『アラーの神にもいわれはない』評──地図の余白に描かれた声なき少年たち
2025年の東京国際映画祭で初めて観た作品が、西アフリカを舞台にしたアニメーション映画『Allah Is Not Obliged』だった。コートジボアール、ギニア、リベリア、シエラレオネといった、地図の片隅にしか現れない国名を、私たちはどれほど確かな輪郭として思い描けるだろうか。そこに広がるのは、長く続いた内戦と、それに巻き込まれた無数の少年兵たちの記憶である。本作はその記憶の断片を、ひとりの少年の旅路の中で描き出す。
母を亡くしたコートジボアールの少年は、叔母を探してリベリアへと向かう途中、次第に戦争に取り込まれていく。銃を握る手はまだ幼い。物語は、現実の惨状を記録するドキュメンタリーではない。むしろ、アニメーションという虚構の軽やかさを借りて、現実の重みを別の層で照らそうとする試みがあるとみた。
一見、映像は驚くほどスタイリッシュ。明るい色彩と滑らかな動きは、暴力や死の場面すらどこか寓話的に見せる。そこにあるのは、観客に直接的な悲惨さを叩きつける教育映画の語り口ではない。もし本作が「教育映画」であるとすれば、それは明示的なメッセージを届けるための道具ではなく、むしろ“教育されることの限界”を問い返すための装置として機能しているのかも知れない。
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