「何者かにならねば病」アレクサンダー大王篇
先日、「「何者かにならねば教」考」(https://note.com/shinshinohara/n/n2e8d0a2ede38)を書いたところ、カエサルの言葉を紹介してくれた人がいた。カエサルは、アレクサンダー大王が世界を支配した年齢になってもなお何も成し遂げていないと言って嘆いたという。
カエサルは「何事かを成し遂げなければ」と焦っていたということなのだろう。はるか昔から「何者かにならねば病」に感染する人は少なくなかったと言えるだろう。ところが、カエサルのあこがれたアレクサンダー大王には、面白いエピソードが残されている。
アレクサンダーは優れた人物と交流するのを好み、哲学者として知られているディオゲネスに家庭教師になってくれと依頼したけれど、何の返事もなかった。しびれを切らしたアレクサンダーは、ディオゲネスのもとに直接足を運んで家庭教師になってもらえるようお願いすることにした。
樽の中で昼寝しているディオゲネスに「先生、家庭教師になってくれるなら、宮殿でもなんでもお望みの物をご用意します。何がご希望ですか?」と尋ねた。するとディオゲネスは「日陰になるから、ちょっとどいてくんない?」と頼んで、その後、樽の中で再び寝始めた。アレクサンダーはふられた格好。
ところがアレクサンダーは帰り道、興奮して「私がアレクサンダーでなければディオゲネスになりたい」と言ったという。アレクサンダーは世界史上、ごく数人しか数えることのできないトップクラスの「何者か」になった人物だけれど、もしかしたら「何者かになる」ことの虚しさをよく知っていたのかも。
ディオゲネスはその後、何かの間違いで奴隷として売り飛ばされたりしたのだけれど、その場その場で楽しく暮らしたといわれる。幸せを味わうにはどうしたらよいのかを、よく知っていたのかもしれない。他方、アレクサンダー大王の周りにはおそらく。
「何者かになりたい」人間がウジャウジャしていたのではないか。しかしアレクサンダー大王のように、世界の支配者になれるのはたった一人。そのほかの全員はアレクサンダーほどの「何者か」になることはできない。ではその人たちは、「何者か」になれなかったから不幸になるしかないのだろうか?
私はそうは思わない。幸せになるのに「何者か」になる必要なんて全然ない。だけど「何者かにならねば病」にかかった人は、「何者か」になって初めて幸せになれると考える。ところが、それなりの地位に上っても「さらに次の「何者か」」へと際限なく欲が広がり、とどまることを知らなくなってしまう。
常に渇望し、それが満たされることはない。食べても食べても満腹になることができない病気のように。麻薬は、それを服用したときには快感があるという。しかしそれに慣れてしまうと次の強い快感を求めてしまう。結果、依存が強くなり、健康を害するまでになってしまう。麻薬に似ている。
なぜ「何者か」になりたいのだろう?私が思うに、「他人を驚かしたい」だけなのだと思う。「何者か」になれば「ええっ!あなたがあの!」と言って驚き、ひれ伏すだろう。そうして驚く顔が見たいから、社会的成功を得ようと多くの人がもがくのだろう。ではなぜこんな勘違いが起きるのか?
