2026年も執筆していく予定ですので、引き続き、よろしくお願い致します。
無慈悲な光と熱が迫り、容赦ない衝撃が、ステラの体を激しく突き揺らした。
その感覚を、ステラは憶えていた。あのときとまるで同じ──光の剣に灼かれかけるのは、ある意味において彼女の出発点だった。
(シン……)
正気をもって、そのときステラは、少年の名を呟いた。
そんなステラは、またも奇妙な空間にいた。色も音もない、寂しく虚しい空間──空も大地も存在しないこの空間においては、浮遊感どころか体に対する実感も失われ、うまく息もできないような感覚がした。
(シン……ステラ、まもる、って……)
自分を墜としたのが他ならぬ『彼』であることを、ステラは理解してしまっていた。本人にしてみれば不可解な力──墜とされる寸前に精神の触手を伸ばした結果として、彼女は〝黄金〟の中にいた鬼子──そのように表現する他にない──の正体を、完全に見透かしてしまっていた。
──今のシンには、ステラが分からないのか?
嗚呼、歴史を巻き戻してしまった以上、こちら側の彼には、ステラという人間が分からないのだろう。あれだけの交流をして、一度は心を通じ合わせたはずなのに……。
──でも、だったらどうして、シンはステラの前に現れた?
思案したとき、強い力がステラをさらった。精神はそのまま過去へと連れ去られ、 まるで他人の心に入り込むように、ステラはシン本人の記憶を奪うように覗き見る。
戦火に包まれたオーブ、その情景が周囲の空間に浮かび上がる。これまでシンが歩んできた道のり、本来ならば彼が辿るはずもなかった過去を、そうしてステラは目撃してしまった。
──不当に奪われたんだ。
記憶の中でうずくまる少年は、そのように思惟して泣いていた。目の前でお父さんと、お母さんと、大切な妹を奪われて。
(ステラじゃ、ない)
どこからか放たれたビームが、目の前で〝ダガー〟を貫いた?
あのとき、その戦域の近くにステラの〝クレイドル〟が居合わせたのは事実だが、あの瞬間に〝ネメシスダガー〟を撃墜したのはステラではなかった。
──少なくとも、それが真相だった。
けれども、真実など既に無体だった。現実として、彼の家族は死んでしまったのだから。
たとえ八つ当たりめいた報復だったとしても、被害者遺族が恨みを持つには十分すぎる理由ではないか。もっとも、マユについては完璧な誤解であり、ステラにとって最も耐え難かったのは、そんなシンが、今も彼女の生存を知らずに苦しみ続けている──ということだ。
(……シン……)
──『まもる』という言葉を、わたしに初めて教えてくれた人。
どこで歯車が狂ったのか。わたし達はまた、戦場で殺し合わなければならないのか……?
──いや、ちがう……っ!
その瞬間、記憶の空を覆っていた雲間が切られ、ぱっとして晴れ渡った。深層に囚われていた『彼女』が、たしかな意志と自我を取り戻した瞬間、心がすべてを思い出す。
────シンとの出会い、別れに始まった物語。
迫る光に灼き尽くされて、破片にずたずたに斬り裂かれた臨死体験。それから以遠、ステラ自身が『一匹の蝶』として舞い戻った〝ヘリオポリス〟──さまざまな者達との出会い、巻き起こした台風。激動の戦役を生き抜き、最後の最後で〝ジェネシス〟が控えた核爆発と、その中から「必ず戻る」と宣言した自分自身の声──光に灼かれかけるという鮮烈で凄惨な体験が、皮肉にも、彼女に『それ』を取り戻させた。
──墜ちていく。
目が醒めたときには、コクピッドの裂け目から海水が渦を巻いてなだれ込んでくる。
うまく力が入らない。宇宙用に
──沈んでいく。暗く冷たい海の底に。
そんなときだった。
まるで〝クレイドル〟のような──
鋼鉄で覆われた、白い巨神が腕を伸ばしてくるのが見えたのは。
〝黄金〟の乱入により、いっとき混沌状態となったオーブ解放戦。地球軍の誇るXナンバーの撃墜と、それによる連合の士気低下の余波を受けて、正規編成に属さない第三軍たる〝アークエンジェル〟も撤退の判断の下す。
艦橋の中、マリューが声を上げた。
「マユちゃんは!?」
このとき、みなの制止を振り切って、マユは撃沈した〝クレイドル〟の回収に向かっていた。観測された熱量と衝撃波の規模から判断するに、〝クレイドル〟が原子炉爆発を引き起こしたとは思えなかったのだ。
絶対に生きている──! それは半ば願望であったが、一縷の望みに賭け、マユは機体を駆けさせた。
その道中、彼女は〝黄金〟とすれ違ったが、ソイツはマユに対しては特に
(いったい、何が目的なの……っ!?)
