『星獣戦隊ギンガマン』第二十三章『争奪の果て』
◾️第二十三章『争奪の果て』
(脚本:小林靖子 演出:長石多可男)
導入
「3,000年前、地球に持ち込まれた大いなる力「ギンガの光」が遂に現れた。今、その最強の力を巡って、激戦の火蓋が切って落とされた!」
さあ、「八月の超傑作群」第二弾がここで始まったわけだが、今回は全体的に最初から最後まで画面がほぼ動きっぱなしであり、脚本・演出共に次回と並び最高の一本である。
とても前回の導入からは想像できないくらいに凄まじい激闘っぷりはもはや戦隊シリーズという領域すら超えて一本の映画を見ているような気分にさえさせてくれた。
リアルタイムで見た時も凄まじい迫力で画面に目が釘付けになったが、画面から迸るこの熱量は今でも変わらず見るものの感性を刺激し続けてくれる。
同時に、ある意味では今回を持って第十七章から示されてきた「力と心のあり方」が最終的にギンガマンの劇的な勝利という最高のカタルシスとして結実するのだ。
全体を通して見所しかないわけだが、単に味方が最強にパワーアップするというありきたりなお約束をどれだけ見せられるかにおいて、今回は正にそのお手本のような回だったといえる。
本当、今巷に転がってるなろう系をはじめとする昨今の作品にはない良さが詰まっており、最近のようにとにかく新形態を消耗品のように安売りしているわけではないのだ。
限界と争奪の果てに満身創痍にまでなりかけたギンガマンが最後に辿り着いた新境地として出てくる「獣装光ギンガマン」は見ているだけで魂を揺さぶられる美しさである。
もうこの時点でSS(殿堂入り)は確定なのだが、そこに行き着くまでの駆け引きというかプロセスもまたしっかり裏付けられており、これまで散りばめられてきた要素を圧縮する形で怒涛の伏線回収を行なっていく。
一方でブドー魔人衆にとってはせっかくうまく行きかけたものが全て裏側で仕掛けられていたイリエスとブクラテスの策謀によって無惨にも失脚をしてしまうという残酷さもまた示される。
そしてギンガの光を一度は手放すしかなかった黒騎士ブルブラックの復讐鬼としての野望も今回をもって潰える形となってしまい、彼もまた容赦無く蚊帳の外へと締め出されてしまった。
ここしばらくギンガマンにとっては戦闘力としても物語としても厳しい試練が続いたわけだが、その中でもめげずに戦い諦めなかったギンガマンのみが「努力の向こう側」へと行くことが許される。
しかも唐突にこのような展開になったわけではなく、第一章から提示してきたあらゆる布石・伏線が貼られていているからこそ、ここまで点在していた要素が一本の「線」になるというわけだ。
ここから第二十六章までは片時も目を離せないほど映像作品としての濃密さが凄まじいが、今回を一言で言うならばギンガマンというヒーロー自体も、そして作品全体としても「ハネた」といえる。
正に指数関数のようにこれまで地道な低空飛行を繰り返しながら来たわけだが、これが平成ヒーローの1つの特徴である「成長曲線」という指数関数型の伸び方なのだ。
私自身も大学受験の時もそうだし今でも仕事で経験しているからこそ思うわけだが、本当の意味での「学力」というか「力」というのは明日明後日で簡単に結果の出るものではない。
時に地獄を見るくらいにしんどい思いをして、辛く苦しい時期を乗り越えある時期に一気に伸びるのが理想的な伸び方であり、正に本作は1998年にしてそれを体現している。
逆に言えば、ここまでしっかり描き切ってこそ、ややもすれば「ご都合主義」と叩かれがちな奇跡ともいえるギンガマンのパワーアップに重みと深みが増して説得力が出るわけだ。
