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感想文:個体的、自然的、あるいは仮晶と同一性について(市川春子『宝石の国』)

アフタヌーン誌で2022年現在連載されている市川春子さんの『宝石の国』というマンガがあります。

美しい宝石たちが擬人化され身体をもち動き回る物語。

市川春子さんの独特な世界観と身体観とストーリーテリングにより、異世界へと誘われ、浸ってしまう本作。

いろいろな語り方ができる作品ですが(特に、身体観についてはとても興味深い)、この感想文では「仮晶」「同一性」「個体」「自然」をキーワードに、本作を読み解いていこうと思います。

複雑な世界設定や物語であることもあり、逐一詳しく説明することが困難ですので、重要な設定については、本文末尾にまとめました。

ネタバレが多々含まれますのでその点はご注意ください。


では早速始めましょう。

『宝石の国』ではどのようなことが表現がされてるのか。


1.仮晶というモチーフ

『宝石の国』という物語には「仮晶」というモチーフが取り入れられています。

これは、わたしが勝手に言っているのではなくて、市川春子さんの画集『愛の仮晶』の著者あとがきで、そのことが少し書かれています。

引用しましょう。

「タイトルにある仮晶とは「鉱物の外形が保たれたまま、中身が別の鉱物に置き換わる現象」である。著者は仮晶鉱物が好きで標本を集めている。(中略)石でありながらひっそりと変身するのが最高だ。まるで蝶の蛹のように変容し、石が我々と違う時間を生きている生物だという証がはっきりと示されているよ。」

(『愛の仮晶 市川春子イラストレーションブック』p.121,太線部引用者)

ここでは、著者による「仮晶」という重要なモチーフが語られています。

また、よく読んでみると、著者は「仮晶」という概念を飛躍させて捉えていることが分かります。

どういうことか。

仮晶とは、形が保たれたまま中身が置き換わることですが、一方で、著者は、蝶の蛹のように変容することも含めて「仮晶」という概念をとらえているからです。

ようは、仮晶は本来、形が変わらないことが前提の概念ですが、著者は「蝶が蛹に変わる」という形状変化も含めて捉えているのです。

わたしは、この飛躍から次のようなテーマが取り出せると考えます。

それは「同一性」というテーマです。

中身の構成が変わり、形状が変わった個体は、変わる前と変わる後で「同じ個体」であると言うことができるか、ということ。

形状変化前後で、個体の同一性はどのように保たれるのか。

いわゆる「テセウスの船」の問題です。

「テセウスの船(テセウスのふね)はパラドックスの一つであり、テセウスのパラドックスとも呼ばれる。ある物体において、それを構成するパーツが全て置き換えられたとき、過去のそれと現在のそれは「同じそれ」だと言えるのか否か、という問題(同一性の問題)をさす。」

(引用:Wikipedia「テセウスの船」)

この同一性のテーマを、『宝石の国』の物語のなかで、絶えず身体を変え続ける主人公・フォスフォフィライト(以下「フォス」と略称する)が背負っているのではないか。

わたしは、そう思うのです。


2.主人公フォスの身体変化とインクルージョン

『宝石の国』は、実際に存在する宝石をキャラクター化している作品です。

ダイヤモンドやアメシストなど様々な宝石が登場します。

そのなかで主人公となる宝石が先ほども紹介した「フォス」です。

現実の宝石としてのフォスフォフィライトは、非常に脆く壊れ易く、水色から淡い緑色のトルマリンの色合いを持つ希少性の高いとても美しい宝石です。
(参考:Wikipedia「フォスフォフィライト」)

