――ぽちゃん。
確かにそのとき、視界の端で、何かが落っこちたような気がした。
気がしただけだったのか、実際に見たのか。
いずれにしても、結局のところ、それが真実だったのだ。
・・・
嘘だ。
何かの間違いに決まってる。そう自分に言い聞かせて、もう一度確認する。
確認した結果、間違いなく最悪の事態であることを、改めて見せつけられる。
どっと冷や汗があふれてきた。
いやいやまさか、そんなことがあるわけないじゃん? だって柚葉はラッキーガールなんだから。そんなことがあるわけない。絶対に見つかるはず。絶対に見つかるはず。何でもないようなところから、ひょっこり出てくるはず。
バッグの中身を全部ひっくり返して、ひとつひとつ、祈るような気持ちで、注意深く確認していく。あるはず。あるはず。あるはず。絶対に。
あるはず。
なのに。
ない。
途端、ばくんばくんと心臓が一気に暴走し始めた。
どうして? どこで? いつ? どうやって?
慌てて空っぽになったバッグに飛びつき、中をじっと眺めてみる。もう一度眺めてみる。机の上、椅子の下、部屋の隅、引き出しの中、机の上、椅子の下、とあちこちへばりつくように観察する。服のポケットをまさぐる。散乱した私物をひとつずつ数えてみる。しばらくフリーズしたあと、奇跡を祈ってまた空っぽのバッグに飛びつく。
ない。ないないないないないないないないないない、どこにもない!
失くした――。
絶対に失くしちゃいけない大事な宝物を――失くしてしまった!!
夏。海。そして釣り!
「いえーい、またヒットー♪」
掛け声とともに釣り竿を引く。獲物の影がうねり、海面にきらきらと飛沫が上がる。ばしゃりと海の中から勢いよく躍り出たのは――いかにも脂の乗っていそうな、まんまる近海フウセイちゃん!
これで釣果は七匹目! 開始から三十分も経ってないのに、すでに私のクーラーボックスは満員御礼の様相だった。やれやれ、この調子だと、ひと箱じゃ足りないかも?
まっ、トーゼンだよね〜♪
だって柚葉は幸運の申し子だから。くじを引いたら1等確定、テストの山勘は全問正解、占いだって『吉』しか出ない。そんな子にボートフィッシングをやらせたとしたら、そりゃあ、入れ食いってもんでしょ。
釣り竿の扱い方もここ数日ですっかり覚えちゃった。慣れた手つきでリールを巻いて魚を引き寄せると、かまちーが器用にタモ網を操って回収してくれる。と――その横から、
「ずるいわ、柚葉ばっかり」
ぷりぷりした声が飛んできた。
「んん〜? ずるいって、何が?」
「同じ場所で釣っているのに不公平よ。少しはこっちにもわけてほしいのだわ」
と、むくれっ面で愚痴っているのは、いまだにボウズのアリスお嬢様だ。ふわふわのウサ耳をつんつん尖らせて、おかんむりのご様子。
まあ気持ちはわからないでもない。私が次々と魚を釣り上げてる横で、彼女はむなしく釣り糸を垂れながらボーッとしているだけなのだから。で、たまに羨ましそうな視線をこっちに寄越したりしているのだから。ぷぷ、かわいそ!
「ああっ! 笑うなんてひどいのだわ!」
「ごめんごめん。てかアリスさあ、柚葉と同じ場所にいるから釣れないんじゃないの? 真斗やリンちゃんを見なよ。あっちはちゃんと釣れてるみたいだよ」
二人はボートの反対側、私たちから離れた場所に陣取って釣りをしていた。真斗はボートに乗るなり「運気が吸われる」とか言ってそそくさと離れてったし、リンちゃんは謎の虚無オーラを放っててむしろこっちが近づきがたい。「ムゲンフエダイ星5……ムゲンフエダイ星5……」ってさっきからつぶやいてる。コワ。
対してアリスは、釣りを始めてからずっと柚葉の隣だった。最初からそうと決めてたみたいに。幸運のおこぼれにあずかろうという魂胆だったのかもしれないけれど、だとしたら、見事に裏目ったね。
「ま、まだ場所が悪いとは限らないのだわ。それに、タイムフィールド家の淑女として、そう簡単に諦めるわけにはいかないもの」
「大人しく尻尾巻いてよそに行った方がいいんじゃな〜い? アリスに浮気するようなお魚さんは、この辺にはいないと思うよ〜?」
「むきー! もう釣れるまで絶対ここを動かないのだわ!」
むきーて。おもろ!
