2026年01月25日 13:04
二ヶ領用水のかつての姿を少しでも思い描けるように、これまで個人的に調べた水路の跡を整理し、共有している【二ヶ領用水支流ガイド】では、ここまで「北部編」と「中部編(1)」を公開してきた。
今回の「中部編(2)」では、久地円筒分水から大師堀と町田堀に分かれる分水地点までの川崎堀と、そこから分かれる支流、さらに渋川についても取り上げたい。
(2) 川崎堀七堰
「川崎堀七堰」の記事はこちら
今回の「中部編(2)」では、久地円筒分水から大師堀と町田堀に分かれる分水地点までの川崎堀と、そこから分かれる支流、さらに渋川についても取り上げたい。
(1) 川崎堀
久地円筒分水で久地溝口堀、川辺堀、川崎堀、根方堀の4本の堀に分水する二ヶ領用水の主流にあたる堀で、しばらくは分水することなく、水源の多摩川と同じように南東方面に流れた後、中原区に入って以降は川崎堀七堰と呼ばれる各堰で支流を分水し、平間配水所近くの分水地点で大師堀と町田堀に分かれて終わる。
現在、久地円筒分水より下流側では水の流れを見られる唯一の堀が川崎堀で、沿道には桜や桃などの見どころも多く、市民には貴重な親水空間として親しまれていて、単に「二ヶ領用水」と言えばこの堀のことを指している。
久地円筒分水で久地溝口堀、川辺堀、川崎堀、根方堀の4本の堀に分水する二ヶ領用水の主流にあたる堀で、しばらくは分水することなく、水源の多摩川と同じように南東方面に流れた後、中原区に入って以降は川崎堀七堰と呼ばれる各堰で支流を分水し、平間配水所近くの分水地点で大師堀と町田堀に分かれて終わる。
現在、久地円筒分水より下流側では水の流れを見られる唯一の堀が川崎堀で、沿道には桜や桃などの見どころも多く、市民には貴重な親水空間として親しまれていて、単に「二ヶ領用水」と言えばこの堀のことを指している。
(2) 川崎堀七堰
久地円筒分水から始まる二ヶ領用水川崎堀が、大師堀と町田堀に分かれるまでの間にあった井田堰、木月堰、今井堰、中丸子堰、上平間堰、苅宿堰、鹿島田堰の七つの堰を川崎堀七堰と言い、各堰から井田堀、木月堀、今井堀、中丸子堀及び田中堀、上平間堀、苅宿堀、鹿島田堀が分水していた。
「川崎堀七堰」の記事はこちら
(3) 井田堀・木月堀
府中街道西下橋交差点の西方にある川崎堀の「井田堰」から南に分水する支流が井田堀、そこから250mほど下流にある「木月堰」から同じく南に分水する支流が木月堀。
ともに分水直後から暗渠になり、並行して南西方面に進んで、中原街道やJR南武線を超えた辺りから南向きとなった後、それぞれいくつかの支流を分けながら、旧井田村、旧木月村に向かっていく。
木月堀の最上流部は立ち入れない場所を通るけれど、井田堀と木月堀の主流については蓋暗渠が多く残っているので、たどりやすくておすすめの支流。
旧井田村に近づいてからの井田堀は、分流や古い流路があって、たどるのが難しいところもありながら面白く、木月堀は東に分水して旧今井村に向かった支流には痕跡が少なく、また東急線の東側の最下流部もわかりにくいけれど、じっくりとたどりたい。
江戸時代の用水堰組合を見ると、井田堰組合には井田村のみ、木月堰組合には木月村と今井村が加入しており、 他の村ではこの堰で分水した用水を利用できなかった。
「井田堀・木月堀」の記事はこちら
続きを読む府中街道西下橋交差点の西方にある川崎堀の「井田堰」から南に分水する支流が井田堀、そこから250mほど下流にある「木月堰」から同じく南に分水する支流が木月堀。
ともに分水直後から暗渠になり、並行して南西方面に進んで、中原街道やJR南武線を超えた辺りから南向きとなった後、それぞれいくつかの支流を分けながら、旧井田村、旧木月村に向かっていく。
木月堀の最上流部は立ち入れない場所を通るけれど、井田堀と木月堀の主流については蓋暗渠が多く残っているので、たどりやすくておすすめの支流。
旧井田村に近づいてからの井田堀は、分流や古い流路があって、たどるのが難しいところもありながら面白く、木月堀は東に分水して旧今井村に向かった支流には痕跡が少なく、また東急線の東側の最下流部もわかりにくいけれど、じっくりとたどりたい。
江戸時代の用水堰組合を見ると、井田堰組合には井田村のみ、木月堰組合には木月村と今井村が加入しており、 他の村ではこの堰で分水した用水を利用できなかった。
「井田堀・木月堀」の記事はこちら
2026年01月04日 14:29
東急線二子玉川駅からスタートした「川崎暗渠さんぽ<大山街道編>」は、「久地二子堀」などの二ヶ領用水の支流の合流地点になる諏訪の町の三叉路から「川辺堀」の暗渠を遡り、正面に大きな梨畑があるY字路型の三叉路で諏訪と二子の町境に交わった!
