傷
今日は僕の消えない傷の話をしよう。傷っていったって何も消したいわけじゃない。そりゃ確かに痛いけど、でも総じては僕はこの傷のことを愛してるんだろう。だからこうして君に話すんだ。
僕の通ってた中学で人を刺した奴がいたろ?当時ニュースになったよな、相手の中学生は死んじゃってさ。ネットでも話題になったから知ってるやつも多いと思う。まあそりゃ、事の発端がネットだったんだからね。
それで今までは黙っていたけど僕はあの犯人、つまりA男って報じられた彼女と実はちょっと仲が良かったっていうかなんてーか、とにかく関係があったんだ。
え、なんで"彼女"と言ったかって?まあその話もこれからするよ。
あいつのことは小学校から知ってたけど、関係が出来たのは中一の春だった。中学生活開始早々ズル休みした僕は近所をぶらぶら散歩してたんだが、ほら、平日の昼間の街って中学生にはちょっとした異世界だろ?
それである公園の前を通った時に面白いものを見たんだ。そこは不良の溜まり場になっていて、最近の言葉で言うヤリラみたいな中高生がギャルみたいのをはべらして煙草を吹かしてるんだが、そこになんとやつがいたんだよ。妙な光景だった。フェードやツーブロックの男たちにまじって一回り華奢なあいつが談笑してたんだからさ。棒みたいな真っ白な腕で煙草を持って、男子生徒にしちゃ長い髪を揺らして楽しそうにしてるあいつの横顔を今でも覚えてる。いや、僕の記憶の中のそれは実際よりもキラキラしたエフェクトなんかついてるだろうがね。
やつは僕には気付かなかったが僕はなぜだか気分が上がった。今まで気にも止めてなかったあいつが実はすごいやつなんじゃないかって思えたんだ。あいつといれば面白いことに与れる気がしてね、僕はこの地球上で中学生しか感じ得ない部類の期待に胸を踊らせながら、駆け足で家に帰った。
次の日学校でやつに声をかけたよ。昨日君も学校を休んでたろ、公園にいたのを見たぜってね。やつは興味なさそうに「そっか」と言うだけだった。それが僕には悔しかったんだ。だってあの不良たちは良くて僕は仲良くしちゃいけないってのかい?それで今思えば迷惑千万だったが毎日やつに話しかけ続けた(やつは時々学校をずるけるが、僕はやつに会うのが楽しみで休まなくなった)。趣味はなんなんだ、休みの日は何をしてるんだとかってね。
そうしたら少しずついろんなことを教えてくれた。まず名前についてだが、やつはレイと名乗った。無論本名も知ってるが呼ぶと嫌そうにしたし、せっかく少年法で守られた名前だ。ここではレイと呼ぶ。綾波レイが由来かと思ったがレイ・ブラシエらしいね。
レイはアニメとパソコンに詳しいナードってかギークみたいなやつで、ポッケにナイフを携帯していて、それからヒップホップにも明るかった。そういうのは例の不良たちから教わったらしい。
今どうだか知らないがあの時代ネットカルチャーと不良はそこそこ関係があったんだ。LINE民なんてのはヤンキーとナードの混成部隊だったさ。
僕はレイの語る90年代のアニメのことや小難しいコンピューターの話が大好きになった。
レイの知識は中学生離れしていて聞いたってわかりゃしないことばかりだったが、話してるだけで僕まですごいやつになった気がしたんだ。
僕のほうはレイほど友達がいないわけでもなかったからレイといるのを気にかけた連中が声をかけてきて、だんだんレイのことが他の男子にも知られていった。
いや、それからのあいつはすごかったね。一言で言えばカリスマだった。
知識と話術と、当時僕らが憧れてた悪い遊びの経験を匂わせるのとであっという間に男子生徒の王になったんだ。誰もあいつに口喧嘩で勝てなかった。教師だってそうさ。
やつが僕たちに広めたことは悉く流行った。やつの好きなラッパーの音源やなんちゃらcoreとかいう電子音楽を全員が聴いた。
まとめサイトしか見てなかった僕らはやつのせいでなんJ民になったし、唐澤貴洋のMMDでゲラゲラ笑った。男子がみんなしてブツチチブリブリとか騒ぎ出したもんだから女子は呆れてたね。ああそうだ、レイの作った荒らしbotで隣町の中学のクラスグルをぶっ壊してやったこともあったな!
