Cygamesが開発・運営を手掛ける育成シミュレーション『ウマ娘プリティーダービー』が、2025年12月に開催された「The Game Awards 2025」にてBest Mobile Gameに選ばれました。
本作は2025年6月に英語版もリリースされ、Steam版では今も多くのユーザーが遊んでいることもデータに出ています。日本の競走馬をテーマにしたゲームがここまでグローバルに評価されていることは嬉しいことで、ゲームのファンはもちろん、競馬および競走馬のファンも歓迎しているのではないかと思います。
日本では競馬をテーマにしたゲームが多く、その中のひとつ『ダービースタリオン(ダビスタ)』は任天堂の「ファミコン年表」にも紹介されています。同シリーズは現在もモバイル向け作品『ダービースタリオン マスターズ』がリリースされています。
そして奇しくも2026年は午年。そこで弊誌では今回、初期の『ダビスタ』や、『ウィザードリィ外伝』シリーズなど、多くの作品に携わった元アスキーの金田剛氏へのインタビューを実施。『ダビスタ』をはじめ、多くのゲームに関わってきた同氏から、さまざまなお話を伺いました!
アスキー側から見た『ダビスタ』
――本日はよろしくお願いします。早速ですが、金田さんが関わってきた『ダビスタ』についてのお話をお願いします。
金田剛氏(以下、金田氏):僕がアスキーに入社した当時は、あまり社内でゲームの社内開発はやっていなかったんです。それでもファミコンゲームの内部開発を行っている部署が小規模ながらあったんですが、始め僕が配属されたのはPC向けの部門でしたね。
そこはPCゲームの開発よりも、どちらかと言うと出版社としての側面が強く、マニュアルの作成などの編集業務を中心にやっていました。
しかも、基本的に当時のタイトルはプログラマーがゲーム誌でいうライターのような扱いで。権利なども開発者側にあるという感じでした。プログラマーとして、ゲームを作るために入ったはずなのに、(一般的なゲーム会社の様子とは違っていて)面食らいましたね。
薗部さん(薗部博之氏、『ダビスタ』の生みの親)もアルバイトで入って、プログラムなどの腕を見込まれて社員になったんです。薗部さんはその後アスキーを辞めたんですが、それでも社内に席があって、そこでゲームを作っている状態でした。僕も最初、薗部さんは社員だと思っていたら違っていたという(笑)
アスキーとしては、そういった出来事のしばらく後に、当時データイーストの営業として勤めた後にアスキーへとやってきた吉田氏からの進言もあり、「ちゃんと内部でゲームを作れる体制にしよう!」となりました。それがだいたい40年くらい前、1986年ごろの出来事ですね。
僕が最初に携わったゲームはPC-88の『バランス・オブ・パワー』で、コンシューマーだとゲームボーイの『石道』ですね。他にも『ウィザードリィ』シリーズやSFC『スピンディジー・ワールド』などに関わって、その後開発部長となった後のタイミングで『ダビスタ』シリーズに携わりましたね。
『ダビスタ』の話で言うと、まず薗部さんが1人で『ベストプレープロ野球』を作ったことに遡ります。グラフィックや音楽もすべて薗部さんが作っていて、ファミコンで『ダビスタ』を出す際も基本的に1人で作っていたんですが、音楽だけは松前真奈美さん(『ロックマン』など多数)が担当することになり、これはアスキー側で手配しました。
『ベストプレープロ野球』もそうなんですが、題材として『ダビスタ』が売れるのかというのは、初代当時に社内でも不安視されていました。でも競馬好きの営業が頑張ったのもあると思いますが、結果としてものすごく売れたんです。そこから『ダビスタ』は僕らを含め、アスキー側で開発をサポートすることになりました。
とくに、当時出すことが決まったばかりの『ダビスタ』のスーパーファミコン版では、薗部さんがファミコン版同様に一人で作るのはスケジュールを含めて難しいというところも大きかったですね。スーパーファミコンだとグラフィック等も含めて開発規模が大幅に上がってしまい大変だろうと。実際、スーパーファミコン版以降だと作曲以外(BGM打ち込みはアスキー内部)は内製でチームを作って取り掛かっていますね。
そう考えると、MSXやファミコンの時代はいまでいうインディーゲーム的にプログラマーがかなり自由にゲームを作っていた時代でもあると思います。モバイルの出始めの時期もですが、やはりプラットフォームが変わった時期などはそういった傾向が強くなるのかなと思います。
いまではGame*Sparkさんと一緒に出している『ウィザードリィ外伝 五つの試練』も元々はそんな感じですね。最初は徳永剛さんが一人で自由に作っていて、2006年当時パブリッシングに困って僕のところに持ち込んできて、そこからアスキー同期の伝手をたどってIRI-CTへ…という。それが巡って今の状況に繋がっています。
