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『星獣戦隊ギンガマン』第三十章『鋼の星獣』

◾️第三十章『鋼の星獣』

(脚本:小林靖子 演出:長石多可男)

導入

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「平和を願う星祭りの正にその日、闇商人ビズネラにもたらされた巨大兵ギガライノス・ギガフェニックス!しかし、戦いを前にしたその時ーー」

前回につづき、今回は鋼星獣ギガライノス・ギガフェニックス・ギガバイタスのドラマなのだが、いきなりギガライノスもギガフェニックスも同じ星獣であるという衝撃の事実が語られる。
今回は前回と違って物語的な側面というかドラマ自体はそんなに多くないわけだが、改めて第七章・第二十五章に続き「星獣が如何なる存在なのか?」についてを別角度で語った名編だ。
本来なら「異物」でしかないはずの宇宙探査ロボから始まったギガシリーズをしっかりと「ギンガマン」という作品の中に落とし込み、作品の持つ根幹のテーマそのものをより補強しているのだ。
並の作家だったら扱いきれずに終わってしまうところのものをしっかりと作品世界に馴染むように取り込む努力をしている工夫が素晴らしく、全盛期の髙寺成紀プロデューサーと小林靖子の手腕が窺える。

今回は戦士の成長といったドラマの要素はないが、改めて星祭りを行う日に星獣同士で殺し合わなければならない残酷さを真正面から突きつけ、しっかりと逃げずに向き合うところが素晴らしい。
「ギンガマン」という作品はどうしても映像それ自体が持つ美しさや華やかさといったところに目を奪われがちだが、それがきちんと成立しているのはこういう「闇」「暗黒」とも向き合っているからこそである。
これがいわゆる「光」の部分ばかりに焦点を当てて「闇」に対する描き方や向き合い方が散漫になってきている、ただ楽天性が目立つだけの『百獣戦隊ガオレンジャー』以降の00年代戦隊とは異なる大きなポイントだ。
似た設定としてはそれこそ「ガオレンジャー」に出てくるガオハンターも最初は敵として出てくるわけだが、あれには鋼星獣が持っているような「痛み」「悲哀」「残酷さ」といった要素がまるでない

だからこそ、改めてギンガマンと黒騎士が単純に「戦って敵を倒して終わり」ではないということが示されるのであって、今回のポイントを大まかに分けると以下の4つである。

  • 「命の兵器化」に対する、最大級のアンチテーゼ

  • 「説得こそが戦い」──声をかける、想いを届ける、心を取り戻す

  • 善悪の“モーフィング”が生む、圧倒的ビジュアルとカタルシス

  • 星祭りへ──日常が戻るということ、それ自体が勝利

ギンガマンと黒騎士は序盤から戦闘民族として強大な力を持ちバルバンを圧倒するほどの強さを磨き上げた戦闘民族だが、今回は「力と技」ではなく「心」の戦いだったと言える。
それが「説得する」ということなのだが、ただ言葉で訴えかけるというだけではなく、リョウマたち自身から紡ぎ出される「言霊」によって鋼星獣は「操り人形」から「意思を持った存在」へと「転生」した
後述するが、ギガライノスとギガフェニックスが悪のデザインから善のデザインへとモーフィンする演出は最高のカタルシスがあり、当時ビデオが擦り切れるまで何回も巻き戻して見たものだ。
そしてその何回も繰り返して見た行為は改めて無駄ではなく、今見直しても見るものの感性・魂を揺さぶる存在であるということが示されている。

最後は星祭りのシーンで終わるわけだが、ここでもまたギンガマンが決して「戦って終わり」ではない、つまり「戦い終えた後の未来」をきちんと見据えていることがわかるだろう。
ヒーロー作品となるとどうしても「戦った後」のことが示されずに終わる作品が多いのだが、「ギンガマン」はきちんと「バルバンを倒し星を守った後、どうするのか?」も描いている。
「神話そのもの」でありながらも「日常への帰還」という等身大な「人間」としての側面も示している、正に「ヒーロー性」と「人間性」のバランスが絶妙な作品だとわかるだろう。