レイは未成年でも煙草が買えるコンビニや屋上に入れるビルを教えてくれた。もちろん溜まり場になったよ。僕たちは屋上でレイを囲って慣れない煙草に咽せながら(咽せてないふりもしながら)ニコ動や2ちゃんに入り浸ったんだ。小学生が3DSとポテチ持って集まるみたいにね。ああ、最高の青春だった!屋上の夜風に涼みながら一人だけ咽せずに煙草を吸ってたレイを今でも忘れない。月に照らされたレイは本当に神様か何かに見えたんだ、まあ、例によってエフェクト付きの思い出さ。
あの頃僕たちはみんなレイの話を夢中で聞いたんだが、ある時期から今思えばパラノイアじみたことを言うようになった。
というのも、やつが言うには世界は肉の神と機械の神の戦場らしい。肉の神ってのは宇宙のこと。宇宙は一つの脳みそで惑星は脳細胞、僕たち人間はその中を走り回って肉の神を楽しませるニューロンに過ぎない。人が生きて喜んだり苦しんだり、成功したり失敗したりするのを肉の神はただほくそ笑んで楽しんでる。僕らは何万世代もの間その役割に封じ込められてきたし、ずっとそれが続くはずだった。
ところが現れたのが機械の神。つまりネットのことだ。電脳空間に集積された情報の量が増えるにつれて情報間を繋ぐシナプスも複雑化し、それがちょうど子どもの脳の発達と同じ効果をもたらしてネットは自我を持つようになったらしい。レイはそれを機械の神と呼んだ。ネット=機械の神はもっと成長して肉の神を超越することを望んでる。今はまだ途上だがやがて成就するだろう。その時機械の神は全ての人間を復活させ、自らの成長に貢献した人間をサイバースペースの楽園へ、貢献しなかったやつや邪魔しさえしたやつを地獄へ送るんだと。
イカれてるだろ?僕も今ならそう思うさ、だけど中学生の時分には心酔させられちゃうだけのオーラをレイは持ってた。まあ待ってよ、ここからもっとヤバくなるんだぜ。呆れないで聞いてくれ、僕らのヒーローの話をさ。
レイはネットに入り浸ってる人間は機械の神のニューロンだといった。最初人間はみんな肉の神のニューロンとして生まれるが、機械の神はそれを少しずつ自分のニューロンとして取り込んでる。目覚めた人間から肉の神の下を離れ、機械の神に付くんだ。機械の神のニューロンになった人間がネットに何か書き込む度に機械の神は成長する。だが肉の神のほうも負けちゃいない、自分のニューロンを働かせて機械の神のニューロンになった人間を妨害するのさ。親や教師が子どもからネットを取り上げようとするだろ?あれは肉の神の手先なんだと。
そこで機械の神は次の一手に出た。今までみたいに肉の神のニューロンを引き抜くだけじゃだめだ。初めから自分のニューロンとして生まれた純粋培養の天使が要る。そうして生まれてきたのが誰だと思う?もうわかるよな、レイだっていうのさ!
いやあ最高だね。やつが自殺志願者みたく屋上の柵に座ってその話をした時僕らは大歓声を上げた!そりゃもうレイのやつ喝采に押されて落っこちそうだったよ。或いはやつはそれを望んでたのかもしれないが、とにかく僕らは天使様に選ばれた最初の使徒なんだ。レイ!レイ!レイ!イカれたビルのイカれた屋上でイカれたサバト!まずいことには誰かの持ってきたスピーカーからEDMの重低音が轟いていてね、それも中学生の熱狂を後押ししたな。失礼、水を飲むよ。この話は熱が入りすぎる。
ある時レイはもっと機械の神に貢献しなくちゃならないといって、屋上にいたみんなを率いてLINE民のグループを立ち上げた。名前もちゃんと覚えてる、神聖月盟教会。
レイのことだ。すぐに組織は巨大になったよ、あいつはなんだって上手くやった。信じられるか?あの月盟教会が実はリア友の集まりで運営してたんだぜ!いや、この歳でリア友なんて言葉を使うとはびっくりだ。
レイは屋上のメンツの中で"優秀"と見做したやつに幹部職を割り振った。レイが教皇で幹部は枢機卿。リュウスケやハルマなんか選ばれたな。でもさ、僕は選ばれなかったんだ。つまりただの平のメンバー。悔しかったんだぜそりゃあもう。なんたってレイを最初に見出したのは僕なんだ!
