カフェバグダッドの20年:仮想空間から中東と日本の地続きの日常へ
はじめに:なぜ「仮想のカフェ」だったのか
日本における中東のイメージは、長らく石油や紛争、あるいは「遠いどこかの不可解な場所」というステレオタイプに縛られてきました。特に2003年のイラク戦争時、現場付近で取材を続けていた私にとって、報道される「記号化された中東」と、目の前にある「人々の温かな営み」とのかい離は、見過ごしがたいほど大きなものになっていきました。
エジプト・カイロ駐在を終え日本に帰国した直後の2004年5月、「カフェバグダッド」という活動を始めました。あえて実店舗を持たない「仮想のアラブ式カフェ」という形態を選んだのは、場所を固定せず、機動的で幅広い情報の発信などを通じて、日本人の意識の中に「中東と日本が地続きである」という新しい感覚を広めたかったからです。当時、最も負のイメージを背負わされていた都市である一方、豊かなカフェ文化が存在していた「バグダッド」という名を冠し、そこから食や映画、音楽、文学といった、人間の生活の営みの根幹にある文化を届けたい。そうした試みが「ライフワーク」の始まりでした。
ジャーナリストとしての原点と転身
活動の根底には、32年間にわたる新聞記者としての経験があります。
1991年に読売新聞に入社し、金沢や能登半島の珠洲、輪島といった地方支局で、生活者の視点に立つ取材の基礎を学びました。その後、2000年からカイロ特派員として最初の中東駐在を経験します。イスラエル・パレスチナ紛争「第二次インティファーダ」、米同時テロ、イラク戦争などがあった激動の時代。私は政治や軍事のハードニュースを追う最前線にいましたが、心の奥底には、大学時代に訪れたイランで中東の魅力に取りつかれて以来抱えてきた、強い関心のベクトルがありました。ニュースのヘッドラインの下に隠れがちな、人々の「普通の暮らし」です。
エジプトとイランに計9年間在住し、各地で政治指導者や民兵司令官、宗教指導者などへのインタビューも重ねましたが、時にそれ以上に私をひきつけたのが、街角の「カフェ」でした。人々が集い、議論し、情報を共有するその空間こそが、社会を支える「公共圏」であることを実感したのです。
2023年にフリーランスになったことで、「組織の代弁」ではなく、一人の表現者として、より自由に中東文化を発信するステージに立つことになりました。
メディア=「器」の変遷:ブログからnoteまで
2004年のカフェバグダッド開設以来、私はインターネットメディアの進化と共に歩んできました。これは単なるツールの変更といった話ではなく、いかにして中東を「自分事」として届けるかという戦略の深化の過程でもあります。
初期のブログ時代は、今でいう「推し活」のような熱量で、中東のカフェや食の魅力を偏執的なまでにつづっていました。その後、SNSの台頭により、活動はさらに広がりました。
Facebook: 2014年に「カフェバグダッド」ページを開設。エジプト駐在時代は、写真と文章で現地の空気感を伝える記事をアップ。帰国後は、コミュニティ内の情報ツールなどとして活用しています。
X (旧Twitter): 2009年開始。カフェ、行商人、商店街の風景など、中東の「普通の日常」を切り取ってきました。
現在はnoteを中核に、中東文化を立体的に理解するための「森」を育てています 。「カフェバグダッド」のメンバーシップです。
中東映画の森: 映像を通じて中東社会の現在を読み解く。
中東料理の森: 常に更新していく「生きたガイド」としての食文化発信。
この二つを統合した「中東カルチャーの大樹海」というメンバーシップでは、情報の断片的な消費ではなく、深い学びと交流の場を目指しています。「仮想カフェ」の現在の到達点です。
食文化が繋ぐもの:ZINEに込めた願い
私が最も力を入れていることの一つが、日本の食文化の多様性を増やすことです。その核になっているのが、中東料理ガイドブックなどの個人出版(ZINE)です。
単なるレストラン紹介ではなく、新聞記者時代に学んだ調査ノウハウや現地での実体験を活用しながら、執筆・編集を続けています。
これらの冊子は、文学フリマなどのブックイベントでの即売、一部書店での委託販売、ネット通販といった手段を通じて、私の想いに共感してくださる読者の方々に届けています。
食は入口であり、終着点ではない
もっとも、ここで一つ明確にしておきたいのは、私が食や文化を紹介する目的が、単なる異国情緒の消費や「おいしかったね」で完結するものではない、という点です。むしろ食は、中東が直面している厳しい現実や構造的な課題へと関心を導くための入口であり、その先にある問いへと人を連れていくための媒介といっていいと思います。
