哈爾濱で食べた10 - 回頭――また戻りたくなる街
哈爾濱滞在も、残すところあと五時間ほど。
夕食を前にして胃袋を完全に空っぽにするのは難しそうだが、せめてもの腹ごなしはしておきたい。
そう考えた我々は、またも松花江公園へ向かった。
この日も空は高く、哈爾濱らしい澄んだ青空が広がっている。その青空を、ツバメ型の凧が風を切って舞い上がる。ここ数日でコツを掴んだ我が子は、凧糸を握る手にも迷いがなく、安定した手つきで凧を上げていた。
祝日の公園は賑やかで、あちこちに伝統遊戯の輪ができていた。羽根つきに似た毽子(jiànzi)を蹴り合う人たち。金属の輪を棒で操りながら走る滚铁环(gǔn tiěhuán)の達人。木や金属のコマを、ムチで叩いて回し続ける抽陀螺(chōu tuóluó)の一団もいる。
いずれも、こちらの想像する「昔遊び」を軽く超えている。カメラを向けるのは控えたが、ほとんど曲芸と呼びたくなる腕前で、我が子も口を開けて見入っていた。
「そうだ、ママがまだ乗っていなかったよ」と我が子が思い出し、三人でロープウェーに乗って松花江を渡ることにした。ところがこの日は、二日前とは打って変わっての大混雑。祝日らしく、乗り場には長い列ができていた。
そして、こういう場所には必ず現れるのが、割り込みである。
昔に比べればずいぶん減ったとは思うが、地方の行楽地ではまだまだ健在。自分の目の前に割り込まれそうになったなら、さっと位置を詰めて未然にブロックし、必要なら一言二言は添える。しかし、はるか前方でそれをやられてしまうと、こちらにはもう打つ手がない。
もっとも、そうした行為に対して、白い眼を向ける人が増えたのは確かだ。ゆっくりとした変化だが、悪くない。とはいえ、全員が品行方正になることを期待するには、中国はあまりにも広く、人口も多い。
一方、我が子はそこまで達観できず、プリプリ。自分の前に、同年代の子どもを連れた一家が割り込もうとした瞬間、さっと一歩前に出て、全身で進路をブロックしていた。必死だが、なかなか見事なディフェンスである。
いいぞ、それでいい。そうやって現場対応力を身につけていくのも、大事な経験だ。そのうち、感情を乱さずにできるようになる。
そんな我が子も、いざロープウェーに乗り込めばすっかり上機嫌。眼下に広がる松花江の川面はゆったりとしていて、その穏やかさが、こちらの気分にも伝染してきたようだった。そして、その気持ちに寄り添うかのように、空の半分を覆っていた厚い雲が徐々に晴れていった。
対岸の太陽島公園に降り立つと、ちょうど二人漕ぎのレンタル自転車を見つけた。 「これぞ今の我々に必要なもの!」と、ほとんど反射的に飛び乗る。
前後を交代しながらペダルをこぎ、島内をあちこち周る。観光というより、完全に腹ごなし目的だが、これでいいのだ。
帰りは通船で松花江を戻った。
哈爾濱には、東北虎のいるサファリパークなど、ほかにも見どころはあったらしい。だが、我が子が特に興味を示さなかったこともあり、我々は結局、三泊四日、ほぼ松花江に張り付き続けることになった(笑)。
それでも不思議と飽きなかったのは、広々とした川面と高い空が、僕らの心を洗ってくれたからだろう。
さて、いよいよ最後の食事である。
哈爾濱で食べた8 - 旨味一本槍との死闘!救いは澆汁魚とパンダロボット
その重要な任務を託したのが、六順園だった。
哈爾濱でも実力派として知られる清真レストランである。
これまで中国各地を食べ歩いてきた経験からすると、清真レストランは概して、その土地では旨味ブーストが控えめな傾向がある。前日、老仁義の清真料理にすっかり感動した一方で、ラオソンビンの強烈な旨味ブーストにやられていたこともあり、自然と清真料理に一家の期待が集まったのだった。
店頭で、念のためビールの有無を確認してひと安心。出てきたのは、この旅で何度飲んだかわからない哈啤1900。そして、やっぱり常温だ。初日に老厨家のおばちゃん店員が言っていた「ハルビンに冷やしたビールはない」という軽口は、少なくとも今回の滞在においては事実だった。
まずは、肉絲拌苦菊。炒めた牛肉の細切りに、ピーナッツ、苦菊(エンダイブ)、赤玉ねぎ、赤唐辛子の生と焦がし、人参の細切りを合わせた一皿。いわば、哈爾濱式の牛肉サラダである。例によって、しっかり山盛り。
口当たりはすっきりしている。醤油、黒酢、胡麻油あたりの、いつもの組み合わせだろうが、にんにくが入っていない分、後味が軽い。どの店でもこの系統の和え物はほんのり甘めだったが、ここはその甘さがやや前に出る。ただし、花椒油の刺激が全体をきりっと引き締め、うまく着地している。
いいぞ。序盤は順調だ。
続いて、熘肚片。本来は豚の胃袋を使う料理だが、清真料理なので当然、豚は使えない。ここでは牛の第一胃(ミノ)を用い、人参の菱形薄切り、ピーマン、赤玉ねぎを合わせている。