ここで「川辺堀」の暗渠を離れ、諏訪と二子の町境の道を右に進んで坂を下ると、左の二子側から真新しい「川辺堀」の暗渠が来るけど、これは元々「久地二子堀」だった堀で、ここから町境の道に続く暗渠は、二子と諏訪の双方で使い終わった用水や余水を流す悪水路だった堀であり、見た目は暗渠が一区画で消えても、その先の町境に続く!
次の角で左の二子側から来る道にも「久地二子堀」の暗渠があるはずで、町境の暗渠はさらに先の角に古民家カフェのあるY字路を右に折れて、先ほど遡ったコンクリート蓋暗渠の「川辺堀」に合流する三叉路に向かう!また左の町境の道にもまた「久地二子堀」の暗渠があるので今度はこれを遡り、その次の角を左に向かって西に西に進んでいけば、川崎市高津スポーツセンターの北西の角を通り抜け、暗渠の分水地点になっているY字路へ!
この暗渠は次に東急線の高架をくぐると、すぐ左に高津駅東口がある溝口との町境の五叉路に到達!
かつての村外れに当たるその角には2基の「無縁法界塔」が祀られていて、暗渠はここを町境に沿って右に折れ、その先で突き当たるT字路は二子新地駅付近で最初に追った「久地二子堀」に合流する暗渠との分水地点!
このT字路を左に折れてさらに上流側に向かえば、間もなく「久地二子堀」の分水地点があった「大山街道」の角にたどり着く!
ここに再び戻ってきた今回は、工事現場の横の細い通路になっている上流側の暗渠に入り込み、これを抜けて進んでいくと、やがて高津図書館西側の三叉路に出た!
かつての村外れに当たるその角には2基の「無縁法界塔」が祀られていて、暗渠はここを町境に沿って右に折れ、その先で突き当たるT字路は二子新地駅付近で最初に追った「久地二子堀」に合流する暗渠との分水地点!
このT字路を左に折れてさらに上流側に向かえば、間もなく「久地二子堀」の分水地点があった「大山街道」の角にたどり着く!
ここに再び戻ってきた今回は、工事現場の横の細い通路になっている上流側の暗渠に入り込み、これを抜けて進んでいくと、やがて高津図書館西側の三叉路に出た!
ここを右に折れてこの堀を上流側にたどれば「久地二子堀」が始まる久地円筒分水に繋がるけれど、今回は「大山街道」のある左に進む!
「国木田独歩碑」などがある溝口緑地を抜けて「大山街道」を右に進み、明治に建築された代表的な蔵造りの店である「タナカヤ呉服店」の建物や、府中街道との交差点にある秤とお茶の「(有)田中屋」を眺めながら「大山街道ふるさと館」を訪ね、休憩を兼ねて大山街道を学んだ!
「大山街道ふるさと館」入口近くの道標は、府中街道旧道の角にあったもので、正面には府中街道を示す「高幡不動尊道」、左には「西 大山道」の文字が刻まれている!
ふるさと館の隣にあり、川崎歴史ガイドが立つ「陶芸家浜田庄司の家」の跡地を見た後は、諏訪の町に向かう二ヶ領用水「川辺堀」の堀跡でもある府中街道旧道の角まで「大山街道」を引き返して、府中街道旧道を南西方向に進む!
そしてこの旧道が東急線の高架をくくれば、「川崎暗渠さんぽ<大山街道編>」の終点である「みぞのくち醸造所」にたどり着く!
帝京大学溝口病院前の府中街道旧道沿いにあるこのクラフトビールブルワリーは、立ち飲みなら大人数でも大丈夫で、今回の参加メンバーはここでこの日一番の盛り上がりを見せた!
