年末を迎え、ニュージーランドはコロナウイルスの国内感染例が現在のところ皆無。経済もクイーンズタウンのように国際観光だけが頼りの街を除けばリセッションを脱しつつあると報道されている。「人命優先か経済優先か」という愚かな問題の立て方とは最初から無縁だった政府の功績は大きい。
Takashi Shogimen 将基面貴巳
Takashi Shogimen 将基面貴巳
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Takashi Shogimen 将基面貴巳
@TakashiShogimen
Historian of Political Thought.
最新刊:『反逆罪 近代国家成立の裏面史』(岩波新書、2024)
NEW: Rethinking Medieval and Renaissance Political Thought (Routledge, 2023)
Dunedin, New Zealand
Takashi Shogimen 将基面貴巳’s posts
イギリスでは「ニュージーランドに宣戦布告してすぐに降伏しよう」という運動が起こっているとか。その目的は、降伏国は戦勝国によって支配される慣例に従いアダーン首相にイギリスのコロナ危機対策をまかせたいということ。
今回のニュージーランド総選挙の投票率は82.5%だった。従来は75%くらいだったから今回は有権者の関心が高かったこと、そして民主主義が機能していることを端的に示している。
ある無名の研究者の論文に目を通してみたら、わずか14頁の小品なのに溜息が出るほど素晴らしいものだった。なぜこの研究者の名が知られていないのかと調べたところ、わずか33歳で夭折していた。
死去したエリザベス2世の父親ジョージ6世の国葬が執り行われたのは、死後20日。ダイアナやエジンバラ公の場合、死後1週間前後、おそらく今月中に女王の国葬が行われるのは間違いない。ならば、民意も合法性も無視して政府が強行しつつある安倍元首相の国葬は外交的意義の点でもいよいよ霞んでくる。
「適切ではなかったのかなと思う」。 「適切」ではないどころではない。ただ単に愚劣だ。来週のCOP26で何が論じられるのか、わかっているのか。ちなみに「適切ではなかったのかな」と「かな」がついているあたり、適切ではなかったかどうか判断すらできないらしい。asahi.com/articles/ASPBV #岸田政権
コロナのせいにして済む問題ではない。弱者救済を率先したり財団などを通じて文化活動を支援したりするなどして、莫大な富を社会に還元する努力があまりにも少なすぎる。超富裕層には自分の企業体だけでなく公共の福祉を増進する社会的責任がある。
news.yahoo.co.jp/articles/7795e
「国の介入が嫌なら国から金をもらうな」という初歩的な誤解が多い。大学は、学問的真理の追求を通じて市民社会(政府ではない)に貢献する存在。特別に裕福な大学を除き、欧米の大学も国家からの財政支援で運営されるが、学問の自由を守ることで自由な研究の促進を図るのが共通了解となっている。
現下のコロナ危機はあらゆる国家や公的機関、制度的システム、指導者たちの資質などを全てテストし審判を下すという極めて稀な機会となっている。危機にあって優れた指導者であることを実証しつつあるのが独のメルケル首相、台湾の蔡英文総統、NZのアダーン首相と、いずれも女性だというのが興味深い。
いつから「反社会的」という言葉は暴力団の形容句に矮小化されてしまったのだろう。「反社会的」とは、元来、市民社会の共通善に反することを意味し、いわゆるブラック企業は勿論、市民社会に不可欠な価値を破壊する政治権力、そしてそうした動きを扇動するメディアも「反社会的」なはず。
実際に見聞する限り、英語圏の大学では学問の自由が内部から侵食されている。学問の自由には、学者個人が研究教育活動を行う自由、大学の制度的自治(国家からの干渉を排除)、大学の運営における学者の自治権の三つの意味があるが第三の意味の学問の自由が脅かされている。敵は大学の内部にいる(続)
人文社会科学への攻撃。オーストラリア、パースのウェスタン・オーストラリア大学では人類学や社会学、政治学などの研究者を解雇するらしい。
英語圏で生活してちょうど30年。その経験から言えるのは、英語(おそらく他の欧州語も)でのコミュニケーションには演劇的素養が不可欠だということ。演劇は役割を演じること(role playing)であり、日常生活は即興で役割を演じることに他ならないから。学校でもspeech & dramaを学ぶ学生は少なくない。
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「言論の自由」と「学問の自由」の区別ができない研究者も少なくない。それどころか「国立大学では政府の政策を批判する見解を公言していいのだろうか」という質問を研究者の口から聞くに及んでは唖然とするほかはない。大学は内部から崩壊しつつあるのではないのか。
ある出版関係者から聞いた話だが、日本学術会議の会員任命を拒否されたある研究者の学生たちは公安につけられているという。日本学術会議問題の闇は深いらしい。
「傍観は容認」=「黙視することは共犯である」。個々人それぞれ事情があって発言できない場合もある、などという小賢しい言い訳は基本的な価値や原則については当てはまらない。そうした厳しい認識が少しずつ根付きあることを心強く思う。 sponichi.co.jp/entertainment/
