『星獣戦隊ギンガマン』第二十二章『光の出現』
◾️第二十二章『光の出現』
(脚本:小林靖子 演出:辻野正人)
導入
「二人とも今日は買い出し当番だったな?ちょっと行って頭冷やしてこい!」
開幕早々、とんでもない剣幕で喧嘩するヒカルとサヤに説教するハヤテというところから始まるのだが、ここから第二十六章までは山場と言える大盛り上がりのエピソードが続く。
しかも全てが8月放送ということだったので、『帰ってきたウルトラマン』の「十一月の傑作群」に因んで私はこの五部作を「八月の超傑作群」と呼んでいる。
第一章から完璧な段取りでほぼ外れなく進んできた「ギンガマン」だが、その中でも本作を歴代最高傑作たらしめている要因は今回から第二十六章までの一連の神展開に起因するものだ。
中盤辺りはどの戦隊も中弛みしやすくなるのだが、本作はそういう夏にありがちな「中弛み」というものがなく、まるで受験の天王山が如くこの厳しい夏の展開を小林靖子の熱い筆致と演出家の連携、役者の熱演で乗り切る。
第十八章から起きた「ギンガの光争奪戦」がいよいよ本格化し、今回はその前編として壁に阻まれた中でのドラマが展開されていく。
具体的にはギンガマンや黒騎士に妨害されないように阻みの壁でブロックするバルバン、たまたまその中にいたヒカルとサヤ、そして壁の外側で戦う残りの3人と黒騎士。
更には次回以降で台頭することになるイリエスとブクラテスの謀略、それに気付かぬまま作戦遂行を続けるブドー魔人衆という風に敵側の事情も複雑化してきた。
三者三様の戦いのあり方が銀河を貫くこの2クール目の山場で、今回はその激闘を盛り上げる前段階としてヒカルとサヤの孤軍奮闘が見られるというわけだ。
また、今回は壁によって戦士たちの行動が阻まれ規定されるという展開も含めて、『電撃戦隊チェンジマン』の第34話「恐ろしきアハメス」のオマージュも若干含まれているかとは思われる。
あの作戦もアハメスが仕掛けたスーパーウォールという大きな壁に阻まれる展開があるわけだが、あれは最終的に地下までは阻まれないという特性を見抜いてなんとかすり抜けることができた。
だが、今回はその地下から通り抜けるという展開もできず、第二十一章「ひとりの戦い」同様にヒカルとサヤの年少組に地球の運命を託すという点で緊張感の高いエピソードである。
年長組のリョウマ・ハヤテ・ゴウキとは違ってヒカルとサヤはまだこの段階では単独でピンチを切り抜けられるほどの経験も実力もないため、2人で切り抜けることに。
その中でヒカルがサヤのケーキにかけていた想いに気づいて不器用な優しさを見せ、暗黙のうちに仲直りして共闘するなどベタではあるがいい流れである。
「ギンガマン」の何がいいと言って、単なる「同郷の好」という便利設定に依存せず、きちんと各々が自立した存在として関係性を細かく丁寧に描いていることにこそあるのだ。
この人間関係の丁寧な構築があってこそあれだけ強い戦いのプロという描写に説得力が出るし、またある程度は個別に戦っても違和感がないのである。
そんな関係性だからこそできることを本作はしっかりやってくれていて、単なる「戦闘力が強い」だけではない人間関係が関わる部分の見せ方にも抜かりがない。
ただ、同時にここ最近扱っている「ジェンダー論」という観点から見た時に、どうしてもギンガイエロー/ヒカルに対してギンガピンク/サヤが追いついていないというのがある。
今回は後半で是非ともサヤの致命的欠陥について改めて語るとしよう。
八月の超傑作群
導入でも述べたが、今回から第二十六章までを私は「八月の超傑作群」と呼んでおり、今回はその第一弾だが、本作が傑作の中の超傑作たる所以はこの2クール目の山場にこそある。
これは本作に限らないのだが、やはりあらゆるジャンルにおいてS(傑作)、A(名作)と呼ばれる作品に共通しているのは「山場の盛り上がりが最終回以上に面白い」ということだ。
それこそ『鳥人戦隊ジェットマン』も2クール目は女帝ジューザからグレートイカロス誕生編は面白い山場が揃っていたし、『勇者エクスカイザー』もドラゴンカイザー〜グレートエクスカイザー登場編は中盤の山場にハズレがない。
また、『機動武闘伝Gガンダム』もやはり2クール目のギアナ高地編は非常に濃密な面白さがあって、後半も面白いのだが、その後半以上のテンションを中盤で生み出しているという法則性がある。
