父,落合信彦が逝去しました.
泣かないつもりだったんですけどね.2/1の朝8:08に父は逝きました.
1/31夜,若干不遇な気分を街の喧騒に感じながら繁華街を歩いておりました.
大学あるあるのさまざまな都合で,日程的にサウジ行きとドーハ行きの海外出張に出席できなくなってしまい,あーあ,出張に行けないのは悲しいし,準備していただいた皆さんに大変申し訳が立たないなと思いつつ,環境がうまくいかないのも自分の努力が足りないせいかと思いながら,心の底からの申し訳なさを感じつつ夜の帷に蕎麦を食っておりました.本当は蕎麦を食べ終わったらサウジアラビアに向かう飛行機に乗るはずが,都内でタクシーに乗り込んだところ,母から電話があり,父が救急車で運ばれたとの連絡がありました.
父の落合信彦は実はこの数年体調を崩しておりまして,病院に入院することもしばしば,心配性の母が今回はもう亡くなってしまう! 早く実家に帰ってこい! ということも多々ありつつ,その度にノビー様は生還されてきたので,私は半信半疑で,わかりましたと答えました.
ただ今回は母が,救急車に乗ってます,というので,前々からある発作の感じかなと思いながら電話をかわりました.
すると救急隊の方が,「昇圧剤を入れてやっと70行くかどうかです,厳しいです」と率直に言っていただいたので,こりゃまずすぎる,となって,病院に駆け込みました.
入退院を繰り返していたのを付き添っている母は,どこか「今回も大丈夫で一週間くらいすれば退院かな」という表情でしたが,私はさっきの救急隊の方とのやりとりもあり,それ相応に深刻にじっくり見守っていたのですが,全身検査なのでこれから精密に調べますと告げられ,「ならば見守るしかないかな」と私は病院からひとまず自宅に戻って夕食を食べておりました.
そこで母から電話,もうダメかもしれないからあなたも早くきて,と言われ,分かりました,すぐ行きます,と病院に向かいます.担当の先生から聞くに,どこが悪くなってるかはお腹を開けてみないと分かりませんが,お腹を全部開けてみてもその過程で今の既往歴含めると亡くなるリスクがとても高いですし,BSCにするか手術にするかご決断くださいと言われ,私はBSCしかないかなと考えました.残りの時間をどう家族と過ごせるかが私は大切だと思いました.
BSCとしてケアをされながら懸命に生きる父とその横で眠気眼を擦りつつつきそう私.私は不思議な気分で過ごしておりました.父はきっと数時間のうちにこの世からいなくなってしまうのだけれど,今は懸命に生きている.父にはすぐそこに終わりがあって,私はその横でただ見守っている.明確に終わりがある肉親の命がそこにある感覚と共に一晩を共にするのは人生では未だ体験したことのない感覚でした.
明け方ふと思うのです.親父殿そっちの世界は楽しそうかい,私もあなたも今は同じ世界に生きているのだけれど,もう数時間経てばあなたはきっとどこかに行ってしまう.避けようのない別れがあるのに,私は呆然とあなたの横にいることくらいしかできないのです.穏やかに最後のときを過ごしてほしいとは思うものの,現状のあなたの病態があなたを苦しめているかわからないので,少しでも長く同じ時間を過ごせる喜びに浸りたいなと思いながら,自分は自分の身体のままでどこにも行けない,そんな生ぬるい緊張感のない時間を過ごしておりました.1秒後に亡くなるわけではない,でも数時間で亡くなってしまうだろうな,と予感させる時間です.
明け方を過ぎて,まだ2-3時間は持つな,しかし,もう2-3時間だろうなという感じがしてきました.サクッと外出して荷物を持って2-30分で戻ります.ここからは生きていても亡くなっても長丁場だなと思いながら,呼吸する父を眺めながら考えていました.誰か生きている間に会いにきてくれるといいなと思いました.
そこで,明け方から7時前,父の妹さん(おばさん)が奇跡的に来てノビさんはよく頑張ったわね,大変だったね,と語り始めました.それはそれで感動的な瞬間でした.美しい人生の叙事詩.