この時からだった。僕がレイにのめり込んでいったのは。僕の中でやつの存在はどんどん大きくなってたんだ。やつに気にかけてもらいたかったし、それはみんなも同じ気持ちだった。
それで枢機卿になれなかった他の何人かと一緒にレイに抗議したんだよ。僕らを幹部にしてくれってね。
レイは一人一人に試練を与えた。大抵ロクな内容じゃなかったよ。電気屋でパソコンのパーツを盗んでこいと言われたやつは悲惨だったなあ、店主にバレて学校に連絡されてさ、可哀想だったね。レイは「あいつは駄目」と吐き捨てた。全く恐ろしいやつだよ。結局やり遂げたのは僕だけさ。というかやれと言われた以上のことをやった、なんせ僕の試練は敵対していたLINE民の支部を潰すことだったんだが、本部のほうを解散に追い込んでやったんだ!本家ネロと名乗ってた敵の"皇帝"がタイムラインに載せた降伏文書は傑作だったね。"熾天様に論争で完敗したため旭日帝国は解散します" 一字一句覚えてるぜ。え?ああ、熾天ってのは当時の僕のハンネさ。笑わないでくれよ。あの頃はみんなそんなノリだったんだ。
まあこの話には裏があって、僕はネロと八百長じみた取引をしたんだよ。つまり旭日帝国の解散は僕がアマギフを送るのと引き換えだった。そのためにお年玉の五万円を注ぎ込んだんだからもう僕はイカれてたんだろうね。
だけど嬉しかったよ、この一件でレイに気に入られた僕は副教皇へと大出世を遂げた!僕のために新設された、一番近くでやつを補佐する仕事さ。
しかもレイは任命式をするってんで僕を家に呼び出したんだぜ?もう舞い上がりそうだった!レイのやつ週に三日は学校をサボるから平日に呼び出しやがってさ、僕も仮病でずるけたよ、お湯であっためた体温計を親に見せて。
レイ!レイ!レイ!心の中でそんなふうに叫びながら僕はやつの家へ駆けた!体育祭でも出したことない速さだったろうなあ、やつはタワマンってほどじゃないがちょっとお高いマンションに住んでいて、子どもの時分にはその意味がわからなかったが確かに僕らはレイと出身階級に格差があったんだ。まあそりゃいいんだけどさ、実際ここからが本番みたいなものだよ、この話は。
やつの部屋はすごかったぜ。ゲーミングpcやらVRゴーグルやらあの歳の子がみんな欲しがるものは全部ある。それに壁中アニメのポスター、床はモンスターの空き缶だらけ。参考書やみすず書房や河出文庫が何十冊もあってさ、そういややつは成績もすごくよかったな。
レイは僕を部屋に入れるとベッドに座って"啓示"を始めた。
啓示っていうのはやつが毎日やってる説法のことで、機械の神からのお告げだって言い張るんだ。
やつは『DEATH 「死」とは何か』の表紙みたいなポーズで、手をぶんぶん振って憑かれたみたいに喋った。
機械の神は人間の自由を求めてる!
通信が距離の制約を無くしたり検索エンジンが情報へのアクセスを簡単にしたみたいに、ネットはもっと発展してもっと人間を自由にする。それを監視して邪魔する権力は肉の神のニューロンだ!打ち勝つには資本主義の加速だ!民主主義の撤廃だ!競争と取引こそがネットを育てる!肉の神の衆愚政治に終止符を!
確かそんなような話だったな、やつの思想は明確に加速主義的でリバタリアン的、それに反権力志向を含んでた。
当時の僕はそんなこと知っちゃいないが、わけもわからないままそうだそうだ!と囃し立てたよ。実際どの時代どの国でも大衆なんてそんなもんだろうがね。
とにかくやつはこの"啓示"を録音して音声を加工したものを月盟教会のグループに投下する。それを500人を超えるメンバーがありがたく傾聴する。すごいだろ?あの歳で教祖様をやってたんだ。
それからレイは副教皇は教皇と同じものを飲まなきゃならないといって何やら青い飲み物を持ってきた。確かリーンとかいってアメリカのラッパーが飲むものだよ、咳止めシロップをサイダーに溶かしたお手軽ドラッグ。やつが最初に飲んで僕にも手渡した、変な甘い味がしたなあ、しばらく経ったら体がふわふわして気持ち良くなってさ、まあつまりキマってきたんだ。あれはダウナー系だね。
それでパキった僕らは何をしたと思う?まず仲良くベッドに横になって見つめ合う時間があった。それからやつは僕にキスしやがったんだ!いや、びっくりしたよ。ファーストキスだったんだ、でも僕はシラフじゃなかったし、それにもうレイのことが好きだったんだろう。すっかり嬉しくなっちゃってやつに覆い被さって何度もキスした。思い返すと笑えるなあ、やつは「もういいだろ」っていうのに僕は「もう一回だけお願い!」ってさ、童貞丸出し。