主人公・フォスは、この現実の脆い性質を体現していて、物語のなかで、なんども身体が壊れて、身体の一部を失います。

そのたびに、貝殻(アゲート)や金・白金や他の宝石と接ぎ木して、身体の構成を変えていきます。

身体の構成が変わることは、この物語のなかでとても重要な出来事です。

なぜなら、それは宝石たちの「記憶」に関わることだからです。

さて、ここで「インクルージョン」という物語の設定を説明する必要があります。

「インクルージョン」とは、宝石たちの身体に住む微生物で、運動エネルギーを供給したり、記憶を保持しています。(後述:宝石の国の設定2 インクルージョンを参照下さい。)

したがって、この物語において、身体を失うことは、「インクルージョン」を失うことであり、つまり記憶を失うことと同義なのです。

身体=記憶ということ。

フォスは、さきほど述べた通り、何度も身体を失い、身体が変容させますが、それでも主人公・フォスであり続けます。

具体的に言えば、フォスは1巻から12巻のあいだで、元の状態も合わせれば、ざっくりと六通りの身体を持つことになります。

①元のフォス(『宝石の国(1)』)

②足がアゲートになったフォス(『宝石の国(2)』)

③腕が金・白金になったフォス(『宝石の国(3)』)

④頭部がラピス・ラズリになったフォス(『宝石の国(7)』)

⑤一度身体が完全にバラバラにされ、その復讐に突き動かされるフォス(『宝石の国(11)』)

⑥金剛の眼球を付けて金剛の力と同一化したフォス(『宝石の国(12)』)

12巻までの物語のなかでも、かなり衝撃的なのが三つ目の「頭部がラピス・ラズリになるフォス」と、最後の「金剛の眼球をつけたフォス」でしょう。

ここでは一旦、最後の「金剛の眼球をつけたフォス」を棚上げして、三つ目の「頭部がラピス・ラズリになるフォス」について考えてみましょう。

実際に首を付け替えるシーンでの、宝石の国で医師の役割をしているルチルのセリフが印象的です。

「(首を変えて)運よく目覚めてもフォスフォフィライトと言えるだろうか」

(『宝石の国(7)』p.8,括弧内引用者)

なぜなら、頭部に含まれるラピス・ラズリのインクルージョン(記憶)と、頭部以外の身体に含まれるフォスのインクルージョン(記憶)とが衝突する可能性があり、どうなるか分からないからです。

実際には接合は成功します。

このように物語のなかでは、フォスは身体が何度も変容するにもかかわらず、皆にフォスと呼ばれ続け、自分自身もフォスであると認識しているようです。

しかし、本当に同じフォスなのでしょうか。


3.主人公フォスと同一性の問題

さて、引き続き同一性の問題について考えましょう。

この物語のなかで、同一性がテーマになっていることを端的に表現するセリフがあります。

それは、同一性が崩れ始めたフォスのセリフです。

「僕は何だ」

(『宝石の国(10)』,p.28,フォスのセリフ)

シンプルに「僕は何だ」という、同一性を問うセリフ。

この問いを飛躍させて言い換えれば、第1巻から第12巻までのあいだのフォスが、「同じフォスである」と言えるのはなぜか、ということ。

上記のセリフはフォス自身のセリフですが、ほかにも、月(月は宝石たちにとっての敵陣です)から帰還したフォスに対して、仲間の宝石がフォスの同一性を問うセリフもあります。

「月から帰ってきたのは本当にフォスかしら?」

(『宝石の国(8)』,p.171-172)

