二次創作を「やらない」という勇気
楽しい二次創作
メディアを見て、好きな作品ができる。好きなキャラができる。
その名称でネットを検索すれば、その作品のファンの無数の呟きとともに
ファンによる沢山の二次創作が目に飛び込んでくる。
自分もその輪に混ざりたい、と思うのはごく自然なことだと思う。
そして二次創作、同人活動に関する「ポジティブなメッセージ」が
無数に目に飛び込んでくる。
二次創作活動は楽しい。推しへの愛を形にして分かち合おう。上達には人に見せる事が大切。さあ勇気をもって世界に発表してみよう。
…そうなのかな?と思い二次創作に手を出しては、「あなたは二次創作に向いていない」と同じファン、同じ二次創作者から苦言を言われる。
私はそんな経験を何度も、何度も繰り返してきた。
「ライン」が見えづらい人間の話
そういう話題で誰かの炎上が起きるたびに「原作への敬意が足りない」「ぎりぎりのラインを攻めようとするから悪い」と批判が噴き上がる。
でも多分、反省と回想を込めて私は、たぶん違うんじゃないかと思う。
敬意はある。ただ「敬意をどう表すか」の感覚が大勢とずれていた。
先人の皆を見ながらやったつもりなのに、突然自分だけがバッシングを受けた。
なにがなんだかわからない。
多分、それに対して「なんでわからないのかがわからない」方々の方が世間の反応を眺めていると多数派なのだと思う。
これはたぶん、突き詰めると生来の得手不得手なんじゃないかと思う。
不文律を感じ取るのが致命的に不得手な人種がいるのだ。
権利者に言わせた時点でアウトという世界
そういう人種だって学習することは出来る。こういう物を作ってはいけませんよ、と権利者に警告されれば、それに関してはやらない事ができる。
不文律を読み取れないなら、「ライン」に触れるまでトライアンドエラーしかない。これに関しては?それは例えばそういう事?見えないラインを触りながら確認する。
これが同じファン同士の注意だとたぶん大いに混乱する。え?なんで権利者さんは何も言ってないのに勝手に出てきて断罪のような事をするの?と憤りを感じる人さえいるだろう。
だって権利者本人が意思表明するまではあらゆる可能性はブラックボックスの中だから。
「他に同じような事をやっている二次創作者だっている」状態で「あなたはそれをやってはいけない」と制止されると、途端にそのダブルバインドで大パニックを起こしてしまう。結局良いのか悪いのかわからない。権利者さんは何も言ってくれない。
問題は、権利者の方に「警告」をさせてしまった時点でもう権利者の方に多大なコストと迷惑をかけているし、同じくファン活動をしている二次創作者全体を巻き込んでしまう事だ。
「ガイドラインが欲しい」
私には二次創作にも公式から出ているガイドラインが欲しいと言う気持ちが痛いほどわかる。だって権利者側が「やってほしくない事」が明文化されて書いてある。それがあればかけずに済む迷惑があるのかもしれないし、知らず知らずに不適切な行動をしてしまって炎上し傷つく人も減るかもしれない。
でも、一次創作者側が明文化されたガイドラインを作ることを望まないなら、やっぱりそれは尊重するべきなのだ。一次創作があって、一次創作者の意向がきちんと守られて、二次創作者側が願望をかなえるのはその後の話だ。
(最近は公式にガイドラインを出して下さる権利者様も多く、本当にありがたい事だと頭が下がります)
二次創作を「やらない」という勇気
私が最終的に行き着いたのは、無許諾の二次創作をネットに今後自主的に発表するのはやめようという答えだ。
もし、他人が発表していてもそれはそれで楽しんでね!と思うだけである。たぶんその人は二次創作の世界に「向いている」んだろう。
私にはたぶん向いていないと思った。
あらゆる人が作品を発表することもアクセスすることもできる世界になって、多分これからの二次創作で必要となってくるのは「やらない勇気」も、そのひとつなんじゃないかと思う。
イラスト系の部活に入れば、絵描き友達のあの子もこの子も二次創作をアップしている。
絵描きのハウツーを見れば、ネットの世界で多くの人に見てもらうには二次創作を描くのが効果的だとプロだって言っている。
なにより描いてるみんなとっても楽しそう。
でも、「自分は」二次創作はやめておこう。
自分と世界のために、そういう選択をする絵描きがいていいんだと思う。


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