「じゃあ柚葉もここから動かなーい♪ ……おっとと、また引いてる!」
ああーっ、とアリスの悲痛な叫びが、きらめく海に響き渡った。
ファンタジィ・リゾートの経営が軌道に乗って以降、私たちはリゾート三昧の日々を送っていた。というのも、今は夏休みの真っ只中で、ちょうど怪啖屋の活動ネタもなく、リゾート施設は経営者権限によって全面フリーパスであることから、無駄に奮い立つティーンエイジャーの青春パワーを大いに浪費しまくるにうってつけだったからだ。
おとといは射的。昨日はサーフィン。そして本日は魚釣り! てことで、こうしてボートを贅沢に貸し切って、みんなで釣り竿片手に海へと繰り出したってわけ。
メンバーは、私、アリス、真斗、リンちゃんという四人の〝いつメン〟。アリスとリンちゃんはこの夏に出会ったばかりだけど、数々のイベントを一緒に乗り越えたおかげか、すでに長年の親友みたいな印象があった。アリスは、特に。
親友――なんて関係性では括れないほどの、特別な存在。
世界で一番幸運な柚葉ちゃんの、一番幸運な巡り合わせ。
『出会いは宝物』って言葉があるけど、それは真実かもって思う。アリスとの思い出は全部、心の中の宝箱に、そっと仕舞ってある。
「あ、あら……? これは……どうしましょう……」
ふと隣から困惑気味なウサギちゃんの声。不漁を嘆いてるのとは違うようだ。
「どしたの、なんかトラブル?」
「柚葉……あの、糸がぐちゃぐちゃになってしまって……」
「わお。こりゃまた派手に絡まってるねえ」
見ると、リールに巻かれた糸がスパゲティのようにこんがらがって、にっちもさっちも行かなくなっていた。ロッドの振り方が悪かったり、糸の巻き方をミスったりすると、釣り糸が縺れてこんな風になることがあって、これをバックラッシュという。釣りには付きもののトラブル。
「全然リールが動かないわ。切るしかないかしら……」
「タイムフィールド家の淑女は諦めないんじゃなかったの? ほら、見せてみて」
うーん、確かにごちゃごちゃ絡まってるけど、まだ大丈夫な範囲かな。
私はかぎ針を取り出した。『セイラープー』のヘアピンを改造して作った、折り畳み式のかぎ針を。
「あ、それは……」
「こんなこともあろうかと、ってね〜」
まあいつも持ち歩いてるんだけど。
「んーと……この辺が引っかかってるのか。ちょいちょいちょい、っと」
リールの奥で絡まっている部分をかぎ針でほぐしてやり、糸を慎重に引っ張ると……はい、元通りー。
「直った! 直ったのだわ! ねえ柚葉、直った!」
「はいはい、私が直しましたからねー。それよりロッド変えたら? 初心者用のならライントラブルも少ないよ」
「でも、柚葉はこれと同じのを使ってるじゃない。だから、私もこれを使うのだわ」
〝だから〟の意味がよくわからんけど。アリスのシンメトリー病にも困ったもんだ。
アリスはすっかりきれいに巻き直されたリールをきらきらの目で眺めてから、
「どうもありがとう。助かったのだわ」
天使みたいにほほえんで、お礼を告げた。
「……まあ、ね」
むずがゆい。てか不意打ちは卑怯じゃん。アリスってほんと……こういうところがね。
どういたしましてとも言えずに改造ヘアピンを手でもてあそんでたら、
「ふふっ」
とアリスが笑みをこぼした。どぎまぎしてるのを見抜かれたのかと思って、ぎくりとしてしまう。
「な、何。なんかおかしかった?」
「ううん、おかしいとかじゃなくて……柚葉がそれを使ってくれているのが、嬉しいなと思っただけ」
どこか遠くを見つめるかのように、優しげに目を細めるアリス。私はちょっと返事に詰まった。パパのことを思い出しているのだと、わかってしまったからだ。
私たちの運命を象徴するような、一対のヘアピン――。
その片方を、今も変わらず自分が手にしていることに、罪悪感がまったくないと言えば、嘘になる。
なにしろこれは『形見』に等しい。親子の約束がこめられているという意味で。探してきてとアリスが頼み、パパはそのために娘と別れ――帰らぬ人となってしまった。約束を果たせないまま。持って帰るはずだった物を、届けることさえできないまま。
やっぱり返すべきなんじゃないか、って、時々思う。
だけど、
「当たり前でしょ。これは柚葉の大事な道具で、幸運を呼ぶ宝物。これからもずっと、柚葉のそばで大活躍なんだから!」
改造ヘアピンを掲げて、晴れ晴れと答えてやった。そう思う気持ちも本当だったし、アリスも喜ぶと思ったから。
アリスのパパは、もう帰ってこない。永遠に。だけど約束のヘアピンだけは、こうしてアリスの下へと帰ってくることができたのだ。
長い時を経て取り戻した、親子の約束。それを二度と失わないよう守り続けてあげる役目は――たぶん、あの日に命を譲ってもらった、私の務めなのだろう。
「今だってこれのおかげで助かったでしょ? 厄除招福。もう手放せないよね〜」
「ふぅん。それで、その大事な宝物とやらを手放そうとしたのは、どこの誰だったかしら」
ぐさり。
アリスは意地の悪い笑みを浮かべてこっちをじろじろ見ている。いつもイタズラされてばかりだけど、私だってたまには反撃するんだぞ、という感じの、してやったり顔だ。
むむ〜、アリスのくせに!