Twitterを頻繁に使用するようになった2019年頃から気づいていたことですが誰某を「反逆罪で逮捕・死刑にせよ」というような匿名のつぶやきが日本語でも英語でも非常に目立ちます。このような政治的な言葉遣いの広まりが何を意味しているのかを歴史に遡って考えたのが近刊『反逆罪』(岩波新書)です。
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中山 永基(閔 永基)
@yonggi623
Xで「反逆罪」と検索すると、決して過去の問題とは思えないほどたくさん引っかかります。それは何故か。
11月20日発売の岩波新書『反逆罪ーー近代国家成立の裏面史』の問題意識について記されています。
将基面貴巳「反逆者も国家のために死ぬ」『図書』2024年11月号 tanemaki.iwanami.co.jp/posts/8401
安倍元首相の国葬生中継をチラッと見たらBGMがベートーヴェン「エロイカ」の第二番じゃないか。暴君をナポレオンばりの「英雄」にしようというチャチな演出。だがベートーヴェンは自分が憧れたナポレオンの俗物性への絶望の表現としてこの曲を遺したから、この選曲は皮肉でもある。
どうも最近では「学問の自由」を口にすると少なからぬ同僚(研究者)から目の敵にされるような印象がある。学問の自由を至上価値とみなさない大学の研究者が意外と多いらしいこの現状をどう理解すべきだろうか。
日本の事情はつまびらかにしないが、NZやオーストラリアでは、大学の指導部が政府や企業から研究資金をどれだけ集めるかに関心を集中させている。そのような状況では、カネを集められない人文学は大学内部にかろうじて居場所を認められるお荷物にすぎない、といっても過言ではない事態になりつつある。
イギリスでは言語学の衰退は目も当てられない状態だという。いわゆるLinguistics Warの結果、各大学で学派間の潰し合いとなり、全体として衰退の一途を辿ったらしい。ランカスター大学だけがそうした学派抗争を封じ込めることに成功し、言語学研究の一大センターとしての地位を守っている。
今更言うほどのことでもないだろうが研究助成を申請しないと研究費が取れない制度の下では真に創造的な研究ができるわけがない。学問的研究の真骨頂は常識では言えないことを明らかにすること。常識を大きく逸脱する仮説を提示する申請など「専門家」による審査で当然はじかれ資金援助など望み得ない。
人文学の危機を語るのに、”我々の仕事は重要なのだ”ということを呪文のように唱える大学の指導者がいるが、本当にそうだと言い切れるのか。人文学研究者は、教育者としては批判精神の重要性をこれまた呪文のように唱えるが、不思議なことに、その批判精神は自分たち自身の仕事の内容には適用されない。
拙著『従順さのどこがいけないのか』(ちくまプリマー新書)の3刷が決定。読者の方々に改めて御礼申し上げます。
杉田敦先生「党派性を持つことは良くないと考えられている日本ではまともな政党政治も主権者教育もできない。まずはお互いに、人間みんな党派性があるということを少しずつ認めていくしかないのでは」
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エリザベス女王の国葬は二週間以内に執り行われるとの予想がNZで報じられている。とすれば9月23日までには行われるはず。27日の安倍元首相の国葬は消し飛んだに等しい。
ある心理学的研究によると、自国をより良くするために政府批判を辞さないことを愛国的であるとみなす立場の人々が、厳しいコロナ対策に協力的なのに対し、自国の偉大さを誇ることを愛国的とみなす人々が非協力的な傾向があるという。非常時には共和主義的なパトリオティズムが社会的連帯を作る。
「愛国心イコール政府支持ではない。政府を批判するのも愛国心です」
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シバイバ
@shibai_ba
俳優のマット・デイモンさんが「市民的不服従」の必要性をとく演説をされました。それはシバイバで将基面貴巳教授@TakashiShogimenに教えていただいてることです。「いま世界中の人々に求められているのは国家に従わないことである」
newssharing.net/matthew-paige-
「嫌韓」は「売れる」そうだが、「売れればなんでもやる」という態度をマックス・ウェーバーの用語で「賎民(パーリア)的資本主義」という。また非倫理的営利活動に基づく富をピューリタンたちはwealth against commonwealthと呼んだ。大手出版社がそういう仕事に手を染めるようでは話にならない。
学問の自由の防衛は究極的には大学のトップの資質(外圧をはねのける政治的人格的力)にかかっていると拙著『言論抑圧』で指摘した。ところが現代の大学のトップには権力に忖度する腰抜けが少なくない。それどころか、学者ではない有力政治家を学長に据えるべきだという妄言を弄する者も現れている。
勤務先の大学では事務方面の組織改変を大幅に行った結果、事務担当部署の殆どから生身の人が消えたに等しい状態となっている。全ての問い合わせはたった一つの受付窓口に電話かメールしなければならない。各部署の担当者の電話番号は大学のウェブサイトに記載がない。いわゆる効率化の結果である。