自分は誰なのか、以前の自分と今の自分は同一なのか、という問題。

この問題は、ある意味では普遍的な問題でもあります。

普遍的であるとはどういうことか。

それはつまり、フォスの同一性の問題を考えることは、わたしたち自身の同一性を考えることにも繋がるということ。

昨日のわたしと、今日のわたしと、明日のわたし、が「同じわたしである」と言えるのはなぜか、ということ。

フォスの同一性の問題が、わたしたちの同一性の問題に反転します。

では、わたしたちの同一性の問題とは何か。

たとえば、わたしたちの記憶は変容します。

あるいは、事故や病気で身体を喪失する、義手・義足・人工臓器・移植により身体の構成が変わる。

このように、わたしたちは昨日も今日と明日で変容してしまうことがある。

他にも例を挙げましょう。

整形手術により身体が変わる、あるいは、化粧により、衣装により身体が変わる。

名前が変わる、性が変わる。

SNSのアカウントが変わる、引っ越しして生活圏が変わる、関わる人が変わる、コミュニティが変わる、仕事が変わる。

わたしを構成する要素は常に変わりうる。

したがって、わたしたち自身もまた、宝石のように仮晶の性質を持っているということ。

仮晶に晒されたわたしたちは、どうやって同一性を保っているのだろうか。

見方によっては、そもそも同一性など無いのだ、と言えるかもしれません。

つまりは、そもそも身体が変わったフォスは、もはや「違うフォスである」ということ。

しかしながら、違うフォス、という言い方は、実は矛盾に満ちています。

身体の変わったフォスがフォスと違うのであれば、それの呼び名として「フォス」という名前は不要なはずです。

でも、「違うフォス」という言い方をしてしまう。

「違うフォス」という言い方は、フォスという固有名を使用してしまっている。

「フォス」という固有名のもつ同一性に言及してしまっている、ということ。

ようは、同一性の否定は、同一性を前提にしているということ。


さて、ここからは宝石の国の物語に戻りましょう。

物語のなかで、フォスの同一性がどのように描かれているのか、次章から見ていきます。


4.同一性を担保する5つの表現

前章では、物語のなかで形が変わり続ける「フォス」の同一性を問うことは、実はわたしたち自身の同一性を問うことである、というふうに、問いを展開しました。

さて、ここからは『宝石の国』の物語における、同一性についての描写について見ていきましょう。

わたしは、物語のなかに、同一性に関する表現が5つあると思います。

順に見ていきましょう。

①記憶=インクルージョン

同一性を担保するものとして、第一に挙げられるのがこの「インクルージョン」です。

わたしたちも生活実感として、「記憶が継続していること」が、自己の同一性の根拠であると感じるでしょう。

しかし一方で、記憶だけが同一性を担保する唯一の根拠か、と問われれば、そうではないと答えざるを得ません。

なぜなら、記憶は時間とともに薄れ、極端に言えば改ざんされ、特定の部分が強調され、都合よく置き換えられてしまうからです。

記憶はとても怪しいものなので、本当に同一性を担保してくれるのだろうか、と疑いたくなりますが、とは言え、記憶が同一性に関わっていることには変わりありません。

②約束

フォスは、第1巻で、独りぼっちのシンシャと、ある約束を交わします。

それは「君にしかできない仕事を僕が必ず見つけてみせる」(『宝石の国(1)』p.70)というものでした。

その後、フォスは、身体=記憶を失いながら、ときには約束を見失いそうになりながらも、この約束を何度も思い出します。

つまり、他者との約束によって支えられる同一性というものがあるということ。

自分が忘れても、他者が覚えている約束。

約束をしたわたしは、他者がその約束を覚えている限り、ある意味で同一性を保っていると言えるかもしれません。

③役割

宝石の国では、それぞれの宝石が役割を担っています。

武器制作、意匠工芸、服飾織物、戦略計画、医務など。(『宝石の国(1)』p.22)

それぞれの宝石の特性を活かした配置がされます。

物語上では、その役割をになっていることが、その宝石の同一性を担保しています。

とは言え、わたしたちの生きる現実世界では、役割というのは取り換え可能であるために、同一性を担保する力は弱いでしょう。

したがって、やはり「役割」は同一性の一助にはなっても、それだけでは、同一性は担保されません。

④習慣、仕草、癖

フォスが何気なく手で長い髪を後ろに払う仕草。

フォスの頭部がラピス・ラズリに取り替えられたあとで、その仕草を見せたとき、それがラピス・ラズリの癖であることをカンゴームに指摘されるシーンがあります。(『宝石の国(7)』p.62)