幼子は「ねえ、見て見て」を口癖にする。昨日できなかったことが今日できるようになったら親は「すごい」と驚いてくれる。で、子どもは「自分がすごくなれば親を、教師を、大人たちを、友達を驚かすことができる」と学習してしまう。これが大人になっても続くのが「何者かにならねば病」なのだろう。
でも、子供の成長に親が驚いても、必ずしも「何者かにならねば病」にかかるとは限らない。何か別の要素があるのだろう。それはおそらく、親の期待。人とは違う何者かになるように、と親が期待するから、子どもはいつしかそれを内面化し、自らの願いであるかのように思い込んでしまうのだろう。
でも当然ながら、「何者か」になれるのは一握り。ある程度の者になったら満足したらよさそうなものなのに、さらに上があるとわかると、その上と比べて「自分はまだ上の「何者か」になれていない、と、マイナス評価を下す。常に自分をマイナスの存在ととらえ、自分の状態を不足ととらえる。
でも、幸せってもっと簡単に手に入るもののように思う。たとえば家族に、あるいは友人に何かをして喜んでもらえたら、「ああ、役に立つことができた」とうれしくなる。必要とされたことがうれしい。それが幸せの基本的な要素なのかも。
人間は、本源的に次の不安を抱えているような気がする。「自分は生まれてきてよかったのだろうか?生きていてよいのだろうか?」その不安を解消するために「何者か」となり、社会から絶対的に必要とされる人間になろう、とするのが「何者かにならねば病」の症状なのだろう。でも。
関羽や張飛、趙雲、そして孔明は、主君の劉備よりも武勇に優れ、あるいは知略に優れていたのだから、「劉備より上の何者か」を目指しても不思議ではなかったのに、彼らはそうしなかった。劉備と一緒にいたがり、苦楽を共にしたがった。なぜだろう?
それは、劉備が彼らの承認欲求をこの上なく満たしてくれる人だったからだろう。横山光輝「三国志」では、趙雲がうっかり劉備の夫人と子どもを見失い、敵軍の中、必死に探して見つけたけれど、夫人は足手まといになることを心配し、自ら井戸に身を投じて死んでしまった。
趙雲は大群に囲まれる中、なんとか必死に赤ん坊を抱いて突破した。劉備に赤ん坊を渡すとき、夫人を助けることができなかったことを報告した。すると劉備は趙雲を責めるどころか「お前を危険な目に遭わせてすまなかった、お前を失っていたら私はどうしたらよいだろう」と苦労をねぎらった。
本当なら、夫人と子どもの警備を任されていたのだから、罰せられても不思議ではない。しかしわが子の安全を喜ぶより、夫人の死を悲しむより、趙雲が無事であったことを喜び、危険な目に遭わせてすまなかったと謝る劉備。趙雲は身が震えるほどの感激を覚えたのではないだろうか。
劉備はこれほどまでに自分を必要としてくれる。この感激は、「生まれてきてよかったんだ、生きていて構わないんだ」という自信を与えてくれるだろう。趙雲がどこまでも劉備に忠誠を尽くしたのは、自分のことを必要としてくれた、その感激にあったのかもしれない。
また、孔明も。どう考えても蜀の中では第一の人物。劉備が死ねば孔明が国を乗っ取っても不思議ではない。ところが劉備は死ぬ間際、とんでもないことを言い出した。「もしわが子が皇帝にふさわしいなら支えてやってくれ。そうでないなら君が皇帝になってくれ」とお墨付きを与えてしまった。
正直、劉備の息子は凡庸だったのだけれど、孔明は徹底して忠誠を尽くした。これはおそらく、孔明に絶大な信頼を置いた劉備のおかげで「生まれてきてよかったんだ、生きていて構わないんだ」という絶対の自信を持つことができた、その感謝があったからではないだろうか。
どうしても歴史上の人物を例に紹介すると有名人ばかりになってしまうからアレだけど、私たちは、身近な人から必要とされるだけで、相当に幸せを感じることができる生き物ではないだろうか。家族がいて、家族から必要とされる、あるいは恋人がいて、恋人から必要とされる、あるいは友人から。
そうして必要とされ、自分がその人に貢献できると感じることができるとき、「生まれてきてよかったんだ、生きていて構わないんだ」と思えるようになるのではないだろうか。この時大切なことは、「必要とされる」だけではダメだということ。貢献感がおそらくは重要。