マユは睥むように〝黄金〟を見た。そののち〝アリアドネ〟ごと海中へ飛び込んで、ほとんど原型を留めていない〝クレイドル〟のコクピッドを探し当てられたのは、ひとえに僥倖だった。
勝利の余韻に酔い痴れたのか、あるいは、オーブへの戦線復帰を優先したのか──? いずれにせよ、かの〝黄金〟の中の者は、決闘に勝ったことに満足して
「〝アリアドネ〟、帰投します!」
海中より浮上してきたマユの機体を認め、チャンドラが報告する。
「コクピッドは!?」
「抱えています!」
「〝カオス〟〝ガイア〟を帰投させて! 〝アリアドネ〟の着艦後、潜航用意! この戦域から離脱します!」
きびきびとして、マリューは命じる。このままオーブへの入港など認められるはずもない。
全てのモビルスーツの収容後、そうして〝アークエンジェル〟は海中に沈降し、来た道を引き返す。格納庫からの報告を待つブリッジに、マードックからの報告が入った。
〈艦長! 安心してくだせえ、嬢ちゃんは無事でさあ!〉
「ケガの程度は……!?」
〈気を失ってますんで、見たところじゃよく分かりませんが──なァに、今回だって生き延びてくれますよォ、この
ガサツだが、その言葉の裏にはステラに対する全幅の信頼が込められている。マードックもまた、ステラとは先の大戦で交流する機会も多かったからだ。
〈いま、パイロットのちびっ子どもが連れ添って医務室へ!〉
「わかりました」
その口調から判ずるに、ステラの様態はそう酷いものではないらしい。ひとまずほっとできる程度には、安堵の空気が艦橋に流れた。
「……それにしても、どういうことなのかしら。〝クレイドル〟に乗った、あのステラさんが墜とされるなんて」
先の大戦中であれば考えられなかったことだと、釈然としない思いで、マリューが呟いた。
要因──いや敗因のひとつとして、ステラの方が本調子ではなかったのがある気がしていた。前大戦中と同じ〝クレイドル〟に乗っていたとは云え、そんな彼女の動きには、当時ほどの鋭気は無かった。今にして思えば──だが。
──傍目に見ていても分かったくらいで、しかし、だからと云って実力が鈍った訳でもないだろう……。
純粋な力量で云うなら、むしろ現在の方が洗練されて然るべきだ。それ故に、これは強弱の問題ではなく、云ってみれば〝心〟の問題なのではないか? 以前の彼女が、それだけ精神的に振り切れていたということか? いずれにしても、悪条件に悪条件が重なってしまった結果という感は、マリューをして何となく拭えなかったのだ。
「それをやった〝金色〟についても、分からないことが多すぎたわ」
「ええ。オーブの友軍ではあったみたいですけどね」
シートを振り向かせ、答えたのはノイマンだ。自分達が遭遇した状況を整理すると、同じオーブ陣営の内でコミュニケーションエラーが起こったのだろう。
「サハク家。噂には聞いていたけど、アレほどのパイロットを擁しているなんて……」
感心というより、うそ寒いものをマリューは感じた。あの〝夜叉〟に対して心当たりのあるパイロットなど居ないので、終戦後に生え抜きとなったスーパールーキーと云ったところだろう。
そもそも、マリュー達の〝アークエンジェル〟は、カガリがアスハ家の権限を行使、ときに濫用して整備させたものである。その性質上、どうしたって公的に存在が許容されず、形態としてはオーブにおける〝
その所属の曖昧さ故に、これを軽率に誤解する者が現れても仕方がなく──そうした微妙な問題は、次の問答においても発揮されるのだ。操舵士として、ノイマンは訊ねた。
「艦長、とりあえず転進しましたが。この次はどこに?」
オーブは母国でありながら、進入することは許されない──であれば、他の拠点を探すしかない。
現時点で身を寄せられるのはスカンジナビア王国だが、マリューは思案のあと答えた。
「南西へ向かって頂戴。ここから三〇〇〇キロ圏内に、ロアノーク大佐から寄越された
インド洋、スンダ列島南方にある〝ヘファイストス〟と呼ばれる拠点だ。
やはり聞いたこともないので、ノイマンは怪訝な顔を返していた。マリューは続ける。
「
「? それって」
「あそこには、ムウがいるのよ」
珍しくアームレストに頬杖をつきながら、荒んだ様子でマリューがため息を吐いた。
「それは……」
そんなやさぐれた風な彼女の様子に、ノイマンもやや戸惑った。だが已むを得ない、いまだ素行の怪しいネオ・ロアノーク──ラウ・ル・クルーゼから齎された情報が〝正しい〟と、それで客観的に裏付けされたようなものだ。
──恋仲にあるマリューは、ムウの居場所を、本人から内密に知らされていたのだろう。
そのような機密的情報を、しかし、マリューがネオに売り渡すとは思えない。つまり、あの仮面の男はマリューが何も告げ口しなくとも、先回りして勝手に情報に辿り着いたということだ。まったくもって個人で諜報可能なレベルを超えていて、相変わらず油断ならない黒幕だった。
「ラウ・ル・クルーゼの生存を、フラガ少佐は知っておられるんですか?」
「分からないけど──ああっ、もう、やっぱり彼が上にいると落ち着かないわね」
ノイマンが思うに、おそらくはそれが、マリューの荒んだため息の理由だった。
これまで宿縁の仇敵として、何度も戦場で殺し合ってきたラウとムウ。そんなラウが、ひとりでにムウの居所を掴んでいるなど、恋人のマリューからすれば怖すぎる事態ではないか。
操舵士という立場上、ノイマンもまた例の仮面の男にはさんざん苦しめられてきたわけであるが、ムウに限っては比では無い。人生の出発点に等しい場所から、あの二人は生涯を賭けて対立してきたのだ。
しかしながら、ラウが『次はそこに向かえ』と教唆したということは、そんな両者の邂逅は、このとき既に終わっていると見做すのが筋だろう。
そのとき、ムウはどんな反応を示したのか? 二人の間でどんな応酬が繰り広げられたのか──? 多少見たかった気もするが、流石に出歯亀であり、そこまでは欲張り過ぎというものだった。
「はあ」
伝播でもしたように、ノイマンもまたひとつのため息を吐いた後、云われるがまま南西へ──〝ヘファイストス〟への舵を切った。
地球軍艦隊が引き上げた後のオーブ国防司令部で、改めて戦争処理のための報告会と会談が設けられた。正面から立ち合うは、カガリ・ユラ・アスハとロンド・ギナ・サハクだ。カガリの方が手を差し出し、その手をギナは掴んで握手を交わす。
「──まずは支援に感謝する。あのままでは、オノゴロは間違いなく陥ちていた」
カガリの言葉は実感だ。