これについては、正確にはラピス・ラズリの仕草であり、フォスの仕草ではありません。

しかし、ある意味で習慣化された仕草、癖というものは、同一性を想起させるキッカケとなります。

また別のシーンでは、ラピス・ラズリの頭部を付けたフォスは、周りから「本当にフォスなのか?」と心配されるなかで、フォスらしい発言(頭の悪い発言)をすることで「頭部はラピスだけれど中身はフォスである」と認められるシーンがあります。(『宝石の国(7)』p.38-39)

このシーンを見た読者は、フォスの仕草、癖を感じ取り、このキャラクターがフォスであると認識するでしょう。

⑤憎悪、トラウマ、未練

フォスは初期の戦いのなかで、月人に友人アンタークを目の前で奪われます。(『宝石の国(3)』)

その後、フォスは身体が削り取られ、記憶をすり減らしながらも、「アンターク」を奪われた記憶はフォスのトラウマとして残り続けます。

具体的には、第8巻(p.22)や、第9巻(p.115)で、フォスは「アンターク」という言葉に動揺するシーンが描かれます。

月人にアンタークが奪われたことの憎悪、トラウマ、未練が、フォスをフォスとして保っているということができるでしょう。


以上、5つの表現でした。

「①記憶」、「②約束」、「③役割」、「④習慣、仕草、癖」、「⑤憎悪、トラウマ、未練」。

これらのうち、どれかひとつだけによって同一性が保たれると言い切ることは出来ません。

同一性というものは、何かひとつ事柄によってされることはないでしょう。

しかし同一性は、ひとつではなく複数でなら、あるいは複合によってなら、ある程度担保されると言えるのではないでしょうか。

同一性は唯一ではなく、複数の事柄の複合で担保されるということ。


5.個の同一性、自然の同一性

さて、じつはここで、わたしたちは問いをさらに発展させなければなりません。

前章までは、フォスは変容する身体を持ちながら、どのように同一性を保持しているのか、を考えてきました。

それは同時に、わたしたち自身の同一性について考えることでもあるのでした。

そして、わたしたちは、同一性というものは、たったひとつの事柄によって担保されているのではなく、複数の事柄の複合によって担保されるのだ、という結論にたどり着きました。

しかしこれでは、第二章で挙げた六通りのフォスの内、最後のフォスを説明することが出来ないのです。

どういうことか。

まず六通りのフォスを復習しましょう。

①元のフォス(『宝石の国(1)』)
②足がアゲートになったフォス(『宝石の国(2)』)
③腕が金・白金になったフォス(『宝石の国(3)』)
④頭部がラピス・ラズリになったフォス(『宝石の国(7)』)
⑤一度身体が完全にバラバラにされ、その復讐に突き動かされるフォス(『宝石の国(11)』)
⑥金剛の眼球を付けて金剛の力と同一化したフォス(『宝石の国(12)』)

じつは、①から⑤までのフォスの同一性は、あくまで「個の同一性」に関するものでした。

ここで「個」というのは、ようは「個体の」という意味です。

昨日と今日と明日のわたし、という意味での個体の同一性。

つまり、①から⑤までは、昨日と今日と明日の個体の同一性はどのように担保されているのか、という問題圏にあるのです。

しかし、⑥金剛の力と同一化したフォスは、個体のレベルを大きく越えます。

なぜなら、⑥のフォスは、月人=魂を救済し分解し別の宇宙へ送ることができる「祈り」の力を手に入れた「新しい神」であるからです。

「金剛、君の力がフォスフォフィライトに完全に移行するにはどのくらいかかる?」
「おおよそ、一万年」
(中略)
「それでは、あらたな神の完成まで、良い一万年を」

(『宝石の国(12)』p.133-138 金剛とエンマの会話より)

