「えっ、どうするんですか!?」
風貌がゴジラに似ているという理由で「ゴジ」という呼ばれた名監督のギョロ目が、サングラスの奥でいたずらっ子のように動いた。
「俺の作品に出演させればいいんだよ。沢田はね、仕事に対する責任感がすごく強いの。『やってくれ』って言えば、無理なことでも必ずやり通す男。俺が『こういう役柄だから、体重を落としてこい』って言えば、あいつはきっとそうするよ」
「連合赤軍を映画にするとき、たとえば忠臣蔵のような勧善懲悪の定番にはならない。勝利の方程式がないから。(登場人物の)微妙な心理を表現するうえで、監督としても難しいし、役者にも相当な技量が求められる」
長谷川さんは「順調にいけば、来年(2003年)にも公開できる」とも言っていたが、残念ながらそれは実現しなかった。若い役者が中心となるはずの連合赤軍の映画に、当時すでに50歳を過ぎていたジュリーを登場させる構想があったのかどうか、今となってはわからない。
インタビューが終わったあと、長谷川さんはマジックペンを手にし、冒頭で紹介した「死んで、生きろ!!」という文字を書いてくれた。「明日にでも死んでしまうつもりで今を生きろ」という意味だと受け取ったが、「そういう意味ですよね?」と無粋な質問はしないまま、いまも大切に保管している。同時にいただいた書類の束も手元にある。未完だった連合赤軍の映画の脚本だ。A4判で500枚くらいか。
岩陰に身を隠した森の姿を機動隊員が発見した。
「いたぞ!」「そこだッ!」「撃て!!」
銃声が鳴り響く中、森が飛び出す。あとに続くひろ子。
そのとき彼女の眼には、ナイフを振り回す森が機動隊員に取り押さえられる姿が映った……。
炎上する榛名ベース。
炎の中に、メインタイトルが浮かび上がる。
『連合赤軍』--
そんなふうに始まるシナリオを読み切って、精いっぱいの感想文をメールで送ったところ、電話をいただき、「ちゃんと読めてないな」と笑われた。
それから20年ほどたった2023年。長谷川さんの監督作品「青春の殺人者」(1976年公開)に出演していた内田良平さんのことを聞きたくて、SNSで「インタビューさせてください」とメッセージを送った。「もちろん、OKです。これからも、ヨロシク」と即答してくれた。その言葉に安心してぐずぐずしているうちに、インタビューは永遠にできなくなってしまった。
2月2日、朝刊の訃報を読みながら、「死んで、生きろ!!」という言葉の重みをかみしめた。
(ライター・佐藤修史)
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