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『星獣戦隊ギンガマン』第十八章『謎の黒騎士』

◾️第十八章『謎の黒騎士』

(脚本:小林靖子 演出:長石多可男)

導入

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「私の名は黒騎士……ブルブラック」

リョウマを助けた謎の黒い甲冑を身に纏った男は徐にそう告げた後、凄まじく高いジャンプ力で崖の上へと登るところから始まる。
この時流れているBGMからしてお分かりだろうが、黒騎士ブルブラックと名乗るこの男が2クール目を盛り上げる功労者であることは言うまでもない、何千回と本作を見てきた私でさえそう思う。
今回から第二十六章まではほぼほぼ黒騎士とリョウマを軸として物語が進行していくため、ブドー編である以上に実質の黒騎士編としてかつてないほどの重々しい試練がのしかかってくる。
前回のレビューでも述べたが、ギンガレッド/リョウマにとってはここからの戦いは意味合いが異なり、単なる「敵を倒して万々歳」という単純なものではなくなってくるのだ。

一方で敵側であるバルバンも度重なる失敗続きで催促されるブドーだが、ブクラテスが持ち込んできた雑なアイデアをバッサリと切り捨てる姿も細かいところだが描かれている。
サンバッシュの時とは違い、ブドーはなまじ段取り力に優れた有能な幹部だからこそブクラテスをはじめとして周囲も文句は言いにくく腫れ物に触るような扱いとった。
優秀な部下にも2種類いて、トップの考えを正確に理解した上で副将として立ち居振る舞いが出来る者と上の言うことを無視して自己流を貫く者とに大別される。
ブドーは間違いなく後者であり、だからゼイハブをはじめとしてブクラテスもシェリンダもなまじ扱いづらいという厄介なことになっているというわけだ。

まあそもそもバルバン自体、組織としての体を成していない食い詰め者の烏合の衆ではあるが、サンバッシュは直情径行ではあれどまだ周囲からすれば扱いやすかった。
対してブドーはなまじあらゆることを自分でできてしまうがために、組織の方針そのものには準じているものの、自分の兵法に自信を持ちすぎて周囲の耳に意見を貸す柔軟性がない
ここが大きな違いであるわけだし、またブドーは口にこそ出さないが自分よりも実力が下と思っている相手を露骨に軽んじてしまう悪い癖がある。
第一章でも「先祖に顔向できんな」とギンガマンを詰って煽っており、いわゆる「失言」というものを平気でやってしまう世渡り下手な一面があるのだ。

それは配下の魔人衆にも現れていて、今回でいえば武蔵坊弁慶をモチーフにした懐力坊なんかは正にそれで、鬼の石を叩き割ろうにも自分では砕けないからとギンガマンの力を逆手に利用しようとした
結果としてはそれが完全に裏目に出て失敗に終わってしまうわけだが、ここからしばらくはギンガマン5人にとってもバルバンにとっても苛烈な試練が続くことになる
その原因のほとんどが黒騎士のせいであり、逆にいえば彼が登場して物語をかき乱してくれなければ、もっと慎ましい普通の王道として進めることができただろう。
そこを敢えて劇薬というか第三勢力として投入させることで、物語全体に大きな波乱をもたらすと同時に作品全体のリズムも大きく転調することになり、画面の動きとしても面白味がさらに生まれる。

ギンガマン5人にとっての致命的欠陥である兄・ヒュウガの件も第十三章以来久々に浮上し、今度は不可避の試練として乗り越えることがリョウマ達の課題となるわけだ。
ギンガマンが、否、ギンガレッド/リョウマが「真の銀河戦士」として大きく跳ね上がるための下地を文芸面とアクション面の双方から整えたのがこの回であろうか。
いずれにせよ、前回に引き続き作品に大きな揺れをもたらし、既存の価値観に対して揺らぎを与えてくれる存在の登場によって、本作はより高みへと上り詰めていくのだ。