Xナンバー。かの連合の四機が導入されたことで、戦況はあちらに一方的に有利な状態になっていた。あのままでは数時間以内にオノゴロ島は陥落し、最悪の場合、民間人への被害だって出ていたかも知れない──前回の戦争のように。
それらを未然に防げたのは、間違いなくサハク家の助力のおかげだ。その労いに対し、ギナは粛々とした表情で返していた。
「我らとてオーブの民だ。故郷のために戦うことに、迷いなどないよ」
その点における利害は一致していたと、ギナは流すようにして終えた。
「ですが……」
そのとき、弁えずに言葉を発したのは、カガリの横に据えていたトーヤだった。
「なぜ〝アークエンジェル〟のモビルスーツを──〝クレイドル〟を攻撃したのです!」
その一件に関して引き下がることはできないと、彼にしては非常に珍しい剣幕で食ってかかったのだ。
云われたギナは神妙な顔を返すが、トーヤはさらに云い募った。
「あれは……あれは、敵ではありませんでした……!」
「あァ?」
そのようなトーヤの糾弾に対し、嘲るような声を上げたのは、同じくギナの横に据える少年、シンだった。
件の〝アカツキ〟の改修機のパイロットだ──まさか、あのとき出会った少年が〝そう〟だったのかと、カガリも紹介されて驚いたくらいだ。
「敵じゃなかった? なに云ってんだ、アンタは?」
シンは険悪な顔で返す。
──アスハが〝アークエンジェル〟への関与を認めることは有り得ない。
建前上、これはそのような共通理解と、暗黙の了解を踏まえた上で為された会話だった。
──ドサクサに紛れて国に侵入してきた
そのように悪びれもないシンに向かって、トーヤは、すがるように言葉を放った。
「連合のモビルアーマーを墜としたのは彼らです! あれは僕達の、貴方がたにとっても助けになる行いだった!」
「だからアイツらはオレ達の味方だった──とでも云いたいのかよ、アンタ? 自分で何を云ってるのか分かってるのか?」
「っ…………!」
「それに、もしアイツが援軍だったとして、大した腕でもなかったね」
オレの方が強い──と、その傲慢にも思える物言いにトーヤは絶句していた。だが現実に、シンにはそう発言できるだけの資格と余裕があった。ほとんど単騎で戦況を覆した彼ならば──。
──そもそも〝クレイドル〟は、オレと正面から戦って、その上で無様に負けたじゃないか。
既に、両者の間で格付けは終わっている。その程度の〝格下〟がどんな援護に来ようと、戦場で暴れ回っていたシンにとっては大した問題でもなかった。
「実際に戦ってみたら、あんま強くなかったですよ、〝
揶揄を隠さない、不遜な調子でシンは云った。
「なぁんでアレが伝説みたいに持ち上げられてるんだか。
「やめろ、シン」
ギナの声掛けで、それ以降、シンはぴたっと口を閉ざした。
「……トーヤもだ、控えろ」
カガリもまた鼻白んでいたが、一言の下にトーヤを制する。
それから、ギナはシンに有無を言わさず、その場から退出させた。これに倣い、カガリも同じようにトーヤに仕事を振って席を外させる。当主同士でのやや気まずい沈黙が流れた後、ギナの方から慇懃に歩み出た。彼は芝居がかったように、整った一礼をカガリに向けて行った。
「不肖の弟子だ、非礼をお詫びする。あの者には、後でこちらから云っておく」
「いや、こちらも補佐官の失礼を申し訳なく思う。まだまだ至らぬところばかりだ……しかし」
カガリは、戒めるような口調で付け加えた。
「ロンド・サハク。あなたには、あの少年を止めるという選択肢も絶対にあった筈だ」
ここだけの話、とぼけられていると感じているカガリの目は、相手の茶番を見逃さなかった。
──先のように、たった一言の下に、あの少年を制止させることが可能なら。
たとえ戦闘中であっても、ギナが動けばシンは止まったはずだ。唯一その正当性が怪しまれている対〝クレイドル〟戦において、ギナが一言でも釘を打っていれば、かの一騎打ちは間違いなく中断させることができた──たとえシンが命令を聞き入れずとも、他ならぬギナならば実力で止めることも出来た──と、そのように思うからだ。
ギナは憮然として返す。
「我の腕を高く評価して頂いている様子。非常に光栄であるが、生憎、それとて既に無傷で行える段階には無い」
「──! それほどに、シンの力は……?」
「正直なところ、我とてあやつがあそこまで暴走するとは思ってもおらなんだ。何がやつの起爆剤になったのかも含め、まったく分からん」
端的に云えば、ギナはシンについて、必要以上の事情を知らない。
そんな彼の過去について、知っているのはミナの方であって、ギナとしては特別興味もない。ギナがシンについて気に入っている部分があるとすれば、単純にその野心と、負けん気の強さだ。それさえあれば性格が多少無礼でも容認してきたし、そもそも大口を叩いたり、自分のために他人を蹴落としたりするぐらいの豪胆さや厚かましさがなければ、どこの世界でも一流を目指すことは不可能だ。少なくとも、ギナはそのように考える側の人間だった。
「世界は戦間期を経た。今は誰が誰に恨みを抱えているのかなど、とうに分からぬものだろう?」
ギナは謳う。なし崩しの終戦を期に、人々の間に横たわっていた憎しみの問題は棚上げになった。平和を享受する道を選んだ人々の中には、それまでの恨みを忘れ、諦念から心に蓋をした者だっているだろう。
しかし、そのような人間が裡に隠した〝黒い感情〟──衝動的で、さりとて人間的な暗い火がまたどこかで再燃し噴出したとして、別にそれは不可思議なことでもないのだ。
曰く、戦災孤児だったと云うシンにとっては、それを吐き出す相手が〝クレイドル〟だったのだろう。その辺りの事情を聞き、しかし、カガリが反発を露にするのは当然のことだった。
「だが、復讐に走ったところで、何も取り戻せはしない!」
「だが、復讐を果たさなければ、気が済まん者も居るのだ」
結局、これは正しいとか正しくないの問題ではなく、価値観の違いでしかないのだろう。
「因果とは、巡り巡って数奇なものだ。くだんの者らが刃を交え、その果てにどちらかが討たれるのなら、それもまた宿縁だったと云うまでのこと」
「宿縁……?」
「シンにはアレに怒るだけの理由があり、アレと敵対するだけの動機と、その意志があった。それを行使するのは、やはりシンの自由だ」
オーブが尊ぶ、人としての選択と決定だった。
「だから我も、あの小僧を放置した。あの狂犬に首輪も付けず、ただ
「ロンド・ギナ……!」
「〝クレイドル〟には不幸だったがな。そなたにとっては朗報だろう、カガリ・ユラ? あの小僧は、オーブに対しては忠実さ」
──使いこなせば、何より便利で強力な『
(……それで、いいのか……?)