誰かを喜ばせることができた、という貢献感。これが大切な気がする。
介護の現場の方から聞いた話。動けなくなったおじいちゃんおばあちゃんでも「ものすごくかわいい!」と思える瞬間があるという。それは「あー、あんたがやってくれると本当に気持ちいいわあ」と、喜んでる言葉を発してくれること。
自分のやっていることが、この人を喜ばすことにつながっている。そう思えると、その人がかわいくて仕方なくなるという。仕事にも張り合いが出るという。お年寄りになり、寝たきりになると何も貢献できない気がしてしまう。でも、私はそうは思わない。「あなたのおかげだよ」という言葉は。
介護する人の貢献感を強め、「この仕事をやっていてよかった」という幸せな気持ちになれる。面白いことに、この時、お年寄りは介護する人たちに多大な貢献をしている。自分は介護を通じて貢献できている、という自信を持ってもらえる言葉かけをする、という貢献。そう、貢献感はしばしば相互作用。
劉備は関羽や張飛、趙雲のような武勇を発揮できない。孔明のような知略も発揮できない。彼らの貢献を一方的に受ける立場。けれど劉備は「お前の活躍のおかげで今がある」と感謝を惜しまなかった。それにより、彼らの承認欲求を満たすという「貢献」をしていたのだろう。
「貢献感」を味わうには、実は、同時に相互に味わえる状況でないといけないのかもしれない。もし誰かに貢献したとして「あ、そう」と感謝もしなかった場合、私たちは貢献感を覚えることができるだろうか?無理。貢献感を覚えるには、それを喜んでくれる人が必ず必要。
喜んでくれるという、こちらのほしい「貢献」をしてくれる人がいるから、こちらは別の貢献でお返しをする。強い貢献感を味わうには、相互作用で成り立つことが大切。でも、こうした強い貢献感を味わうには、貢献しても何も返ってこないということを覚悟しておく必要がある。
世の中、何かしてあげても感謝もされない、むしろ迷惑がられることも少なくない。だから何か貢献するときに、見返りとしての感謝を要求すると、落胆することになる。なんなら相手を恨むことになる。恨まれた側からしたら迷惑千万。頼んでもないのに勝手に貢献したといい、しかも恨まれる。迷惑。
だから、誰かにとって貢献するにしても「自分がしたくてしただけ」という構えが必要。すると、相手が無反応でも「ま、そんなもんだ」相手が怒ってきたら「あ、ミスっちゃったか」と、次からの教訓にすればよいだけ。恨む必要はなくなる。で、そうして好きで貢献しているうちに。
喜んでくれる人に出会う。すると、貢献感を互いに交換する関係になれる可能性がある。恋人となり、家族となる関係というのは、こうした流れで出来上がっていくものなのかもしれない。
自分の貢献を喜んでくれ、相手の喜ぶ姿が自分の喜びとなる。そんな関係を気づけたら、もうそれだけで幸せ。人間が幸せになることって、その程度で結構できてしまうもののように思う。「何者かにならねば」なんて思う必要はない。そういう人に一人出会えるだけで、結構幸せ。
恐らくだけど、関羽や張飛、趙雲、孔明からしたら、劉備は決して手放したくない人だったのだと思う。自分のことをこんなに認めてくれる人はいない。こんなにも自分を必要としてくれる人はいない。そう思うから、翻って劉備は彼らから絶対に必要とされる人になったのだと思う。
では、そんな人に出会うには、どうしたらよいのだろう?実は、貢献するだけではうまくいかないように思う。私の考えでは、誰かから何かをしてもらう、貢献してもらうことは、さほどうれしいことではない。大概のことは自分でもできてしまうから。場合によっては「余計なこと」と感じかねない。
貢献することよりも大切なこと、それは「驚く(驚かされる)」ことじゃないかな、という気がする。私は女性とデートしたとき、「俺はすごいぞアピール」を繰り返し、女性はその場で「すごいですね」とほめてくれるのだけど、その後、「ごめんなさい」とふられた。続かない。