「ほ、ほらっ! せっかくリール直してあげたんだから釣り再開しなよ。柚葉ちゃんの宝物パワーで、一匹くらい釣れるかもしんないよ」
「まったく、ごまかして。けど確かにこのままじゃまずいのだわ。お話はこれくらいにして……」
えい、とアリスが仕掛けを投げ込んだ直後。
「……えっ? か、掛かった!?」
ぐいぐいと釣り糸が引き始めた。うそ、マジで!? 宝物パワーすご!
「おおお大きいのだわ! あ、あわわわわ……ひゃああっ!」
「ちょっ――アリス踏ん張って、柚葉も手伝うから! うぐぐぐ……、ねえー真斗ー! あんたもこっち来てー!」
「なんだ、どうした!? ヌシでも釣れたか!?」
「みんな何の騒ぎー? ……わわっ、アリス、もしかして大物ヒット!?」
「押忍、リンちゃん! こいつは超のつく大物ッス!」
このときだ。
このときまでは、確かに私はヘアピンを持っていた。
そして、四人がかりで釣り竿を引いて、見事バカでかいサメを釣り上げて、アリスすごいとか水族館で飼おうよとか記念写真撮ろうよとか、みんなできゃあきゃあはしゃぎまくって……。
結局、ヘアピンをどこにやったのか、よく覚えていない。
「………」
釣りを終えた後は水族館に行ったり、屋台で買い食いしたり、フェスステージで騒いだりしていた。やがて帰るのも面倒くさくなってきて、もう泊まっちゃおうよということになり、ホテルの部屋に入った。そして何か忘れてることに気づき――今に至る。
記憶を順に整理したら、少し落ち着いてきた。
間違いない、釣りのときだ。ボートの上で失くしたんだ。置き忘れたのか、仕舞ったつもりがどこかに落としたのかはわからないけど、きっとそこに落ちてると思う。きっとボートにあると思う。何なら船長ボンプのコウテイが拾ってくれているかも。行って探せば、あっさり見つかるに違いない。
ふう。失くした場所がわかって一安心。よかったよかった。
もう見つからないかと思っちゃった。
もう見つからないかもしれないぞ――という思いが脳裏をかすめて、一瞬、ぞっとなった。
ホテルの部屋を飛び出して桟橋に直行した。空は夕焼けだった。部屋にかまちーを置いてきちゃったな、とチラリと思ったけれど、今は引き返す時間さえ惜しかった。
ちょうどコウテイを見つけて、落とし物のことを伝える。残念ながらコウテイは拾ってはいないらしい。手にじわりと汗が滲む。いや、大丈夫、探せば見つかる。許可をもらってボートの上を探させてもらうことにした。
船上は夕陽で真っ赤に染まっていて少し見づらい。でも、派手なキャラ物のヘアピンだから、落ちていればすぐにわかるはずだ。むしろ夜でなくて助かった。
船首から船尾まで床を舐めるように見た。何度も何度も何度も見た。不安と動悸がハウリングするかのように激しさを増してゆく。大丈夫、落ち着け、探せば見つかる、探せば――。
やがてコウテイが心配そうに声をかけてきて、わざわざ探すのを手伝ってくれた。ボートの内外くまなく調べる。何も見つからない。
背筋が凍りつく。
『受付に落とし物が届いているかも。確認してみたらどう?』
ボンプ語でそうアドバイスされ、受付めがけて猛ダッシュした。一度、砂浜に足を取られて盛大に転んでしまったけれど、それで宝物が見つかるなら百万回転んだって構わない。
受付に辿り着くとテレーゼさんがぎょっとなった。身体じゅう砂まみれな上、髪もぐしゃぐしゃで、ぜえぜえと息を切らしてるやつがいきなり飛び込んで来たのだから、驚くのも無理なかったと思う。
ほとんど詰め寄る勢いでテレーゼさんに落とし物の確認をした。『セイラープー』のヘアピンを改造した、折り畳み式のかぎ針!
しかし、
「いえ、そういったものは特に……」
ぐらり、と周囲の景色ごと視界が歪む感覚を味わった。どうしよう、どうしよう、どうしよう……焦りがじわじわと絶望へと変わっていく。
アリスから託されたヘアピン。パパとの約束がこめられた品。それを……失くす? 遊びに夢中になりすぎたせいで? そんな、くだらない理由で?
硬直しそうになる足をどうにか動かして、フェスステージまで来た。もうイベントも終わり無人だった。ここでステージを見てるときに落とした、なんてことはないだろうか。
がらんとしたフェスステージを隅々まで見回ってみる。すると、
――きらん。
「えっ?」
砂に埋もれた小さな何かが、一瞬、夕陽を反射してきらめいた。ここだよ、と言うように。
あ……、
あった……あった、あった、あった!
みるみる口角が上がっていくのが自分でもわかった。あった、見つけた! よかった……本当によかった……!
そうそう、そうだよ、そうでなくっちゃ! ラッキー体質の柚葉にかかれば、すぐに見つかっちゃうんだから! それより大丈夫かな、汚れたりしてないかな? もし汚れてたらアリスに謝ろう。そしてちゃんときれいにしてあげよう。新品みたいにピカピカに。だって、アリスのパパの思いが詰まった、大事なヘアピンなんだもんね!