少なくとも「力と心」の向き合い方について、スーパー戦隊シリーズに限らずあらゆるヒーロー作品の中で本作以上のものを打ち出せた作品を私は見たことがない。
ヒーローものの王道中の王道である「力と心」のバランスだが、逆に言えば定番すぎるからこそ再現が非常に困難なお題目でもあり、それが出来た作品は指で数えるほどしかない。
それを本作は絶妙なバランスで完璧なまでに再現しており、脚本・演出・役者の演技・音楽などあらゆる要素が渾然一体となった本作はもはや「至高の芸術」とさえ云える。
改めてこれまで培ってきた諸要素を踏まえつつ今回がどれだけ凄まじい衝撃を視聴者にもたらすのかを語ろう。
ギンガの光は悪党であっても力を貸す
まず、今回の1番の見所である獣装光ギンガマンを語る前に最初に語るべきはなんと言っても邪装光・怒涛武者であり、リアルタイムで見たときに衝撃を受けたところだ。
通常のヒーロー作品であったらストレートにギンガマンがギンガの光を手に入れてあっさり獣装光になってしまうように持っていくところだが、本作はそこが甘くない。
これまで自在権機刃→獣撃棒とギンガマン側のパワーアップについては敵の邪魔はあったものの、どちらかといえばヒーローもののセオリーに沿って進んできた。
ところが今回のギンガの光は悪党であるはずのバルバンに力を貸すところから始まり、前回ただでさえ強かった怒涛武者が手をつけられないほどの強さになる。
その強さの表現として山ごと焼き払い大自然の山の中に住む動物たちを虫ケラ同然のように扱う映像表現は、ギンガマン5人が山から転がり落ちる表現と相まって凄まじいインパクトだ。
もはや山火事とさえいえるこの映像表現は第一章から繰り返し使われてきた炎のたてがみの怒涛武者版ともいえ、同じ大自然の力を用いたとしてもバルバンが使うとこうなるという例である。
しかも怒涛武者はギンガの光を装備した時、完全に力の強大さに心が蝕まれ飲み込まれてしまい、自制心を失ってしまいただの暴力装置、もっと言えばチンピラと大差なくなっている。
まだ現実に暴れるチンピラの方が可愛げがあるが、怒涛武者は普段がブドーに対する忠誠心が厚い存在として描かれてきたため、ギンガの光を手にした時との乖離もまた激しくなるのだ。
なぜこんな展開を見せる必要があったのかといえば、色々な意味はあるが一番はギンガの光が決してギンガマンにとって都合の良い存在ではないことを示すためだろう。
ただでさえ力も技も十分に磨き上げてきたギンガマンにとってギンガの光は必ずしも望んで手にすべきものではなく、バルバンや黒騎士に渡るのを防ぎたいだけである。
最終的にギンガマンの手に渡ることが既定路線であったとしても、見る側に少しでも「これがギンガマンの手に渡る」という風に思わせてはならない。
あくまでギンガの光が悪党でも使えるニュートラルかつ強大な力であることを示すことによって、ラストの結末にも相応のカタルシスを与えることができるのだ。
2つ目、これが最も大きいのだがブドー魔人衆はどこまで行こうと所詮はならず者の集まりでしかなく、根っこは宇宙海賊であることを示すためである。
「せめて最後の御奉公」というセリフや主従関係から分かるように、ブドー魔人衆は上司と部下の信頼関係が厚いから、そこに魅力を感じる人も少なくない。
だが、それらは所詮「真面目ぶっている」だけであって、やっていることはダイタニクス復活のためという私利私欲であることを忘れているんじゃないだろうか?