この会話から分かることは、フォスが、金剛の祈りの力を手に入れ、新たな神となること。

そして、新たな神として機能するまでに、おおよそ一万年かかるということです。

一万年という時間の流れの果てに、になるということ。

一万年という時間は、「個」を大きく超える時間です。

昨日今日明日といった三日間とは比べものにならない、あるいは生物の一生と比べても、もっと長い巨大な時間。

※正確には④では約百年、⑤では約二百年経過しており、「個体の」というにはあまりに長い時間ですが、それでも第四章までの複数の事柄によってフォスの同一性が担保される表現があるため、ここでは④と⑤も個体の同一性の問題圏にあるということにします。

ここではこの大きな時間に相当する概念を、「個」の対立概念として「自然」と呼びましょう。

したがって、⑥金剛の力と同一化した神としてのフォスは、個の同一性の問題圏を飛び越え、自然の同一性の問題圏へと飛躍します。

個の同一性=個体の同一性

自然の同一性

では、自然の同一性とはなにか。

端的に「地球」を想像してみましょう。

地球という星は、誕生から四十六億年経過していると言われています。
(参考:Wikipedia「地球」)

この四十六億年という悠久の時間。

このあいだ地球はずっと地球であり続けていました。

地球上は最初は海に覆われ、途中で地殻変動があり大陸ができ、海では生命が誕生し、上陸、一度は恐竜が支配し、しかし絶滅、後に人間が現れ、現在に至ります。

地球は、この「雄大な変化」を内側に含みながら、同時に、地球でありつづけている。

ここで、冒頭に取り上げた「仮晶」というモチーフが思い出させるでしょう。

仮晶とは、形が保たれたまま中身が置き換わることなのでした。

まさに地球は、言ってしまえば形が保たれているように見えながら、中身は常に動き変わっているということ。

雄大で巨大な時間、悠久の時間のなかで起きる「仮晶」においては、変化と同一性は実は対立しないのです。


さて、神となったフォスは、個体的な存在を超えて、「自然的な存在」となったのでした。

なぜなら、フォスは金剛の力が適用されるまで一万年のあいだ、ずっとひとりで仮晶(変化=同一性)に耐えていたからです。

つまり、地球が、誕生からいままで変化をくり返しながら、ずっとひとつであったように、フォスもまた、一万年の変化の中で、ずっとひとりであったのです。

「つまりは、私は初めからずっとひとりだったのです」

(『宝石の国(12)』p.186-187,神となったフォスのセリフ,太字引用者)


6.個体的、自然的

設定の話題に、話をずらしましょう。

そもそも宝石たちの年齢は、個体にしては長めの設定であるように思います。

ようは、宝石たちは動物のように動き回りますが、動物というより植物や無機物の寿命の長さに近いように感じます。

市川春子さんは、登場するキャラクターをまるで個体の時間に属する存在であるように描きながら、かつ同時に個体の時間を超越した自然の時間に属する存在でもあるように描いています。

個体であり自然であるからこそ、個体と自然の同一性の問いを同時に問うことができる。

つまり、宝石たちは、個体的かつ自然的な存在なのです。

この「個体的かつ自然的な設定」こそ、『宝石の国』のオリジナリティを形成していると思います。


さて、自然的な時間経験は、宇宙の誕生と同義なのでした。

それは、全存在の運命と同意です。

したがって、神となったフォスは、月人を始め、物語に登場する全存在の運命を握っています。

「私は、あなた方を永遠の奴隷にすることができる、太陽フレアに沈みこませ、終わりのない再生の苦しみを与えることもできる」

(『宝石の国(12)』p.184-185,神となったフォスのセリフ)

このように、この自然の同一性のなかでは(あるいは、神の前では)、わたしたち個人は全くの無力です。

たとえば、わたしたちは、死という自然的な運命に抗うことが出来ないように。

人間的(個体的)な存在は、自然的な運命に抗えない。

では、自然の運命に対して、個体は何もできることは無いのでしょうか。

強いて言うなら、わたしに思いつくのは、諦念です。

わたしたちにできることは、運命を受け入れ、運命を愛し、「別の宇宙」への転送を、つまり救済を待つこと。

でも、それだけしかできないのでしょうか?