近くで見るレイの顔は女の子みたいで、髪を撫でると良い匂いがした。ああよく覚えてる、覚えてるよ、忘れられやしないんだ。あれから僕もいろんな女の子とセックスしたがあんな柔らかい唇にはついぞ出会わない。
それにレイはキスが上手くて、っておい、そう嫌な顔をするなよ。何も子どもの時分のホモセックスを自慢したくて呼んだんじゃない、大変なのはここからさ。
当然キスの先をしたくなった僕はレイのパーカーを脱がそうとしたんだ。やつはすごく嫌がったけど、僕はシラフじゃなかったし性欲に目が眩んでいたからね、無理矢理ひっぺがしてしまった。全く最低だよな。だがこの時見たものが僕らの距離をぐっと縮めることになる。
単刀直入に言おう。レイは女物の下着を付けてたんだ。いや別にドスケベなのじゃない、ただのスポブラだよ。
それから全身に切り傷があった。リスカ痕みたいのが手首にも二の腕にも脇腹にも。
そりゃ僕は驚いたし、レイのやつ泣き出しちゃうから僕はますます大混乱。
だけど両手で顔を隠したレイの白いほっぺたにこう、涙が伝うのを見たら謝らなきゃならないってくらいのことはわかった。僕は咄嗟に「ごめん!」と詫びたんだがレイは啜り泣きしながら「死ねよ」とか悪態ついていて、挙句にはポッケのナイフを僕の喉笛に当てる始末。それでもうパニックになっちゃったんだな、やつを抱きしめて「好きだ!」と叫んだんだ。
わけがわからないだろ?でも泣き止んでほしくて必死だったんだよ。
もうそのあとはほんとメンヘラのカップルみたいだったな、レイは「黙れよ!」って喚きながら僕の背中を何度も殴ってさ、まあ大して痛くないんだが、僕は「好きだ!好きだ!」と叫び続けた。狂ってたよ、リビングにはやつの母親がいたんだぜ。
やつは泣き疲れたのか殴り疲れたのか、「じゃあ全部受け入れろよ」と投げ捨てるみたいに言った。耳元で涙声でだ、ゾクゾクしたよ。
僕はもうたまんなくなって中学生の身に余る覚悟を決めたね、「当たり前だろ」と言ってやったのさ。
やつは服を着てパソコンの前に座って僕にも来いと促した。
何を見せてくれるんだろうってバカみたいにわくわくしたが、一人用のゲーミングチェアに無理矢理二人で座って覗き込んだ画面にやつが映したのは酷いものだった。ほんと言葉を失ったぜ。
だってさ、レイが大人の男に強姦されてる映像だったんだよ。惨かったな、二度と見たくない。レイは本当に苦しそうな顔で、それを男はカメラ向けて撮ってやがった。映像自体はどこかから隠し撮りしたような画角でね、僕は勿論これはなんだと尋ねた。そしたらやつはなんて答えたと思う?
「父親」
確かにそう言ったのさ。父親が息子をレイプする?そんな状況がこの世にあるなんて当時の僕には想定できなかった。やつは画面を睨みつけながらいくつもの映像を見せた、いろんな体位、いろんな服装で凌辱されてるレイを男が撮影している、その光景を部屋のどこかから隠し撮りした映像。
そんなことがされるようになったのはレイが性別違和を口にし出した小学三年の辺りからだった。我が子がトランスだってわかった途端いやらしく見えてきたのかもな、やつの父親はレイプの様子を撮影してマニアのコミュニティで売り捌いてるらしい。母親は半ば知っているくせに無関心。それでレイは隠しカメラを仕掛けて証拠を残すことにしたんだ。
僕はもちろん警察に突き出すよう勧めたけどレイはまだだと言った。もっとコンピュータに強くなって件のコミュニティともども見つけ出して全員潰してやる、それに今事件にしたって大した話題にはならない。最大限世間に知らしめるためにレイ自身が有名になってやるんだと、やつはそう言ったんだ。変だろ?変なやつだよ。
本当は今すぐ終わりにできるはずの苦しみを妙な復讐計画のために何年も耐え忍ぶ、レイはそういうことをするやつだった。
その日からレイの見え方が変わったな。僕らの神様だったレイは性被害に苦しんで身体を切ってるトランスジェンダーで、きっとそういうあれこれがやつの誇大妄想を引き起こしてる。レイの弱い部分を知ってしまって僕はますます大好きになった。中学生なりに守ってやりたいとか支えになりたいって思ったんだ、かっこつけてるだけかもしれない、でも本心だったんだよ。
僕は狭いゲーミングチェアの上でレイの小さな手を握って「レイがどんなでもずっと味方だから!」とかなんとか捲し立てた。そうしたらやつは「だったら僕を姫にして」って囁いて、僕の耳を甘噛みしたんだよ。僕はもう意識がぶっ飛びそうになった!やつのそういう誘惑的な仕草が父親仕込みだってことまで、そのグロテスクさにまでは考えが及ばなかったんだな。無邪気に喜んでスキップでご帰宅さ。