砂爆盗がそうであったように、ブドー魔人衆は無辜の者たちがどうなろうが知ったことではない残忍な悪党であるという大前提をここで示しておく必要があるのだ。
そして3つ目、後述するイリエス魔人族に忠誠心を利用されて騙されることの愚かしさ・滑稽さのようなものを演出するためである。
後に小林靖子自身が手がける『侍戦隊シンケンジャー』でもそうだが、主従関係というのは主君と家臣の絆が大前提であり、一見美しそうだが短所もあるものだ。
それは「主君が絶対に間違えるはずがない」という盲目的なイエスマン思考に陥ってしまうことであり、家臣が自分たちで判断する機会を損失してしまう。
今回は正に怒涛武者がブドーに扮したメドーメドーの嘘を見抜けなかったことであり、ここでの判断を誤ってしまったことが悲劇の引き金となった。
そうした諸々も含めて、この邪装光・怒涛武者は単なる「力に溺れたものの末路」のみならずバルバンのバルバンたる所以の象徴といえる。
イリエス魔人族の策謀が示すもの
さて、今回本格的に動き出したイリエス魔人族の策謀の恐ろしさだが、今回はその第一弾としてメドーメドーがブドーに化けて白い蛇模様の数珠とともに怒涛武者を騙す。
もちろん狙いはブドーを失脚させるためだったのだが、わざわざこんな手を込んだことをすることになんの意味があったというのか、船長も実はこの謀略に気付いていそうな気配まであるのに。
ここも様々な意味が暗喩されているわけだが、1つはバルバンが第二章で言っていた「ギンガマンに負け封印された原因が仲の悪さにある」ということの伏線回収である。
単に反りが合わないだけならまだいい、それどころか自分の立場を確保するために有能な仲間を裏切るということを平気でやってしまう卑劣な邪悪こそがバルバンの仲の悪さの本質だ。
そう、私利私欲のためなら身内に対する裏切り・不義理・隠し事だって平然とやってのける悪辣な精神性であり、歴史の偉人・ナポレオンはこのような名言を残している。
「真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である」
そしてもう1つ、ハンス・フォン・ゼークトなる軍人が残した軍人には「有能な怠け者」「有能な働き者」「無能な怠け者」「無能な働き者」という4つのタイプがあることが分析されていた。
これをバルバンに当てがうなら1クール目のサンバッシュは典型的な「無能な働き者」であり、2クール目のブドーは「有能な働き者」タイプだった、ではイリエス魔人族はどのタイプか?
そう、「有能な怠け者」であり、基本的に自ら前線に赴くことはなく裏でわからないように動き、必要最小限の動きで結果を出すという実はブドー以上に厄介なタイプである。
実は一番四幹部の中で最も指揮能力・判断力に優れているのは彼女であり、「無能な働き者」であるブクラテスと組んでしまったばかりに、この後第三十四章以降の展開がああなるのも納得がいく。
だから、目先で見ればこのイリエス魔人族のやったことは確かに素晴らしいのだが、事の発端がそもそも「ブドーに手柄を持って行かれたらまずい」という自己保身と嫉妬というくだらない感情がもたらしたものだ。
目的重視ではなく感情重視で動いてしまう人間の末路がそうであるように、確かに今回この策謀を図ったことでブドーの失脚自体には成功したが、これが長期的に見てどれだけの損失をもたらすかに気づいていない。
イリエスもブクラテスもメドーメドーもその判断ができなかったから、結果的にギンガマンを強くしてしまうという想定外の結果を招くことになってしまったというわけだ。
よく一部のノイジーマイノリティーは「ギンガマンは運が良かっただけの戦隊」「ここでイリエスが邪魔していなければギンガマンは詰んでいた」と言われるが、そんなたらればはそもそも存在しない。
あくまで劇中で描かれた事実が全てであり、ギンガマンは決して運が良かったから手にできたわけではなく、バルバンや黒騎士が勝手に選択を誤って自ら落ちてしまっただけのことだ。
それを人は自業自得というのであって、尚且つ黒騎士共々やっていることが完全に狡い悪党ムーブという「同じ穴の狢」であり、そんな考え方=脳のOSの持ち主がギンガの光を手にできるわけがない。
まあブドーもイリエスやブクラテスの策謀に気付けずリスクヘッジをしてしまい自らの有能さを過信していたのも問題だが、そういう諸々が重なって敵を強くしてしまったというわけだ。
ゼイハブ船長が言うように「確かなことは今ここにギンガの光がねえってことだ!」という言葉が全てであり、後からいくらたらればの仮定を論じても無意味である。
ブドー魔人衆がギンガの光の強大さに溺れて自滅していったのに加え、そうなるよう仕向けたイリエス魔人族の誤った才能の使い方もまた今回の敗因だったわけだ。
ここでブドーを裏切った報いは第三十四章で受けることになるわけだが、この辺りからどんどん見えてくるバルバンの悪の本質もまた露呈している。
ギンガの光はなぜギンガマンを持ち手に選んだか?