作品のリズムに全く迎合しない黒騎士ブルブラック

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最初に触れておきたいこととして、黒騎士ブルブラックは決して単なる「追加戦士」「番外戦士」という陳腐な枠に収まってしまうような存在ではないということだ。
これまでの「ギンガマン」は一種の神話的な構造を持ち、星を破壊して星の命に変えることを目的としたバルバンの作戦を阻止し地球を守る正統派ヒーローのギンガマンという勧善懲悪ものの構図であった。
ここに黒騎士ブルブラックという謎の第三勢力が加わり、話は一気に二項対立から三つ巴の戦いへと移行するのだが、わかりやすくいえばここでのブルブラックは重厚感を持ちながらも物語の論理に従って動いていない。
言うなれば『ドラゴンボール』の最高傑作と謳われたナメック星編で暗躍するベジータであり、サイヤ人編では純粋なる孫悟空の宿敵であったが、ナメック星編ではそれとは違う第三勢力として動いていた。

ブルブラックはこの「第三勢力としてのベジータ」のオマージュであるともいえ、更にナメック星編がドラゴンボール争奪戦であることと本作の黒騎士編がギンガの光争奪戦であるという「争奪戦」の要素も共通している。
舞台はそれぞれナメック星編と地球ということで全く違うが、とにかくここでいうブルブラックは今回がそうであるように「敵の敵は味方」というような安直な呉越同舟の図式を巧妙に避けているのだ。
これは『鳥人戦隊ジェットマン』でもありそうでなかった展開であり、「ジェットマン」の場合は女帝ジューザをはじめとして何度か敵味方の枠を超えた共闘が展開されている(裏次元戦士・ネオジェットマン含む)。
しかし、「敵の敵が味方」という安直な図式を避けて三つ巴の戦いにまでは持って行けていないので、本作はその辺りの反省点も踏まえて徹底的にビジュアルから何から安直な共闘は回避されているのだ。

それは後述する戦い方や動きときのSEにも現れており、彼の挙動の効果音然り動き方・殺陣の決め方といい、どことなく仮面ライダーBLACK RXのオマージュであることが伺えるだろう。
ギンガマンが昭和戦隊のエッセンスを凝縮させつつも新たに「転生」した存在として出てきたのに対して、ブルブラックは言うなれば「過去の亡霊」である。
だからギンガマンは軽やかな躍動感と星獣剣の軽やかながら鋭い切れ味を誇るのに対して、ブルブラックのそれは重厚感がありつつギンガマンより洗練された「達人」の動きだ。
しかも決してリョウマ達に与することなく独自の価値基準を持って動いているため、威風堂々たる佇まいや剣戟などから見るに、リョウマ達とは完全に似て非なる存在として差別化されている。

今回とて、結果的にギンガマン5人は黒騎士に救われる形とはなったが、あくまでもこれとて決して偶然にそうなっただけであって、黒騎士自らギンガマンを助太刀しようと思ってのことではない
それは現に武蔵坊弁慶魔人からの「貴様!こやつらに味方する気か!」からの「いいや、ただ貴様らバルバンの思い通りにはさせたくないだけだ」という否定的言辞からもわかるだろう。
お陰様で作品全体の中で黒騎士はとんでもない不協和音をもたらしたことになるわけだが、そのおかげでこれまで幾多の強敵をバッサバッサと切り捨ててきたギンガマンにとっても警戒すべき相手となる。
そのことがギンガマン5人をさらなる高みへ導くための大きな契機になると同時に、作品全体としてもいわゆる「戦隊らしくなさ」というパラダイムシフトが1つもたらされたことになるだろう。

私はいわゆる「追加戦士」「番外戦士」という枠があまり好きではなく、ただでさえ多すぎる5人のキャラクターを捌き切れないからだ(実際、翌年の『デジモンアドベンチャー』はその失敗の典型である)。
本作でも後述するギンガピンク/サヤを捌き切れていないという欠点があるわけだが、本作のブルブラックは思い切ってギンガマンとは違う大々的なダークヒーローとして扱っている。
そうすることによって、物語全体に波乱をもたらすのみならず、ともすればギンガレッド/リョウマをただ持ち上げるだけの無双伝説にしてしまいかねないリスクを回避することができるからだ。
この部分をしっかりやることによって、ギンガマン・バルバンの双方とも違う第三勢力としてのブルブラックのキャラクターをまずは「画面の運動」という映像の論理として構築することに成功した。