小走りに駆け寄ってそれを拾い上げた。
「――痛っ」
針が刺さったのかと思った。違った。小さなプラ容器の破片が指に食い込んだのだ。
ヘアピンなんてものは、どこにもなかった。
しばらく辺りを探ったものの、結局、ゴミしかなかった。
「………」
屋台の近くはどうだろう。けどそれらしき物は何も落ちていない。道の隅っこで犬コロみたいに地面を嗅ぎ回っている私を、怪訝そうに一瞥しながらお客さんが通り過ぎていく。何してんだアレ、と声が聞こえる。パシャリ、とシャッター音が鳴って、びっくりして振り向いたら、ただ女の人が自撮りしてるだけだった。なんだかいたたまれなくなってその場を去った。
水族館、商店街、カフェ――他にも今日行った場所をひたすら回ってみたけれど、何も見つからなかったし、誰も拾っていなかった。途中、地面ばかり見て柱に頭をぶつけたり、段差につまずいて擦りむいたり、人にぶつかって舌打ちされたりして、ほんのちょっとだけ、めげそうになる。必死な自分を、世界中が嘲笑ってるみたいで。
……そうだよ。必死だよ。必死になるに決まってんじゃん。
あれは宝物なんだよ。アリスのパパの形見なんだよ。アリスのパパが、最後に娘に届けたかったものなんだよ! 親子の約束がこもってる! 失くすだなんて信じられない! ありえない! あっていいわけない!
パパを失った幼いアリスは、どれほど自分を責めただろう? どれほど寂しかったろう? 約束のヘアピンすら帰ってこないことに、どれほど傷ついたのだろう? 約束を果たせなかったアリスのパパは一体どれほど無念だった?
断たれてしまった親子の絆。それがようやく、娘の元へと帰ってきたのに。
アリスはそれを――パパの思いが詰まった宝物を、私なんかに託してくれたっていうのに。
(柚葉がそれを使ってくれているのが、嬉しいなと思っただけ)
アリスの声と笑顔が、頭の中でリフレインする。
なのに。私は。
あの子のパパを奪っておいて。
そして今度は、あの子から、パパとの『約束』さえ奪ってしまうの?
徒労感を引きずりながら、波打ち際まで歩いた。……ボートを探しても見つからない。受付にも届いていない。可能性のある場所はすべて空振り。もうこれ以上、どこを探せばいいのかもわからない。
まるで罰を受けてる気分。
何の罰だろう。
のうのうと生きてる罰かな。
ぼんやり思いながら、意味もなくそこら辺を眺め渡した。
切ないくらいきれいな夕暮れの中で、子連れの家族や、カップルや、学生グループなどが、あちこちで賑やかな声を上げている。楽しんだり、幸せそうに笑ったりしている。
ふいに、景色が滲んだ。
親とはぐれたちびっ子みたいなみじめさが、胸に押し寄せてきたのだ。
――何やってんだろ、私。
ずずっと洟をすすってこらえた。潮の匂いにツンとなる。目元を乱暴にぬぐう。
もっと探そう。もう一度、同じところを回ってみよう。何か見落としがあるかもだし。徒労でも、二度手間でも、諦めないで何度でも探そう。そうすれば、きっと幸運が味方してくれるはずだから。
弱気な心を意志で支えて、くたくたの足に力を込めたとき――、
「ねえママー! かわいいヘアピンひろっちゃったー!」
がばっと顔を上げて声の方を振り返った。小さい女の子が何か持っている――!
「あ……あなたっ! ちょっと拾った物、見せて!」
見つけた……!
やっぱり柚葉は、世界で一番のラッキーガールだ!
そんな甘い気持ちは今度こそずたずたに破壊し尽くされた。女の子の手に握られていたのは、なんの変哲もない、ただの普通のヘアピンだった。
「これ、おねえちゃんの?」
きょとんとする女の子に、自分はなんて返したのだろう。気づいたら、膝を抱えて浜辺に座り込んでいた。どれくらいそうしていたのかも、わからなかった。
ざあんざあんと波の音を聞くうち――、
「柚葉?」
今一番会いたくない人の声がして、びくっとなった。
「……ア、アリ……ス……」
振り返ると彼女がいた。浜辺に座り込んでいる私を不思議そうに見下ろしている。
「部屋にいないから探したのだわ。夕陽でも見てたの? ……確かに、陽が落ちる寸前の空も、また格別ね」
「………」
うまく声が出せない。すっと血の気が引いて、まともに息さえできなくなる気がした。
どんな顔をすればいいの? アリスを裏切るような真似をして。アリスの大事なヘアピンを失くしてしまって。しかも原因は自分のくだらない不注意のせい。不安と恐怖と罪悪感がヘドロみたいに混じり合ってお腹の奥をかき乱す。
「ねえ柚葉、よかったら一緒にバーに行かない? 真斗が、バイトで教わったノンアルコールカクテルを作ってくれるって……」
言いかけたアリスがたちまち真顔になった。ボロボロの私の姿を見て、不穏な気配を察したようだ。
ダメ――言えない。
言えるわけない。
「あっ、柚葉!」
全速力で逃げ出していた。だって、アリスは何があったのって絶対聞いてくる。そんなの言えるわけがない。あのヘアピンをどこかにやってしまっただなんて、そんなの死んでも言えるわけがない。
だってあれは、アリスのパパの『形見』なのに。
大事な大事な、アリスの宝物なのに!
