「リベラル」は立場というより態度なんじゃないかと思うんですよ。
リベラルって、特定の政策セットとか、「これとこれを信じる人」みたいなチェックリストを指す言葉じゃなく、中心にあるのは、「人や社会にどう向き合うか」という姿勢のほうだと思うんですよ。
たとえば、まず一つは、「世の中にはいろんな価値観の人がいる」という前提に立つことです。
自分が正しいから相手を従わせる、という発想ではなくて、「考えの違う人たちが一緒に生きている状態」から出発する。ここがかなり大きいです。
それから、権力に対して基本的に用心深いこと。国家と限らず、多数派でも、組織でも、世論でもいいんですが、実際的に力を持っている側が個人を押しつぶしていないか、常に疑ってみる視点ですね。
「何を決めたか」だけじゃなくて「どうやって決めたか」もすごく重視します。
自分の気に入る結論かどうかよりも、手続きがフェアだったか、説明ができるか、反対意見がちゃんと扱われたか、そういうところを見るんです。
もう一つ大事なのは、自分の考えも絶対じゃない、という感覚です。「もしかしたら修正されるかもしれない」という前提で議論に参加する。これも態度の部分ですね。
だからこの意味でのリベラルは、「何を信奉ている人か」より、「どう考えて、どう決めて、どう他人と一緒に社会をやっていくか」という「構え」に近いんです。
経済政策では市場寄りでも、福祉重視でもあり得るし、安全保障で強めの立場でも、手続きや権利を大事にしていれば態度としてはリベラル的と言えるのでは。
逆に、人権や平等を掲げていても、異論を封じたり、「目的のためなら手続きはどうでもいい」となったら、それは態度としてはあまりリベラルじゃない、ということになるわけです。
日本で「リベラル」が曖昧になっているのは、この「態度の話」と「政策の中身の話」がごちゃっと混ざって、「リベラル=特定の左派的主張のパッケージ」みたいにラベル化されたからだと思います。
こうした理解に沿うなら、リベラルっていうのは思想の中身というより、対立があるのが当たり前の社会で、それでも一緒にやっていくための知的で倫理的な姿勢、という感じに近いと思います。
リベラルというのは、イデオロギーというより、政治や社会、人々に向き合うときの公平であろうとする「構え」ですね。