わたしたちは本当に諦めることしかできないのだろうか?

この問いに対する答えは容易ではありません。

しかしながら、市川春子さんは、『宝石の国』の物語のなかで、別の何かを見せてくれるかも知れません。

なぜなら以下のシーンがあるからです。

「彼(=神となったフォス)のためにできることはもうないの?」
「ある」

(『宝石の国(12)』p.157-158,
ユークレースの問いに対する金剛とエンマの答え,括弧内引用者)

神となったフォス、自然という強大な力を手に入れたフォス、自然の時間に飲み込まれたフォスを救済する方法は「ある」と。

その方法は、12巻では描かれていません。

おそらく13巻以降で描かれるでしょう。

わたしは「別の宇宙」というのがキーワードであると考えています。

別の宇宙、並行宇宙、パラレルワールドです。

これ以上は邪推となるので、13巻を待ちましょう。

わたしにできるのは、いまは待つことしかありません。


7.おわりに

ここまで読んでいただきありがとうございました。

最後に簡単にまとめて終わりましょう。

わたしは、『宝石の国』という作品を、「仮晶」というモチーフを起点に読み解き始めました。

そうすると、『宝石の国』という作品は、主人公フォスの身体変化を通じて、同一性の問題を描いていると思われるのでした。

同一性についての問い、つまり、昨日今日明日のわたしが同じである、ということはどういうことか。

そして、同一性は、何かひとつによって担保されるのではなく、複数の事柄の複合によって担保される、という結論に到達しました。

しかし、『宝石の国』という作品は、個的な同一性を超える問題も扱っています。

個的な同一性を超えた、自然的な同一性の問題です。

それは個的な、個体的な時間を大きく超えた、地球の誕生から現在までのような悠久の時間、つまり自然的な時間を扱う問題です。

主人公フォスが神となることで、個体的な存在から、自然的な存在に生まれ変わったのでした。

自然的な時間のなかでは、変化と同一性は対立するものではありません。

さらに言えば、自然のなかでは、変化することと同一性を保つことは、同時に起きているということ。

では、自然的な存在となったフォスは、個体的に救済されることはないのだろうか。

この問いを積み残しとして、わたしたちは次巻を待つこととしました。

『宝石の国』は、市川春子さんの美しい絵と、巨大な物語、そして何より登場人物への愛に溢れた作品です。

様々な哲学的な問いを含みながら、エンターテイメントとして成立している、稀有な作品。

この作品がリアルタイムで読めることに感謝しつつ、わたしのこの感想文を結びたいと思います。

この感想文は、わたし個人の解釈であり、他の解釈を否定するものではありません。

『宝石の国』は、様々な解釈、様々な感想を喚起させる豊かな作品です。

あなたは『宝石の国』を読んだとしたら、どのように感じるのでしょうか。


おわり


参考文献

『宝石の国(1)~(12)』,市川春子,講談社,丸括弧内は巻数
『愛の仮晶 市川春子イラストレーションブック』,市川春子,2017年,講談社
『図説 僻宇宙Y-3579203181277圏 Ⅰ生命体と文化』(『宝石の国(11)』特装版特典)


appendix 宝石の国の設定について

宝石の国の設定1 宝石たちの成り立ち

 宝石たちが棲む星は、過去に六度、流星が衝突し、六つの月を生成した。それによりすべての生き物は海に逃げ、かつて星で繁栄した生物は海のなかでの食物連鎖により無機質に生まれ変わり、長い年月をかけて規則的に配列し結晶となり宝石となって浜辺に打ち上げられた。
(『宝石の国(1)』p.18-20)

