これまで積み上げてきたものを活かしつつ、リョウマという戦隊レッドの異質さを描くとともに、民間人のゲストキャラクターともドラマを作ることで「ヒーローとはこうだ!」を外側から見せた。
第二十八章もそうだが、武上純希はハマる時とそうでない時の落差が激しい脚本家だが、今回は割とそのストレートさがハマった方だったのではないだろうか。
ギンガマンが単なる「自然戦隊でもなければ単なる「ファンタジー戦隊」でもなく、「星の物語」として何を描こうとしているのかが強く伝わる回だった。
評価はA(名作)100点満点中85点。



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