本作はそういう意味で、小林靖子が書いたスーパー戦隊5作の中でも、一番子供向けにわかりやすく、決して理屈っぽくなりすぎず子供向けに安っぽくもなりすぎずというバランスが絶妙だ。
『未来戦隊タイムレンジャー』以降は面白いと言えば面白いのだが、やはり根本の設定やストーリー展開が難解であるために子供には理解しにくい複雑な設定・展開のオンパレードになっている。
特に「タイムレンジャー」は大人が見ても難しいというか東大早稲田慶應レベルの赤本に挑むような複雑な設定と本質的・哲学的な問いであるがために子供ウケしにくい作品の筆頭だ。
私がなぜ「タイムレンジャー」をS(傑作)扱いではなくA(名作)扱いしているのかというと正にそこで、「タイム」はあまりにも設定・物語・キャラを複雑化しすぎである。
シンプルかつ大胆、それでありながら決して子供向けだからと阿ることもなければ複雑にもしすぎない、いかにもオタクが喜びそうなテーマにも偏りすぎないというこのバランスが最高なのだ。
もちろん当時の小林靖子が初のメインライター作品ということで、彼女自身が一番理想に邁進して燃え上がっていた時期だからというのはあるが、それが本作の特別さであるのかもしれない。
これは単に私個人がそう感じているだけなのかもしれないが、明らかに本作には「タイムレンジャー」以降にはない処女作ならではの初々しさ=若々しさのようなものが感じられる。
決して完璧とは言い切れないわけだが、だからこその未熟故の切れ味の鋭さがあって、それが『仮面ライダー龍騎』までの小林靖子脚本の鋭さというか味だったのだと思う。
「小林靖子脚本の作家性」という観点から見るとき、明らかに違うと感じたのは『仮面ライダー龍騎』までと『仮面ライダー電王』以後ではないだろうか。
本作も含む『未来戦隊タイムレンジャー』『仮面ライダー龍騎』までの小林脚本は自身がまだ会社員から独立したての頃で、右も左もわからないままに脚本を必死で書いていたと思う。
でもだからこそ試行錯誤して面白く仕上げていく過程が画面を通して伝わっていたし、それは小林靖子に限らず当時の作り手が全体的に共有していたのことかもしれない。
未熟故の切れ味というのは時に危なっかしく、でも熟成してしまったら決して出せなくなる鋭さや面白さというのもまたあるはずだが、本作は正にそのエッセンスが凝縮されている。
しかし、『仮面ライダー電王』から、もっと言えば『轟轟戦隊ボウケンジャー』辺りからどうも彼女の脚本は「論理的整合性」はもちろん「バランス」に必要以上に固執し始めた。
だからアニメ畑も長くやっていろんな現場を経験してノウハウを完璧にマスターしてしまったことから、「電王」以降の女史の作風には思わず「おお!」と唸るような感じはなくなる。
なんというか人造人間編〜魔人ブウの孫悟空みたいなもので、上手くまとまっていて器用で完成されているのだが、同時にワクワクもしなくなったというのが似ているというか。
まあ小林靖子の作家性はまた本作の全体批評の中で改めて論じることにするが、いずれにせよこの時期は間違いなく全盛期の小林靖子ならではの良さが120%濃縮されていることは確かだ。
本格的に動き出すバルバン側の謀略
今回から本格的に動き出すバルバン側の謀略があるが、それは正確には2つあって、1つが第二十章から示されていたようにブドーを失脚させんと目論むイリエスとブクラテスだろう。
そしてもう1つがブドー処刑に向けて準備を進める船長たちだが、ここでの力関係も細かく描かれており、実はゼイハブだけが悟られないように全体を俯瞰している、それがこのセリフだ。
「なるほど、てめえにとっても最期の作戦てわけだな」
何気なく軽い感じで言われているためについつい見逃しがちだが、なぜゼイハブは「てめえにとって「は」」ではなく「てめえにとって「も」」という言い方をしたのか?が意外に重要である。
日本語の微妙かつ難しいところの言い回しなのだが、ゼイハブはおそらくこれまでの判断からブドー魔人衆が想定外のミスをしてきたことすら想定内ということなのだ。
その根拠はサンバッシュがギリギリまでギンガの光に関する情報を秘匿していたことにあるのだが、この一件からゼイハブはシビアに組織内の動向を見ていたに違いない。
つまり、それなりに信用していた部下が隠し事をしていたことを見抜けなかったという自身の怠慢が招いた大失敗から、ゼイハブはギンガマン・黒騎士以上に身内の方が厄介な爆弾を抱えていると思ったはずだ。
有名な偉人ナポレオンの言葉にこんな言葉があるのを今時の若い衆はご存知だろうか?