カガリもまた、その表現に納得していた。家来、廷臣、召使、兵士──トランプにおけるジャックにはそのような意味合いがあるが、シン・アスカとは、誰かの旗下で戦う戦士としての素養があるのだろう。
揺れない眸、光を失った目──あのときの『弟』が浮かべていたそれと同じ、空虚なものだ。
少年の深紅の瞳は、いつも一点だけを見据えていて、それ故にその剣先は躊躇わない。迷いを振り払った者ほどに強くなり──だからこそ、シンは勝ち続けることができたのだ。
「…………」
サハク家は、このようにしてオーブへの合流を果たした。
けれども、そのことを素直に喜ぶには、不思議と暗然とした思いがカガリの邪魔をしていた。
〝アプリリウス〟のオペレーション・ルームでも、緊急の報告会が行われていた。数々の議員や秘書官が国防委員長執務室に詰めており、その中で、国防委員長のハリ・ジャガンナートが声を上げていた。
「これはオーブの明確な協定違反だ! 〝アークエンジェル〟に加え、我々が開発したセカンドステージシリーズだと!? あの機体群が、何故あの艦に!」
事態はここに来て、急展開を見せ始めていた。
当初は地球連合軍による犯行だと思われた【セカンドステージシリーズ強奪事件】であるが、そこに、オーブの関与までが結果的に匂う事態になったのだ。真実とは大きく掛け離れた推論であるが、そのように邪推することができる映像の数々が、観測隊から送り届けられている。
室内の大きなスクリーンには戦闘の模様を写した映像が流れてきていたのだ。議員のひとりであるクリスタ・オーベルクが、取り乱したジャガンナートへ云う。
「落ち着いてください、国防委員長!」
「これが落ち着いていられるか! 奪取された〝カオス〟に〝ガイア〟、それに〝アリアドネ〟までヤツらは運用していたのだぞ!? 即刻オーブへ抗議文を送り、事と返答次第によっては、武力行使による奪還作戦も辞さないとの声明を──!」
軍部の人間らしく、ジャガンナートが危険な内容を口走りかけた、そのときだった。
後方のドアが開き、長い黒髪をなびかせた長身痩躯の男が室内に入ってくる。周囲の者がハッとして息を呑み、その人物のための通路をどっと開いた。ギルバート・デュランダルだ。
「議長!?」
「滅多なことを云うものではないよ、ジャガンナート国防委員長」
デュランダルは、どこまでも理知的な良識人のように振る舞って男を諫める。
「突如として現れたあの艦が、たしかに国際的なイレギュラーとなっていることは事実でしょう。ですが現時点では、あれがオーブの所有艦であるという確証はないのです」
ギルバートの言葉に、補佐官が賛同したように続いた。
「そうですよ。現にオーブ艦隊はこのように、〝アークエンジェル〟に対しても容赦なく発砲を行っている」
「容赦なく? すべて外しているではないか!」
百発百外しもいいところで、ジャガンナートは「連中の得意技だ」と鼻を鳴らした。
「だが、その故意を証明する手立てが今の我々にはありません、そうでしょう?」
「…………」
「力で押し通れば戦争になります。それだけは、我々としても避けなければならない」
すでに開戦しているとはいえ、プラント最高評議会は、いまだ穏健派が主流を握っている。あまりに危機感が足らないのではないか──と、条件反射で反論しかけるジャガンナートだが、相手が相手であっただけに、何も云わずに引き下がった。
────その会議が終わると、ぞろぞろと各員が己の仕事場に戻っていく。
部屋に残ったのがデュランダルとジャガンナートの二人だけになったのを見計らったように、ジャガンナートは大きくため息をついた後「──して」と、デュランダルに本題を切り出していた。
「実際のところは、どうお考えなのですかな、閣下は?」
「何がだね?」
デュランダルは、人の良い──どこか張り付けられたような──笑みを湛えながら応じる。
そんな彼は、部屋の片隅のどこから引っ張り出したのか、チェスボートに興味を示すと、それをデスクに置き直してジャガンナートを誘った。唐突な勧誘にムッとするジャガンナートであったが、御受けするのも一興だろう──と、二人はそこからソファに腰掛け、デスクを挟んでチェスの対戦を始める。
先ほどまで、舌戦を繰り広げていたのが嘘のようだ。それまでの問答がすべて、他の議員達に対する牽制、あるいはアピールであったかのような棘のない雰囲気が、両者の間に流れた。
「なに、盗聴の心配は有りません。ここらで本音を明かされてみてはどうです?」
安全を確認しているからこそ、ジャガンナートは、ここに至っては明け透けな口調で切り出していた。
「むろん、例の〝アークエンジェル〟に関してです」
一方でデュランダルは、どこまで本気か分からない上滑りな口調で応じる。
「そうだな、あれはあれで、少々厄介な存在かも知れない──そう思う程度には、私も頭を悩ませているよ」
「クライン派の仕業でありましょう」
「やはり、そうかな?」
デュランダルは、改めて整理をつけるように続けた。
「さきの大戦中より、シーゲル・クライン──いや、ラクス・クラインの意思を受けて、各勢力にもぐりこんでいるというシンパたちの話は、私も聞いている。そんな彼らが後ろ盾となって、あの〝アークエンジェル〟を保全し、先のような海賊じみた行為に及んだ──と、あなたはそう見ているわけだな?」
チェスの形勢は、ジャガンナートの優勢に進んだ。
悩むように駒を弄ぶデュランダルに、彼は告げるようにして云った。
「まったくお人が悪い。そのクライン派を追い込んで焚きつけたのは、他ならぬ我々でありましょう?」
糾弾の言葉とは裏腹に、自身こそが、人を遠ざけるような悪い笑みを浮かべながら云った。
だがデュランダルは、心外と訴えるような軽薄な笑みで流して返した。
「私は、この手で秩序ある世界を築きたいだけさ。汚濁は目に見えるところで管理しておかねばならないし──そのために、あなた方にも数々の無理をお願いしている」
「ええ勿論、承知しておりますよ」
さきの大戦での轍を踏まぬよう、現在のプラント評議会において、国防委員が議員を兼ねることは禁止項目となっていた。しかし、そのような措置にも抜け穴はあって、それこそが、このようなデュランダルとジャガンナートの綿密な関係性だった。
彼ら二人は、共に〝とある一つの秩序〟を尊んでいた。というか、厳密にはジャガンナートの方が、彼よりもはるかに年下のデュランダルが提唱した思想に惹かれたのだ。
ジャガンナートは、デュランダルから打ち明けられた『
「──ですから私は、ラクス・クラインを排除したのです」
その一瞬、盤上の駒を動かす音だけが、部屋に響いた。
そう、
──ラクス・クラインの乗り合わせるシャトルに、爆弾を仕掛けて。
この恐るべき暗殺計画は上手くいったらしく、そこからは事後報告だった。
この報告を初めて耳にしたデュランダルは、そのときばかりは惜しんだように呆然とした表情を返したが、すぐに頭を切り替えたように、その計画の尻拭いに奔走してくれた。ラクスが失われた穴は大きすぎ、だからこそ
「正直、それでクライン派がここまで暴発するとは思ってもいませんでしたが」
「大した問題ではないよ。『
デュランダルは僅かに、だが明らかな本性の一端を垣間見せるように、冷ややかな笑みを表情に一瞬湛えた。
ジャガンナートはハッとした。目下のチェスボードの中、さっきまで彼に優勢だった形勢がいつの間に逆転し始めている。そのとき既に、ジャガンナート陣営のクイーンは詰んでいた。
「……たしかに仰る通りですな。いくら
女王が機能停止した盤面。