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三月末には、オーストラリアはニュージーランドに併合されて、北島、南島に次ぐ大島(Big Island)または西島(West Island)、あるいはニュー・ニュージーランド(New New Zealand)となるべきだ、という話がオーストラリアとNZで話題になった。これもコロナ危機対策のため。nzherald.co.nz/world/news/art
いわゆる「社会正義」の立場から歴史学や文学などの人文学研究への攻撃が進行中。先日ツイートしたがオックスフォード大学でも14世紀の神学者ウィクリフの文言が「不快」だとして問題視された。「社会正義」が絶対不可侵の聖性を帯びると疑似宗教的となり現代における異端迫害や魔女狩りとなる。
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小川公代『ゆっくり歩く』(医学書院)
@ogawa_kimiyo
「「チャーリーとチョコレート工場」に登場するオーガスタス・グループの容姿は「巨大」(enormous)と表現され、全ての本から「太った」(fat)という言葉が削除された。...スーナク首相は「修正ではなく維持」されるべき」と。文学の言葉が変えられてしまうなんて前代未聞では。
bbc.com/japanese/64715
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まさにニュージーランドがその好例である。市民一人ひとりが共通善のためになすべきをなすという認識が実に徹底している。しかも声高に「愛国」を唱えることはしない。言葉ではなく実践における共和主義的パトリオティズムである。
二十年も同じ大学で教えていると学生の一般的態度に変化が生じていることに気づく。かつてと比べて最近の平均的な学生は実に細かいことにまで失敗やミスを恐れる傾向が強い。失敗を「糧」にするのではなく、失敗が「傷」になると思っているらしい。そんなひよわなことでは大した成長は望めまい。
安倍自民党政権はことあるごとに「民主党政権の悪夢」を口をしてきたが、今回の新型ウィルス問題への対処を見る限り民主党政権よりはるかにお粗末というべき。巨大地震と原発事故が突発的事件であったのに対し、今回は日本にいずれ問題が及ぶのがわかっていながら杜撰な対応しかできてこなかった(続)
大学の運営方針を決めるのを経営コンサルタント会社に委託するなんて、いつから常態化したのだろうか。これを批判するのに「コンサルタント会社が用いたデータを公開しないのは不透明だ」と主張するのは的外れ。そもそも大学の自治という基本原則が蹂躙されていることを大学人がわからなくなっている
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しかも、私の周囲を見る限り、そうした人文学研究を行う教員には、研究の「専門化」を隠れ蓑にして自分しか関心を持たないような矮小なテーマに取り組んでいる者が少なくない。これを私は「学問のプライベート化」と呼ぶ(拙稿「人文学としての日本研究をめぐる断想」tinyurl.com/y3qrj43j を参照)
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人文学の意義や価値をいかに物語るか、というような小手先の策を弄するのではなく、人文学研究者が取り組むべき課題とは、現代の問題と何らかの形で切り結ぶことだろう。現代社会をどう理解するのか、これからの市民社会をどう運営してゆくべきなのか
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組織運営の「専門家」と称する中間管理職ばかりが増大し、そうした学者ではない「専門家」がexcellence, transformation, innovationなどといった旗印を掲げて学者の団体である大学組織に対し、学問の論理を無視しつつメスを振るう事態である。
「生きのびる」という言葉が流行っているようだが、私は嫌いだ。「自助」「自己責任」の猛威に直面して、辛うじて順応するだけでいいのだろうか。『従順さのどこがいけないのか』ではあえて「生き抜く」という言葉を使った。そうすることで、現実と対決する姿勢の重要性を強調したかった。
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昨年、ニュージーランドのコロナ対策を高く評価したら「所詮小さな国だから」というコメントが散見された。しかし、それは違うのではないか。大国なら経済的にも医療的にもリソースがいっそう豊富なはずである。それを危機管理に活かせ切れないのはなぜなのか。そこが問題なのではないのか。
このような認識を持つ大学人がいるとすれば恐るべきことだ。スコーパスは英語文献でも人文社会科学のものは必ずしもカバーできておらず甚だ不完全。しかも、理系でも良識ある研究者はこのようなデータだけで研究の「質」を見定めたりはしない。 t.co/SzVc1YY5V3
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ナポリ時代のトマス・アクィナスが住んだ部屋を訪問。聖遺物としてのトマスの上左腕の骨や直筆原稿などが展示されていた。写真撮影の許可を得た。