一皿の料理の背後には、気候変動による農業の不安定さ、紛争や制裁がもたらす物流の断絶、移民・難民として生きる人々の労働や記憶が折り重なっています。甘い菓子の香りや、香辛料の刺激は、決して現実からの逃避ではなく、むしろ現実に目を向けるための感覚的な扉だと考えます。
食をきっかけに中東に親しみを覚えた人が、その先で「では、なぜこの地域はこうした状況に置かれているのか」「私たちの日常と、どのようにつながっているのか」と考え始めてくれることを願っています。カフェバグダッドが目指してきたのは、文化を盾に現実を覆い隠すことではなく、文化を通じて、現実に向き合うための想像力を育てることにほかなりません。
映画を通じた「カウンター・プロパガンダ」
私は、映画は既存のステレオタイプに対する「カウンター・プロパガンダ」になり得ると信じています。年間50本以上のレビューを書く中で、芸術的な評価だけでなく、その背景にある社会状況を現地で経験した者の視点から、丁寧に解説することを心がけています。
2024年4月に開催した、カフェバグダッド設立20周年イベント「カフェとプロパガンダ」では、映像ディレクターの比呂啓さんとのコラボレーションで、政治的なメッセージ(プロパガンダ)と、穏やかなカフェ空間をあえて混在させることを試みました。政治と日常が分かちがたく結びついている中東の現実を、バクラヴァなどの中東菓子を頬張りながら語り合う。それこそが、カフェバグダッドの役割だと思うのです。
境界線を越えて:地域社会への眼差し
私の関心は、遠く離れた中東だけでなく、日本国内にある「中東との境界線」にも向いています。
埼玉県川口市や蕨市に暮らすクルド人たち。彼らが単なる「外国人」ではなく、豊かな文化と歴史という「背景」を持つ個人であることを伝えるために、2023年6月にトルコ南東部の彼らの故郷の村を訪ねました。現地で出会った風景や食をZINEにまとめることで、日本の路上で見かける彼らの背後にある豊かな歴史と文化を、少しでも可視化したかったからです。
また、2023年2月に発生したトルコ・シリア大地震の被災地アンタキヤの再訪問も、地震を一過性の報道で終わらせないための試みの一つです。ニュースが時間とともに忘れ去られていく中で、文化などさまざまな角度に光を当て、関心を喚起すること。それが私にできることだと考えています。
リアルな場での対話:「中東料理研究会」
「仮想カフェ」の看板を掲げて20年になりますが、今、最も大切にしているリアルな場が、さいたま新都心で開催している「中東料理研究会」です。
月1回のペースで行っているこの会では、現地のカフェのスライド上映やガイドブックの深掘り解説を行っています。参加費は無料で、誰にでも開かれています。かつて私が中東の街角で見つけた、人種や宗教や立場を超えて人々が語り合う「公共圏」。そうしたあり方を、細々であっても、日本で実践し続けたいと考えています。
結び:20年の軌跡が導いた、『確かな日常』
「カフェバグダッド」という名の下に歩んできた20年を振り返ると、それはマスメディアが意図せず作り上げがちな抽象的なイメージを、手触りのある具体的な日常へと解体する作業だったといえるかも知れません。
インターネットという仮想空間を活用しながらも、私の足場は常に、身体性に強く結びついたものであり続けています。
ここでいう「身体性」とは、情報をただ消費するのではなく、自らの身体を通じて他者との「相互作用」を図ることです。それは、実際に中東の街角に立ち上る香りをかぎ、現地の人々と語らい、食卓を囲むこと。そして、その「現場」で得た体温のある実感を、言葉や写真、あるいはZINEという形あるものに定着させ、日本に届けることです。
川口の路上で見かけるクルドの方々の故郷を訪ね、震災後のアンタキヤの石畳を自らの足で踏みしめる。あるいは、日本にある現地感にあふれたレストランで、はるばる日本にやってきた人々らと語らう。こうした実感を伴う現場重視の姿勢こそが、中東を「自分たちの日常と地続きの場所」として捉え直すための唯一の鍵であると信じています。
ニュースのヘッドラインは日々塗り替えられますが、一杯の紅茶を通じて繋がった「地続きの感覚」は、そう簡単には揺るぎません。これからも「仮想のアラブ式カフェ」の店主として、皆さんの日常の中に、中東への扉を開き続けていきたいと思っています。皆さんと一杯の紅茶、あるいはコーヒーを前に、同じテーブルを囲める日を楽しみにしています。
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