見せ物にされるマイノリティー 絶望と葛藤とともに投じる一票
アーティスト・美術史家 近藤銀河さん寄稿
高市早苗総理大臣がSNSに投稿した官邸のバリアフリーに関する投稿は衝撃的だった。高市総理は彼女の夫のために官邸がバリアフリーに改装された、という報道を受け、その事実を否定しつつ「仮に貴重な税金を使って改修工事をする必要があるのであれば、私達は公邸に引っ越しませんでした」としていた。
健常者に対して気を使い、マイノリティーが堂々と主張できるはずの――けれど主張すれば批判を浴びるような――権利を引っ込めるその姿勢は、私の日常の中で選びたくないのに繰り返し浮かびあがってくる選択肢だった。それを政治の一番トップに立っている人が口にしている。報道への反論はもちろん必要なことであるけど、その表明の仕方は私にとってショックだった。
私の日常を少し説明しよう。
外出のために車椅子を使って生きていると、たくさんの善意に出会う。エレベーターを譲ってくれる人、段差で詰まったときに力を貸してくれる人、落とし物を拾ってくれる人。
けれど時には善意を断らないと自分を守れないことがある。
一番よく遭遇する例が、長い階段の先での催し物に誘われたときに提案される「背負ったり車椅子を運んだりできるよ!」という申し出だ。この申し出がありがたい車椅子ユーザーは多いだろう。でも、私はそうではない。
私が車椅子を使っているのはME/CFS(筋痛性脳脊髄(せきずい)炎/慢性疲労症候群)と呼ばれるひどい苦痛がずっと続く病気のために、長距離を歩いたりすることが出来ないからだ。運んでもらったり、背負ってもらったりすることは強い身体的な労作を伴う。時には車椅子だけを運んでもらって、自分は時間をかけてゆっくり階段をはうように登らないといけないこともある。
そうした善意の申し出を受け入れたあと、私は人知れず数日、時には1週間ほど倒れ込む。そしていつも、悩む。差し伸べられた――優しいけれど取れば自分が痛みを背負うことになる――手をどうすればいいのかと。
目の前の善意はとびきりにうれしい。嫌なわけがない。でもだからこそ、その善意を振り払うのは難しい。
それだけではない。悩むのは怖いからでもある。ここでなにかを言って、善意を断ってしまえばその人はもう自分を相手にしなくなるのではないか、社会からパージされていくのではないか、と怖くなるからだ。
あるいは相手が罪悪感を感じ過ぎてしまわないか、と心配をする時もある。実は今、本稿を書きながら私はそれを少し恐れてもいる(どうか身に覚えがあっても気にしないように)。
あるいは、自分が仕事で関係しているが行っても行かなくてもいい、どちらかと言えば行かないであろう会議が階段を通らないと到達できない場所で開かれるのを知った時、という事例もある。
どうせ私はその会議に出席しないのだから、なにも言わなければいいのかもしれない。面倒だし言って嫌われたくないし、私の権利にも傷にもふたをして無視しよう。でもそれでは主催者たちの意識はなにも変わらない。そうなれば私のあとに続く人がまた苦労するだけだ。どうしよう。
形はどうあれ、マイノリティーはこうした場面に何度も直面し、何度も悩む。そして、社会はこうした悩みに冷たい。冒頭に引用した総理の投稿はそれを象徴し、そうした社会のあり方を思い出させてくれる。
差別的な「女性議員」というマイノリティー
強い支持と地位を持った政治家が示すマイノリティーの姿は、ほとんどの場合そのマイノリティー性以外では徹底的に規範に従順な姿だ。人気を得ている女性議員の中に少なからぬ数、差別的な姿勢を示す人々がいるのはまさにそうした例だろう。差別にあらがう女性を始めとしたマイノリティーの議員たちだってもちろん居てくれて、私はいつも応援したい気持ちになるがそうした議員たちが大政党で頭角を現すことはまれだ。
私は決して、差別的な姿勢を示すマイノリティーの人々が、そうした態度を戦略的に自分の意志に反して取っているのだとは思わない。おそらくそれは、個々の信念に基づくものなのだろう。女性だから、マイノリティーだから、マジョリティー以上に差別に対抗する姿勢を精査されるのであれば、それはまた別の問題を持つ。
しかし、そうしたマイノリティー像だけが「受け入れられる像」として提示され続けること、それは明白なメッセージとなる。「あの人は〇〇だけどさ、他の〇〇とは違う、特別だからいいんだよ」と言われるような存在。マイノリティーはそれを目指して努力せよ、と。
私もそうした声に日々、従おうとしてしまう。体力的に無理なことでも平気な顔で「出来ます」と言ってしまい、後で数日寝たきりになってしまう。そんな自分に自分でがくぜんとする。なぜそんなに健常者と同じように振る舞おうとしてしまっているのか、と。そんなこと出来やしないのに。
