Vol.035|やれる・やりたい・やるべき
『MONOLOGUE』は、備忘録を兼ねたフリースタイル文筆を毎回3本まとめてお届けするマガジンです。それぞれの内容は独立している場合もあれば、連続性をもたせている場合もあります。毎週月曜午前8時に定期更新。何かと思想強めですので、用法容量を守ってお読みください。
やれる・やりたい・やるべき
よくキャリアデザインの文脈において、やれること・やりたいこと・やるべきことが3つの円のベン図で表現され、その集合部分を狙いましょう、みたいなことが説かれる。なんとなくわかったような気にはさせるものの、いざ自分の人生に落とし込むとなると、あまり役に立たないことが多い例のあれだ。
なぜ役に立たないのかというと、思うに突き詰めると原因はたった一つで、そもそもの解釈が間違っている。三つの要素を等価値として扱っているのも、やるべきことを単なる社会的な要請として捉えているのも、なにもかもが的外れである。もっと根本的なことをいえば、そもそもキャリアデザインの文脈に限定してこれを論じていること自体がおかしい。本来これは生き方の問題であり、世界と向き合う態度を問うもの。
というわけで今回は、このやれる・やりたい・やるべきを
前提として
まず重要となるのは
進化の過程で肉体に刻まれた本能、あるいは社会的な洗脳によって、放っておけば人は
とはいえ、やれることをガン無視してもいいかというと、そういうわけでもない。やれることをおろそかにしてしまうと、極端に言えば「世界、獲ります」とか言いながら片田舎で工場労働をして休日はソシャゲに時間を溶かしている人、みたいな自意識モンスターが爆誕してしまう。自己啓発やスピリチュアルにかぶれている人にこういう人は多いように思う。
ただまあ、これは別に気にする必要がないと思われる。どうせ放っておけば、周囲の冷たい反応を含めたままならない現実に打ちのめされ、自然と地に足がついてくるだろうから。
それに打ちのめされなかったら打ちのめされなかったらで、大成する可能性もある。世界にその名を轟かせる経営者の自伝なんかを読んでいると、ある興味深い共通項が浮かんでくる。というのも、彼らはどう見ても現実が追いついていない段階で、壮大なビジョンを掲げているのだ。孫正義などはその最たる例だろう。もちろんその段階では周囲は嘲笑うし、社内の人間ですらもただただ困惑するだけだった。が、しかし彼らは狂気的なまでの信念をもって、いついかなる時も大言壮語し続けた。そしてそれが実現することをまったく疑わなかった。すなわち
彼らのような経営者を目指すべきだと、そう言いたいわけではない。そもそも誰もが会社経営をやりたいわけでもないし、そこまで一切ブレずに
彼らをそうした偉人へと導いた原理原則が、われわれ一人一人にも同じく働いていることを知らねばならない。原理原則すなわち神の手に取りこぼしはありえないのだから。
やるべきことはわかっている
さて、ここからはいよいよやるべきこと
まずここでいうところのやるべきことというのは、社会的な要請としてのやるべきことではなく、一般には天命と呼ばれるような、もっと大きな意味でのやるべきことのことだ。
そして、それをあなたの
育まれるというと、少し語弊はあるかもしれない。本来の姿を取り戻すといったほうがより正確だろうか。そもそも
その上で声を大にして言いたいのは、
自己啓発やスピリチュアル界隈においては、自身の天命を悟ったとアピールする人であふれかえっているが、その多くは単なる勘違いである。自己啓発やスピリチュアルにかぶれることで、感性が歪な形で肥大化したことによる勘違い。そもそもこれみよがしに言語を用いてアピールしてる時点で、もうなんか違うとしかいいようがない。
映画『マトリックス』において、モーフィアスがネオに特訓をつける際、本来の力を発揮できずにいるネオに対して、モーフィアスはこう語りかける。
「Don’t think you are. Know you are.」(頭で考えるな。知るんだ」