「捕まえたのだわーーーーーーーーっ!!」
「ぶへっ!!」
アリスのタックルを背中から食らい、私は砂浜へ顔面ダイブした。そういえば、ウサギって、足速いんだっけ。
「ハァハァ……、ゆ、柚葉。どうして逃げるの」
「べ、別に、なんでもない……。ほっといてよ……」
「なんでもなくないのだわ!」
がしっと両肩を掴まれた。強い力だった。なのに優しく抱かれているような、不思議な感じがした。
「ねえ柚葉。あなたはまた、一人で大変なことを抱え込んでいるのではなくて?」
「そんな、ことは……」
「じゃあ今まで何をしていたのか教えて」
「う……いやその……」
「教えなさい」
「ぅぅ……」
観念するしかなかった。どうせいつかはバレるんだ。嘘をついた上に怒られるよりは、正直に話して怒られた方がいくらかマシだろうと思い、なけなしの勇気を振り絞る。
「……な、失くしたの。……ヘアピン」
「えっ――!?」
アリスの声に驚きの色が混じる。それにどきりとして、思わず唇をきゅっと結んだ。
「ヘアピンって……あの、『セイラープー』の改造ヘアピンのこと?」
こくり。
「もしかして、今までずっと一人でそれを探していたの?」
「……う、うん」
「そうだったのね。だけど、それを言いづらくて逃げるなんてことないじゃない」
アリスの声は、思いのほか、責めたり怒ったりする感じじゃなかった。でも内心ではどう思ってるんだろうと考えると、怖くて目を見て話せなかった。
「どこで失くしたのかわかる?」
「たぶん……ボート。釣りのとき……」
アリスは、ああ、と気づいたようだった。私がヘアピンを使うところを彼女も見ていたからだ。けどそれ以上、思い当たる節はなかったみたい。
「もちろんボートも探したのよね。それでも見つからないってことは、海に落としちゃったのかも……」
無意識に除いていた可能性をずばり言い当てられて、びくりと身体がすくむ。もしそうなら探しようがない。本当に、永遠に失われてしまうかもしれない。
「あ……っ、あ、あのっ!」
「……柚葉?」
「あ、わ、私……探すから! もっとちゃんと探すから! もっと探して、ぜ、絶対……絶対、見つけるから! だ、だから、あの、私……だから……」
「ゆ……柚葉? どうしたの、落ち着いて――」
静止しようとするアリスに構わず駆け出そうとしたとき、
「おーい!」
と声がして、思わず二人とも振り向いた。知ってる声だったからだ。
リンちゃんに、真斗――それにかまちー!
「……なるほどねぇ。かまちーが『ついて来い』って感じに服を引っ張るから何かと思ったけど……来てみて正解だったよ」
事の次第を聞いたリンちゃんがフムフムとうなずく。
「ああ。こいつが人にちょっかいかけてくんのは、大抵イタズラか――柚葉になんかあったときだけだからな」
真斗が、かまちーのことを戦友みたいな眼差しで見る。
二人は船上バーにいたところをかまちーに連れ出されたらしい。かまちーも、私の見えないところであちこち探し回ってくれてたみたいだ。だけどやはり万策尽きて、最後の手段にと二人を呼んできてくれた。
「かまちー……ありがとね」
探さなきゃ、探さなきゃ、と必死になっていたのが嘘のように、私の心は落ち着いていた。仲間の姿を見て安心したおかげかもしれないし、アリスに事実を話したことで、だんだんと自分でも諦めがついてきたのかもしれない。
海に、落っことしちゃったんだ。
本当は、ボートを探しても見つからなかった時点でわかっていた。だけどそんなこと認めたくなくて、どこかにあるはず、あるはず、と自分に無理やり言い聞かせ、ありもしない希望に縋り続けたのだ。
「ったく、無駄に一人で張り切りやがって。オレらにすぐ相談してりゃあ、四馬力だったってのによ」
と真斗は軽口を叩いている。心配されたりするよりは、そっちの方がありがたかった。
「一緒に探しましょう、柚葉」
しゃがみ込んでかまちーを撫でる私の肩を、とん、と叩いて、アリスが言った。声には真剣そうな響きが含まれている。
ちら、と目線だけ上げてみたけど、まともに顔を見る勇気はなかった。合わせる顔さえも。
「あれは柚葉の大事なお守りなのでしょう? 諦めるにはまだ早いのだわ。みんなで探せば、きっと見つかるはず」
アリスはもちろん、真斗もリンちゃんも、その気まんまんといった風に頷いている。本当なら「そうだよね」って私も頷くところだったのだろう。けれど、
「……そんなの、悪いよ」
私は目を伏せたまま、ぽつんと返しただけだった。途端、すさまじい自己嫌悪が胸の奥を抉った。
『悪い』? 私は何様なんだろう。あのヘアピンは親子の約束の証――アリスにとってこその大切な宝物。なのに、それを勝手に失くした挙句、アリスの気持ちも考えずに『そんなの悪いよ』なんて言い放って、私はどういう言い草なんだろう。