さて、怒涛武者(というかブドー魔人衆)が失脚した後、勝負は振り出しに戻り最終的にはギンガマンVS黒騎士ブルブラックの争奪戦に絞られた。
ここでも明らかになるのはギンガの光にまるでハイエナの如く集り手に入れようとする黒騎士の浅ましさ・愚かしさと対を成すギンガマンの精神の綺麗さである。
黒騎士はギンガの光に「執着」し、一方でギンガマンはギンガの光を「手放す」ことを選択する、ここでの各人のセリフもまた印象的だ。
イエロー「あいつやバルバンに使わせるぐらいなら、壊した方がいい!」
ピンク「うん!私は……要らない!」
ブルー「ああ!星を傷つけるための力なら……!」
グリーン「そんなことのあるためにある力なら、俺たちは要らない!」
黒騎士「よせ!銀河に1つしかない力だぞ!」
レッド「俺たちに必要なのは星を守る力だけだ!」
この掛け合い、イエローのヒカルから始まるってレッドのリョウマで締めくくられるのも見事だが、もちろんこの順番にも意味がある。
近年だといわゆるスピリチュアル界隈で言われる「執着を手放す」だが、正にここではそれを具現化したようにギンガマン5人はバルバンとも黒騎士とも違いギンガの光を「手放す」ことを選ぶ。
特にヒカルは第四章でかつての自分がバルバンや黒騎士にも近い形でアースの力をいたずらに振り回して得意げになり、そのせいでハヤテをピンチに陥らせるという事態の悪化を招いた。
その経験から尚更力に対して誠実で謙虚であることを意識したわけであり、更にリョウマが他の4人の意見を代表として総括するように述べているのも、勇太少年に十七章で語って聞かせた通りだ。
「リョウマ……僕、戦士になりたいんだ!リョウマや星獣たちが戦ってるのに、見ているだけじゃ駄目だよ!でも、無理だよね。アースも使えないし、剣も出来ないし」
「力や技だけが、戦士の条件じゃないよ」
「なんで?戦士にはそれが一番大事でしょ?」
「うーん……ただ暴れるだけならな。けど、戦士に必要な強さや勇気はそこからは生まれない」
ここで語ってきた通り、リョウマたちギンガマンは強大な星を守る力や技を手にしていながら、本当に大事な「考え方=脳のOS」はそこにはないと説いた。
そして第十八章から登場した黒騎士こそが正にその「力や技をいたずらに誇示して暴れるだけのチンピラ」だったわけであり、だからこそリョウマは再三にわたって警告した。
第十九章では「ここであの子を見捨てれば、どう戦おうとそれはバルバンと同じだ!」、第二十章では「全てを犠牲にして勝ったとしても、その後に何があるって言うんだ?あなたの戦い方では、終わった後に何も残らない!」と。
そして今回も「渡さない!復讐だけのあなたが使っても、バルバンと同じように破壊が生まれるだけだ!」と最後の警告を促したが、黒騎士は無視して手にしようとした。
ギンガの森で3000年もの時間をかけて伝達されてきたもの、それは決して戦闘技術だけではなく何よりも「考え方=脳のOS」であり、それがここで改めて結実したわけである。
なぜバルバンも黒騎士もギンガの光に「執着」しながら選ばれず、逆にギンガマン5人が「手放す」選択をした時に逆に選ばれたのか、それはギンガマンこそが力を手にするに相応しい人間性を持っていたからである。
ギンガマンの素晴らしいところは戦士として一切スレた感じが全くなく癒しのオーラさえ纏っているところであり、それが彼らの「優しさ」として現れるし、優しくできる人たちはそれだけの強さも余裕もあるのだ。
スピリチュアル風に言えば「波動が高い」のがギンガマン5人であり、逆に力と技は凄くても「波動が低い」のがバルバンと黒騎士ブルブラックだったわけで、その積み重ねの差がここで出たのである。
強大な力を手にすれば誰だって欲しくもなるものだが、果たしてそれがきちんと自分たちの目的達成のために必要なものなのかそうでないのか、そこで判断を誤ってしまうと本当に大切なものは手に入らない。
逆に言えば、最後まで諦めずに粘り続けて「星を守る」ことを何よりも念頭に置いた戦い方をブレずに貫いてきたからこそ、強大な力を前にしても心の闇に飲み込まれることなく戦うことができるのだ。
力に振り回されるのか、それとも力を抑制して我が物として使いこなすか……1クール目から提唱し続けてきたことが大きな力の差となって現れ、黒騎士はなす術なく諦めるしかなかった。