日本語の字幕では、前後の文脈も踏まえて「速く動こうと考えるな。速いと知れ」になっている。これはまさに真理の一端を捉えたセリフで、やるべきことの自覚もこの感覚に近い。頭でそう考えているのではなく、そうであることを当たり前かのように知っている。そうであることを知っているから、わざわざ対外的にアピールする必要もない。その意義も感じない。1999年公開と古い映画だが、世界の構造を知る上で本当に示唆に富む作品である。
少し脱線したので、ここらで簡単にまとめよう。やれること
たった三行でまとまるようなことを、ここまで長々と書いてきたわけだが、とにもかくにも初期の段階ではいかに
動かない感性pをいかに動かすか
前項で述べたように、進化の過程で肉体に刻まれた本能、あるいは社会的な洗脳によって、放っておけば人は
そこでまず万人におすすめしたいのは、マインドフルネスである。これは今日からでも取り入れられる習慣なので、ぜひ取り入れてみてほしい。「いまここ」に意識をもっていくことで、
やり方はネットを検索すればいくらでもでてくるので、自分に合いそうなものを選べばよい。もっといいやり方はないかと、マインドフルネス難民に陥っている人が一定数いるが、そのあり方自体がズレている。そもそもやり方というのはさして重要ではないのである。なぜなら、やり方とは
あるいはタロットや占星術なんかも有効である。こうした占術というのは、リーディングといってまず直感を用いてあたりをつける必要がある。たとえばタロットであれば「このカードをこのタイミングで引けるということは……xxを示唆しているんじゃないか」といった形で、まず直感によって仮説を導くわけだ。そうやって直感によって導かれた仮説を、論理を用いて現実世界との整合を図るのがリーディングである。そしてこのプロセスはまさに
一度は自分で学んで実践することをおすすめするが、どうしてもその時間がとれない人は、力のある占術家に見てもらってもいい。ただまあ力のある占術家というのはそうそういないし、下手をすれば占術魔境に取り込まれて、金も時間も無駄に失いかねないので、あまりおすすめはできない。よほど信頼の置ける人からの紹介に限るならば、検討してみる価値はあるかと思う。自分も西洋占星術をベースに友人・知人限定でリーディングすることはあるものの、大っぴらにはやっていない。おそらく今後もやることはないだろう。
大切なのは、何事に対してもオープンマインドであることだ。オープンマインドであればあるほど、それだけ感性を育むチャンスに恵まれる。
言い換えればこうした占術を頭ごなしに否定するような態度がもっともよくない。こうした占術を頭ごなしに否定する人というのは、まず間違いなく感性が磨かれていないと考えてよい。表面的には論理的・合理的な人間かのように振る舞ってはいるものの、その実、論理的・合理的であるとはどういうことなのかがまるでわかっておらず、その必然として人生の路頭に迷っている人たちである。
何度もいうように、論理的だとか合理的だとかは
さて、ここまでマインドフルネス、タロット、占星術とおすすめしてきたわけだけど、これらからはどちらかといえば女性的な印象を受けるかと思う。実際にこれらの周辺界隈に生息している人たちを見ても、圧倒的に女性が多い。これは偶然ではなくて、
言わずもがな生物学的な女性・男性と、女性性・男性性は違う。男性であっても女性性が強い人はいるし、女性であっても男性性が強い人はいる。それでもやはり生物学的な女性・男性の影響はある。進化の過程で刻まれた本能と、その性別に期待されている社会的な役割、いわゆるジェンダーロールの影響からは逃れられない。
その上で、感性を育みたいのであれば、女性が集うような界隈に触れてみるのは有効である。たとえば同じ読書にしても、哲学書ばかり読むのではなく、エッセイを読んでみるとか。哲学者や哲学書を好んで読むのはだいたい男性だが、エッセイストやエッセイを好んで読むのはだいたい女性である。
とはいえ、哲学もおすすめではある。哲学を探究することで直接的に伸びるのは男性性だが、哲学ではあらゆる前提を疑いにかかるので、そうした世界と向き合う態度が感性にこびりついた動物的本能や社会的洗脳を相対化し、それらに囚われなくなることで、結果として感性を伸ばすことにもつながる。
ただし、この時重要なのは「自分の人生に引き込む」ことで、これができないと男性性ばかりが伸びて、本来あるべき