ヒュウガの対応からわかるリョウマとサヤの格差

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さて、今回のメインはほとんど黒騎士に全てを持っていかれる形にはなっているが、その黒騎士を巡ってのギンガマン側の思惑や反応などもしっかり書き分けされていることにも注目したい。
「リョウマを助けてくれたからいい人」という年相応の安直な判断をしてしまう勇太少年に対し猜疑心を持つヒカル、勇太少年の肩を持つゴウキ、そして黒騎士に亡きヒュウガの面影を重ねるリョウマとサヤ。
各人の違いが描かれているわけだが、ここで注目したいのはリョウマとサヤのヒュウガに対する思いと、過去回想からわかるヒュウガのリョウマとサヤに対する扱いの格差である。
サヤの過去回想の中ではヒュウガは「憧れの存在」として幾分美化されており、ヒュウガに褒められるのが嬉しくて戦士を目指したことが大きな動機になっているという経緯だ。

一方でリョウマの過去回想に出てくるヒュウガは第五章からそうだったし、何なら第一章からそうだが基本的にリョウマに対しては厳しくサヤに対しては優しく対応している。
一見サヤの方が寵愛を受けているようだが実際は逆であり、ヒュウガはサヤのことをどこまでも「二流」としてしか扱っていないという証拠ではないのか。
ヒュウガがなぜリョウマに対してああも厳しく接するのかというと「兄弟」にして「ライバル」というだけではなく、リョウマの潜在能力に期待していることの表れである。
故・野村監督の「無視」「称賛」「非難」の三段階ではないが、リョウマは「叱られる」ステージにいることから「一流」として扱かれていることがわかるのだ。

対して、サヤはどこまで行こうとヒュウガに「褒められる」だけに留まっており、単なる性区別というだけではなく、ヒュウガはサヤにそこまで期待をしていないことの裏返しではなかろうか。
逆にリョウマのヒュウガ像がものすごく厳しい人であるのはヒュウガなりのリョウマに対する期待の表れであって、自分を超えられるとヒュウガはどこかでリョウマに対して思っている節があった。
これに近いのは『機動武闘伝Gガンダム』のシュバルツブルーダーとドモン・カッシュの関係性であり、兄弟にして兄弟に在らずといった関係性が非常に面白い。
あれだって、ドモンが自分はもちろんのことシュバルツさえもいずれ超える大器晩成の器だと思っていたからこそ明鏡止水の境地を厳しく指導して伝授したわけだ。

サヤのヒュウガに対する感情が「憧れ」で留まっているのに対して、リョウマは実は兄ヒュウガに対してもはや「憧れ」すらこの段階に来て抱くことはなくなりつつある
これは大きな違いであり、まさに「憧れは理解から最も遠い感情」という某漫画の名セリフがここに生きてくるわけであって、小林靖子はもしかするとこの段階からリョウマとサヤの埋め難い格差に気づいていたのかもしれない。
だから、黒騎士の剣捌きを見た時にギンガピンクが判断に迷っていたのに対して、ギンガレッドは一発で黒騎士の剣捌きが逆手であることを見抜いて「違う、兄さんの剣捌きじゃない」と口にしている。
そう考えると、このシーンは一見サヤのキャラクターを確立させているようでいて、実はどこまでも女には男のロマンなんぞ理解できようはずもないという小林靖子なりの皮肉の効いた展開なのかもしれない。

なぜギンガ獣撃弾で割れない石が黒の一撃で割れたのか?

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さて、そんなこんなで今回一番の見どころである黒騎士と武蔵坊弁慶の殺陣なのだが、小林靖子らしい時代劇趣味全開の映像であることは言うまでもないが、ここでの驚き・衝撃はそこにはない。
ここで1番の問題はギンガ獣撃弾ですら砕くことのできなかった石をなぜ黒騎士の黒の一撃で粉砕することができたのか?だが、このシーンはリアルタイムから衝撃であると同時に違和感も持った部分ではあった。
まあ第一章からしてそうだったのだが、本作は個人戦とチーム戦を適材適所で使い分けているのだが、実は合体技でトドメを刺すよりも個人技でトドメを刺すケースの方が以外に多かったりもする
実際ギンガレッド/リョウマはこれまで幾度となく強敵を己の技1つで屠ってきたわけだが、これを「戦隊的なるもの=力と技と団結」で安易に片付けてしまっていいものだろうか?