「命の兵器化」に対する最大級のアンチテーゼ

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今回は圧倒的なヒーローたるギンガマンと黒騎士が「憎むべき宿敵ではない存在とどう向き合うか?」という問いに対して、ベタながら彼らなりの答えを真正面から突きつける回である。
鋼星獣ギガライノス・ギガフェニックス・ギガバイタスはかつてバルバンに滅ぼされた星を守っていた「星獣」たちの亡骸であり、それをビズネラが見つけて機械化することで平気として再利用したというわけだ。
これはスーパー戦隊シリーズでもありそうで中々ないダークな設定であり、期せずして小林靖子は『仮面ライダー』や『サイボーグ009』のような石ノ森章太郎漫画の世界に足を踏み入れている。
スーパー戦隊でかように極悪非道な存在へと改造してサイボーグに生まれ変わらせるという設定を持ち込み、それが大自然の戦士であるギンガマン及び星獣たちとの鮮やかな対比になっているのも見事だ。

ここで描かれるのは「鋼星獣=自我を持たない操り人形」と「五星獣&重星獣=意思を持つ血肉の通った命」という決定的な「生物」としての違いであり、ここに第七章以来踏み込んできている。
第七章「復活の時」では一度仮死状態に陥った五星獣が自在剣機刃に秘められた大いなる力によって復活し、さらに銀星獣へと「大転生」するという展開へ踏み込んだ。
ここでも「転生」という言葉が示されている通り、星獣たちは一度命が滅びながらも、ここから「蘇る」ことによって新しいものへ生まれ変わるという、正に「輪廻転生」そのものである。
だからこそ銀星獣の登場は同じ「機械の体」でありながら「大自然の力によって高次の存在へ進化する」という側面を見せているというわけだ。

それに対してビズネラのやっていることは銀星獣と完全に似て非なる、それどころか正反対の「命の尊厳」を真正面から踏み躙る極悪非道そのものだといえるだろう。
同じ鋼のボディでも神秘の力を身につけ、自我を持ちながら強固な力を手にするのに対して、一度は使命を全うした生命を無理矢理魔改造して再利用という発想自体がギンガマンと相容れないものである。
さらに厄介なのは、鋼星獣たちがただのメカではなく「命を持っていた存在」であるが故にギンガイオーやブルタウラスといった現役の星獣たちが彼らを「敵として受け入れられない」ということだ。
自分たちと同じくかつて星を守っていた命を、今度は自分たちが倒す側になるというこのジレンマはあまりに重く、だからこそ星獣同士で殺し合うというアンフェアな戦いはしたくないとする。

通常の戦隊ならばそれは「甘さ」と断じられてしまうし、下手すると作品の根幹を壊しかねないのだが、本作においてはよりその根幹を強化しているというわけだ。
また、ここでギンガイオーがギンガマン側の意思を拒絶することによって星獣が単なる「戦士に都合よく使われる存在ではない」という厳然たるルールを改めて強調している。
前代未聞の展開であるが作品のスタンスとしてはこれ以上なく「正しい」、すなわち「逃げ」でもなければ「怒り」でもない、純粋に「同胞を手にかけたくない」という“心の叫び”だ。
この時点で、ギンガマンという物語が「力や技」ではなく「考え方=脳のOS」を一番大事にして動いていることが画面の運動として示される。

「説得こそが戦い」──声をかける、想いを届ける、心を取り戻す

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リョウマたち銀河戦士は鋼星獣である彼らを「敵」ではなく「共に戦う仲間」と見做している、特にヒュウガの次のセリフが印象的だ。

「星獣は星から生まれる、星を守るために。そして何千年もの間には死んでいった星獣も沢山いる。でもそんな星獣たちの心は死なない、きっと生きてる。そう信じて、星を守る全ての心を1つにして平和を願うのが星祭りなんだ」

ここで改めて星祭りを行う目的が示され、単なる「お祭り」「催し物」ではなく「神聖なる儀式」としての側面があることを示しており、だからこそリョウマたちの説得が単なる綺麗事や理想論ではない。
前回も述べたことだが、第一章からここまでギンガマンたちは一番「考え方=脳のOS」を大事にして戦ってきたし、それが実際の行動としても示されているからこそできる選択肢なのだ。
説得して救い出す」、これは黒騎士ブルブラックの時もそうだったのだが、ギンガマンが1つ1つの命に対して真摯に、そして謙虚に誠実に向き合ってきたからこそできることである。