ある女性とデートしたとき。やはり俺はすごいぜアピールをしたけど、スルーされた。むしろ冷たい態度。社会儀礼として「すごいですね」くらい言うべきじゃないの?と思ったけど、ともかくスルー。で、文学に素養があるところを見せようと、「野菊の墓」の話を始めたら。
「あ、あの優柔不断な主人公」とバッサリ切る言葉が出てきてたまげた。あの名作をバッサリと!でも説明を聞いたら、なるほど主人公は身勝手で優柔不断。「じゃあ、「伊豆の踊子」は?」と聞くと「同じ。優柔不断で何もアクション起こしていない」とバッサリ。
「えー!じゃあ、森鴎外の「舞姫」は?」と聞くと「最悪。恋人を妊娠させた挙句、狂気にまで追い込んでおいて何もしていない。なぜ教科書に載っていたのかわからない」と言われて、私はまたまたたまげた。私からしたら斬新な見解の数々。で、私は面白くなってその女性にいろいろ尋ねた。
すると、私が考えたこともないような見解を述べてくれる。私はその都度驚きの声を上げ、さらに質問を重ねた。すると不思議なことが起きた。それまで一歩引くような姿勢だった女性の姿勢が前のめりとなり、いつしか私に好意を持ってくれたようだった。その人が私のYouMeさん。
なんだ!相手を驚かそうとばかりしていたけど、こっちが驚かされる側になればいいのか!こちらが驚かされていれば、相手は「自分の知識や見解で相手を驚かすことができた、貢献することができた」とうれしくなり、自分が必要とされている、という感覚を強めることになったらしい。
「驚きの介護民俗学」という本で、著者は、介護対象のご老人に昔の聞き書きをしている。で、著者が初めて聞く話に驚いていると、だんだんと話に調子が出てきて、2時間も3時間も話し込んでくれるのだという。なぜお年寄りは元気になるのだろう?
それは、著者が驚くさまを見て、お年寄りは「相手の知らない知識を提供できて、貢献することができた」とうれしくなるからだろう。「驚き、面白がる」「驚き、喜ぶ」という反応は、相手に「貢献できた!」という感情を強く呼び覚ますものであるらしい。
自分の貢献に驚いてくれる人、相手の貢献にこちらも驚かされずにいられない人、そうした相互の関係が作れたら、人間はそれだけで結構幸せな気がする。劉備、関羽、張飛が(作り話かもしれんけど)死ぬときは一緒、と誓い合えたのは、その幸せな関係性があったからのように思う。
藺相如という人物は、言葉一つで大出世し、大将軍である廉頗と肩を並べた。常に戦場で命がけで戦ってきた廉頗は面白くない。「もし出会ったらコテンパンにやtっつけてやる」と公言した。すると藺相如は、廉頗将軍の車を見ると隠れ、姿を見ると隠れ、とまるで臆病者のふるまい。で、家臣が怒った。
家臣たちは「こんな臆病な主人のもとには仕えたくない」というと、藺相如は「もし私と廉頗将軍が争ったらどうなる?この国は滅亡するしかない。それを恐れるがゆえに、私は廉頗将軍と衝突することを避けるのだ。大国の秦王さえ恐れなかった私がどうして恐れるものがあろうか」と言った。
廉頗はこの話を伝え聞いて、雷に打たれたように衝撃を受けた。自分のことをそんなにも高く買ってくれている人間に、そしてこの国のことを真に心配しているのに、自分は嫉妬などして、なんて恥ずかしい、と考えた廉頗は、肌脱ぎになって「自分を鞭打ってくれ」と藺相如に謝罪した。
藺相如は「あなたがいてこそこの国は成り立つのです、どうかお立ち上がりください」といい、廉頗は感激し、互いに、相手のために首がはねられることがあったとしても悔いはない、と言い、「刎頸の交わり」という言葉が生まれた。
藺相如と廉頗は、互いに互いを必要とする幸せな関係だったと思う。そうした人と一人出会えるだけで、人間というのは相当に幸せに感じるものだと思う。何も死を誓い合う必要なんかないけれど、互いを必要と思え、互いに互いの貢献に感謝しあえる関係なら、私は幸せじゃないかな、と思う。


「何者かにならねば教」は、学校から仕込まれる。 「将来のの仕事はなに」とか「何者かにならないと職に就けない」という洗脳。 「小学生らしく。中学生らしく。高校生らしく」とかわからんこともないけど、それだけでは息苦しい。 「何者」なになれば、雇用主は使いやすい。「何者」かだから…