戦隊シリーズのファンは私より下の世代も含め多くの人が「団結」「チームワーク」こそが本質であるかのように語っているが、実際はそうでないことの方が圧倒的に多かったりする
それはもうこの人が語ってくれている通りだ。

一人では出来ないことでも、複数の人間が力を合わせれば出来たりする。それ自体は非常にすばらしいことであり、チームの存在意義もまたそこにある。だが、力を合わせれば合わせるほど良いわけでもない。仲間と力を合わせなければ出来ないことがあるのと同じように、一人でなければ出来ないこともある。統率のとれた行動と、バラバラの行動。チームの持つ力を最大限に発揮させるためには、この両者の適切な使い分けこそが必要なのである。

実際その通りであり、何度も言っているが私は「チーム」は好きだが「集団」「組織」は大嫌いであり、小学生の頃から「友達100人できるかな?」に対して「できるわけねえよそんなもん」と思っていた人間だ。
そんな私がなぜスーパー戦隊を好きなのかというと、それは「チームだからこそできること」と同時に「個人だからこそできること」もまた重要視されているからである。
実際「ギンガマン」という作品はその「チーム」と「個人」の双方を適切に使い分けながらやっているのが好きなのであって、個人だからこそできることを切り捨ててチームワークだけを押し付けるは単なる同調圧力でしかない
和して同ぜず」が私のスタンスなのだが、1つは本作が「戦隊」だからといって安易な「団結」「チームワーク」を美徳として肯定しないという意欲的な反骨精神が故にこうなっているのだろう。

2つ目に考えられるのは黒騎士とギンガマン5人の考え方=脳のOSの違いであり、ギンガマン5人はあくまで「星を守るため」にその力を振るうというスタンスが第一章から一貫している。
それに対して黒騎士は上記したようにギンガマンともバルバン側とも違う価値観で安易に同調もしなければ共闘もしないというスタンスで動いているのであり、それがこの立ち位置や戦い方に繋がっているのだ。
どこまで行こうと黒騎士はギンガマンとの馴れ合いを忌避するところがあり、第二十五章までを見てもギンガマンと共闘するなんて姿勢を見せることは一度としてない。
客観的に見れば己のプライドを優先しているとも言えるわけだが、それすら1つの魅力に変えてしまえるほどに黒騎士というキャラは徹底した自己を持った存在である。

そして3つ目、これが一番大きいわけだが、ギンガマンのアースと星獣剣をはじめとするあらゆる力は「星を守るための力」であり、むやみやたらと人や物を傷つけるようにはできていない。
一方で黒騎士のブルライアットは例え石だろうが何だろうが目的のためなら傷つけることすら厭わない、そういう「破壊するための力」という負の方向に振り切っているとも考えられる。
このスタンスは次回以降より顕著になるわけだが、第4クール〜最終章まで含めて考えると、ここでギンガマンに砕けなかった石を砕いたこと自体が最終章へ向けての布石だろう。
黒騎士は暗にここでの行動からギンガマン側に対して「そんな甘さではこの先の戦いを勝ち抜いていけない」ということを見せていたことになるわけだ。

黒騎士と同じ画面に映れるのはリョウマだけ

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そして戦い終えた後、黒騎士は「少しは戦えるらしいな」とギンガマンの戦闘力を多少は評価しつつ、第十二章でサンバッシュが漏らしていたギンガの光についての真相を告白することになる。
そこで黒騎士はギンガの光を持ち込んだのは自分であり、あの時は満身創痍だったがためにサンバッシュに不覚を取ってしまったという言い訳もとい整合性をきちんと取った。
ただ、このラストシーンで大事なのはそういう答え合わせというか辻褄合わせをすることではなく、このシーンで黒騎士と共に映っていたのがリョウマだけという事実である。
サヤを中心に他の4人は完全に蚊帳の外に置かれており、唯一リョウマだけが黒騎士の前に出てきて一緒の空間に映ることを許されていることにお気づきだろうか?

