なぜ「キャラクターはことば」なのか? たかくらかずきが飯能の森で試みる、人間とAIを隣り合わせる「儀式」(評:北出栞)

埼玉・ハイパーミュージアム飯能で開催されている、たかくらかずきの個展「キャラクターはことば」をレビュー

たかくらかずき展「キャラクターはことば」会場風景 Photo: Takashi Kawashima

埼玉のハイパーミュージアム飯能で、たかくらかずき展「キャラクターはことば」が3月1日まで開催されている。

会場内には、東洋思想にインスピレーションを受け、たかくらによって生み出された数々のキャラクターが集結し、来場者が実際にプレイすることができるゲーム作品も複数展示。入口には鳥居が設けられ、中央には巨大な立体作品《ハイパーマン》が鎮座して、「ハイパーゼロイチ音頭」と題された音楽が流れるなど、デジタルとリアルが交錯する祝祭的な空間が立ち上がっている。

ここで掲げられている「キャラクターはことば」というフレーズは何を意味するのか。北出栞が本展をレビューする。【Tokyo Art Beat】

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AIと曼荼羅――「記号」的な言語から「象徴」的な言語へ

本展のタイトル「キャラクターはことば」は、一見すると詩的なメタファーにすぎないように思える。しかし、今日の生成AIを支える技術的な仕組みと、たかくらが好んで参照する東洋思想を照らし合わせることで、極めて触発的なフレーズであることが明らかになる。

ゲームAI開発者である三宅陽一郎は、人工知能の発展史において、記号操作と論理推論に基づく「記号主義」的なアプローチと、ニューラルネットワークによる「コネクショニズム」的なアプローチのふたつの潮流があることを指摘している(*2)。

記号主義的なAIが、「Aという記号」と「Bという意味」の厳密な対応によって世界を分割・構造化しようとするのに対し、近年のディープラーニングが採用するニューラルネットワークの構造は、まず膨大なデータが先に与えられており、そこから言葉やイメージ同士の「確率的なつながり」や「意味的な距離(ベクトル)」を計算する。有名な例で言えば、「女王」という言葉は「王 - 男 + 女」のような演算の結果としてとらえられるのだ。

会場風景 Photo: Takashi Kawashima

三宅は、東洋には「物事を区別しないことで知が生まれる」思想が流れているとし、それは「全体」が先に与えられているニューラルネットワーク型の人工知能を開発するうえでもヒントになると述べている。たかくらが神仏や妖怪などの東洋的なモチーフを用いつつ提示するキャラクターのネットワークは、この構造を可視化していると見なすことができる。

たかくらは先の連載で、「記号」と「象徴」というふたつの対極的な言語観を提示している。西洋近代の合理主義を支えた「記号」的な言語が特定の意味と一対一の対応関係にあるのに対し、東洋思想に見られる「象徴」的な言語はひとつの意味と結びつくことなく、複数の意味が重なるネットワークの中を移動し続ける。

宇宙の真理を神仏の配置によって表す「曼荼羅」をはじめ、「Emoji」としてすっかりグローバルな文化になった「絵文字」も、「象徴」的な言語の例と言えるだろう。たとえば「😂」という絵文字は、文脈によって「泣くほど嬉しい」という意味にも取れるし、「悲しすぎて、もはや笑うしかない」という意味にも取れる。「記号」的な言語観では「嬉しい」と「悲しい」のあいだに消えてしまう曖昧なグラデーションのなかを、この絵文字は揺れ動いているのだ。たかくらの述べる「キャラクター」とは、このような文脈において「ことば」なのである。

会場風景 Photo: Takashi Kawashima
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