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日本学術会議は国民の税金を使って何をしているのか、予算の内訳などといった論点への悪質なすり替えが広く見受けられる。非常に憂慮すべき事態だ。真の問題は、学問の自立性を守らなければ、学問を権力に奉仕するだけの存在に貶めるということ。
昨日は拙著『従順さのどこがいけないのか』の一部を入学試験に使用した学校から連絡をいただいた。この本は刊行後まだ1年半にすぎないが、推薦入学の課題図書となったり国語・小論文の問題集や予備校の模試に利用されたりしていて驚いている。
『傷つきやすいアメリカの大学生たち』(草思社)の書評を『週刊エコノミスト』で執筆しました。早川書房からの新刊プラックローズ&リンゼイ『「社会正義」はいつも正しい』と併せて読むことをお勧めします。
NZで感染者がひとり確認されただけで即日、全国的 ロックダウンを実施し2週間ほどで成果を着実に上げていることは全く報道せず、こういう不幸な事件は直ちに報道する日本のメディアには、スコットランド啓蒙思想家がnational jealousyと呼んだものを感じ実に不愉快である。
「税金をもらって生きるのは…」と悩み苦しむ人々がいる一方で、莫大な税金を役に立たないマスク購入と保管料に投入してなんとも思わない連中もいる。
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本田由紀
@hahaguma
この言葉がいかに日本の中に広く浸透し、かつ苦しい人たちをさらに苦しめていることか x.com/asahicom/statu…
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こうした状況では学者一人ひとりが自己保全に汲々とするようになる。そうなれば、学者であるか事務担当者であるかを問わず「小暴君」が大学を跋扈するようになり「暴政」はいよいよ根を張る。このような状況へと転落するのにわずか数年しか要しない。破壊されつつある大学は復旧の目処すら立たない。
こんなことは最初からわかっていた。これを機に「反政府運動」が大いに盛り上がりますように。
官邸、反政府運動を懸念し6人の任命拒否 | 2020/11/8 - 共同通信 this.kiji.is/69791387350673
斉藤元彦兵庫県知事をめぐる騒動を見聞して思い出されるのは私の(受験校として知られる)出身校の校長による卒業式での式辞。「諸君は駕籠を担ぐ人ではなく駕籠に乗るようになる人々だ」。馬鹿馬鹿しい。リーダーになろうとする若者に説くべきはノブレス・オブリージュのメッセージではないか。
拙著『愛国の構造』で論じたように、近代国家は〈聖性〉を独占する(と主張する)機関である。今日の儀式は、日本という国家の〈聖性〉の主張を非常にはっきり看取できる機会である。「平安絵巻」さながらの装い、などという生易しい話ではない。
asahi.com/articles/ASMBQ #令和・即位
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一方、人文学からの応答は、といえば、人文学の意義や価値についてどのように学生に語るべきかというレトリックの問題に終止している。皮肉なことに、そうした「説法」を聞くのはすでに人文学を学びに来ている学生であって、これから人文学を学ぶかどうか決めようとしている学生やその保護者ではない。
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ちなみに上記のメールによれば「この問い合せに対し週末も含め3日間返事がない場合は解決済みとして処理いたします」。問題解決がとてつもなく遅い反面、問題を無かったことにするのだけは恐ろしく速い。
「君が代」のもととなった古今和歌集の詩句が元来何を意味したかについては解釈が分かれるが、近代国歌としての「君が代」を天皇から切り離して人類の平和と繁栄を祈る歌であるかのように解説して「日本の素晴らしさ」を喧伝するYouTubeの番組もある。そうしたプロパガンダの効果なのかもしれない。
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早川タダノリ
@hayakawa2600
どうして「君が代」に「祈り」をこめられるのだろう……わからん
──1曲目に『君が代』を歌われましたが、その選曲意図は?
「コロナ禍の状況や分断をおさめたいという気持ち、みんなの健康、平和を願う気持ち すなわち、“祈り”を込めて選曲させてもらってます」
news.yahoo.co.jp/articles/5cf30
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実に不思議なのは、経営学的知見やら統計データばかりを振り回す新設の中間管理職が主導して効率化を図った結果がこれだ、ということ。事務処理を円滑化するどころか停滞させる制度設計をする「専門家」が学者の組織の改変に大きく介入するとすれば背筋が凍る思いがする。
「自分がウクライナ人の人文学研究者としてあの状況に直面したら」と想像してみた時、ふと想起したのは仏・中世史家マルク・ブロック。フランスがナチの前に膝を屈して、ブロックはレジスタンスに参加。活動中に逮捕され銃殺刑に。絶望的状況を前にしての「選択」は実に実に重い。