私、声が普通なんです。
声優志望の人たちの前で話をすることがある。体験入学のゲストだったり、1回きりの講師だったり。
そういうとき一番多い質問が、
「私、声が普通なんです。変わった声やいい声じゃなくても、声優になれますか」
というもの。気持ちはわかる。でも、誤解されてるなあとも思う。
声優って、なにも特異な声人間の集団ではない。仕事のことをがっつり書くのは正直気が進まないんだけど(それぞれ主義が違うし、お前が言うな、と思う人もいることでしょう)あまりに繰り返し言われるので、声普通問題について、ちょっと書いてみようと思う。
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私は、声優の仕事をするまで、声を褒められたことは一度もなかった。いい声ですねとか、声優やったらいいよとか言われた経験は、皆無。正直私自身も、自分の声に特別ななにかを感じたことはない。
ただ、同じ業界ではない人に仕事を名乗って「だからいい声なんですね」と言われることは数限りなくある。体感としては8割くらいの人が、その手のことを口にする。なるほど、声優イコールいい声の人、という認識が世間にはとても根強くあるのだなあと、そういうとき思う。
アニメや映画のワンシーンで、心に刺さるセリフがあったとする。するとおそらく、声優という仕事をよく知らない人の多くが、
「グッときた! 声優さんっていい声だからこんなに感動させられるんだ」
というふうな解釈をするのだと思う。
でもその解釈、本当に合っているだろうか。
例えば同じセリフを棒読みで言ったら? いい声なら、それでも心を掴むのか。
そこまでの物語がそもそも感情移入できるものじゃなかったら? いい声さえあれば、ストーリーに気になる部分があっても感動するのか。たぶん、そんなことは起こらない。
素晴らしい物語があり、素晴らしいお芝居があれば、誰かの心の深い部分にタッチできることもあると思う。けれど、そのどちらかが欠けて、代わりに「いい声」が加わったとしたら。「いい声」に、先述の二つの要素を補うだけのアドバンテージが、果たしてあるか。
過去の記憶を辿ってみても「優しい声だなあ」と感じる相手がいるとして、そもそもその人は声質以前に「優しい話し方」をしていたのでは。つまりなにが言いたいかというと、解釈を誤っているだけで「素晴らしいお芝居によって発せられたセリフだから、声もよく思えた」というのが実際のところなんじゃないかな、と思うのだ。
てことはですよ。「素晴らしいお芝居によって発せられたセリフなら、どんな声も魅力的に聞こえる」という現象は、いくらでも起こり得るのかも。普通だと思っていた自分の声を、声質以上に輝かせられる可能性だってあるかも。
「私の声、普通なんです」
と言われるたび、以上のことが頭を巡る。ぜんぜんだいじょぶだよ、でも、そうじゃないところが難しいんだよ、と。
私も日々、奮闘中です。
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