真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である
冷静な批評家YouTuber・サトマイも述べているが、実は組織を壊滅させる原因は有能な味方よりも無能、もっと言えば「有害」な味方だったりするのである。
だから、ゼイハブは「てめえにとって「も」」という言い方をしたのである、どうせブドーはもうここまでだという見切りを既に船長は行いこの時点でブドーを損切りしていた。
だが、それ以上に厄介だったのはそのブドーの足を引っ張るブクラテスとイリエスであり、裏で彼らがグルになってそういう小狡いことをしている様に薄々気づいているはずだ。
「天網恢恢疎にして漏らさず」という諺通り、自分が「バレない」と思ってやっている悪事は意外とその上に立つ者にとっては筒抜けであり、それはヒーロー側も悪側も同一である。
そうとも知らずにブドーさえ失脚させれば安泰という目先の短期的利益に目が眩んで感情重視で動くこの親戚コンビは後々痛い目に遭うことにすら気づいていない。
あまりにも浅ましい人間関係の闇というか愚かな縮図がバルバンを通して描かれているわけだが、これもまたOLという立場で社会人経験を積んだ女史ならではだろうか。
もちろん、バルバンの静かな内部分裂自体は歴代戦隊の中で決して珍しいものではない、上原正三がメインライターとして描いてきた『秘密戦隊ゴレンジャー』の時からそれは描かれていた。
何よりも学生運動の総括やオウム真理教の地下鉄サリン事件、いずれも最終的には身内の内ゲバによって組織そのものが壊滅してしまうという悪の組織の縮図みたいな末路を辿ったという事実がある。
井上敏樹が描いた『鳥人戦隊ジェットマン』も描き方は違えどこの根幹を受け継いでいたし、本作もそこは継承しており、スーパー戦隊の「悪はなぜ滅びるか?」が示されているのだ。
その布石がここで描かれており、次回以降で大きな問題として表層に露呈していくことになるわけだが、こうしてみると90年代の悪そのもののあり方が何なのかが見えるだろう。
内側と外側で展開される二重の「戦い」
そんなギンガマン側とバルバン側、それぞれの事情が描かれつつも、今回は「内」と「外」に区別される形で二重の「戦い」が展開されていた。
具体的にはヒカルとサヤが「内」の戦い、すなわち壁に阻まれて呼吸困難に追い詰められていく人たちをバルバンの脅威から守り抜く=壁を破壊することである。
もう1つの「外」の戦いとは言うまでもなくリョウマ・ハヤテ・ゴウキVS黒騎士ブルブラックであり、分断しながらの動きをしっかりと書き分けしているところだ。
「戦隊」だからと常に5人で一緒に動くのではなく、3人と2人、あるいは4人と1人などTPOに応じた様々な戦い方のバリエーションを本作は豊富に描いてきたのである。
確かにギンガマンにとってバルバンは最も警戒すべき最強の「敵」であることに間違いはないが、一方で黒騎士ブルブラックもまた同時に厄介な存在であることに違いはない。
むしろギンガマンと同じ敵を相手にしている分「敵でも味方でもない」ということが余計に厄介なのだが、これがまた物語には直接関係のない面白さを生み出している。
まあ第十八章からそうだったのだが、ここら辺に来て黒騎士の動きが完全なダークヒーローからヴィラン(悪役)のそれに推移してきていることも興味深い。
黒騎士にとってはたとえ壁の中にいるひ奴らがどうなろうが、己の目的さえ果たせればそれでいいのだと躊躇なく動き、またそれを3人がかりで止める流れも自然に成立している。
ここまで複雑な二重の戦いを描いてしまうと、通常の戦隊もののセオリーで言えば破綻しかねないスレスレのラインを行っているのだが、本作はそれでもギリギリのバランスで成立しているので破綻しない。
というよりも、第一章からここまで築き上げてきた根幹の土台に加えてギンガマン側の考え方=脳のOSがどっしりと構築されているため、多少のことでは揺らがないほどに地盤がしっかりしているのだ。
