2025年10月18日:パート2
19時過ぎ。成田からハノイ(ベトナム)に向かう飛行機の機中で、パソコンを起動させた。地上1万メートルからのメッセージだ。
目的地までは、まだ5時間以上ある。ベトナム訪問に関する資料を読む前に、落ち着いてブログを更新出来そうだ。
さて、小川前橋市長のラブホ問題に関するブログの続編を記す前に、まず次の2つのことを、改めて申し上げておく。
第1に、(繰り返し言っているように)自分は小川市長のことが嫌いなわけではないし、ご本人に何の恨みもない!!過去のブログでも触れたが、毎回、ラブホに同行していた幹部職員とは、話をしたこともない!!
もっと言うと、小川市長が誕生した後、自らの後援会等の集まりで、小川市長本人の批判や悪口を言った記憶もない!!
先の前橋市長選挙で現職だった山本龍氏の応援に回っていたからと言って、あれだけの市民の民意で誕生した初の女性前橋市長の足を引っ張ろうなどと考えたこともない!!
そもそも、山本一太は(欠点だらけの人間ではあるが)、意地悪な性格ではない!!(笑)
ましてや、(龍ちゃん(前市長)には申し訳ないが)「この機会に乗じて現市長を引きずりおろし、山本前市長を再び市長に戻したい!」などとは、露ほども思っていない!!(キッパリ)そもそも、自分には、そんな力などない!!(笑x2)
実際、この問題が発覚する前は、県都前橋市のトップである小川市長と、対等な立場で真剣に向き合って来たつもりだ!!これまで様々な場所で顔を合わせたが、市長に対して失礼な態度を取ったことなど、ただの一度もない!!ご本人に聞いてもらえば分かる!!
加えて言うと、県と前橋市の今後の連携について、何度か2人で大事な話し合いを持ったが、(山本前市長の時代と同様に)知事である自分のほうから、市長室に足を運んだ。市長が交代した後も、知事として「県と前橋市との連携を重視している」何よりの証拠だ!!
第2に、小川市長のラブホ問題に関しての発言は、県庁の見解ではなく、知事の個人的な意見だ。政治家として「思ったことを発言する」のは当然だし、それに関して、他人から文句をつけられる筋合いはないと考えている!!
もちろん、違う見方をするひともいるだろう。そのことについて、とやかく言うつもりもない!!
ただし、(繰り返し言っているように)政治家 山本一太は、小川市長と、この騒動のもう1人の当事者である幹部職員の「相談のために10回以上、ラブホに行っただけで、特別な関係は無かった!」という説明は、全く信じていない!!
どう考えても、支離滅裂だし、論理的に破綻しているからだ!!
少なくとも、自分の周りの人は、全員が全員、同じ認識を持っている!!大多数の国民も「幾ら何でもウソだろう」と感じている!!それが山本一太の分析だ。
世の中がそう思っているからこそ、メディアの追求は止まらないし、市民の民意に敏感な市議会のほとんどの会派が、市長の説明に対して「納得出来ない!」と言っているのだ。そうでしょう?!
以上、2つのことを断った上で、今回のブログを書き進めたい。
昨年2月、同郷の先輩にあたる角田義一元参院副議長が亡くなった。「強きを挫き、弱きを助ける」熱血派の弁護士だった角田氏は、とても魅力的な人物だった!!
今から30年前、37歳の山本一太が初めて参院選挙に出馬した際、同じ選挙区の現職だった角田義一氏もライバルの1人だった。角田氏とは、その次の選挙でも戦った。野党の中でも人望があったし、かなりの存在感を発揮していた。
群馬県の同じ参院地方区で競い合う関係だったにもかかわらず、懐の深い角田氏は、同郷の後輩である自分に、とても暖かく接してくれた。
特に自分が若手議員の頃は、参院自民党の中で尖りまくっていた「問題児 山本一太」の発言が、内外で頻繁に物議を醸していた。その度に、党内の長老議員から呼び出され、叱られる日々が続いていた。
そんな時、角田先輩が、わざわざ電話をよこして、「あんたの言うことは正しい!負けずに頑張れ!!」と励ましてくれた。スゴく嬉しかったのを憶えている。
義理人情に厚く、正直で真っ直ぐな人柄。ロマンチストで、「上州人」の典型みたいなこのひとが、とても好きだった。党派を超えた「角田票」という個人票を持つ政治家だった。
角田義一氏はその後、政界を引退。政治の第一線を退いてからも、政治活動を続けていた。気がつくと、小川晶県議(当時)の後援会長に就任していた。(もっと前からなのかなあ?)
何度か、角田氏と小川県議(現市長)の話をした憶えがある。「小川県議は選挙も強いし、市民の好感度、高いですよね!」と言うと、嬉しそうな顔で、「いや、これからしっかり育てたいと思っている!」と話していた。
何年か前のこと。その角田氏が弁護団長を務めていた「ある問題」で、対峙することになった。少なくとも2度、知事室でサシの話し合いをやった。本音をぶつけ合ったものの、結局、議論は平行線で終わった。
同郷の先輩である角田氏の要望に応えられなかったのは申し訳なかったが、知事として「どうしても譲れない一線」があった。しばらく言葉を交わした後、角田氏がこう言った。
「まあ、しょうがないな!知事には知事の考えがある。お互い、正々堂々とやって決着をつけようや!!」と。最後はガッチリ握手をして別れた。
老人ホーム(?)に移られた後も、角田氏は、訪ねて来る関係者に、時々、「知事の様子はどうだい?」と聞いていたそうだ。角田先輩も、決して自分のことを嫌いではなかったのだと、勝手に信じている。
そうじゃなかったら、ご本人の葬儀に呼ばれるはずがない!!当日は、葬儀委員長からの依頼を受けて、「弔辞」まで読ませて頂いた。心を込めて、追悼の言葉を送った。
故人を尊敬していたし、それがご親族の意思だと感じたから、前日の夜に(睡眠時間を削って)弔辞の原稿を書いた。こちらからお願いして「読ませてもらった」わけではない!!
昨晩、ふと、こんな思いが、心を過った。
「もし、角田義一先生がご存命だったら、きっと弟子の小川市長に、『本当にすべきこと』をアドバイスしていたはずだ。そうすれば、きっと初動を間違えることはなかった!!その後の展開も随分、今とは違った流れになっていたのではないか?!(ため息)」と。
「知事である自分も、こんなブログを書く必要はなかった気がする!!」とも。
もし今もお元気だったら、角田氏は必ず知事に会いに来て、こうおっしゃったに違いない!!
「知事、いや、一太さん!!本人(小川市長)はもう一度、いちから本気でやり直すつもりだからさあ。まあ、暖かく見てやってくれや!!」と。
その角田義一氏は、政界を引退した後も、地元(?)の秘書を雇っていたらしい。次回のブログでは、その秘書が「知事の発言を封じ込めようと動いていた」件について、解説する!!
気流も安定を取り戻した。少し目をつぶって、休むことにしよう。