そう,ここまではなんか泣かないで済んでいたのです,ノビーザグレート,あんたは大変な人生を送ってきたよ.私もとても偉いと思うわ.ほんとありがとうと,思いながら臨終の家族とはこういうものかなぁと思って眺めていたのです.美しい穏やかな瞬間がそこにありました.
8時少し前,呼吸も微かになり心臓の拍動も微弱になったころ,友人で元出版社の役員の方が,ギリギリで間に合っていらっしゃいました.私も学生の頃大変にお世話になった方です.
ささっと,病室に少し悲しそうな,しかし晴れやかな顔をして帰ってきた彼をみて私は,声が出ませんでした.何か声をかけようとしてその表情に私は詰まるものを感じてしまいました.これは泣きそうだ,何も言えない.
長年の信頼は何気ない動きと空気の中に宿るものです.
そして
ベットに駆け寄るなり,彼は言ったのです.
「先生! ほんと! 遅れてすみません〜! 今からゴルフ行きましょう!」
そこで私は泣きました.
作家の死も作家の日常の中にあり,友人とのかけがえのない時間の中にあり,喜びの中にあるものです.
父は微かな呼吸以外はぴくりとも動かないわけですが,長年の友情とはそういうことだよなって思いました.そして8時8分に父は友人と家族に見守られながら逝去しました.
病院で亡くなってよかったわよね,と母が言い,ハードボイルドな男も本音ではベッドの上で亡くなりたかったのかもしれません.こればかりは本人に聞いてみないと.
乱文すみません.
不思議と悲しみも喪失感もないのですが,なんか不思議な思い出のかけらがたまに漏出する不思議な時間を味わっています.奇跡的に父と共に過ごせたこの2日間はなんか神秘的な巡り合わせを感じるものです.本来なら私は今日サウジアラビアのジェッタで過ごしている予定だったのです.
その辺の引きの強さはさすが「ノビーザグレート」大変に尊敬しております,親父殿.あっちでも楽しくキメてください.死は一つのオプションにしか過ぎないっていってましたよね.私がそっちに行くまで楽しくビール飲んだり,ワイン飲んだりして待っててください.
あなたがこの世からいなくなってから私がいなくなるなるまでなんて,人類史からすれば一瞬ですから,しばしご辛抱を.
今まで育ててくれて本当にありがとうございました.あなたは私にとって無茶苦茶で大変にべらぼうな人でありました.
あらためまして
父で国際ジャーナリスト・作家の 落合信彦(おちあい・のぶひこ)が、2026年2月1日 午前8時8分、老衰のため永眠いたしました(享年84)。
ここに生前のご厚誼を深謝し、謹んでご通知申し上げます。
故人は長年にわたり、激動する国際情勢やインテリジェンス(諜報)の分野において、独自の視点と綿密な取材に基づく鋭い分析を発信し続けてまいりました。
その活動は執筆にとどまらず、講演やメディア出演など多岐にわたり、著書の累計発行部数は2,000万部を超えます。世界を舞台に挑戦し続けるその姿勢と骨太な言論は、当時の若者をはじめとする数多くの読者に勇気と多大なる影響を与えました。
なお、通夜および葬儀・告別式につきましては、故人の遺志ならびにご遺族の意向により、近親者のみにて執り行います。 誠に勝手ながら、ご弔問、ご香典、ご供花、ご供物の儀は固くご辞退申し上げます。何卒、故人の遺志をご理解いただけますようお願い申し上げます。
後日、故人を偲ぶ「お別れの会」を執り行う予定です。 詳細が決まり次第、改めてお知らせいたします。
最後までお付き合いくださりありがとうございました。
2026年2月1日 落合陽一
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落合陽一の見ている風景と考えていること
落合陽一が日々見る景色と気になったトピックを写真付きの散文調で書きます.落合陽一が見てる景色や考えてることがわかるエッセイ系写真集(平均で…
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