――スーパーファミコンの『ダビスタ』は色々な進化がありました。
金田氏:『ダビスタ』では初代から種牡馬は実名ですが、他はすべて仮名でした。薗部さんとしてはできれば実名でやりたかったと記憶してますが、実名に関しては最初に作った『ベストプレープロ野球』シリーズに関してもそれなりに大変でした(笑)
『ダビスタ』に話を戻すと、実名を使うために最初にJRAに話を持っていきました。ただJRAはOKだったんですが、当然馬主にも交渉してくれと。馬主の中にも色々な返答があり、中には「自由に使っていいけどそちら側で能力値として評価をしないで欲しい」という話もありました。
そういう面を含めてかなり難航したんですが、競走馬に関しては当時『ダビスタ』で遊んでくれていた騎手の方が「業界のためになる」と口添えをしてくれました。そうして色々な交渉は進んでいたんですが、馬主のほか思いもよらぬところが関係する商標権利を所有していたりで本当に大変だった記憶があります(笑)
※『ダビスタ』ではSFC三作目『ダービースタリオン96』から騎手と競走馬が実名になっています。
――その意味でのちにサイゲームスが『ウマ娘』で実名馬をフィーチャーした展開は驚くべきものだったんですね。
金田氏:僕としては最初これ本当に実現できるのかとびっくりしました。普通に馬を出すだけでも大変なのに、女の子にして走らせるなんて絶対に色々なところで大変だろうなと(笑)
それが実際に成立して盛り上がっているのは本当に尊敬しますね。
――いまでは『ウマ娘』を通じて実際の馬の名前を覚えた!という人も多いですね。自分なんかも『ダビスタ』で色々な馬や知識を学んだので、ゲームの影響は大きいんだと思います。
金田氏:当時に『ダビスタ』を遊んだ人から「お小遣いを全部注ぎ込んで買いました!」というお話をいただくこともありますね。ゲームとしては決して安いものではなかった(スーパーファミコン版は定価12,800円)だったので、問屋を説得するために初心会(当時あったおもちゃやゲーム関連の問屋組織)向けの発表会を頑張ったりもしましたね。旅館でやってみたり、価格をそこで発表してみたりとか。
ですが、蓋を開けたら100万本近く売れました。当時はROMとかも高かったので、手残りは3割ぐらいだったとは記憶していますけどね。
――スーパーファミコンの『ダビスタ』は毎年出していたので、開発はかなり苦労していたのではないかと思います。
金田氏:発売ギリギリの頃は開発チームで泊まり込んでたこともありますね(笑)。そこまでやって発売記念のボーナスが500円、なんてこともありましたけど(笑)
チーム制になったとはいえ、薗部さんが全体のイメージの統括をし基本的な部分を作りながら、手の足りない部分を開発でサポートする体制だったので、薗部さんのイメージする仕上がりのイメージと、実際の仕様の違いなどで作り直すことも多かったです。
そうなると発売時期も不明になってしまうんですが、予定通り発売するためスケジュールなんかも事前に考えなくてはならないので本当に大変でした。経営側からの売り上げへの期待のプレッシャーも強かったので…(笑)なので基本的には1年ごとに出さないと、なんて状況だったんです。実際にはちょっとした裏技的なやり方をして少し大目に時間を確保したりした年もありましたね。『ダビスタ』以外ではむしろ僕のほうがプレッシャーを開発に掛ける側なんですが(笑)
スーパーファミコン時代、僕は基本的にディレクションメインだったんですが、間に合わなさそうになってプログラマーとして参加もしていました(笑)『ダビスタII』のOPやEDシーンなどは確か自分ですね。
――当時『ダビスタ』ファンや競馬ファンからどのようなハガキや手紙が来ましたか?
金田氏:ハガキの切手代もあってか、来た数自体は売れた本数に対しては多くはなかったのですが、『ダビスタ』で印象的なのは、ものすごい密度の手紙があったのが印象的です。そういう手紙って自分なりの配合や理論などもすごく細かく書かれていて熱量を感じましたね(笑)
プレイヤーの熱量という話では、スーパーファミコン版にあった「ブリーダーズカップ(育てた馬をパスワードで参加させる対戦レース)」も思い出深いです。薗部さんはシミュレーションゲームを作る時に、作り手としてあまりゲームとしての上限を作らないんです。
その結果として、プレイヤーが応募するブリーダーズカップのイベントを開催したときには、開発側で想定していた能力の範囲を突破するような馬が出てきたのが面白かったですね。
――シリーズが進むごとに配合などの新機能も追加されていきますが、続編を作る際にどのような話し合いなどがあったのでしょうか?