そしてここで生きてくるのが、前回出てきた「戦士の誓い」であることも忘れてはならない。

『戦士とは、日々においても戦いにおいても、心に平和を忘れず、持てる力全てを惜しまず、諦めず振り返らず、また仲間を信じ、苦難と悲しみは受け入れる。全ては「星を守る」ために』

この誓いを体現するように戦うわけだが、ここで大事なのは「苦難と悲しみは受け入れる」とあるが、これは単なる「諦め」ではなく「覚悟」であり、覚悟を決めて自分たちができる全力を尽くすのだ。
そこには一切の“上から目線”もなければ、暴力による解決という安直な方法論もなく、そんなものでは語れない「お前たちにも帰る場所がある」という無償の言葉と行動そのものである。
星を守るために共に戦う仲間であることに変わりはない、正に「戦わずして戦う」という孫子の兵法のギンガマン的再現でもあるようだし、これまで作品が積み重ねてきた哲学的倫理観の集約とも言えるのだ。
だからどれだけギガライノスたちが攻撃してきてもリョウマたちからは決して拳を向けたりなどしない、それをしてしまえば彼らのやっていることはたちまちバルバンやビズネラと同じことになるからである。

「ここであの子を見捨てれば!どう戦おうと、それはバルバンと同じだ!」

第十九章「復讐の騎士」でギンガレッド/リョウマが黒騎士ブルブラックに向けた魂の説得なのだが、それと同じことを今度は形を変えて鋼星獣たちに対してもしてみせるというわけだ。
だからギンガマンには「ドラマ」はあるし「ヒューマニズム」「アニミズム」が根底にあるのだが、それが単なる空虚な絵空事に終わっておらず「ヒーロー哲学」に昇華されている。
単に強いだけでもダメだし優しい心だけがあってもダメ、「強さ」と「優しさ」の2つがバランスよく合わさってこそギンガマンは歴代の中でも上位6%の最強ヒーローなのだ。
昭和の最強ヒーローが電撃戦隊チェンジマンならば、平成の最強ヒーローは星獣戦隊ギンガマンであるというのが文芸面とアクションの双方から感じられることだろう。

そんなリョウマ達の純粋なる想いに応えるように、ギガライノスとギガフェニックスの中に眠っていた「かつての記憶」が揺れ動き、ついに変化が起こる。

善悪の“モーフィング”が生む、圧倒的ビジュアルとカタルシス

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私がもう何千回・何万回と見てきた伝説のモーフィングのシーンだが、その瞬間は本能に衝撃的であり、ギガライノスとギガフェニックスが悪の姿から「善のデザイン」へとモーフィングしていく
敵から味方へ、兵器から仲間へ……このモーフィングは歴代でもありそうで中々ないものであり、ただのデザインチェンジではなく銀星獣と同じ「大転生=滅びよ、そして甦れ」なのだ。
わかりやすく言えば「命の復権=魂の帰還」、すなわち「バルバンの操り人形」から「星を守る血肉の通った存在」であり、これまで生命の「残酷さ」を描いてきたからこそ「美しさ」が映えるのだ。
物語的に成立しているかとう観点から見ると、確かにもう少し何らかの仕掛けは欲しかったところだが、ここで大事なのは第七章以来の「星獣の生命」が画面の運動として示されていることである。

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熱い血流れぬ鋼のマシンだった鋼星獣が冷たいメカの外装から徐々に輝きを帯び、表情すら変わるように印象が一変していく様子は心が戻ってきたという視覚的な説得力に満ちている。
子供向けとしても素晴らしいし、それを文芸的な側面から踏み込めるようになった大人であればより深い段階で「戦うこと」と「心を取り戻すこと」が勝利に繋がるのだ。
「ギンガマン」の徹底して素晴らしいところはこのように力と心、論理性と感性、人と獣という相反する要素が非常に均衡度と解像度の高いところでリンクしていることにある。
しかもこの変化に呼応するようにギガバイタスも後方支援に参加し、「改心」というよりは「輪廻転生」した存在としてギンガマンと共闘することになるのだ。