髙寺成紀は本作を作る上で心掛けたのは「強い」戦隊、すなわち「内外の圧力に揺らがずに済む足腰の強い作品」であることを心掛けたそうなのだが、まさにその通りで今更この程度では崩れないほどに耐震強度がしっかりしている。
目に見える枝葉の戦闘力としての「強さ」ではなく、目に見えない基礎土台=根幹の「強さ」をベースに築き上げてきたからこそ、単なる第三勢力として現れる復讐鬼が出ただけでその信念が揺らぐことはない。
逆に言えば、前回に続いてまたもや黒騎士ブルブラックは謎の痛みによって退場させられたわけだが、次回からどんどん復讐鬼としての化けの皮が剥がれていくことになり、またそれはバルバンも同様である。
サブタイ通り、ラストでギンガの光という強大すぎる力が目の前に現れることになり、次回にかけていよいよギンガマン・バルバン・黒騎士の三つ巴の争奪戦に一応の終止符が打たれる。
この争奪戦がどのように推移してどのような決着を見るかについては是非とも次回で思いの丈を存分に語らせていただくが、1つ言えるのは第十七章でリョウマが勇太少年に語った言葉通りの展開になるということだ。
言葉の力というものはそれだけ強烈であり、リョウマが最初に宣言した通りに事が運んでいる、改めてここで読者の皆様にリマインドさせるという意味でも書いておこう。
「力や技だけが戦士の条件じゃないよ。(中略)ただ暴れるだけならな。けど、戦士に必要な強さや勇気はそこからは生まれない」
リョウマが勇太少年に向かって突きつけた言葉は鋭い銀河を貫く伝説の刃となり、凄まじい結果を次回以降へともたらすことになる。
思えば小林女史が「シンケンジャー」において「モヂカラ」という言葉の力を具現化したものを源にして戦う戦隊を作ったのもこういうところからかもしれない。
それだけ、本作はセリフや言葉の持つ力というものがとんでもないくらいに凄まじい効力を発揮するのであり、それがわからないと本作の本質は見えてこないだろう。
年少組を絡ませることで見えたサヤの致命的欠陥
さて、前回のレビューでは改めて述べなかったことだが、最近「男女平等」と「戦う女」をテーマに論を展開してきたからこそ、改めてサヤの致命的欠陥が見えた気がするのだ。
サヤは90年代はもちろんだが歴代戦隊の中でも本当に気の毒になるくらいに明確な主軸=芯となるものがなく、せっかくメイン回をそれなりに与えられている割には視聴者の印象に残らない。
キャラ立ちに失敗してしまったといえばそれまでなのだが、今回改めて見ると一番キャラ立てしやすい状況ですらいまいちキャラを立たせきらなかったことが彼女の失敗だろう。
それは決して「ヒロインとしてここがダメだった」というほどに欠点・短所が目立っていたということではなく、ヒロインとしてあまりにも「普通」過ぎたのである。
『鳥人戦隊ジェットマン』がいわゆる「ジェンダー論」というか「性差の壁」という点で見た時に画期的だったのは男女の差を無理に埋めようとしなかったことだ。
力ではどう頑張ったって女は男に勝てやしないのであって、小田切長官やマリアのような女らしさを捨てたクールビューティーにでもならない限りは戦いの場においては女より男の方が活躍するし結果も残せる。
そして実際に上原正三がメインライターを担当した戦隊も曽田博久がメインライターを担当した戦隊もその「性差の壁」を何とか埋めようとあれこれ試行錯誤はしたが、結局根幹の部分は埋まりきらなかった。
井上敏樹はそこを無理矢理是正しようとはせず、むしろ「女らしくあること」を逆手に取って無理に女らしさを捨てるのではなく、女らしさをどんどん剥き出しにして戦うという話を作ったのである。
その結果として「無茶を通せば道理が引っ込む」の言葉通り、最終的に女らしくあることを選んだ香と女らしくありつつも色気より食い気だったアコ、そして女らしさを捨てたマリアと小田切長官という描き方をしていた。