心がヤケになってしまったのかもしれない。自分でも苛立たしいほどの情けない声が、口からひとりでにこぼれ出す。
「釣りのボートだけじゃなく、リゾート中、全部探してもなかったし……海に落としたんだよ。そしたら……きっと、もう……」
帰ってこない。
――アリスのパパと同じように。
心の中で、誰かの冷たい声が響いた。
「海に落としたからといって、この世から消えてしまうわけではないのだわ」
優しくて、芯のある声が、耳を打った。
「砂浜をよく探してみましょう。波に乗って、どこかに流れ着いている可能性だってあるのだから」
わずかに灯った希望の光も、結局は湿気った線香花火のようなものだった。
「リンちゃん、どうスか? それっぽいモン浮いてたりは?」
「う〜ん……ダメだあ、何もなさそう。あんまり遠くまでは見えないし……せめて昼間だったらなあ」
リンちゃんは海上を探してくれた。真斗に肩車してもらいながら、双眼鏡を覗いて沖の方を見渡している。けれど、陽が落ちてしまったこともあって、探索は捗っていない。
「……この辺りには落ちていないようなのだわ。柚葉、向こうの方を探してみましょう」
アリスは、私と一緒に波打ち際を探してくれた。一緒に、といっても、私自身はすっかり腑抜けてしまって、言われるがまま子ガモみたいに後をついて行っているだけだ。
絶対見つけなきゃ、なんて気持ちはとっくに挫けていた。アリスにどう言い訳したらいいんだろう、明日からどんな風に話したらいいんだろう、そもそも話しかけることが許されるのかな――そんな不安や罪悪感が、心の大半を占めていた。
アリスは怒ってはいなかった。ちょっと冷静になってみれば、それくらいすぐにわかることだった。心の中では悲しんだりしているのかもしれないけど、少なくともそれを無闇に表に出したりはしない。アリスは、そういう子だ。
だからこそ余計につらかった。アリスのパパの最後の約束を踏みにじってしまった私に、優しくされる資格なんかない。
しばらくして、
「なあ、今日はこの辺にしとかねえか」
真斗がそう切り出した。いつの間にかすっかり夜になっていた。
ちらりと申し訳なさそうな視線を私に送ってから、
「夜の海は危ねえしよ……。また明日、早起きして、みんなで探してみようぜ」
自分が区切りをつけなければ、みんな延々と探し続けてしまうと感じたんだろう。実際、アリスはまだ諦めたくなさそうな雰囲気だった。
ヘアピンを失くした日のことを思い出しているのかな、と思った。帰ってくるはずだったパパのことを。私が二度も台無しにしてしまった、パパとの最後の約束のことを。
どこか重い空気のまま、みんなでホテルに戻った。
部屋に入って、ベッドに倒れ込み――しばらくして、そっと部屋を出た。
どうしても寝付けなかったのだ。不安や後悔や罪の意識が、胃の底をずっと這い回ってるみたいで。
外に出て、海へと向かった。
砂浜に体育座りして、ぼーっと水平線を見つめる。
ざあんざあんと波の音を聞くうち――、
「やっぱりここにいた」
振り向くと、アリスがこちらを見下ろしていた。なんだかデジャヴを感じた。そういえば、夕方にも同じようなことがあったなと思い出す。海辺でうずくまっているところを、今と同じように、アリスに見つけられたのだ。
そのせいもあってか、あんまり驚きはなかった。
あるいは心のどこかで、彼女が来ることを予感していたのかもしれない。
「何をしていたの? 星でも見てた?」
そんな質問をされるのも、夕方のときと同じだなと思いながら。
「……ううん。海」
「そう。……夜の海って、少し怖い気がするのだわ。じっと見てると、暗い海の底に吸い込まれてしまいそうで。柚葉はそうは思わない?」
聞きつつ、隣に腰を下ろすアリス。
私は答えなかった。アリスはさっきから何でもないような調子で話しかけてきている。ヘアピンのことなど忘れてしまったかのように。
「……ごめん……なさい」
「え……?」
「ヘアピン。……失くし、ちゃって……」
今言えなかったら、きっと一生言えない。そう感じて、喉から言葉を絞り出した。
ひどくかすれた声になってしまったけれど、アリスの耳にはちゃんと届いてくれたようだ。
「私に謝ることなんてないのだわ。モノである以上、失くなったり壊れたりしてしまうのは、仕方のないことだから……」
その口ぶりで、なんとなくわかった。アリスも、おそらくヘアピンはもう見つからないのだろうと、悟っているらしいことに。
「でも……大事な物だったでしょ」
「……そうね。確かに、失くなってしまうのは少し寂しいのだわ。だけど、それよりもあなたの方が――」
「私のことなんかいいよっ!!」