ジャガンナートはまるで当事者であるかのように、不思議と敗北を宣告されたような気分になっていた。
「だが、それ以上に油断ならない
珍しく、そう珍しくデュランダルが声を引き締め、危ぶむような声を上げた。それは、決して無視してはならないワイルドカード──
──『
デュランダルは改めて盤面を整理するように、遠い目を浮かべて逡巡する。
このとき彼の許には、非常に多くの情報が集まっていた。それらの情報を選り分け、漏洩させ、意のままに操作するのが彼の仕事だ。彼自身の都合の良いように、彼が目指す理想的社会の実現のために──
──『
そして、火星圏へ旅立った人類最強の駒──『キング』の動向は杳として不明のままだ。
けれども、そのような『王』を手中に収めること自体は容易い──と、デュランダルは考えていた。D.S.S.Dで行われたエドモンド・デュクロ氏との対談内容を見る限り、火星の王は明らかに自分達のプランに関心を寄せていて、交渉次第で自陣に引き込むことも〝不可能ではない〟──いや、十中八九〝可能だ〟という確信があった。
だからこそ、ジャガンナートは胡乱げな顔をして問う。
「強敵というと、アスラン・ザラですか?」
「ああ彼か。……彼は、そうだったな……」
デュランダルは珍しく、途方に暮れたような反応を返す。
──だが、まあいいだろう。
彼はその男だけは放置することにし、真剣な口調で話を戻す。
「念のため確認させてくれ。
「は? 〝クレイドル〟?」
時代遅れの遺物に過ぎない。何故ここでその名前が出てくるのかと、ジャガンナートは心底分からないといった顔を返した。だが、デュランダルの表情や剣幕を見るに、問いに対しては即座に回答せざるを得なかった。
「観測隊からの報告では『間違いナシ』と有りますし、民間にも報道されている内容ですぞ? 何なら、こちらの記録もご覧ください、映像でもこのように──」
ジャガンナートが記録映像を操作する。
スクリーンの中、その〝銀色〟は間違いなく叩き落され、海に沈んでいた。海中で爆発も起こっているように見えるし、こんな状況で生き延びたパイロットがいるとすれば、ソイツは大した強運の持ち主だ。
「──これで
独白のように小さく呟いたデュランダルの目の前で、ジャガンナートが「ぬ”」という悲鳴を上げた。その予言が示したように、彼の駒はすべて死んでいた。ジャガンナートは強いて動揺を押し殺し、投了のため頭を下げた。
「まったく敵いませんな。ですが閣下の
新世界を夢想するかのように、ジャガンナートは、デュランダルへの心酔を露にして嘯く。ここまでの道のりの長さ、数々の困難を思い出す。
「ラクス・クラインのことだけでは有りません。〝ユニウスセブン〟を墜としたテロリスト達は、あれほどの大事を、まさか自分達だけで成し遂げることができたと本気で思っていたのでしょうか」
「────」
「それにロゴスの、ロード・ジブリールでしたかな? 彼らの最期も、また近い」
全ては、新たなる世界の構築のために。
──決して見逃すつもりはない。
彼らを追い込むための作戦は、今も着々と進んでいる。
「ああそれと、アウラ・マハ・ハイバル女帝──ファウンデーション王国の代表団からも、閣下にあらためて会談の申し入れが来ておりますぞ」
興奮気味に紡がれる言葉に、デュランダルは、すこしだけ疲労を見せつけるような態度で云った。
「やれやれ、忙しいことだな……」
やること、やらなければならないことが非常に多く残されている。そうしてデュランダルは改めて、オーブから逃げ去ったという〝アークエンジェル〟の記録画面に目を遣った。
まるで白鯨のように、鮮やかに海底に逃げていった〝ソレ〟は、間違いなくデュランダルの『計画』に支障を来すイレギュラーだった。
小さな──しかしながら、さきの大戦での戦功を鑑みれば、決して看過できない瑕疵。願わくば、かの艦が自分達にとっての障害とならないことを祈るが。
「願わくば、我々の仕事を増やさないで欲しいものだが──ここはひとつ、〝ミネルバ〟に働いてもらうというのは、どうだろうか?」
小さな呟き。
そう、デュランダルが手中に収めるザフトには、新たな伝説が生まれていた。
期待の戦艦〝ミネルバ〟──新たなる『ヒーロー』へと担ぎ上げられた者達。
彼らが居てくれるのなら、いっそのこと、古い伝説には消え去ってもらうのが良いだろう──南国の海に蘇り、そして儚く散ったという、かの〝クレイドル〟ともどもに。
ジブラルタルに入港している〝ミネルバ〟であったが、そのクルー達には、しばしの休暇が与えられていた。
────その間、各員が何をして時間を過ごしているかというのは、アトラもよく知らない。
基地内部に併設された、ショッピングセンターのバルコニーで、レイが愉しげに──勿論、いつも無表情な彼にしては、だが──ピアノを弾いているのは目撃した。一方でルナマリアは、新たに乗船したアグネスに引っ張られて市街地へショッピングに出かけていったらしい。
アグネスとルナマリア──あの二人組は、士官学校時代から仲が良かったのをアトラも見ていた。察するに、彼女達は波長が合うのかも知れない。といっても、ルナマリアは割かし誰とでも上手く付き合えるタイプだし、彼女は相手に合わせて付き合い方を変えられる、器用なタイプなのかも知れなかった。
──でも、別にそれがいいことだとは限らない。
であるからして、今頃はアグネスと一緒になって街行く男性を見定め、あの男はまあまあ、あっちは論外などと、二人だけの勝手な『品評会』を開いている頃かも知れない。昔と変わらず。
そんな同期達の悪趣味な趣味を「くだらない」の一言で切り捨てたアトラはというと、基地内部の工廠区に詰めていた。連日のように足を運んでいるのだが、それは、彼女なりの目的があってのことだった。
「──〝ザク〟を飛ばしたい、だァ?」
それが、アトラからジブラルタル基地の開発部主任に向けたオーダーだった。大気圏内で飛行能力を持たない〝ザク〟を、なんとかして空を飛べるようにしたい──という。
パイロットの職務ではないはずだが、それでもアトラはハンガーまでやってきて、多忙そうな主任の男に向けて直談判を行っている。
「〝グフ〟のフライトユニットを参考に、ニューミレニアムシリーズの新型ウィザードパックとして、なんとか開発費を捻出できませんか?」
「おいおい、それ云い出したのお嬢さんか? 『とんだ無茶な注文を付けてくるパイロットがいる』って、ウチのひよっこ連中も参ってたぞ!」
「技術的には、可能なはずです」
「いや
主任の男はいつものように取り合わず、アトラに背を向けて、随員の若い衆を引き連れて次の仕事場に向かおうとした。
だいたい、無茶なオーダーなのだと、背中越しに言いつける。
「〝ザク〟を飛ばすための新型ウィザードパックの開発。たしかに前代未聞で、メカニックとしては心惹かれるプロジェクトだ。だが、その設計はいったい誰がやる? ここには技師として腕の立つ連中は仰山いても、
着工に取りかかろうにも、まずは設計図が必要不可欠だろう。航空力学的な検証を重ねた上でのモーメント計算や、ウィザードパック接続時のサブ・ルーチンの構築──他のモビルスーツ・データから流用するにも限度があり、設計分野の専門家をこの場に呼びつけたとしても、一朝一夕で出来上がる仕様書など無い。
ちなみに、開発費を賄うこと自体は問題とはならないだろう。ジブラルタルは前哨基地の中でも大型であるから、兵器の有用性さえ認められれば、経費そのものはすぐ落ちる。
「──だいたい、なんだって嬢ちゃんは、そこまでして〝ザク〟を飛ばしたいんだ?」
