電動キックボードが「若者の健康」を奪う? タイパ至上の“代償”、スペイン事故3割増の裏で「リスクは公助」という不平等
自転車移動の推奨
何らかの理由で長い距離を歩くのが難しい人など、電動キックボードを必要としている人々も少なくない。ただ、目の前にある問題を解決する道筋は、電動キックボードを禁止することではなく、健康的で持続できる代わりの手段である自転車を再び勧めることにあるのではないか。依然として自転車は都市部の短い距離や中くらいの距離を移動する主な手段になっているからだ。 自転車の利点は、健康、持続性、安全性の三つが挙げられる。まず健康面において、自転車に乗ることでエネルギーを使うことは、日常の体を動かす活動に直接つながる。これは人間の筋力を増やして効率的な移動を可能にする、能動的な資産としての側面を強調するものだ。これに対し、電力を使い体を動かさない状態に置く電動キックボードは、中長期的に見て個人の活力を損なう負債になり得る。 次に持続性については、自転車は排出物を出さないため、気候変動との戦いにおいて極めて貴重な力となる。そして安全性に関しては、自転車にも危険がないわけではないが、長い時間をかけて洗練された車両の形、走るときの安定性、自転車専用の道路などの社会基盤の充実により、安全性が確保されている。 電動キックボードは都市部での移動に向いているが、心と体に良い影響を与えるとは言い難い。次の世代が便利さのために運動を犠牲にすることがないよう、子どもや若者が歩いたり自転車に乗ったりしやすい安全で魅力的な交通の基盤を作ることに、これまで以上に真剣に取り組むことが求められている。 この移動手段の流行は、皮肉にも、自分の力で動くことの生物学的、経済的な価値を改めて確認するための、過渡期の社会実験としての意味を含んでいるのかもしれない。
便利さの代償
便利という言葉が持つ甘い響きは、しばしば重要な不利益を隠してしまう。電動キックボードの普及が突きつけた現実は、移動の効率化が必ずしも人間の充足に結びつかないという皮肉な事実だ。時間効率という考え方に縛られ、歩いたり自転車に乗ったりする自発的な体の運動を手放すことは、個人の健康という財産を安売りする行為に他ならない。 経済的な合理性の観点から見れば、電力に頼って体を固まらせる移動の仕方は、将来的に膨大な医療費や社会的な損失を招く負債である。私たちは、移動を 「目的地にたどり着くための苦痛な時間」 と捉える短絡的な考え方を捨て、体を動かす喜びをともなう、生命力にあふれた都市の姿を追い求めるべきだろう。 自転車という、人間の能力を広げつつ健康をもたらす優れた手段が、既に目の前にある。新しい技術に飛びつく前に、まずは既にある手段が持つ計り知れない価値を正しく評価し、それを最大限に生かせる社会の基盤を整えることが先決ではないか。目先の数分を惜しんで、一生続く健康や安全を損なうような選択は、到底合理的とはいえない。 今後の移動のあり方を決めるのは、最新の流行ではなく、それがどれだけ人間の生命を尊重し、社会全体の利益に寄与するかという視点である。効率の奴隷になるのではなく、移動の主体としての誇りを取り戻すこと。それが、これからの時代を生きる私たちに課せられた課題となる。
牧野康孝(自動車ライター)