空気を引きちぎるような叫びに、アリスが隣で息を呑む気配がした。
もうこれ以上、気を遣われたくなんてなかった。悪いのは全部、私なんだから。
「アリスの……アリスの、大事な宝物だったのに……! アリスのパパとの約束がこもった、大事な『形見』だったのに……」
アリスのパパが、娘に届けたかったもの。アリスがずっと待っていたもの。
ヘアピンを持って帰るっていう、最後の約束。
それを、私は――二度も失わせてしまった。
「……ごめん、本当に、ごめん……」
私は幸運なんかじゃない。むしろ疫病神なんだ。
アリスや、その家族から、大事なものを奪ってばかりの。
そんな気持ちさえ浮かんできて、たまらずに、膝に顔をうずめた。
すると――、
「えっ? 形見?」
きょとんとした声が聞こえた気がして、つい顔を上げてアリスの方を見た。
アリスは、きょとんとしている。
「形見って……私の父の?」
「だ、だって……アリスのパパ、最後に約束したんでしょ。あのヘアピンを持って帰るって。だから……」
「約束――」
一拍置いてから、ふう、とアリスは息をついた。腑に落ちた、とでもいうように。
「なるほど。あなたが私を見て逃げ出した、本当の理由がわかったのだわ」
「え……? 本当の、って……」
アリスは、自分でこんなこと言うのもなんだけど、といった感じの苦笑を浮かべて、言った。
「ほら……あのヘアピンは、私からあなたに手渡した物じゃない。だから、単純に気まずくって逃げ出したのかと思っていたのだけど……そんなことを考えていたのね」
それからアリスは、静かに諭すような調子で、
「だとしたら、柚葉は思いつめすぎなのだわ」
私に向かってそう告げた。
「思いつめすぎ……?」
「だって、あなたの言う『父との約束がこもった宝物』というのは、ヘアピンなんかじゃないんだもの」
はぇ?
「もちろん、あのヘアピンにいろいろ思い出はあるけれど……特別それに執着はしてないのだわ。だからね柚葉、あのヘアピンを失くしたところで、私に対してそこまで申し訳なく思う必要なんてないの」
アリスはきっぱり言った。嘘でも気休めでもないことがハッキリとわかるような、澄んだ笑顔で。
「どう? 少しは気が楽になったかしら」
「………」
私は、ぽかんとなってしまった。
どーゆーこと? ヘアピンじゃない? ただの一人相撲だったってこと? ここは喜ぶところ? 悲しむべきところ? もしくはその両方?
脳みその大部分はまだ処理落ちしていたけど、ひとまず、
「じゃあ……その、ヘアピンじゃない『宝物』って……何?」
と尋ねた。
そんなものがあるなんて知らなかった。パパとの約束にまつわる、私の知らない隠しエピソードが、あったりするのだろうか。
てっきりすぐ教えてくれるかと思っていたら、アリスは、またよくわからないことを言い出した。
「あの日……。私が研究所で、ヘアピンを落としてしまった日。父は、私になんて告げて、研究所に戻ったのだと思う?」
「……は?」
いきなり謎の質問。
『あの日』にあった出来事については、以前にアリスから話を聞いたことがある。でも、アリスのパパが誰に何を言ったかとか、そこまで具体的なことは聞かされていなかった。そもそもなぜそんな質問をするのだろう?
答えに困っている私をよそに、アリスは続けた。
「今でもよく覚えてる。父は私に、こう言ったのだわ」
――仰せのとおりに、お姫様。この騎士ライオネルが、きっとあなたの失われた宝を取り戻してみせましょう。
「……って。ふふ、思い返すと少しキザな気もするわね」
気がするどころかドキザだな、とうっすら思った。アリスのパパって、サーフィンやってたり、騎士ぶったり……なんかこう、実はものすごく陽の人だったのだろうか。娘にその面影はないが。
「えっと、それで……?」
続きを促す。しかし――アリスは妙にニコニコしながら私の顔を見つめるばかり。
「あの……」
「わからない?」
「……うん」
もはや何がわからないのかもわからない。これってヘアピンの話だよね?
「父はあの日、ちゃんと『宝物』を拾って届けてくれたの。約束通りに」
「いや、でも、ヘアピンは結局――わぷっ」
唐突に、なんだかあったかいものに包み込まれた。ついでにやわらかかった。ハーブみたいないい匂いもした。
アリスに抱きしめられているんだ、と気づくまで、八秒くらいかかった。
「え!? ちょ、待っ――あ、あ、アリス……!?」
瞬間、罪悪感だの何だのは呆気なく心の中から吹き飛んでって、急速に恥ずかしさが込み上げてきた。
だってこれは気軽なハグとかじゃなくて、ぎゅっと顔じゅう抱き寄せられてて、なんか愛おしそ〜うに頭を撫でられたりもしてて、ついでにやわらかくていい匂いもして……、
恥ずかしすぎる!!