そう、長石監督の秀逸な演出であるが、実はここで画面の運動として黒騎士の領域に割って入り、追いつき追い越すことができるのはリョウマであることが示されている。
この段階では戦闘力はもちろん人間力という点においてもまだ黒騎士に及んでいないリョウマだが、自然に黒騎士の前に出るカットが違和感なく成立していることが素晴らしい。
第一章ではヒュウガに「導いてもらった」感のあるリョウマだが、ここからはむしろリョウマが主導権を握る立場へと変貌していく
まあこれまでも十分に主人公として目覚ましい活躍をしていたリョウマだったが、ここから第二十六章に向けて凄まじい成長を遂げる。

逆に言えば、サヤは所詮ヒュウガに対して「憧れ」しか持っていないために、この領域に入ってくることはそもそもできない。
崇高な男のロマンスを理解すらできないような女が安易に割って入っていいようなものではないことを小林靖子はわかっているわけだ。
もし、小林靖子が安置の揶揄するBL作家だったら、逆に黒騎士とリョウマの距離をもっと近づけるだろうし、サヤがヒュウガに恋心を抱くような描写も入れないだろう。
長石監督もそこをきちんと汲んだ上でこの演出にしているのであって、「ギンガマン」という作品はどこまで行こうとやはり徹底した男児向けの作品である。

一部の特オタ、中でも後期の「シンケンジャー」「ゴーバスターズ」を持ち上げている奴らがそんなリョウマのことを「草食系」「線が細くてナヨナヨしてる」と言っていた。
どこがナヨナヨしているというのか?兄を殺された怒りから闘争本能を覚醒させて強大な炎のアースで敵を滅殺、その力で幹部連中すら圧倒し無双するほどの強さである。
表面を柔らかく見せているだけで、中身は徹底した男の中の男であり、例え黒騎士相手だろうがゼイハブ相手であろうが物怖じせずに立ち向かっていく、伊達に百獣の王の地を受け継いではいないのだ。
そんな外柔内剛な芯の強さを持ち合わせている彼だからこそ、数あるスーパー戦隊のレッドの中でも私は彼が特別だと思うのであり、単純な戦闘力の強さ「だけ」で選んだわけではない

前回を踏まえて、今回からはいよいよ黒騎士編として大きくジャンプアップしていく「ギンガマン」だが、ここからのギンガレッド/リョウマの奇跡と軌跡は見ものである。
総合評価はS(傑作)100点満点中105点、黒騎士の存在によってこの作品に彩が出来た、ここから一気にブーストがかかるので楽しみにしておこう。

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『星獣戦隊ギンガマン』(1998)全話レビュー(更新停止)

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コメント

2
ふみつき
ふみつき

ヒュウガさん
黒騎士が本格的に登場する本エピソード、楽しみにしていたので黒騎士が登場した時は燃えました。完全な敵でも味方でも無く、黒騎士のミステリアスさとダークヒーローな雰囲気がやっぱり良いなと思います。第三勢力的存在の黒騎士は後の『タイムレンジャー』に登場するタイムファイヤーにも通じますね。

サヤが尊敬するヒュウガを回想するシーンは少女マンガチックですね。この時のサヤは少女マンガのヒロインっぽくて、ヒュウガは少女マンガに出てくるヒロインが憧れる男性という感じでした。それは彼女にとって、ヒュウガはどこまでも「理想」「憧れ」の人でしか無いんだろうなと思いました。同じ憧れの存在であっても、兄を超えて真の炎の戦士になるリョウマとは根本的に捉え方が違っている感じが強かったです。

またブドーですが、ヒュウガさんのおっしゃるように自分の作戦に自信を持ちすぎで周りの忠告に耳を貸さない頑固さが鼻について「変なところで頑固だな」という印象です。
現実でも自意識過剰すぎて突っ走り、結果破滅するというのはあるあるですし。バルバンの幹部達は皆社会で生きていく上の反面教師になるなと自分を戒めています。

クロサッキー
クロサッキー

>文月さん

黒騎士はいわゆる70・80年代的な昭和の復讐鬼型ヒーローの文脈を引きずりながら、苦々しい歪んだ真っ直ぐさを抱えているところがナメック星編のベジータに近い毒々しさを醸し出していて面白いです。
「タイムレンジャー」のタイムファイヤーもいいですが、あっちは黒騎士よりも俗っぽい感じで、復讐鬼というよりは「報われないライバルキャラ」という後期ベジータに近いと思います。
サヤはなんというか、どこまでも「二流」の人だなという感じがしてしまいますね戦士としても人間としても……だからリョウマのいるステージにはどこまで行こうと立てないのだと切なくなりました。
ブドーは冷静沈着ではあるのですが、同時に自分より能力低いやつを見下す慇懃無礼なやつなので、そのしっぺ返しがこの後来るので楽しみにしておきましょう。

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