「それは
追いついたアトラが横並びに歩きながら、いつになく怒り心頭で訴えかける。──〝アリアドネ〟がいてくれれば少しは違ったろうが、既にないものねだりだ。心労を偲ぶように、同情的な目を男は向けてきた。
「〝
「誰があんな──っ! ……いいえ、彼女と二人で飛びたくは有りません」
アトラは激昂しかけ、取り繕ったように押し殺して呟いた。
頭数にアグネスを加えたところで、それでも二機と二人ではないか、たったの。もしも今後も空戦が続くようであれば、二機しか飛べない以上、そんな自分達はどうしたって連携を求められるようになる。
──それが間違ってる。
──今の私とアグネスの関係値で、チームプレーなんて出来るわけがない。
そうである以上、レイとルナマリアの〝ザク〟にも飛んでもらわないと、非常に困った事態になるのだ。アグネスを
「つまりは個人の問題なんだろ? だったら猶のこと、そっちでなんとかしろ。こっちに持ち込んでくるんじゃねぇ」
「…………」
「おう、持ち込むんなら設計図の方でも構わないぞ。それこそ〝ザク〟が飛べるようになりゃ、〝バビ〟の配備にかかってる開発費をウチから回してやってもいい──戦力的にも技術的にも、革命が起こるみたいなもんだ!」
出来るもんならな、と、男は茶化すが、それがいけなかった。
「有りますよ」
「──えっ?」
「設計図。構想はずっと頭の中にあったんですけど、実際に自分で図面を引いたのは初めてで、思ったよりも時間が掛かりましたね。──ほらこれ」
仕様書にも等しい分厚さのファイルを取り出し、アトラはずいと男に渡した。彼は唖然とした──ぺらぺらとページを捲って内容に目を通してみても、非常に
「こ、これを、あんたが一人で?」
こう見えて、アトラは士官学校を卒業してからの数ヶ月間はたしかに設計局に居たのだ。そのあとすぐに、テストパイロットとして現場に引っ張り出されたが。
昔取った杵柄──ではないが、兎角、アトラがMS関係の設計やプログラミングを幼少期から趣味にしていたことは事実だった。我が意を得たりというように、彼女はにっとして語り出す。
「問題になったのは推力や揚力ではなく、姿勢制御の追従性の方でした。でも、ニューミレニアムシリーズのフレームはもともと旧式の〝ジン〟や〝ゲイツ〟に比べて推力変動に対する余剰剛性を持ちますから──あ、そう、そのページ。擬似皮質側でフィードフォワード制御を先読みさせれば、パイロットの入力より半拍早く補正が入ってIMUとの同期が可能になります」
──
敢えて云えば、それはザフトの全技術者が憧れている伝説の技師、アルバート・ハインライン氏を彷彿とさせる饒舌っぷりだった。余人が言葉を差し挟む隙すら与えないほどの早口で、アトラは捲し立てようとした。
「慣性テンソルの再計算にも問題はありませんよ。制御系はフィードバック主体から
ここまで一息で云い切ってみせたアトラの話の内容は兎も角として、不気味なものでも見るような目で男は少女を眇めていた。
「……あんた、
間抜けなようで、それは本質的な疑問だった。
「なんで、〝ミネルバ〟でパイロットなんてやっている?」
「…………」
こっちが聞きたいくらいだ、と、アトラ本人もまた呆れたような一言で片づける。男が「は?」と疑念を返したそんなとき、アトラは、みずからの上長の姿を見かけた。
タリアがやって来たのだ。
「アトラ・デンソン! ああ、やっぱりここにいたのね」
「グラディス艦長、どうして」
「また技術部を困らせてたの?」
「また、って……。いえ、困らせていたわけじゃありません」
アトラは思う、まるでトラブルメーカーのように扱われるのは心外だ。
なにせ、困らされていたのはアトラの方なのだから。
(この人達の無能さに……)
呆れた口調、それは紛れもない本心であったが、これを素直に伝えたところで馬鹿を見るのは自分だと、アトラは実体験から知っていた。だからこそ言葉には出さなかったのだが、表情や気配からは部分的に伝わってしまったのかも知れない。
目は口ほどに物を云うということか? 時間にすると一瞬、非情にも見透かしたような非難の目で、タリアはアトラを見ていた。一方、馬鹿にされているとも気付かなかった当事者の男は、快哉として笑い出している。
「グラディス艦長、こちらのお嬢さんはパイロットにして置くには勿体ねえ! ウチの開発部にすぐにでも欲しい逸材だ──天才だよ!」
掌返し。だが男は資料に目を通した結果として、己の目と勘を疑わなかった。
機械工学に対する知識と見解──その深度はパイロットの領分を越えていて、それを見越したヘッドハンティングだったのだが、タリアも話の温度に合わせるように返していた。
「それは困るわね。彼女はウチの『スーパーエース』ですもの。この
彼女らしい皮肉が効いた返しであるが、事実でもあった。
男はそれで勧誘を諦めた。が、アトラ個人に対する興味は尽きなかったらしく、いたずらな笑みを浮かべながら問うてくる。
「きみは、なんでパイロットをやっている?」
「なんでって? それが軍の決定だからです」
「じゃなくて、おまえさん自身の動機の方を訊いてんだよ」
「……。食べていくためですけど、何か?」
アトラは粛々と答えていった。
──生前の父は、私に多くを与えてくれたけれど、死後は多くを残せなかった人だった。
デンソン家は、もともと裕福な家庭では無かった。大切な一人娘が幼少期に壮絶な虐めを受けていようと、それで
そんなアトラだからこそ、倹約家で、明日の貯蓄を考えない程に刹那的になれるはずもない。けれども、そんな彼女であれ、働かなければ生活資金などすぐ底を尽きてしまう──それは誰だって自明ではないか。食い繋いで明日を生きていくための給料分、彼女はただ働いて、働いて、働くだけだ。
「軍に居れば食事だって出ますからね。こんな時代では、食べていけるだけでも恵まれていると思いません?」
現実主義的なその解答を、しかし、男は「なんだか夢がねぇな」と切って捨てた。面白がらなかったわけである。
「それほどの才気を持ってるんだ。あんたには、もっと別の道だっとあるはずだ──自分の中に、他に、目標や信念……夢! 野望! みたいなモンはねぇのかい?」
「有りませんよ……。言われたところに行き、言われたことをやるだけです」
辟易とした様子で語ったアトラを、そのとき、タリアが奇矯な子でも見るような目で観察していたのが皮肉だった。アトラは、大人からそんな目で見られるのが大嫌いだった。
「でもアトラ、それは本当に貴方の価値観に合致してるの? だって貴方、
「ええ、たしかに。そのような要望書を、しょちゅう出していた時期もありましたよ」
他ならぬ職長として、タリアにも相談したことがあったくらいには。
「でも、どうやら聞き入れては貰えないようですからね。デュランダル議長には」
アトラは理解してしまっている。
──どれだけ嘆願書を送っても、デュランダル議長は、決して私の職業選択の自由を認めなかった。
戦時下というのもあるのかも知れない。だが、察するに彼は自分に『戦士』という役職を望んでいるのだ。意図的に創り出された
「きっと、私が他の人間よりも
自己過信とも取れる傲慢な物言いに、タリア達は愕然とした。だが、アトラにとっては確信だった。
──デュランダル議長は、だから私に目を付けた。
個人的には上手くいったと思っていた
「だったら、私が何をやったって無駄でしょう。もう諦めました」
そっけのない告解を受けて、タリアは怪訝がったという。
──果たしてアトラは、ここまで荒んだ物言いをする少女だったか……?
