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遠江射場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
遠江射場
掛川市に残る砲座。ここから東(画面右奥)へ発射した。
2026年1月撮影。
種類射場
所在地静岡県掛川市御前崎市
座標
面積約984ヘクタール
建設1938年から

遠江射場(とおとうみしゃじょう[1])は、静岡県遠州灘沿岸にあった日本陸軍の射場である。遠州大砂丘のうち、現在の掛川市から御前崎市までの海沿いに広がっていた[2]。砲と砲弾の性能をテストするため、射場の西の端である旧大東町浜野から東に向かって試射を行っていた[3]。東西長は約16キロメートル、面積は約984ヘクタール[4]

歴史

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射場の中心的な施設が集まっていた旧三浜村竜今寺川のあたりから、現在の浜岡原子力発電所を超えて旧白羽村まで[5]の土地が、1938年、1940年、1942年の三回にわたって接収された[6]。射場員はおよそ1000名で、在郷軍人を主体とした農民であった[7]。常駐した軍人は陸軍中尉の保坂栄一のみであり、東京の造兵廠から派遣されていた[8]。目的は軍事演習ではなく、砲や砲弾の威力を調べることであった[9]

1945年の敗戦後、遠江射場には米軍が半年駐屯し、兵器を搬出した[10]。そして射場は1946年に閉鎖され、地元の農民や引揚者によって開拓されることとなった[11]。戦後、土の中からは大量の弾が見つかっている[12][13]。その後1952年、遠江射場のあった土地を接収し、米軍の射爆場にする計画が立ち上がった[14]。この接収計画に対して地元住民は反対運動をおこし、計画は撤回された[15][16]

施設

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掛川市浜野には事務所や格納庫、工場や兵舎などが集中している[17]。砲など物資を運び込むための軌道があり、中遠軌道と結ばれていた[18]。砲を発射した場所は「原点砲列」と呼ばれており[19]、司令所跡や、砲座の跡、輸送路と防空壕を兼ねたコンクリートのトンネルなどが残っている[20][21][22]。砂丘の上には五階建てのコンクリートの建物があり、風速塔と呼ばれていた。国道150号線が建設される際に取り壊された[23]。これらのほとんどは私有地の中にある[24]

砲があった浜野に施設が集中しており、周囲は柵で囲まれていた[25]。以東は着弾地であり、柵はなく、陸軍の射場であることをしめす石柱が50メートルおきに建てられた[26]。現在の国道150号線のあたりに機材や人員を運ぶための軌道が敷かれていた[27]。この軌道は戦後、静岡鉄道に払い下げられ、静岡鉄道駿遠線となる[28]

御前崎市に現存する当時の施設「観的所」(2024年12月撮影)

石柱に加えて、着弾地点を確認するためのトーチカが一定の間隔で建てられ、観的所(かんてきじょ[29])と呼ばれていた[30][31]。原点砲列から約8キロメートル離れている[32]、御前崎市に唯一残る観的所はやがて雑木林と竹やぶとゴミに埋もれ、荒廃していったため、市民団体「ふるさとの自然をまもり隊」が2020年11月から草刈りやごみの除去、パネルの設置など、保全活動に取り組んでいる[33][34]

出典

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  1. ^ (青山 2025)
  2. ^ (夏目 2022)
  3. ^ (静岡県戦争遺跡研究会 2009)p.46
  4. ^ (静岡県戦争遺跡研究会 2009)p.46
  5. ^ “観的所、戦争遺産を後世に 御前崎、市民団体が平和願い周辺整備”. 静岡新聞DIGITAL Web (静岡新聞社). (2020年11月26日). https://www.chunichi.co.jp/article/525678 2025年10月3日閲覧。 
  6. ^ (静岡県戦争遺跡研究会 2009)p.46
  7. ^ (静岡県戦争遺跡研究会 2009)p.47
  8. ^ (静岡県戦争遺跡研究会 2009)p.47
  9. ^ (静岡県戦争遺跡研究会 2009)p.47
  10. ^ (静岡県戦争遺跡研究会 2009)p.51
  11. ^ (静岡県戦争遺跡研究会 2009)p.51
  12. ^ (袴田 2020)
  13. ^ 今もなお残る戦争の記憶⑥ 農村の風景に眠る陸軍遠江射場(静岡県掛川市)【戦後79年】”. 静岡新聞DIGITAL. 静岡新聞社 (2024年8月18日). 2025年9月29日閲覧。
  14. ^ (静岡県戦争遺跡研究会 2009)p.51
  15. ^ (青山 2025)
  16. ^ (静岡県戦争遺跡研究会 2009)p.51
  17. ^ (静岡県戦争遺跡研究会 2009)p.47
  18. ^ (静岡県戦争遺跡研究会 2009)p.47
  19. ^ (静岡県戦争遺跡研究会 2009)p.46
  20. ^ (青山 2025)
  21. ^ (静岡県戦争遺跡研究会 2009)pp.49-50
  22. ^ (袴田 2020)
  23. ^ (静岡県戦争遺跡研究会 2009)p.50
  24. ^ (青山 2025)
  25. ^ (静岡県戦争遺跡研究会 2009)p.50
  26. ^ (静岡県戦争遺跡研究会 2009)p.50
  27. ^ (静岡県戦争遺跡研究会 2009)pp.50-51
  28. ^ (静岡県戦争遺跡研究会 2009)pp.50-51
  29. ^ “観的所、戦争遺産を後世に 御前崎、市民団体が平和願い周辺整備”. 静岡新聞DIGITAL Web (静岡新聞社). (2020年11月26日). https://www.chunichi.co.jp/article/525678 2025年10月3日閲覧。 
  30. ^ (夏目 2022)
  31. ^ (静岡県戦争遺跡研究会 2009)p.50
  32. ^ ゴミに囲まれていた「戦争の跡」をボランティア団体が整備 「語り継ぐのが今の人たちの義務」 静岡・御前崎市”. SATVニュース. 静岡朝日テレビ (2021年8月15日). 2025年10月1日閲覧。
  33. ^ 河野貴子 (2020年11月24日). “御前崎の戦跡、ごみだらけ 市民団体「処理に協力を」”. 中日新聞. 中日新聞社. 2025年10月1日閲覧。
  34. ^ 河野貴子 (2021年8月7日). “戦争遺構、平和願う 御前崎の旧陸軍「トーチカ」に説明板”. 中日新聞. 中日新聞社. 2025年10月1日閲覧。

参考文献

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座標: 北緯34度39分23秒 東経138度02分15秒 / 北緯34.65639度 東経138.03750度 / 34.65639; 138.03750