宝石の国の設定2 インクルージョン

体表に太陽光を浴びることで「インクルージョン」と呼ばれる体内に生息する微生物が活動エネルギーを生産し、本来伸縮性のない結晶や岩石質の身体を運動させる。これは「インクルージョン」が、古代のたんぱく質を主成分とする生物に由来するからではないかと考えられている。またこの「インクルージョン」には記憶が蓄積され、身体の一部を失うと相応の記憶も失う

(『図説 僻宇宙Y-3579203181277圏 Ⅰ生命体と文化』p.9,太線部引用者)

宝石の国の設定3 月人とアドミラビリスと宝石、魂と肉と骨

 星にはかつて人間という生き物がいて、流星の衝突とともに海に逃げ、魂と肉と骨に分裂した。魂とは月人であり、肉とはアドミラビリスであり、骨とは宝石である。
(『宝石の国(2)』p.64-69)

宝石の国の設定4 宝石と月人の戦い

 魂は純粋な魂の元素に分解されることで永遠の無で満たされた安寧(と予測される)の世界へと向かう。しかしそれには「金剛」によって実行されるはずの「祈り」が必要である。月人は、いまだに祈りが実行されていないがために、月にとどまっている元人間の魂なのであった。金剛は、祈りのための機械であり、長い年月の果てにシステムの不具合が生じ、祈りを実行できなくなった。月人が長い年月をかけて宝石の国を襲い宝石を奪い続けるのは、壊れた金剛へのショック療法であった。
 一方で、襲われる側の宝石たちは、月人を「仲間を奪う敵」としか捉えていなかった。月人の目的の探求は巧みに抑圧され、宝石たちは「月人は宝石を奪い装飾品を作っている」と思い込んでいた。月人は自分の魂の救済のために戦い、宝石は防衛と奪われた仲間の奪還のために戦っていた。
(宝石側の戦闘目的は『宝石の国(1)』p.21,月人側の戦闘目的は『宝石の国(8)』p.41-51)

宝石の国の設定5 月人の正体と目的

 宝石が棲む星は、かつては人間が住み繁栄していた。そこには、人間が開発した機械(AI?)があり、その星の秩序を保っていた(と思われる、筆者の推測含む)。その機械は、地球に落ちる隕石飛来の予測を意図的に外すことで人間に反抗した。度重なる隕石飛来にも見舞われ、人間は次々に死滅。人間の魂が残存した。それが月人である。
 月人=魂は、祈りにより魂が分解され、別の宇宙へと吸いこまれる、とされる。ようは、祈りとは救済なのである。そして、金剛だけが、月人の救済のために祈ることができるのであった。しかし、金剛は故障しており祈ることができない。そこで月人は長期計画を策定。人間の骨部分である宝石を、人間化する計画である。フォスフォフィライトがその対象となり、月人はフォスの人間化に成功。月人はさらに、人間化したフォスに金剛の祈りの機能を付加することで、フォスを新たな神として生まれ変わらせた。
 ついに、月人たちの前に、故障した金剛の代わりに、祈りを実行することができる個体(フォス)が現れたのである。
(『宝石の国(8)』p.41-51,および『宝石の国(12)』p.8-9、p.132-137)


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コメント

1
接続されたデレラ
接続されたデレラ

星野廉さん
コメントありがとうございます😊
力作と言ってもらえて嬉しいです!
「一万年後に神になる」という言葉は、一神教的には矛盾した表現ですので、そういう意味でも、ただ事ではありません。一神教的には、「神になる」ことはできませんからね。一神教の神は最初から神であり、神であり続けますから。
そういう意味では、とても日本的な語感で、市川春子さんは「神になる」と表現しているように思います。いわゆる「御神木」のように、長く生きている木が「神になる」という感覚でしょうか。

『宝石の国』における変化と同一性は同時に起きている、という表現は、わたしもとても重要だと思います。わたしはある風景を思い出すんです。四季の移り変わり、山々は新芽から新緑、紅葉、葉が落ちて雪景色と、変化しながら、しかし同じであり続けている、そういう風景です。

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