言論出版妨害事件後
言論問題の後始末にあたって、池田大作は言った。
「学会を本格的に作りかえる。外は豪華客船のように、そして中身は最新鋭の戦艦にするのだ」
私は創価学会本部の中枢に置かれ、池田大作の指示のもと、創価学会の作りなおしにかかった。私の仕事はすべての会計書類や法人事務書類を作りかえ、表向きは平和な合議による運営をよそおい、内実は池田大作の権威を更に強め、先鋭な牙を研ぎすますための作業であった。
世間の目をごまかし、政教分離など一切しないでおきながら、完全にしているように見せかけるための迷彩を作り上げることだった。隠密裏に相手を倒すため、情報や謀略という陰険な牙を鋭利に研ぎすます作業だった。
池田大作と創価学会の引き起こすスキャンダルや反社会的行為を巧みに隠蔽し、池田大作のカリスマ化を一層はかる作業が加わって、私はいささかうんざりした。
従来の直接的なやり方ではなく、広告掲載や聖教新聞の印刷、池田本の出版というアメと、不買運動をちらつかせるムチを用い、マスコミを懐柔するとともに、全国の書店への巧みなアプローチによって、店頭から学会批判の出版物を追放する、より狡猾な言論出版妨害のシステムの構築作業であった。
自民党から共産党にいたるまで懐柔し、労働組合や他宗とさえ、こっそりと手を握ろうと画策した。それらの工作のほとんどに成功して、今日の創価学会は外からはなかなかわかりにくい集団になった。
唯一の失敗は、日蓮正宗を乗っ取って支配下におき、自らを末法の本仏・日蓮大聖人の再誕と位置づけることであった。日蓮正宗の死に物狂いの反撃と、私や原島嵩氏らの離反等もあって、池田大作は遂に日蓮正宗から破門され、返り討ちにあった。
山崎正友
私はかつて、学会内のハイテクを担当する部屋を案内されたことがあった。コンピュータなどのハイテク機器にはあまり詳しくない私でも、ずらっと並んでいるのが最新設備だとわかった。これが10年以上も前の話だ。今は、学会のハイテク技術は、当時よりはるかに進歩しているはずである。
創価学会がハイテク強化に注力しているのは、ひとつには敵対者や敵対組織の情報収集の大きな武器になるからだ。
矢野絢也「黒い手帖」
1969年言論出版妨害事件
1970年5月3日第33回本部総会で池田大作会長が謝罪
1970年6月〜7月宮本顕治宅盗聴事件
(事件の発覚は1980年)
諜報活動のルーツは共産党委員長宅盗聴事件
山崎率いる盗聴部隊は「山崎師団」「SCIA」などと呼ばれるようになり、創価学会の謀略活動、情報収集活動の中核として、各種の謀略に従事するようになった。山崎の手記によれば、「山崎師団」は、妙信講(後の顕正会)対策、富士宮市問題、保田妙本寺造反事件、立正佼成会攪乱事件、日蓮正宗との抗争などで大いに成果を挙げたという。その結果、山崎氏は創価学会内部で重用されるようになり、最高幹部へと昇進。「創価学会のキッシンジャー」と呼ばれる池田の懐刀的存在にまで上り詰めた。
山崎と同様、盗聴の実行犯たちも創価学会内部で昇進を続けていった。
矢野絢也元公明党委員長は09年に出版した『黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録』(講談社)の中で、執拗な尾行や盗聴に晒されてきたことを明かしている。そうした諜報活動には、「広宣部」という特殊組織や、かつての「山崎師団」のようなウラ部隊が暗躍している。
「広宣部」とは、創価学会男子部の中にある行事警備を担当する「創価班」の中に設けられた特殊組織で、当初は創価学会と対立する顕正会の実態掌握のために、
1、構成員宅の郵便物などの抜き取り
2、構成員の盗撮
3、交友関係の調査
4、構成員への尾行
5、怪文書による攻撃
6、構成員の出したゴミなどを持ち帰り、その中から情報を収集
といった活動に従事していたという。
その後、「広宣部」の対象は、顕正会から創価学会に批判的な人物・団体へと広がっているという。創価学会は表向き「広宣部」の存在を認めていない。しかし創価学会の内部資料には「広宣部」の存在が明記されていて、公然の秘密とでもいうべき存在となっている。