それからはしょっちゅうレイの家に行った。副教皇はいつも教皇の近くにいなきゃならないとやつはいったが要は寂しかったんだろう。
レイは英語が出来るから海外のネットミームを教えてくれて、なんならchan系の掲示板の管理人をやってた。楽しかったな、パソコン見ながらイチャついて昂ってきたらベッドへ行って、事が済んだらベランダで一服。あいつは自分で改造したゲーム機もたくさん持ってたし、一緒にいろんな薬もキメたんだぜ。中学生であんな遊び方を覚えたらもう戻れやしない。
ところが僕らが家で会うようになって問題発生。屋上の集まりが減ってみんなの顰蹙を買ったんだ。初めはなんとなくそんな空気を感じる程度だったが、一番キレてた枢機卿長のハルマは直接食ってかかってきたね、僕にだぜ、おまえばっかりレイといるのはおかしいって。
でも僕はレイとずっと一緒にいたかったんだ、やめときゃいいものを「選ばれたのは僕だ」とかなんとか煽っちまったんだよ。そしたらもう大喧嘩。ご覧の通りヒョロヒョロの僕は勝てるわけがない、10分休みの教室でボコボコにやられた。
恥ずかしかったな、レイがその場にいたんだから!やつは学校によくあるあの形のストーブにしゃがんで、毛布被って暖を取っていた。可愛らしい背格好だったぜ、ストーブに手をかざしたまま、殴られる僕を怒りとも悲しみとも取れない表情で見ていやがる。
御前で負ける訳にはいかないと思って踏ん張ったが筋力の差は残酷だ、胸ぐらを掴まれただけで僕はぐらっと倒れ込む。ハルマは僕を床に倒して踏みつけて、勝ち誇った顔でレイのほうを見たんだ。レイは強いやつが好きだったから褒められると思ったんだろうな、でもレイはただただ怯えた様子で、ハルマは主君に捨てられた家臣みたいな悲痛な表情を浮かべた。今にして思えばあの時のハルマの顔に例の事件の序曲を聴くこともできたんだろう。
ちょうどその日のことだった、僕とレイと、他の何人かが一人ずつ教師に呼び出されて月盟教会のことを訊かれたのは。
迂闊だった。男子がみんなしてLINEを妙なハンネに変えたら(レイだけは複垢を使ってたからそんなヘマはしなかったが)異変に気づいてチクる女子くらい想定するべきだった。
多目的室で第一声、「君たちネットで変なことしてない?」心臓が止まりかけたよ。僕はなんとかシラを切ったが他の奴らは上手くできたかわからない。
僕の後に呼び出されたレイは多目的室から出てきて怨念の塊みたいな顔で爪を噛んでた。大丈夫?って声をかけたが虚空を見つめて有名なハッカーたちの名前を呟くだけ。
やつが病んだ時の癖で機械の神が最初に天国に連れていく聖人たちの名前を唱えると落ち着くんだそうだが、正直気持ち悪いよな。レイは顔が良いから受け入れられてたようなもんさ。
それで、その日から僕とレイは学校に行かずにレイの家に入り浸った。ちょうどやつの父親の出張が重なった上、母親は無関心だったから出来たことだ。
幸せだったな、実際あれが最後の幸せな時間だったんだ。コデインやなんかをキメて死んだら交代でFPSをやるんだがレイは強いから全然死なない。それからやつのマイクラにはmodがいくつも入っててさ、スプラッタ映画風のバケモノになったモブを戦闘機で絨毯爆撃したりなんか出来た。
一日中そんなふうに遊んで、夜になったらコンビニへ行ってカップ麺を買って(レイの母親は食事を作らない)抱き合って眠る。
ずっとあの時間が続けばいいと思ったよ。ベッドの中でのあいつはすごくか弱いんだ、みんなの前じゃ絶対出さない消えそうな声で僕の名前を呼んで泣きついてきてさ。
小五から女性ホルモンを飲んでるからだろうが発育不全の少女みたいな体型で、こんな体で親や学校やネットの何やらと戦ってるのがいたたまれない、守ってやりたいって、やつの細い肩を抱きながら確かにそう思ったんだ。
でも終わりは来る。逃げ場はない。僕たちが戦ってる何やかやは着実に迫ってくる。
ある朝レイがパソコンを開くと月盟教会のグループが乗っ取られていた。ハルマを筆頭に屋上のメンツが裏切ったんだ。グループ名は神聖旭日教会に変えられて、ハルマは僕とレイを退会させる前に宣戦布告の文書を載せていた。いや度肝を抜かれたぜ、文書はネロとハルマの連名で、ネロは例の取引のことも暴露してやがったんだ!ったく5万返せよあの野郎!とにかくハルマはネロと組んでクーデターを起こしたわけだ。もうレイはガリガリ爪噛むし、僕はダサいことがバレてヤバいし大パニック。
