昭和時代、なぜエロ本は「山」「駐車場」に捨てられたのか?――少年の足が支えた非公式流通、移動経済から分析する

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昭和後期に少年たちが街の公園や山で成人向け雑誌を探したように、現代の若者は端末の中で「裏垢」を駆使し情報を探索する。総務省によれば裏垢保持は4割に達し、物理的距離の代わりに心理的負担で自由を確保する新しい行動様式が浮かび上がる。

デジタル時代の「移動」と「しげみ」

昭和と現代、秘密の場所の変遷。
昭和と現代、秘密の場所の変遷。

 平成後期から令和にかけて、この風景は急速に姿を消した。情報に瞬時にアクセスできる手段が広く普及し、紙媒体の役割は薄れていった。公園や山は管理が厳しくなり、家庭内のゴミ処理も可視化が進んだ。情報を得るための地理的な制約がほぼなくなり、移動の負担は限りなく減少した。

 しかし、こうした変化は技術の進歩だけでは説明できない。社会全体の監視体制が強化され、かつて存在した「見て見ぬふり」の余地が失われたことも大きい。防犯カメラや位置情報の追跡技術が広まり、「誰の目も届かない空白」はほぼ消えたのだ。加えて、大人と子どもの関係性も変わった。以前は「子どもは勝手に育つ」という放任的な態度が見られたが、今は行動を細かく管理し、リスクを事前に排除する傾向が強い。

 昭和の少年たちが自転車を走らせて山に向かったように、現代の若者も誰にも見つからない「場所」を求め、デジタル空間を移動し続けている。形は変わっても、秘密をやり取りするための独自の秩序は今なお息づいているのだ。かつては家から離れるために身体を動かすことが必要だったが、現代では端末の中で複数の自分を使い分ける「IDの移動」が広く行われるようになった。

 メインアカウントとは別に、趣味や本音を語るためのサブアカウント、いわゆる裏垢を持つ若者は多い。アプリを切り替え、ログアウトして別の人格でログインする行為は、かつて少年が山道を登り秘密の場所を目指した体験と、本質的には通じている。物理的な距離を稼ぐ苦労がなくなった代わりに、人格を切り替える心理的な負担を自ら負うことで、自分の領域を確保しているのである。

 24時間で消える投稿は、情報の鮮度を保ちつつ、証拠を残さない「一時的なしげみ」として機能する。デジタルデータは複製が容易で、一度ネット上に出れば完全に削除することはほぼ不可能だ。時間制限を用いて、自分の情報がどれだけ存在するかを決める。このいずれも、他者の視線と自由とのバランスを取るための合理的な選択である。効率や便利さが優先される時代において、人間の好奇心や発見の喜び、匿名性の価値をどう残すかが問われている。

 若者たちが生み出す“新しいしげみ”は、データやアカウントの集まりではなく、社会や文化の中で自由や余白を保つ手段でもある。紙の本や山道でなくても、デジタルであろうとリアルであろうと、形を変えながら好奇心や創造力を育むものなのだ。情報を得るための物理的な障壁が消えたことで、価値の基準は移動距離から、いかに社会の監視を巧みにすり抜けるかという情報の扱い方に移っている。

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