マッカーサー発言とカントと森元法務大臣の失言について

文明は蒸気にあらず、電気にあらず、憲法にあらず、科学にあらず、哲学にあらず、文学にあらず、演劇にあらず、美術にあらず・・・

内村鑑三「文明の解」

文明とは・・・宮室の荘厳、衣服の美麗、外観の浮華を言ふには非ず。

西郷隆盛「西郷南洲遺訓」

明治時代に書かれた「日本の文明論」というと、上記の二つに加えて、あとは福澤諭吉を加えれば完成という、まさに「文明論三銃士」のうちのお二人の言葉を引用しています。

この指摘は、とても否定神学的ですよね。否定神学とは、通常の神学である肯定神学が「神とは何か?」という論点を起点にして考察をスタートするのに対して、逆に「神とは何でないか?」という論点を起点にして考察する神学のことです。

神は人智を超えた存在であり、人間の言葉で神の全てを言い表すことはもとより不可能です。その不可能を前提にしながら、どこまで人間の言葉で神を描くことができるか、不可能であることをわかっていながらどこまで可能かに挑む、というイカロス的な挑戦が神学という営みの核心であり、魅力なのですが、否定神学は、これをひっくり返して、人間の世界から「神の属性ならざるもの」を否定し尽くし、いわば無数の接線に引くことで、せめて「神の輪郭」を彫琢することはできないか?という挑戦です。

で、話を元に戻せば、内村と西郷の上記の文明に関する指摘は、非常に否定神学的、つまり「文明とは何でないか?」という論点に沿って書かれているわけです。

なぜ、内村と西郷がこのような説明のアプローチをとったかというと・・・これはおそらくですけれども、当時の人々にとって「文明」という言葉が、とても馴染みの薄い、イメージのしにくいものだったからだと思います。

よく知られていることですが、「文明」という言葉はもともと日本には存在しませんでした。「文明」の原語は、いうまでもなく

  • 英語:civilization

  • フランス語:civilisation

ですが、これらの語は、市民(civil)や市民社会(civil society)という言葉に由来するもので、個人が国家や宗教から自立し、理性と法に基づく社会を形成するという、17世紀以降に発展した啓蒙思想の文脈で発展した概念です。

ところが、ご存知の通り、我が国には、この「近世以降に発展した啓蒙思想」という文脈をすっ飛ばして、いわば「木に竹を継ぐ」ようにして、文明と市民社会の仕組みが、一気に導入されたわけです。当時の人々が、この「文明」という新造語に手触りを感じ得なかったのも仕方がありません。

マルクスの概念を援用して考えてみましょう。マルクスは、社会のあり方を、生産様式や経済関係など=下部構造と、法律やイデオロギーなど=上部構造に分けて、人間や社会の本質は下部構造によって決まり、従って上部構造は下部構造の従属変数となる、としたわけですが、このマルクスの指摘に抗うようにして、明治維新では「まず上部構造から変える」ことから始めたわけです。

ちなみに、旧共産圏について言えば、ペレストロイカなどの上部構造の変換から入ろうとしたソ連が結局は改革に失敗した一方で、共産主義のイデオロギーはそのままに、いわばマルチスタンダードの糊代をつくりながら経済の下部構造の変換から入った鄧小平・習近平はうまく改革を進めているわけで、両者を比べれば、マルクス主義の優等生は、先達のソヴィエトよりもむしろ中国だったと言えるかもしれません。

さて、では「文明」という言葉は、上部構造と下部構造の、どちらに含まれる概念なのでしょうか?