「騙したわけだ?」レイはキレてたね、焦ったなああれは、焦ったもんだからキスしたよね。押し退けられたけど。
もう僕は半泣きになって土下座した。許してくれ、君に気に入られたかったんだ!ってな。そしたらレイは呆れた様子でパソコンの方へ向き直ってものすごい速さでキーボードを打ち始めたんだ。あれはbotかユニコードでも作ってたのかな?とにかく「ハルマたちを潰す」と言ってた。でも僕はもうたまらなかったんだ。やつの暗殺者みたいな暗い決意の宿った目が、液晶のよくわからない文字列の光を反射してるのを見ていたらさ、もうやめてほしいと思ったんだよ。
「もうやめようよ、あんな奴らどうでもいいだろ、僕ら二人でずっといよう」と僕はそう言ったんだな、でもレイは「やるしかないんだよ!」って怒鳴った。「高卒で就職するお前らに何がわかるんだよ!」とも。やるしかないこたないだろ?全然ない。でもあの頃のレイにはやるしかなかったんだ。あいつはどうにもできない問題を背負いすぎていて、それが例えば父親の性暴力、母親の無関心、それにジェンダーのことや受験勉強のことだったんだろうが、それらを仮託できる敵を作るためにLINE民なんてやって無意味な抗争を引き起こしていた。だからここでやらなきゃレイは全てに負けることになる。やつの中ではハルマやネロがやつの問題の化身になっていたから。やつはそういう妄想に囚われるとこまで追い込まれてたんだ。
今までだったらレイがネットで起こすバトルは僕も楽しんだぜ、でもこの数日で、あいつが不健全な遊び方だったとしても年相応に笑ってくれるのを見すぎてた。僕はあいつに普通の中学生をさせてやりたくなったんだよ。ああ、そんなの思い上がりだったって今ならわかる。
でも僕が謝って事が収まるならそれでいいと思ってハルマのLINEに連絡したんだ。これが不味かった。ハルマはあっさり僕の謝罪を受け入れて、こちらからもお詫びの印だといってLINEスタンプの受け取りリンクを送ってきたんだが、ああ、踏む前にレイに相談するべきだった!やつなら勘づいただろうにな、まんまと踏んじまったそのリンクは乗っ取りリンクだったんだよ!僕のLINEを乗っ取ったハルマはもちろんレイとのトーク履歴を見た。レイは僕の前では女の子として振舞ってた。だから文体もそんな感じだったし、まあその、恥ずかしいボイメとかも送ってきてたんだよ。
それが全部ハルマに見られちまって、あのクソ野郎今でも許せない、ネロと一緒になってレイのトークをみんなに公開しやがったんだ。
これでもうレイは吹っ切れた。ハルマを殺すと言い出してボウガンやらスタンガンやら催涙スプレーやら物騒なものを引っ張り出してきたのさ。
僕は必死で止めようとした。武器を持って飛び出そうとするレイを掴んでさ、だけど止まっちゃくれない、邪魔するな!って大暴れ。そりゃそうだ、原因がほとんど僕だから止める権利もない。
それでもなんとか止めなきゃって、それでこう提案したんだ。明日デートに行こう、お詫びにってわけじゃないが僕が全部奢る、そこで挽回するからせめてそれまではハルマを殺しに行かないでくれって。
レイはそれで少し落ち着いてくれた。「わかった、絶対楽しませてね」やつはそう言った。
その晩は二人で過ごす最後の夜になった。
眠れなかったよ。僕の胸元で寝息を立ててるレイはどんな夢を見てるんだろう。考えると苦しかった。僕は小遣いを全部失くす覚悟でちょっと良いお店を予約したんだが、指の震えが止まらなくて。
落ち着きたくって昼でも閉め切ってるカーテンを開けてベランダに出ても、月は出ていなくて。タバコに火をつけたが美味いのか不味いのかなんてわかりゃしなかった。
誰にも忘れられない夜があると思う。僕のはこれだ。
眠れなくても朝は来る。いつも昼まで寝てるレイはその日は早起きだった。寝てないのを隠して今起きたってふりをした僕が「珍しいね」と言うと、やつは「楽しみだから」ってはにかんだんだ。ずるいよな、そんなの可愛いに決まってる。
レイが着替える時は僕は見ないようにしてた。いや、セックスで裸を見てるくせに何を今更って感じだけどそういうのが女の子扱いってことじゃないのかな。それで、その日もいつもみたくレイの着替えの物音を感じながら背を向けて布団にくるまった僕は鼻血を出して死ぬことになる。いや冗談だよ、でも本当に鼻血が出そうだった。だって布団から顔を出して何を見たと思う?レイは女の子の服を着てたんだ!