そしてこの旧道が東急線の高架をくくれば、「川崎暗渠さんぽ<大山街道編>」の終点である「みぞのくち醸造所」にたどり着く!
帝京大学溝口病院前の府中街道旧道沿いにあるこのクラフトビールブルワリーは、立ち飲みなら大人数でも大丈夫で、今回の参加メンバーはここでこの日一番の盛り上がりを見せた!
(2025/3/7 2025/3/18-2025/3/27)
「川崎暗渠さんぽ<大山街道編>」と題して大変多くの方々をご案内させていただいた今回は、集合場所の東急線二子玉川駅から「大山街道(行善寺ルート)」を多摩川まで進んだ後、「二子橋」を渡って川崎市内に入り、かつて溝口と「大山街道」の二子・溝口宿を運営していた二子の町で「二子神社」や三業地の名残りの「料亭やよい」を訪問!
そこから「大山街道」に戻って西に向かい、岡本かの子の実家である二子の旧家、大貫家の跡地や、二子塚があった村の南から七軒百姓とともにこの地に移転して、二子宿に発展したという二子の中心的寺院である「光明寺」を見ながら進んでいくと、「光明寺」からの下り坂が終わる辺りに二ヶ領用水「久地二子堀」の暗渠が突然現れる!
この堀の上流側は工事現場の角を右に折れ、現場脇の細い通路になっていて、さらにこの角は分水地点らしく、左の道にもまた暗渠が続いている!
今回は暗渠の分水地点の角から少し引き返し、東寄りの1本の暗渠を下流側に進んでみると、右折して「大山街道」を離れてから左折、右折、そしてまた左折した後、「大山街道」に並行するように東に向かう!
その先で東急線の高架をくぐると、蓋暗渠に代わって点々と先に続いているグレーチングの金網を目印にして進み、やがて二子と諏訪の町境が横切るT字路に突き当たって右に向かう!
その次の三叉路では「大山街道」で分水したもう1本の支流が蓋暗渠の姿で正面から合流し、その堀は東に向いて諏訪の町に入った!
(2025/2/25-2025/3/4)
今回は暗渠の分水地点の角から少し引き返し、東寄りの1本の暗渠を下流側に進んでみると、右折して「大山街道」を離れてから左折、右折、そしてまた左折した後、「大山街道」に並行するように東に向かう!
その先で東急線の高架をくぐると、蓋暗渠に代わって点々と先に続いているグレーチングの金網を目印にして進み、やがて二子と諏訪の町境が横切るT字路に突き当たって右に向かう!
その次の三叉路では「大山街道」で分水したもう1本の支流が蓋暗渠の姿で正面から合流し、その堀は東に向いて諏訪の町に入った!
諏訪の町に入った堀跡を追って多摩川の旧堤防だった二子新地の駅前商店街に出たら、まず左に折れて「諏訪一本松之跡」で諏訪について学習してから商店街を下流側に進むと、旧堤防が左に折れていたT字路に出る!
その先にある四つ角は、今回追ってきた「久地二子堀」や他の堀が合流して、旧堤防の外に抜けていた場所であり、ここを左側に向かう道は旧堤防の外に抜けた堀跡の暗渠で、少し入り込めば右側にある自然堤防の微高地との高低差がわかる!
ここから旧堤防の外に抜けた堀跡の暗渠から旧堤防を越えた先に真っ直ぐ続く堀跡の道の方に進むと、三叉路の角に突き当たり、ここから右に向かう道は二子を通る「久地二子堀」など二ヶ領用水の数本の支流が合流した暗渠のはずで、左斜め前には諏訪を流れる「川辺堀」のコンクリート蓋暗渠が続いている!
ここからは、やっぱり気になるコンクリート蓋暗渠の「川辺堀」を遡ってみると、この暗渠はブロック塀に囲まれながら何度も蛇行を繰り返して存分に楽しませてくれた後、最後には上り坂になって四つ角に出た!
この暗渠をずっと南に遡っていくと、右に現れる小さな梨畑の先、正面に大きな梨畑があるY字路型の三叉路で交わる道が、諏訪と二子の町境!
「川辺堀」の暗渠の上流側は、この町境の道を左に続いているけれど、この角から右は諏訪と二子の高低差を示す下り坂!
この町境にある谷のために二ヶ領用水「久地二子堀」は二子で終わり、諏訪より東の土地には「川辺堀」が作られたのかなと考えている!
(2025/2/25-2025/3/4)