それは政策の面でも我々に示されている。「排外主義」とは一線を画すとしつつ排斥される外国人の保護よりも「ルールや法を守らない外国人」に焦点をあてていく姿勢は、マイノリティーに対して徹底的に従うことを求めるやり方だ。従っている限りは許容するが、守ることはしないし、一度でもミスをすればアウトにされる。
日本人の排外主義的な政治家がルールをどれだけ破っても「みそぎ」は済んだとして何度もやり直しの機会を手にしてきたことを考えれば、その欺瞞(ぎまん)はあからさまだと言ってもいい。
がんばらないで存在するために
マジョリティーにとってあるべき姿を守るマイノリティーになるのか、そこから動き出してさらに社会の想定から外れた「マイノリティーの中のマイノリティー」になるのか。私はいつもそのことに悩んでいる。すでに理想的な姿から外れきっているのに、これ以上もっと望まれるあり方から外れないといけないのか。
けれど、望まれる姿から外れないと権利は回復されない。健常者が想像する障害者像の内側に踏みとどまる限り、私は多少は健常者みたいに扱えてあまり迷惑をかけないから許される、そんな存在としてのみ許容される。
それは権利ではない。「なにも気にしなくていいです、大丈夫です」と言い続ける限り合理的な調整はなされない。あとに続く人もまた苦しむことになる。いや、そもそも完璧に模範的に振る舞うことなど不可能だ。そうしたら私は完全に壊れてしまうだろう。
だから、そのことを考えていつも吐きそうになりながら少しだけの勇気を私は出す。勇気を出して物申したり出来ないと断ったりする。
頑張らないで社会に存在するために頑張る。なんてむごい矛盾だろう。でも今はそうするしかないと歯を食いしばる(時々は諦めているけど)。
銀河さんは障害者だけど特別だから存在を許してあげる、と言われたくない。なぜならそれは特別ではないマイノリティーを抹消していく道だから。
荒れ野のような選挙
今、荒れ野みたいな選挙が行われている。各政党の主張は大枠では一致し始めている。そうなった時、争点にされるのはマイノリティーだ。マイノリティーは異質で目立つと同時に、弱く生活に大きな影響をもたらさない。それゆえに実態と乖離(かいり)した議論にいつも引きずり込まれ、その議論を巡って敵と味方が確立される。マイノリティーの頭を飛び越えて。それがどれほどマイノリティーを痛めつけるか、誰もわからないまま。
マイノリティーはいつも見せ物のための戦いに引き出される。外国人、男女平等、トランスジェンダー、同性婚、夫婦別姓などなどはそうして引きずり出されるマイノリティーの議論の代表例だ。そしてそれらの人々が本当に求めている政治や政策は後回しにされ、その存在を認めるかという架空の議論が展開される。すでに存在しているにもかかわらず。
一方の側には、排除的で強権的に振る舞うことで力を手に入れた「女性政治家」というマイノリティーがいる。そしてそれは大きな流れを作っている。もう一方の側にはそのための犠牲に、いけにえにされ続けるマイノリティーがいる。
女性の政治家が強い支持を得ていることは、うれしい。けれどその支持は、ほかの多くのマイノリティーを排斥するというマジョリティーに捧げるパフォーマンスの上に成り立っている。私は彼女たちが支配する世界では生きられないだろう。そしてまた結局のところどちらも同じ差別的な社会に痛めつけられてきた存在でもある。
私はこの流れにあらがうために行動し続けるけど、どれほどの人とこの絶望感を分かち合えるのだろうか?とも思う。
マイノリティーはいつだってそうして絶望し、絶望を突き崩すために勇気を求められる。この勇気をこの絶望を分かる政治が無いものかと日ごとに無念は深まる。その中からせめてマイノリティーの生を少しでも良くするような、さもなければ差別の流れを弱らせるような政治に悩みながら一票を投じる。そして選挙の後にも日常でも公的な場でも、私は権利の回復を求めて苦悩し葛藤しながら一歩、模範から踏み出すだろう。
こんどう・ぎんが 1992年生まれ。アーティスト、美術史家。中学生の時にME/CFSという病気を発症し、車椅子で生活する。レズビアン的と見える西洋美術を研究するかたわら、セクシュアリティーをテーマにした作品を発表する。共著に『「シン・エヴァンゲリオン」を読み解く』『われらはすでに共にある 反トランス差別ブックレット』『SF作家はこう考える』などの他、近刊に『はじめての百合スタディーズ クィア/フェミニストの視点から』。単著『フェミニスト、ゲームやってる』で2025年紀伊国屋じんぶん大賞に入賞。
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