これを頼んだ理由は二つ。一つは、北京や東北など、山東由来の料理体系で頻繁に使われる「熘」という技法を、ここで改めて試してみたかったこと。もう一つは、清真レストランのモツに外れはない、という信頼感だ。
結果は期待通り。下処理が行き届いた肚片は、歯切れがよく、噛むときに軽い音が立つほど。とろみの付け方も味付けも的確で、何の引っかかりもない。中国北方のモツ炒めに、外れなし。その確信を、また一つ積み重ねた。
そして、哈爾濱名物の小吃、回頭。この旅で、どうしても食べておきたかった一品だ。ネットでも「この店に来たら必食」との声が多かった。
回頭とは、簡単に言うなら、棒餃子だ。端が折りたたまれた、きれいな直方体。全面に焼き色が入り、見るからに食欲をそそる。
北京の褡裢火烧と形や作りは近いが、両者の関係や系譜はよくわからない。ただ、明確な違いは、回頭は牛肉餡、褡裢火烧は豚・牛・羊と幅がある。
回頭はもともと瀋陽の小吃で、哈爾濱にいつ伝わったのかは定かではない。ただ、1930年代にはすでに食べられていた記録があるようだ。移民都市・哈爾濱の成り立ちを思えば、20世紀初頭に人とともに入ってきたと考えるのが自然だろう。
さて、熱々を頂こう。こんがりと金色に焼けた皮は、さくりと香ばしく、もっちりとした食べ応えもある。餡は、赤玉ねぎのみじん切りと、細かめに挽いた牛肉。玉ねぎたっぷりなので結着は弱めで、噛むとハラリとほどける。この食感は、老仁義の蒸し餃子にも通じるものがあった。
香りが立ちながらも重さがない。食べ終えたあとも香りが口の中に残り、自然と、もう一つ手が伸びる。なるほど、「回頭」とはよく言ったものだ。「食べ終えて店を出た客がもう一度振り返る(回頭)ほど美味しい」というのが、この名前の由来らしい。
きりりとした味付けが、ビールを呼ぶ。いや、呼びすぎる。
でも、ここまで来て、遠慮はしない。旅での我慢は、投げ捨てるものだ。というわけで、さらに主食を。
韭菜盒子。一家そろっての大好物で、韭菜と卵を詰めた定番の焼き物だ。こちらも塩味がきっぱりと立ち、余計な甘さはない。香りがよく、皮はかりっと仕上がっている。
「これ、いままで食べた中で一番かも」と連れ。
我が子はもちろん、「きゅうきょく!」だった(笑)。
こうして、最後の食事に賭けた期待はきれいに回収された。
満腹で、安堵で、もうこれ以上は入らない。下を向くのもつらくなり、ふらふらと空港へ向かう。帰りのフライトは爆睡。気がつけば、あっという間に上海だった。
哈爾濱旅行の最後に食べた名物料理が回頭だったのは、ある意味、この旅の満足度を象徴していたのかもしれない。
すなわち——
「哈爾濱を離れたあと、すぐ戻りたくなる(回頭)ほど美味しかった」
最後に、今回の旅を振り返ろう。
今回の旅で掲げていた「東北料理の解像度を上げる」という目的は、十分に果たせたと思う。哈爾濱ならではの料理をいくつも知り、上海で食べてきた東北料理とは、明確に一線を画す美味しさがあることも分かった。
それは、塩気を立てた硬派な味付け。酒を進めるためにあるかのような、きりりとした設計。
そして、素材の良さ。蘸酱菜に盛られた生野菜の瑞々しさや、殺猪菜に入っていた血腸の艶やかさは、今もはっきりと思い出せる。
何より、圧倒的なボリューム。「量も味のうち」という言葉を、これほど実感した旅は久しぶりだった。美味しいものをたらふく食べ、満腹になる。その幸福を、最後まで味わい続けた。
僕と連れはもちろん、九歳の我が子にも、哈爾濱の東北料理は深い印象を残したようだ。「もっと食べてみたいね」という言葉が、自然と出た。
この七か月後、その言葉は、遼寧省・大連への旅へとつながっていく。
僕と連れが四半世紀にわたり、各地を訪ね、さまざまな根を伸ばして育ててきた体内の「中華料理の木」。
その木の芽が、我が子の中にも、どうやら芽吹き始めているようである。
追伸:
お土産に買った大列巴は、口の中の水分を根こそぎ持っていくようなパッサパサぶりで、「ああ、君は保存食だったんだよね……」という感想しか出てきませんでした(笑)。
今日菜単(今日のメニュー)
肉丝拌苦菊(ròusī bàn kǔjú)
熘肚片(liū dùpiàn)
回头(huítóu)
韭菜盒子(jiǔcài hézi)
哈尔滨啤酒1900(Hā’ěrbīn píjiǔ 1900)
店鋪信息(店舗情報)
清真六顺园回族饭店(工程街店)
住所:黑龙江省哈尔滨市工程街8号(哈尔滨友谊宫对面)(Baidu Map)
温馨提示(アドバイス)
注文時に「不要放味精和鸡精(化調も鶏がらスープの素も入れないで)」とお願いしている。
<時期:2025年5月/公開:2026年2月>
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中国最北の省・黒竜江省ハルビンへ。目的は「東北料理の解像度を上げる」こと。ハルビンならではの食を追い求めた三泊四日です。
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