金田氏:競馬好きなスタッフも多かったので、薗部さんと和気藹々とアイデア出しで盛り上がっていましたね。薗部さんははっきりと物を言うタイプの人で、いったんできた部分もきちんとチェックして各部を作り直すことも多かったですね。
特にUIに関しては厳しく、“快適に動ける”ことを考えていた人なので、今みても当時の『ダビスタ』のゲームのテンポに関しては素晴らしいと思います。薗部さんが何度も作り直して、こだわり抜いた結果だと思いますよ。作り直しができる余裕がまだあったのも幸いでした。
――ファミコンやスーパーファミコンでの『ダビスタ』って、当時ネットなどもない時代に有名な配合や攻略も広まっていました。
金田氏:『ダビスタ』はとくにSFCあたりからどんどん盛り上がっていったこともあり、当時は攻略本なんかもありましたね。
インターネットがない当時でもパスワードでブリーダーズカップが盛り上がったり、ゲームとして色々な試みや進化はあったと思いますね。
――ちなみに金田さんは『ダビスタ』で名前付きで登場していますよね。借金を貸し付けてくれる役として(笑)
金田氏:あれは確かに僕ですね。なんか勝手に使われました。最初に見たときに、開発中だけのサンプルの名前かなとそのままにしておいたら、最後までそのままでした。『ダビスタ』では金貸しの金田です(笑)
金田さんは「つりコン」にも大きく関わっていた!?
――『ダビスタ』以外に金田さんがアスキー時代に関わったゲームの話も詳しく教えてください。
金田氏:印象に残ったもので言えばやっぱり『ウィザードリィ』になると思います。ただ、僕は入って4年ぐらいの早い段階で部長になったことで、そこからはあまり細かくゲームに関われなくなったんです。
ただ、その中でも例外的に深く関わっていたのが、釣りのゲームですね。当時の友人に元カスタム(『スタープラチナ』等で知られた美少女ゲームメーカー)で『メタルオレンジ』や『CARAT』の企画をやっていた長野敦也さんという、ものすごい釣り好きの方がいて、彼が「釣りのゲームを作れば売れますよ!」とアピールしてくれたんですね。僕は当時そんな釣りに興味無かったんだけど、強引に連れられて釣りさせられたりして(笑)
でも、彼はゲームを見る目は確かで、その情熱に感化されて生まれたのが『バスランディング』でした。当時はアスキーでそういったジャンルを担当できる開発チームもなかったので、トーセさんに開発をお願いして、僕はディレクションを担当しました。
『バスランディング』は専用コントローラーの「つりコン」も作って、ゲーム本体だけでなくこれも結構売れましたね。
――つりコンの開発にも関わったんですか!?
金田氏:そうですね。つりコンは僕が最初「リール型のコントローラーを作ったら面白いんじゃないの?」ぐらいの解像度で意見を出したら、件の釣り好きの長野さんが「それをやるならリール部分の重さがないとだめだろ!重みがなければ釣りじゃない!」とか色々な意見を出してくれたので、とても面白い機能を詰め込んだコントローラーになったと思いますね。
『バスランディング』の時も各種釣具メーカーへの挨拶周りをした記憶がありますね。用具の使用許可はもちろん、ルアーの細かいデータを作ったりしました。湖も地図を取り寄せて計測したり、実際の写真を撮ったりもしました。
――アスキーのゲームは色々な業界への行脚がものすごい重要だったんですね。
金田氏:(笑)
――アスキーって個人的に「プロ集団のゲーム」ってイメージもあるんです。
金田氏:それこそ薗部さんの『ベスプレ』『ダビスタ』や『バスランディング』なんかもそうですけど、作り手のこだわりがあるかどうかは重要だと思います。そのこだわりが出ないゲームは、やはり特徴も出てこないな、と思います。
――ちょっと難しいゲームも多かった印象もあります。
金田氏:それは間違いないね(笑)
信じられない人も多そうですけど、実は僕も『ウィザードリィ』が最初はまったくわからなくて。入社当時、資材管理の仕事もしていたので『ウィザードリィ』のファミコンカセットの修理サポート対応スタッフも一時期やっていたんですよ。
で、修理したカセットが正常に戻ったのか実際に動作確認をはじめてみたら、迷宮に潜るのにパーティーを組まなきゃいけなかったり、訓練所行ったら勝手に組んだはずのパーティが解散していたりで、すごい混乱しました(笑)
『RPGツクール』なんかも最初はどうやったらいいのかわからない、というのも良く聞こえてきた話ですね。
――本日は貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました!
その後はアスキーが当時発売してした『Emmy 2』『サージェント・サンダース・コンバット!』『SMASH TV!(海外で超有名なツインスティックSTG。実は、これの日本向けリリースがアスキー初のスーパーファミコン向けゲーム)』、FC版『ゲイモス』や『忍者らホイ!』などのお話も聞かせていただきました。とても貴重なお話も多かったのですが、ここでは書けないことも多い……!
そしてなかには、発売中止になった幻のファミコンゲーム『ダンジョン放浪記』の話も…!!実はほぼ完成状態にあったのだとか。読者の皆さまからの反響次第では、そちらに改めてフォーカスした記事をお届けすることもできるかも……。コメント欄にもご意見ご感想など頂けると幸いです。
なお、『Emmy 2』の担当でもあった、のちにFC版『ウィザードリィ』やGB『ウィザードリィ外伝』初代のディレクターで知られる三田 浩(みた ひろし)氏の現況や連絡先について、弊誌や『ウィザードリィ外伝 五つの試練』開発では情報を募集しております。心当たりのある方は、Game*Spark編集部へのお問い合わせフォームなどで教えてくだされば幸いです。
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