つまり「女らしさ」と「戦う女」であることは決して矛盾するものではないとした上で、その上手な書き分け方・色分けの方法論を提示したわけであり、これが「カーレンジャー」「メガレンジャー」以降のスタンダードになる。
一方でギンガピンク/サヤは『忍者戦隊カクレンジャー』の鶴姫以来となるシングルヒロインだったが、杉村升がメインライターを担当したファンタジー戦隊三部作とは異なり単に「シングルヒロイン」だけでは魅力が成立しなかった。
メイのようなお姫様でもなければリンのように潜在能力最強というわけでもないし、また鶴姫のように最初はリーダーだったところから悲劇のヒロインへシフトチェンジしたというわけでもない。
今回は第九章で武上純希が提示した「ケーキ作り」という特性を拾ってヒュウガへのバースデーケーキを作ったことまでは良かったが、ヒュウガへの思いという意味ではリョウマがそこに障壁として立ちはだかる。
さりとてヒカルほどヤンチャっ子の成長物語にもしづらく、またハヤテみたいにイケメンとしてキレる動きができることもないし、ゴウキみたいにみんなのオカンができる3枚目にもなりきれない。
また、戦闘力という点においてもやはり男性陣に敵うものではなく、要は女らしくあろうとするのかそうでないのかというところの根幹のキャラクターの指針にブレがあって中途半端ということだ。
そのあたりを大して詰めないままただ初期のキャラクター設計だけをそれなりにやっておけば上手くいくだろうという甘い目算で作られたのがサヤというキャラクターの致命的欠陥である。
今回はどちらかといえばサヤの健気さよりもそれに気づいて男前に行動したヒカルの格好良さの方が目立っていたし、思えばこのサヤの反省が次作のゴーピンク/巽マツリ並びにタイムピンク/ユウリに活かされたのだろう。
そのため、サヤのキャラの掘り下げは上手くいかなかったが、サヤを前座というか媒介にしてヒカルのキャラクター性が広がったことは間違いなく成功であり、だから全体でみれば目立つほどの欠点にはならない。
総合評価はS(傑作)100点満点中100点、いよいよ次回から「ギンガマン」という作品にブーストがかかる。



コメント
2ヒュウガさん
第二十二章視聴しました。全体を通して飽きが来ず、ギンガマン・バルバン・黒騎士三つ巴の事情や争い、「ギンガの光」の出現などが緊張感をもたらしワクワク感をもたらしていますね。
小林靖子さんの話作りの上手さが最大限に発揮されていると思います。
やはりサヤはヒロインとしてのインパクトが薄いのが残念というか…周りの男性キャラが濃いのもありますが、ヒロインたる軸が弱いのが致命的です。ヒロイン力としてはゴウキが上ですね。
ブドーは以前ヒュウガさんがおっしゃっていたしっぺ返しがきましたね。
ブドーの場合自意識過剰すぎたこと、また特に三幹部の一人ブクラテスを馬鹿にしていたので、彼の怒りを買ったのが失敗だったと思います(その点ではブクラテスが気の毒でしたが)。それ以外はギンガマン達を苦しめたので、中々の強敵でしたね。
ですがイリエス&ブクラテスのブドーに対する悪巧みもまた、後々2人へのとんだしっぺ返しになるんですよね…
>文月さん
小林靖子さんの脚本だけじゃないです、辻野正人監督の演出や役者の演技力などいろんなものが総合的に組み合わさってのあれだけのクオリティに繋がっているんです。
サヤに関しては本当に致命的なまでに軸がないのがどうにも、という感じで変身後はともかく変身前のキャラクターの弱さがどうにも気になってしまいます。
女子力はゴウキが上、ヒロイン力では青山勇太少年が上です、ここから勇太少年はゴウキもびっくりのヒロインムーブかましてくれますから。
ブドーに限らずイリエスもブクラテスも含め、バルバンは全員が因果応報というか自業自得な末路を辿っているのだなあと思います。