さて、上平間堀の続きである
前半は、ほとんど痕跡が残っておらず、正直退屈な展開だったが、細い流路跡に出くわし、俄然(僕は)盛り上が上がる
ぐねぐねと細い用水跡は続く。それにしても錆びついて歪み、破れたフェンスが、どうにも陰惨な感じである
前方の地面に注目。なんと雨水樋のようなパイプが、地面の上を横切っているではないか!
雨水樋にしろ、排水口にしろ、普通は地中に埋めるだろ! と、心のなかでツッコミを入れる
しばらく続いた極細ルートから、少し開けた場所に出た。振り向くとこんな感じ
それにしても細い! 猫がいたので、すかさずレンズを向けたら、鬼ダッシュで逃げられてしまった。殺気を感じたのだろうか
左手には、小さな神社と橋跡のような構造物があった
この先、いきなり広くなり、なんと最後は開渠だった
武蔵新城より南側の二ヶ領用水の支流は、おそらく99パーセントぐらい暗渠なので、開渠を見てかなり興奮した
しかし、写真のいちばん奥のところで、JR横須賀線の線路にぶち当たり、流路はいきなり途切れてしまう。わずか10メートルの開渠だった
この先、百メートルぐらいは線路しかないので、小杉跨線橋をわたり反対側に移動すると
大きなグランドの横に、このような跡地があらわれ、グランドに沿って左に曲がる。痕跡はないが、このコースは、昭和初期のルートと一致している
曲がった先の、昔からよく行っていた、以前は雑誌のバックナンバーに強かった古本屋「ブックスーパーいとう」の手前で、流路は二股に分かれていた
右側の暗渠は、ほんの数年前まで開渠だったが、いつの間にか蓋がされてしまっていて、ガッカリする
この暗渠から先にしばらくゆくと、塚越堀と名前が変わるので、左の上平間堀本流を追うが……
交通量が激しい駅の真横の通りで、流路跡を追跡するのに苦労する。道路脇の白っぽい部分が、上平間堀の痕跡である
よく見ると、雨水を落とすための小さな穴が4つずつ、定期的に開いている
さて、この先だが、おそらく二ヶ領用水のなかで流路が、もっとも“不思議なルート”をたどっている
船橋法典駅の近く千葉県行田に、旧日本軍の「海軍無線電信所 船橋送信所」があったのを、ご存知だろうか?
日米開戦の暗号「ニイタカヤマノボレ」を送信した、有名な施設である
この送信所は、真ん中に大きなアンテナが、それをサポートする小さなアンテナが同心円状に配置され、上空から見るとこんな感じだった
あまりにも異様な真ん丸の道路は、千葉県が歴史的遺産として保護しているようだ
じつはこの先で、なんと二ヶ領用水の流路も、直径600メートルほどの円を描いていたのだ
送信所のように、電波を送信するわけではないので真円を描いてはいないが、しかしこちらは、ひらがなの「の」の字を複雑化したような、
そう、まるで「カタツムリ」か「アンモナイト」のような巻き貝のような形をしていた
航空写真を見れば一目瞭然。最初にこの事実を知ったときは、少なからず興奮したものだ
二ヶ領用水が、なんと、よりによって、まあるく流れていたのだ。もしかしたら「まあ~るい形で暗渠がズラリと並んでたりして……」
などと妄想が膨らみ、現地に行く前からドキドキである
――が、
みなさまに残念なお知らせがあります
どうしたことか、見事に痕跡が“なんにもない”のだ!
いや、嘘などはついていない。この真ん丸を、2周半もしたのだから間違いない
なんにもというのは、ちょっと大げさだが、少なくとも連続した暗渠、それらしいマンホール、金属製の格子、怪しいコンクリート、明らかに何かを埋めた跡……
そういうものは、一切合切なんにもないのである
強いて例を上げれば……川崎市立工業高校、平間公園の歩道が通常より太かったこと
そして、二ヶ領用水の本流の脇にある川崎市水道局平間浄水場の脇に、30メートルほど用水跡の緑道があること
この3点を除き、それらしい痕跡は、すべて住宅街や大きな施設に、見事に上書きされてしまっていた
この真ん丸のなかは、半分ぐらいの面積が、学校や公共施設、公園、元は団地だったマンション群で占められている
そして、残った町の部分は、家がまるで方眼紙か碁盤の目のように、整然とならんでいる
これはニュータウンのような、近年整備された町に特有の現象だが、昭和40年代のゼンリンの詳細住宅地図を見ると、円の外側の住宅街は、ランダムに区割りされているのに、円の内側は、その当時から整然と区割りされていた
つまり、この真ん丸のなかは、農地から転用されるさい、当初から近代的に整備されてしまったため、おそらく無用の用水路は、埋めてしまったのではないだろうか?
その住宅地図によると、外周の一部は開渠として描かれているが、現在この外周道路は、交通量のわりには異様に広い
ということは、最後に残った開渠も、雨水溝や下水道などとして再利用されず、埋めてしまったものと思われる
この真ん丸の内側で見かけた古い建物は
こういうアパートが3棟だけであった
なにかしら残っていないかと、しつこくうろうろすると、平間公園からほんの少しズレた場所で
橋跡を発見。後ろに見えているのが平間公園。白っぽい部分が流路跡の広い歩道である
これは平間公園の前で二股に分岐していたルートの一部であろう。この流路は、広い道をわたり平間小学校に突入するため追跡不能
そして、もうひとつ見つけたのは……
石積みの護岸跡である
見つけたのは、多摩川に架かるガス橋の近くの、セブンイレブンの先だ
ここは円の外周のいちばん外れで、道路が三股に分かれている
その三股のいちばん内側が上平間堀の流路で、現在痕跡は一切ないが、前述のゼンリンの地図には、流路が開渠として描かれていた
ところが、この場所はその開渠から数メートル外側で、流路は描かれていない。地図を見るとこの空き地には、加藤商店という建材店が建っていた
やはり、どう見ても自然のものではなく、整然と石が組まれていて、明らかに人工物である
じつは、この三股の横、セブンイレブンとガス橋に続く広い道路の反対側には、八幡神社があり、その真横には、上丸子堀の流路がこちらに向かって流れていた
以前紹介した、町中に残った大きな橋からすぐに分かれているルートだ
ということは、もしかしたら上平間堀は、この場所で上丸子堀の支流とつながっていたのでは?
という可能性が浮かび、最後にちょっと気分を持ち直した
非常に尻すぼみな終わりかたで、心残りではあるが、これにて上平間堀編終了である
ところで、次回は苅宿堀、加瀬堀の予定だが、さらなるミステリアスな発見があったので、二ヶ領用水ファンは要チェックだ
(←いや、そんなやつはいないだろ!)
†PIAS†
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18
はあっ?(°Д°)
†PIAS†
2016-02-20 04:41:02
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