実をいうと、私は公明党の書記長、委員長を務めていたときから、学会内に監視・尾行を行う「特殊部隊」があることはうすうす知っていた。反学会的な記事を書くジャーナリストについてなど、細かなデータがレポートとしてあがってきたりしたものだ。今では、このような「特殊部隊」について私以外にも多くの方が証言している。
「闇の流れ 矢野絢也メモ」
1999年春、『創価学会を斬る』の著者、藤原弘達が亡くなると、藤原宅には夜中じゅう、「おめでとうございます」という電話が鳴り響いた。
『週刊新潮』の二〇〇〇年三月三十日号で充子夫人はこう証言し、
「実は嫌がらせは主人が死んでからも続いたんです。出版妨害事件の時は段ボール箱に3箱以上の嫌がらせの投書が来ましたし、警察がうちの子供に警備をつけなくてはならないほど脅迫が相次ぎました。(中略)彼らは本当に仏教を信じているんでしょうか······」と続けている。
逆に言えば、自分の手下に次から次へと居直られるような池田大作という男は、たいした人物じゃないってことだ。他人様(ひとさま)から到底、褒められるような人物じゃないから、自分で自分を褒める本をせっせと作っては、学会の信者に買わせてな。ああいう見苦しい生き方もないもんだ。
そんな池田が裏で何をしてたかといったら、山崎やXをパイプ役にして、俺たちヤクザを散々利用し、仕事が終われば知らんぷりだ。それで俺たちがちょっとでも、もの言おうもんなら、今度は警察権力を使って潰しにかかる。で、それがマスコミにバレそうになったら、今度は頬かむりだ。竹入さんにも、矢野さんにも、俺にした仕打ちとまったく同じことをしてるんだよ。だから、俺もこうして公の場で居直らせてもらったわけだ。
後藤忠政「憚りながら」
昭和40年代につくられた「言論部」
マスコミに登場した学会、池田大作、公明党批判に対し抗議行動を指揮する。全国の会館などに集められた学会員が、時に学会員として、時に一般人を装って投書を書いたり、電話をかけたりする。「言論部」のマニュアルに従ってである。
「正信会」(1977年の第一次創宗戦争で、学会を批判した日蓮正宗僧侶のグループ)の寺院に対するいやがらせをやった経験のある元学会員は言う。
「まあ、学会の中にいると、“自分の意思”で動くということはありえない。すべてが上からの指示です。自分でも正信会への攻撃をやったのも、いまから思えば、信じられない。すべて上からの指示ですからね。その意味では、学会のマインドコントロールは日数と年月をかけてじわじわとやっていくので、本当に怖いと思いますよ」
「システムとしての創価学会=公明党」
高知県の「ヤイロ鳥」という創価学会に批判的な人々の集会に招かれたことがありました。その際、講師として私の名前が地元の新聞に掲載されたようで、突然、東京の自宅に学会関係者と思われる人からの無言電話がジャンジャンかかってくるようになりました。
一番驚いたのは、あるとき妻が電話に出ると「お宅のご主人はいま新宿駅から電車に乗って帰りましたよ」と言われたことです。私の行動を逐一、把握しているぞという脅しなのでしょう。これだけ嫌がらせをしておけば怖じ気づいて刃向かわないだろうという意図のもとにやっているのでしょうが、本当に陰湿というか、いやらしい体質ですね。私は妻に、所轄の成城警察署に電話し、「今、脅迫を受けた。あなたのところにも学会員は多いでしょうが、ちゃんと捜査して欲しい」と言えばいい、と伝えました。
川崎泰資氏の証言
6月の「万引き冤罪事件」ではろくな証拠もないのに朝木明代議員を犯人扱いしたのに対して、私が暴漢に深夜襲われて歯を折る重傷を負った7月16日の事件も、トラックにはさまれて轢き殺されそうになった8月2日の事件も、朝木明代議員自宅門柱に何者かが放火した8月20日の事件も、黒色火薬入りの「ばく死」と書いた脅迫手紙が事務所に送りつけられた8月26日の事件も、ろくな捜査をしなかった。7月16日に私を襲った暴漢を発見し、警察に突き出しても、すぐに釈放した。この犯人は、事務所付近や自宅周辺で、その後も私を待ち伏せするなどして、嫌がらせを続けた。
矢野穂積「東村山の闇」