だからこそ巨大船が単なる敵を倒すだけのノルマ消化に留まることなく、「自分の意思で星を守るために戦う」という「意味のある戦闘」へと昇華されている。
しかも必殺技のギガンティスバスターとギガニックブーメランをそれぞれ放つところで、それぞれにギガライノスが赤いサイ、ギガフェニックスが青い不死鳥のモチーフが浮かぶ。
この着ぐるみとCGを組み合わせる映像演出もまた素晴らしく、「機械の体」ではありながらも同時に「星獣」という事実を示しているのが見事である。
これがあるからこそ、ギンガマンという作品が描く巨大戦はややパワーバランスは歪になるものの質が高まり、次の段階へと踏み込もうとしているのだ。

4クール目に入ると、魔獣ダイタニクスが復活することでより壮大な聖戦へ発展していくわけだが、その前段階として絶妙に盛り上げてきた。
本作は決して巨大戦やメカニックが売りの作品ではないにも関わらず、要所要所での巨大戦の山場は非常にうまく盛り上げているのも素晴らしい。

星祭りへ──日常が戻るということ、それ自体が勝利

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最終的にビズネラの作戦は失敗に終わり、バットバスが面倒を見ることになったわけだが、鋼星獣は無事にギンガマンの仲間入りを果たして「星祭り」を迎える。
星獣達が全て揃っている絵は見事な壮観ぶりなのだが、同時にここで示されているのは「日常への帰還」という描写それ自体である。
一見地味なようでいて、実はここもきちんと示してきた要素であり、第三章でリョウマは星獣達に自分たちの戦いの目的をこう宣言していた。

「俺たちは必ずこの星を守る!そして平和になった地上に、ギンガの森を戻すよ」

そう、ギンガマンは決して「星を守る」ことが全てとは言っておらず、「平和になった地上にギンガの森を戻す」という「戦いのその先」を見ているのだ。

今回のこれもまた同じことであり、「命を奪われ兵器とされた存在を説得によって救い出す」→「その命たちと共に平和を祝う」というのがとても本作らしい。
この流れはは単純に「戦って勝つ」よりも「命の意味を取り戻し、それを祝える場所を守る」ことこそがギンガマンにとっての「勝利」であることを示している。
要するに「ただ戦って勝って終わり」ではなく「気持ちのいい勝ち方」「ヒーローとは守るべきものを守ってこそ勝ちである」ということが本作の根底にあるのだ。
そこを忘れて仕舞えば、それこそギンガマンは単なる戦闘民族でしかないし、1998年の作品としてこれまで積み上げてきた戦隊の集大成であることの意味もない。

祝いの咆哮を上げる星獣達、戦士の誓いを改めて言葉にし、空を見上げて共に平和を祈るというこの回には単なるハッピーエンドを超えたカタルシスがある。
しかも青山勇太くんまでもが戦士の誓いを口にしているのも素晴らしく、勇太もきちんと星を守る一員として描かれているのが何よりも素晴らしい。
ヒーローのヒーローたる所以、理想をここまでストレートに描いた作品は中々ないが、だからこそストレートに視聴者に響くのではないだろうか。

総評

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今回はただの新ロボ追加という単純な販促回でもなければただ熱い巨大戦だけの回でもなく、「かつて悪だった星獣が善の心を取り戻す」という名作回である。
それは第一章から一貫して「考え方=脳のOS」を設定し、単に敵と戦って勝つだけの暴力的な作品にしていないことを繰り返し描いてきたからこそだ。
説得、信頼、拒否、転生などどれもが「力」「技」ではなく「心」から生まれており、そこには一切の「嘘」も「忖度」もないからこそ見るものの心に響く。
鋼星獣という劇薬・異物をしっかり作品の世界観・物語の中に落とし込み、見事に作品としての裾野を広げることに成功した。

総合評価はA(名作)100点満点中90点

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