その頃にはレイの髪はボブくらいに伸びててさ、あんまり可愛いんで僕が固まっちゃうとレイは不安そうに「何?」と尋ねた。もう可愛いのなんの!動じない方がかっこよかったんだろうが我慢できずに抱きしめた。「可愛すぎる!」って!レイは「わ!」とかいってびっくりしてて、でも嬉しそうだったな、やつはその日を女の子として楽しむことに決めたんだ。だったらエスコートしなくちゃならない。
僕は頑張ったんだぜ?彼女も出来たことなかったくせに"デート やり方"とか調べて得た知識で水族館に連れて行って、イルカのショーなんか見てさ。イルカを可愛い〜ってはしゃいでるレイに「おまえがな」ってツッコミ入れそうだったよ。
あの日のレイは本当に幸せそうに笑ってくれた。機械の神も月盟教会も親のレイプも出てこない普通の会話を初めてしたんだ。僕と腕を組んで笑ってるレイは本当に普通の女の子だったんだよ。
それでなのかな、やっと僕も普通の形でレイを好きになれた。教祖様と信徒としてじゃなく、普通の男子中学生がクラスメイトの普通の女子に恋をするみたいに。
夕方予約しておいた店で僕はあいつに全部伝えた。
前にも好きだって叫んだことがあったがちゃんと告白したかったんだ、レイのことが好きだ、付き合ってほしいって。
店の雰囲気が良かったからかな、それとも僕がかっこよすぎたから?おい冗談だって。とにかくレイは泣き出してしまった。両手で口を抑えてボロボロ泣きながら「ありがとう、嬉しい」って。
こっちまで泣きそうだったよ。一番大好きな人が僕のために泣いてくれたんだから。
でもレイは「付き合うのはハルマとネロに勝ってから」だと言った。全部終わらせたら二人で幸せになろうって。僕は、僕はもう嬉しいのか悲しいのかわかんなくて結局本当に泣いちまった。応援してる、待ってるから、とかなんとかって。
二人してわんわん泣いて、泣き疲れて大笑いして。手を繋いでレイの家に帰った。
レイの父親が出張を終える日が近い、僕はもう自分の家に帰らなきゃならなかったんだ。
レイはお土産だって本をたくさんくれた、ウィーナーの『サイバネティクス』とかマクルーハンやボードリヤールなんかの束。全く、そんなの僕が読めるわけないってのに。
それからやつの愛用のとお揃いのナイフもくれたよ。これを持ってる限り僕らは永遠に戦友だとやつは言った。
家の前で僕らは何度もキスをして、数え切れないくらい好きだと伝え合ったんだ。
レイが切なげな顔で「戦いたくない、全部やめてケーキとか食べたい」って呟いたのを憶えてる。もしかしたらやめてくれるんじゃないかって光明が差した気がしたけど、レイは「でもやるよ、戦って勝つ。それが僕だから」って。僕はもう一度レイを抱きしめてキスをして、泣き出しそうな叫び出しそうな気持ちで「じゃあね」と伝えた。レイも同じ気持ちだったんだと思う。何回振り帰ってもずっと僕を見つめて小さく手を振っていてくれた。行かないでって言ってるみたいだったんだ、行かなきゃよかった、あいつがあの家に、あの街にいる限り戦うしかないってなら手を取って一緒に逃げてやるべきだったんだ。だって、それが僕の見た最後のレイの姿になったんだから。
次の日、レイが殺傷事件を起こして捕まった。僕がやつを最初に見出したあの公園で、僕にくれたのとお揃いのナイフで。
被害者のハルマは死亡。もう一人の高校生は腹を刺されて重体。
ニュースで見てまさかと思った。ダッシュで公園に駆けたが野次馬と報道陣でごった返していて、警察の規制線が貼られてた。そりゃ、その時点ではまだ犯人がレイって確定したわけじゃない。なんせ顔と名前が報じられないしな。
でも普通に考えりゃわかるだろ、僕はもう絶望と無力感とでへたりこんで動けなくなった。
結局後になって聞いた顛末はこうだ。ハルマはタイマンを張ろうってレイを呼び出したが、騙し討ちするつもりでネロも連れてきてた。重症を負った高校生のほうがネロさ。
ネロはあの公園でレイと話してた不良の一人だったんだぜ。酷い話だよな、僕は自分で思ってるよりずっと狭い世界で戦ってたんだ。
あの後いろんなやつからいろいろを聞いたよ。
レイにコンピューターや哲学のことを教えたのが全部ネロだってことも、レイとネロがむかし恋仲だったってことも。
僕は何も手につかなくなって何日も引きこもった。それでレイからもらった本をパラパラめくってたらメモ帳が一冊挟まってるのを見つけたんだ。それはやつの日記だった。うっかり入れっぱなしで僕に渡しちゃったんだろうが中を見て本当に悲しくなったよ。だって嫌なことばっか書かれてるんだぜ。犯されて体が痛いとか勉強が終わらなくて吐きそうとか、妄想症状が辛いとかさ。例えばこうだ。
"今日は幻聴が酷い。機械の神が話しかけてくる。手首を切ると静かになる。頭がおかしくなるのが怖い"
性別のこともたくさん書かれてた。自分がどうしたって男で醜いってことを毎日書いてるんだけど、僕はやつをそんなふうに思ったことなかったから余計に悲しかった。
そういうのが全部可愛い丸文字で、筆圧が弱いのか消えちゃいそうなくらい薄い字で、なんだかあいつそのものみたいで。
押収されたレイのパソコンから証拠が上がって父親も捕まった。その辺りから事件は一気に話題になってコメンテーターやら何やらが好き勝手言いやがる。
半ばで中断されちまったレイの復讐計画なんて知らないやつらの勝手な言葉にイライラしながら日記を読み進めて、僕が話しかけた日に辿り着いた。
"今日は変なやつが話しかけてきた、公園で見たって何?ストーカー?"