獣装「光」ギンガマンの圧倒的な美しさ
さて、今回の目玉である獣装光ギンガマンの圧倒的な美しさだが、まずは右手に閃光星獣剣、左手にエメラルドグリーンの腕輪と鉤爪という左右非対称のデザインが素晴らしい。
名前も獣装「光」であって装「甲」ではないところもポイントが高く、いわゆる鎧を羽織って強くするというありきたりな発想ではなく、攻撃力と動きやすさに重点を置いているのがミソである。
スーパー戦隊シリーズにおいて5人を強化する鎧が出てきたのはテレビシリーズとしては『地球戦隊ファイブマン』のファイブテクター以来だが、あちらは胴体以外の両腕両肩両足を強化した。
それに対して本作は外見での変化を少なく見せており、そのせいかパワーレンジャー版ではものすごくクソダサいファンタジー性のかけらもないアーマーを装着させている。
今回は5人揃っての一体感を重視するためか、あくまでも5人一体型の必殺技「ギンガの閃光」しか披露していないが、次回以降はもっといろんなバリエーションのアクションを見せる。
この獣装光ギンガマンの素晴らしさについては是非とも次回で語りたいのだが、とにかく初見ではその絶妙なデザイン性と輝きに思わず唸ってしまい、金ピカのパワーアップが多かった90年代作品群の集大成に相応しい。
しかも単なるパワーアップではなく、上記した通り「力と心」のバランスについての試練を潜り抜けてたどり着いた新しい概念であり、ギンガマンというヒーローの可能性を見せてくれたと言える。
戦闘力としての強さはもちろんのこと、何よりも「獣」の力と「人」の力を結合させて戦っているというのがよくわかる作りになっているのがこの獣装光ギンガマンのミソなのだ。
演出としても神々しいというか神秘性さえ宿っているわけだが、これが上記した邪装光・怒涛武者との圧倒的な差であり、怒涛武者が強化されたデザインは禍々しく穢らわしい。
そして何より敵味方の見境なくその力を誇示しており、いうならばただの「暴走状態」なのだが、獣装光ギンガマンはその強大な力を5分割した上でなおその力に飲まれず冷静にコントロールしている。
そう、このアクションにおいても本作の「力と心」のバランスはしっかり反映されており、圧倒的な美しさで見るものを凌駕しつつも決してその力を無駄にひけらかさない。
第一章で覚醒させた「獣」の力と理性を持った「人」の力、それを銀河最強の力で劇的に高めつつ、その上でなお「星を守る力」として使いこなしているのが素晴らしいのだ。
ただでさえ強かったギンガマンがよりとんでもない力を手にするわけだが、少なくともある時期以降の困ったらとにかく新形態や新武器を乱発する雑なヒーロー作品とはそこが決定的に違う。
力や技をどれだけ持っているかが大事なのではなく、その力をいかに我が物として咀嚼・吸収した上で「星を守る力」というプラスの力に変換できるかが肝心なのだ。
少なくとも今お隣でやっている『動物戦隊ジュウオウジャー』の王者の資格なんて名前の割に描写として大したことないチンケなパワーアップ()とは比にならない魅力を誇る。
単なる「強化アイテムキター!これで勝つる!」なんて底の浅いものじゃない、その強大な力を手にすることがどういうことかという根幹までを突き詰めているのだ。
つまり宇宙に1つしかない力をギンガマン5人が手にし「星を守る力」に変えた、この壮大なロマンあふれる設定と描写の双方において本作でギンガマンを超えるものはいなくなったも同然である。
もちろん、強大な力を手に入れただけでバルバンに対し無双して勝てるほど甘い展開が用意されているわけではないが、少なくともこの5人から溢れ出る圧倒的強者のオーラに畏敬の念を感じずにはいられない。
体力を失っていたとはいえ怒涛武者ごときでは太刀打ちできずバルバエキスで巨大化する力すらなく爆発四散、黒騎士ブルブラックもその残酷な現実に去るしかなったわけだ。
だからこそ、だからこそ俺は尚更アメリカ版のこいつが許せんのだ!
ふざけんなこのクソアメ公がーーーーーーーーーーー!!!!!!
とまあ、ブチギレたところで終わりにし、総合評価はSS(殿堂入り)100点満点中200点。



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