奪われた映像を奪い返す…『フィダーイー・フィルム』が示す記憶の主権
映像とは、誰のものなのか。映画『フィダーイー・フィルム』(A Fidai Film, 2024年)を観ながら、その問いかけが頭をかけめぐった。監督はパレスチナ出身のカマール・アルジャアファリー氏。占領下のパレスチナ社会を、個人の記憶と映像アーカイブの問題から描いてきた作家である。本作は、彼のフィルモグラフィの中でも最も政治的で、同時に最もラディカルな作品といえる。
作品は、1982年の「事件」に正面から向き合う。当時イスラエル軍はレバノンに侵攻し、ベイルートにあった、ヤセル・アラファト率いるパレスチナ解放機構(PLO)関連施設を襲撃する。その際、パレスチナ研究センターが所蔵していた膨大なアーカイブ資料――フィルム、写真、文書――が押収された。奪われたアーカイブはイスラエル国防省の保管下に置かれ、やがて一部は公開されるが、それらはイスラエルの側の物語にそったかたちで再利用された。本作は、そのアーカイブ映像を逆手に取り、略奪された記録を取り返す試み、「カウンター・アーカイブ」として提示された。
スクリーンに現れるのは、英国委任統治時代のパレスチナを記録した古いニュース映像、ベイルートの街を進軍するイスラエル軍戦車の映像、山岳地帯を移動するPLO戦闘員の姿――いずれも歴史的に貴重な映像だ。しかし監督は、映像の一部に赤いペンキのような塗りつぶしを施す。それは、ときに画面を覆い隠し、ときに登場人物の顔を消す。写っているはずの何かを、意図的に不可視化する。
その赤は何を意味するのか。第一に、それはイスラエル側が映像に付与した「説明」や「字幕」への拒絶である。略奪された映像には、多くの場合、イスラエルの情報機関によるキャプションや分類が付け直されている。それは映像の意味を支配し、歴史の文脈を捻じ曲げる行為でもある。赤はそれを塗り潰す抵抗の色であり、同時にパレスチナ人が流してきた血の色でもあるかも知れない。
通常のドキュメンタリーが「資料の真実性」を前提に構成されるのに対し、本作はそもそも資料そのものが暴力の痕跡を帯びていることを暴く。アルジャアファリーは、映像の政治性を赤によって可視化する。
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