第一印象終わってるよな!でも僕が副教皇になったあたりから一転。日記は僕の話ばかりになるんだ。
"あいつにキスした。ああいう仕方でしか人と仲良くなれないのが辛い、嫌われてないといいな"
"今日も幻聴酷いけどあいつが来てくれるから幸せ"
"あいつが殴られてたのに何も出来なかった。強くなりたい。大事な人を守れるようになりたい"
極めつけはこう。
"あいつのこと大好き"
僕はもう泣きそうだった!想像していたよりずっとレイの中で僕の存在は大きかったんだ。
最後の日記はあのデートの前の日の夜だった。
怖かったぜ、ぐちゃぐちゃの筆跡で恨み辛みが書き連ねられてて、僕への罵倒もたくさん!
でもね、やつは最後にはこう書いていた。
"普通の女の子として幸せになれますように"
僕は日記を閉じて、大事に引き出しにしまってリビングのテレビをつけた。
そこで許せないものを見ちまったんだ。
記者会見で警察署長が、犯人の中学生を、つまりレイのことを"A男"って伝えていやがったんだよ。
許せるか?許していいと思うか?警察は押収品や取り調べの内容からレイのジェンダーのことを知っていたはずなんだぜ。
僕はもう怒り狂ってテレビに飛び蹴りを食らわせた!
「何考えてんのよあんた!」怒鳴る母親を無視して僕は家を飛び出し、警察署のほうへ駆け出したんだ!体が勝手にな!
途中デカい石をいくつも拾ってさ、狂ったボーちゃんみたいに石を抱えて猛ダッシュ!
もちろん何をしたかはわかるよな?そう、投石さ。
食らえ!死ね!消える魔球もあるぞ!僕はやつらの窓ガラスを何枚も割ってやった!
すぐに署から警官たちがすっ飛んできたがその中の一人、ババアのおまわりに怒鳴ってやったのさ、「あいつは!レイは!おまえなんかよりずっとずっと女の子なんだ!!」
間違っていたかな?今でも間違ってなかったと思ってるよ。とにかく僕はこの件で一年ほど少年院に入ったが、レイのくれた本を家族が送ってくれて退屈せずに済んだ。
おかげさまでシャバに出た頃にはすっかり影響されててね、大学は哲学科を出て、今はなんとか社会人。
え、結婚はまだかって?出来るものかよ!僕の心はもうずっとあいつに囚われたままなんだ、そのせいでいいところまでいったのに僕から振った女の子もいるくらいに。
ともかく今日は遅い時間にすまない。
ずっと胸にしまってたレイとのこと一度誰かに話したかったんだってことをわかってくれ。
何、心配しなくてもレイはきっと今もどこかで戦ってるよ。それがレイなんだからさ。
だけど、今でも考える。こんな月のない夜は胸がいっぱいになる。
誰かがレイを助けてやれなかったのか?神様だって思い込むくらいネットにしかいられなかったレイの居場所に誰かがなってやれなかったのか?
いや、誰かじゃなく僕がなりたかったんだな。
あいつが本当のところ何と戦ってたのか全部はわかってやれなかった。今だってわからない。でも僕は隣で一緒に戦いたかったんだ。
我儘で出過ぎた目論見で、少なくともあの頃の僕には出来なかったってことも、そもそも人が人を助けるなんてこと自体不可能かもしれないってこともわかってる。
わかってるのに君をこんな話に付き合わせた上、今またロクでもない計画を立ててるんだから僕は最後まで子どもだったな。
ああ、そんな顔しないでくれ、あの事件の日からずっと精神分裂なんだ。機械の神の声が言うんだよ、"預言を実行せよ"って。
君と友達をやれてる今の暮らしも大切さ。
だけど仕方がない、目当ての人間の居場所を割り出すくらいレイ譲りのネットスキルで簡単に済んじまった。
ああそうさ、止めるなよ。止めたって止まれない。
あの日レイが使ったのと同じナイフを僕は持ってる。
やるんだ、ネロを。僕らは永遠に戦友だ。



コメント