度重なる戦闘や心労の重圧的ストレスが、彼女をこのように変えたのか──だとしたら、その最たる原因はなんだ? 親友のマユ・アスカが居なくなったことか? あるいは戦争という過酷な現実が、彼女をここまでの人間不信に陥らせたのか? それとも人間不信は元々で、そもそも彼女の中にあった重要な要素を自分が見落としていただけなのか──結局、タリアには分からなかったが。
「それで」
静謐さを湛えた真紅の目を、アトラはタリアに向けた。不思議と相手を測るような、その視線──心理的上位から相手を見定めるかのような、身の置き所のないその視線に、どういう訳かタリアは怯んでしまう。
「艦長は、何しにここへ?」
「え、ええ。それが少し、あなたには伝えておかないといけないと思って──」
「えぇ?」
そうして、タリアはアトラを引き連れて〝ミネルバ〟へと戻った。自室に招き入れ、彼女の端末に密命として送られてきたメッセージを照会する。彼女が操作するディスプレイに、やや粗い映像が現れた。
「まだ非公開だけど、つい先刻、司令部から私宛てに送られてきた
「これは……オーブですか?」
アトラは息を呑んだ。
蒼く澄んだ海上の向こう側に、宝冠のような島々が見える──それは彼女の生まれ故郷だったのだ。そこでは激しい戦闘が巻き起こっていて──しかし、アトラは邪推した。
「……どういうことです? 私がオーブの生まれだから──だから、コレをわざわざ見せるために私を呼んだんですか?」
「それも有ります。だって、自分がかつて住んでいた国の
「御心遣いなら感謝しますが。残念ながら、思い違いですよ」
言葉上の謝意とは裏腹に、その声色には明確な敵意があった。
「私はマユと違って、あの国に思い入れなんて無い。たとえオーブが滅びようと、私の知ったことじゃ無い」
──生まれ故郷なのだから、大切に思っていて当然か?
その発想自体が安直で、善良に寄り過ぎているものではないか。きっとタリア・グラディスは、母国に対して殺意や憎悪を抱いた経験もろくに御持ちでは無い──要は、それを本気で抱いた経験が有るアトラとは価値観を異にしていた。
その理解不足の結果として、あまりにも凡庸な善意的発想を呈され、アトラは逆上したのだ。だが、呆れた反応を返したのは、不思議なことにタリアの方だった。
「アトラ。そうも、すぐに喧嘩腰になる必要はなくってよ。それでは人を遠ざけるばかりだし──あなたは頭が良いのだから、他人とうまく付き合っていく方法も少しは考えなさい」
「──! 余計なお世話ですよ……!」
逆上するが、アトラはどうして、こうも自分が苛つき続けているのかが分からなかった。その明晰さとはアンバランスにも、精神的に彼女はひどく幼稚だった。ぞんざいに云い放つ。
「頂いた給料分の働きはします、それでいいじゃないですか! 〝ザク〟だって飛ばしてみせますよ! 私だって、戦場で死にたくはないんですから……!」
「あなたの執る手段は、不用意すぎると云っているのよ。あなたの能力は幅が効き、たしかに人より大いに優れてる。でも、だからなのか、あなたは内心で増長して、勝手にあなた以外の人間を見下している!」
「っ…………!」
「さっきの目は何ですか? そんな自分本位の考え方をしていると、周囲の者までが、あなたを嫌いになります! そうしたら、あなたは戦場で十分な協力者を得られなくなって──それは危険でしょう!? いま、あなたの周りにはあなたに死んでほしいと思っている人間はいないし、私だって死んでもらっては困るのよ!」
「大人って! 大人って……自分の都合ばっかりで!」
憤懣を露わに、アトラは吐き捨てた。タリアもここに至っては、自身の大人げのない対応を反省したように、怒りの熱を潜め始める。
「──兎に角、忠告はしました。お互いの仕事の話に戻りましょう」
「……ハイ」
その方が建設的だと判断したのだろう、彼らは上長と部下の関係なのだ。
そして、これは仕事──そう、仕事の話だった。司令部から発令された、彼女達の新たなる『仕事』だ。
「映像を見て、私も衝撃を受けたのだけれど──状況は把握したわね?」
「ええ。でも、別に意外ではなかったですよ」
オーブ解放戦──その最中に突如として現れた〝アークエンジェル〟の陣営に、なぜか〝カオス〟や〝ガイア〟が使役されていた。そしてアトラが視界にした途端に目を開いたのは、他でもない──消息不明となっていたはずの──〝アリアドネ〟の機影だった。
「そこに映っている〝アリアドネ〟のパイロットは……」
「マユでしょうね。私には分かります」
あえて整理するまでもない、抑揚を殺したような言葉尻で、アトラが云い放った。
やはり、という反応をタリアも示したので、想定はしていたのかも知れなかった。そもそも、マユがかつて三隻同盟に所属していたことは周知であり、その上で〝アークエンジェル〟が登場したとなれば、彼女がその陣営に就く状況証拠としては十分すぎる。タリアは疲れたようなため息を吐いた。
「これは明らかな越権行為よ。カノジョ、勝手に戦隊を離れて一体なにをやっているのかしら……?」
「分かりませんが、彼女がおかしくなったのは、ひとえに〝アーモリーワン〟で一人の魔女と出会ってからでしょう」
「……魔女?」
奇異な表現だ。今のところ、それを用いているのはアトラだけだったが。
「ええ。あれは、金の髪の魔女でした」
「──詳しく、聞かせて頂戴」
促されるまま、アトラは記憶の限りを自身の推察も含めて語った。
マユがその魔女を追いかけて、ハンガーに収まっていた〝アリアドネ〟に辿り着いたこと──考えられるとすれば、その魔女こそが、三隻同盟に居た頃の彼女の知己だったのではないか。その人物こそ〝レムレース〟のパイロットであり、マユはその知己を助けるために〝ユニウスセブン〟と共に墜ちたのではないか──という。そこから先の彼女達の足取りは不明だったが、たったいま、記録を見せられて分かった気がする。
「要するに、マユは
──ザフトで手にした力で。
マユならば、あの国を護りに向かうだろう。
──私と違って。
「成程ね。つまりマユ・アスカは、もともと彼らと通じていた──と、あなたはそう見ているわけね?」
「実際のところは判りませんよ。私は彼女では無いのですから」