一見すれば、「文明」という用語からは、鉄道や電線などの物質的インフラがすぐに思い浮かぶわけで、これは下部構造の概念だと思われるかもしれませんが、そうではなく、これは上部構造の概念なのです。なぜなら前述した通り、この概念はもともと、近代市民社会が発展する文脈の中で支配的になった覇権的価値観だからです。

しかし、これがなかなか日本人にはつかみ取れない。どうしても「文明」と聞くと、電線や蒸気や衣服や建築のことだと思ってしまう。だからこそ、内村と西郷は、いわば「ありがちな勘違い」を、あえて列挙しながら、「文明とは何でないか?」ということを説明したわけです。

では、二人は、最終的に「文明」について、どのようにとどめを打っているか。抜粋文の元をあらためてここで記せば、それは次のようになります。

文明は蒸気にあらず、電気にあらず、憲法にあらず、科学にあらず、哲学にあらず、文学にあらず、演劇にあらず、美術にあらず、人の心の状態なり。

内村鑑三「文明の解」

文明とは、道のあまねく行はれるを賛称する言葉にして、宮室の荘厳、衣服の美麗、外観の浮華を言ふには非ず。

西郷隆盛「西郷南洲遺訓」

まさに、二人は「文明とは、下部構造のものではなく、上部構造のものだ」と言っているわけです。

ときまさに「文明開化」のおり、二人は「文明とは、皆さんが考えているような物質的なものではなく、精神のことなのですよ」と言っているわけです。全く、その通りだと思いますが・・・

では、ここで皆さんに質問です。

文明開化が、物質的な下部構造の発展ではなく、精神的な上部構造の転換のことなのだとすれば、我が国は、文明開化に成功したのでしょうか?

いろんな応え方があると思いますが、僕は「実は、まったく失敗したのではないか」と思っているのですね。

以前から、歴史の教科書を読むごとに「ぶっちゃけ、文明開化って本当に成功したのか?」と思っていたのですが、やっぱり失敗し続けているんじゃないかと思ったきっかけがあります。ゴーン失踪事件の際の森元法務大臣の発言です。

ことの顛末についてはあらためて確認するまでもありませんね。東京地検特捜部から複数の事案に関連して起訴されたカルロス・ゴーンは保釈中に国外に逃亡してしまったわけですが、この際に、当時の森法務大臣は、記者会見で

カルロス・ゴーン被告は自身が潔白だというのであれば、司法の場で正々堂々を無罪を証明するべきだ

と堂々と発言してしまい、国内はおろか、国外の法律関係者まで困惑させてしまったのです。(法務省のウェブサイトを含め、現在では大臣の発言は「証明」から「主張」へと修正されています)

なぜなら、近代法哲学には「推定無罪」の大原則が存在するからです。推定無罪とは「明確な証拠をもって有罪が確定するまで、被疑者は無罪である」とする原則です。

したがって、どんなに疑わしい容疑があったとしても、被告人が無罪であることを証明する必要はなく、検察側が「被告人が有罪である」ことを合理的な疑いを超えて証明しなければなりません。

この原則は、モンテスキューやベッカリア等の法哲学者によって18世紀に定立し、西欧社会の上部構造の大原則として共有されることになったわけですが、文明開化から150年を経てもなお、この原則は我が国では、いうならばタテマエにしかなっておらず、実態の精神性は「お白洲に引っ立てられたら、その時点で世間様から後ろ指を指される犯罪者とされる」という江戸時代の状況と変わっていない、ということです。

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購入者のコメント

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リョータ
リョータ

はじめてのコメント失礼します。40歳を目前にして、自分がちゃんと大人になれているのか?
と最近よく考えますが、思考を他者に依存する年代からの脱却という言葉が強く心に響きました。そして、そこからリツイートやリポストというシステムが現代の危うさというか、バランスの悪さに一役をかってるんじゃないかと、あれこれ考えています。

げんき
げんき

とても重要かつ興味深いテーマですね。個人的には、西洋の文明や政治システムそれ自体はよく理解した上で、あえて全ては取り入れずいいとこ取りした上で日本は日本独自の路線を行くべきだと考えます。西洋文明は近代市民の4つの要素とか崇高な理念を抱えながら、実態は文字も読めない人とか教育不足を放置して格差社会が進んでいるわけですよね。日本は政治家はいまいちかも知れませんが、市民の平均的な知的レベルや礼儀正しさでは西洋より優れている。騎士道的な誇りや文明ではなく、武士道的な礼節と恥の精神で社会を運用している点で日本は個性的であり、これは今後も強い外圧が加わらない限りは変わらないと思います。

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