「なななな、な、何!? 何なの!?」
解放されるなりズザザと後ずさりしてしまった。アリスは相変わらずニコニコしたまんま。
「これでもわからない?」
「???????」
とクエスチョンマークを大量生産する私を見て、くすくすと面白そうにするアリス。頭のウサ耳もピコピコしてる。本当に面白がってるやつだ、あれは。
「むーん、しょうがないのだわ。それじゃあ大ヒント」
ぴっ、と人差し指を立てて、
「父はあの日、『宝物』を拾ってくると約束した。そして約束通り『宝物』を拾ってくれた。さて、父が研究所で拾ったものは、いったい何だったでしょう?」
「アリスのパパが研究所で拾ったもの、って――」
とくん。
そのとき、胸が高鳴った。
「十年近くも遅れてきた、サプライズプレゼントだったけれど」
アリスはささやくように言って、私の両手をそっと握った。優しく、とても大切そうに。
そして、
「柚葉。……あなたは、私にとって、かけがえのない『宝物』よ」
まっすぐな瞳で、告げてくれた。
「父はあの日、ちゃんと約束を果たしてくれた。あなたという『宝物』を、私の下へと届けてくれた。父との約束も、その思いも、みんなここに――あなたの中に息づいてる。あなたがそばにいてくれる限り、いつまでも、失くなったりなんてしないのだわ」
ふいに、景色が滲んだ。
夕方のときとは正反対の感情が、心にあふれ出した。
「あなたと出会えて――私は今、とっても幸せよ」
その後に続く時間のことを、私はあんまり覚えていない。でもそれでよかったのかもしれない。なんでかって? それはもちろん、もう二度と思い出したくないほどのみっともない大号泣を、アリスにかましてしまったからだ。人間ってこんなに泣けるのかと自分で感動するくらいにドバドバ泣いて、泣いて、泣きまくった。あんなに泣くこと、もう一生ないに違いない。
たぶん。
アリスがお嫁さんに行ったりとか、そういうことがなければ。
考えただけで泣きそう。
涙の洪水が収まると、アリスは、戻りましょう、と言って私を立たせてくれた。あまりにも泣きすぎて全身グニャグニャだったのだ。足取りはさながら酔っ払い。
涙の跡は、アリスの目元にも残っていた。
ざあんざあんと打ち寄せる波に背を向け――ふいに、アリスがくるりと海の方へ向き直った。懐から何かを取り出す。
『セイラープー』のヘアピンだった。
一対のヘアピンの、もう片方。
アリスはそれをぐっと握りしめ、思いっきり、
「えーーーーーーーーーーいっっ!!!」
海に向かってブン投げた。
……きらーん。
夜空に星がひとつ増えた。
「さ、ホテルに戻りましょう」
最後の仕事をやり遂げたような調子で言う。私は腰が抜けそうだった。
何やってんの!?と大慌てする私へ、
「私だけ持ってたら、アシンメトリーなのだわ」
天使みたいな笑顔を咲かせて、あっさり返したものだった。
・・・
次の日の朝、私たちは、真斗とリンちゃんに『ヘアピン探し作戦』の中止を告げた。二人は目を白黒させていたけど、昨日とは打って変わった様子の私たちを見て、なんとなく把握してくれたようだった。
『宝物』は失くならない。
それどころか、増やすことだってできるのだ。
数日後――私とアリスは、ヘアピンに代わる新たな『宝物』を手に入れていた。リンゴと星をモチーフにした、おそろいの可愛らしいキーホルダーだ。
輝磁を加工したアクセサリで、工芸品店『奇々解々』の店主である私のパパからの手ほどきを受け、私とアリス、二人で一緒に手作りした。
アリスは「手作りなんて初めてなのだわ……」といつものお嬢様仕草でドキドキの様子だったが、これがすこぶる覚えが早い。練習用に作った小物すら、すでに商品クオリティだった。
すごいぞ、才能がある、うちの店を継いでくれ、などとパパは持てはやして、アリスのことを困らせている。本気かどうかわかったもんじゃない。
「これでまた、柚葉といつでも一緒なのだわ」
出来上がったおそろいのキーホルダーを掲げて、アリスは嬉しそうにほほえんでいた。ふふふ、「柚葉といつでも一緒」だって。ふふふ。むふふ。
「お前……ちょっと気色わりーぞ」
家でアリスの笑顔を思い出しながら浸ってたら、真斗が呆れ口調でほざいてきた。スネにキック!
そんなこんなで日々は過ぎる。
やがて例のヘアピンのことも懐かしい思い出のひとつとしてセピア色に染まるかと思われた矢先――私たちの下へ、驚愕の知らせが届いた。
「見つかったあああああああああああああ!?」
連絡はリンちゃんからだった。
アリスと一緒にビデオ屋にすっ飛んで行くと、まぎれもない『セイラープー』のヘアピンたちが、仲良く揃ってそこにあった。
二つのヘアピンは、なんと釣り上げられたらしい。やっぱり海に落としていたのだ。私の物とアリスの物、両方とも不思議に絡み合った状態で、偶然釣り針に掛かったのだという。
それって、どんな幸運なんだろう。
あるいは、運命なんだろうか。
「リンちゃんが釣ったの?」
私が尋ねると、彼女はちょっと口ごもってから、答えてくれた。
大事なヘアピンを見つけてくれた、その素敵な釣り人さんの名前は――
🧿 褒めてください、マスター。