云いながら、肩を竦める。
自分で云っておきながら、ときどきアトラも思うのだ。もしもマユのような素朴な女の子になれていたら、もっと自分も生きやすい──周りに親しみ易い人間になれていたのではないか、と。
けれど、今は戦時下だった。そのような感傷に浸っている場合でもないだろうと、彼女は胡乱げに返す。
「しかし、司令部がこの映像を艦長に送ってきたということは──この
アトラは確信を突くように指摘する。
例の〝アークエンジェル〟の名は、いまだ軍内部において前大戦の英雄と信じられている。圧倒的寡兵でありながらも、先の大戦を止めるために奔走したと信じられる勢力──
問題なのは、それほどに強力と約束されたような陣営が、よもや〝カオス〟や〝ガイア〟まで手中に収め、独自の行動を開始したということだ。その目的は現時点で不明だが、そのようなイレギュラーが、いつまた正規軍にとって
問いかけに対し、タリアは「そうね」と、同意して頷きかけた。
「正式な命令書はまだだけど、頭には入れておけという合図でしょう? ──少なくとも、あのタヌキはそう考える」
デュランダルのことだろう。
危ぶむように、タリアは付け加えた。
「でも、あなたはそれで良いのかしら?」
「……何がです?」
「もしも私達が命令に従い〝アークエンジェル〟と戦うような日が来れば、〝アリアドネ〟は──マユ・アスカは私達の『敵』になるのよ」
思ってもみなかった、考えもしていなかったという風に、アトラは虚を突かれた表情になった。
タリアは、酷薄とも取れる論調で続けた。
「そのとき、あなたは彼女を撃てるの?」
残酷なようだが、改めて確認は取っておかねばならない。
──これは戦争なのだ。
状況は常に変わるし、人の思いも常に変わる。裏切りの代償を支払わせるべく、軍の〝アリアドネ〟を異邦に持ち去ったマユ・アスカを、必ずや弾劾する機会がやってくる。
僅かな逡巡のあと、アトラは顔を上げて云い放った。
「
はっきりと宣告したアトラの目に、迷いは無かった。
彼女はその未来を──マユと互いに銃を向け合っている将来を──わずか一瞬で覚悟することが出来てしまう。自分は間違いなく、一切の躊躇いなくそれが出来る人間だということも。ちょうど目の前のタリアのような、ごく一般的な大多数が持つ善良な感性の人間には出来ないことを、しかし自分には出来るのだと、逆に確信出来てしまう。
──マユ・アスカ。
それはアトラにとって、これまでの人生で初めてできた友人──いや『親友』だった。
──おっちょこちょいで、諦めの悪い努力家。
そんなマユが隣にいてくれたから、アカデミーでの二年間は
(だからこそ……)
それほどの思いを裏切ったツケは、払って貰わなければならない。
アトラなどは所詮、マユにとっては数いる友人の内の一人でしかなかったのかも知れないが、アトラにとっては親友で、しかも彼女は唯一だった。言葉にすると単純だが、事実としては大きすぎる、揺るがしようのないものだった。
──すべては、あの魔女のせいだ……!
あの魔女と出会わなければ、マユはきっと、今もザフトにいて──ずっと私の隣にいてくれた。
彼女がいなくなってしまっては、私は上手く現実を乗り越えていけない。現に、もう限界なのだ。だからマユは私のもので、他の誰にも渡さない……このまま誰かに奪われてしまうくらいなら、いっそのこと──私が。
「私が、殺します」
アトラは繰り返し、低い口調で云い放った。
こののち、間もなく突かれたように動き出したのは、連合と〝ロゴス〟の方だった。
結果的に、オーブ連合首長国から撤退した大西洋連邦であるが、そののち「……まあ、何にでも見込み違いはある」と
それはひとえに、彼らの命令を聞き入れようとしない、つまりは連合に従属しない──ファウンデーション王国に対する〝ロゴス〟の報復だった。
ジブリールはオーブに使ったものとまったく同じ論理を用いて、暴虐的にファウンデーションへ攻め込んだのだ。かの国をザフトに組する敵性国家と見做し、国際正義の名の下にこれを制圧するという、言い掛かりを用いてだ。
──結論から云おう。
──その大攻撃作戦も、連合の歴史的大敗北で終わった。
恐らく──いや間違いなく、彼らは女帝の怒りを買ったのだ。ファウンデーションへ攻め込んだ連合の大部隊は、敗北という表現では生温いほどの大惨敗を喫する破目になった。
ソレを為したのは、ファウンデーション王宮より出撃した、五機にも及ぶ『黒の騎士』である。異形の騎士然とした黒いモビルスーツ部隊は、その一機一機がジブリールが瞠目したオーブの〝黄金〟に匹敵する強さ──いや、下手をすればソレすらも凌駕した強さを示威し、押し寄せる連合のMS・MA混合部隊を、ことごとく返り討ちにした。
この大逆襲を受けて、連合はファウンデーションから撤退──
ファウンデーションを足掛かりとしたユーラシア西南側の調停を断念し、その代わりに──と云ってはなんだが──女帝の力が及ばないユーラシア西北側の鎮圧へと乗り出した。ドイツのベルリンをはじめとした都市群であるが、それもまた反連合感情が根強く、ザフトの駐留を容認するなど明確な反地球連合地域となっていたためである。
この事実が、やはり気に入らなかったジブリールは「まあ、まあ……何にでも見込み違いはある」といつかの言葉を繰り返した後、都市もろとも、そこに住まう反逆者達を粛清するプランを思いついた。
幸いにして、先の大戦でも実戦投入された超大型戦略機動要塞──デストロイ級『新型』モビルスーツ──が完成したためだ。パイロットにはオーブ戦を落ち延びた最後の強化人間、アウル・ニーダが抜擢され、今度こそ、今度こそ──と、ジブリールは拳を握りしめ、そのときを待っていた。現在は調整中の、巨大な〝悪魔〟が解き放たれる日を。
────歴史が繰り返されようとしている。
ベルリン。そこは全ての出発点だ。
一匹の〝蝶〟として、世界に舞い戻った儚げな少女が──
ステラ・ルーシェが意識を回復させたのは、それが起こるよりも、少し前の頃だった。
ベルリン戦を最後に示唆しましたが、実際にソレが起こるのは数話先になる予定です。今話でAA組がオリジナル拠点へ向かいましたので、次話はその辺りからのお話になります。