「支援を受ける」という苦しみーミニ読書感想『釜ヶ崎と福音』(本田哲郎さん)
◎本田哲郎さん『釜ヶ崎と福音』(岩波現代文庫、2015年2月17日初版発行)
教会で「優等生」だった著者が、釜ケ崎の労働者から学んだ話。著者は自身を「いい子症候群」だと表現する。周りの評価を気にして、先回りして自分の立ち回りを決める。そんな自分が空疎に思えるけど、手放せない。同じような感覚を抱く人には、きっと刺さる本だと思います。私もそうだった。
同時に、障害や病を抱える人、またはそうした人の家族にも薦めたい。
なぜかといえば「支援を受ける苦しみ」が描かれているから。
では、何も持ってない人の尊厳はどうなるのか。持ってない人はもらうだけなのか。ただ、ありがとうというだけなのか。キリスト教とは金持ちの宗教なのかという話になってしまう。(中略)ところが、原典をたどってみると、そんなことは書かれていないのです。ひとことで要約すれば、力は弱さの中にあってこそ十分に発揮される、と書いてある。つまり貧しく小さくされた人たちのいつわらざる願いを真剣に受けとめ、その願いの実現に協力を惜しまないときに、人は共に救いを得、解放していただける。
「ありがとう」と言うしかない立場。ある意味、言わされる立場。それがどれだけ苦しいか。支援とは、ある意味関係を固定化する行為である。でも悲しいかな、支援する側には「いいことをした」という実感が強い。「感謝して当然でしょ」という圧がある。これは、支援を受ける側にしか分からない苦しみです。
著者は、「小さくされた者」には、その状態に置かれた時点で持つ尊厳や、力があると得く。キリストは「持つ者」として彼らを支援したのではなく、実はキリスト自身も「小さくされた者」だった。この解釈は納得感があり、刺激的でもありました。
そう、病や障害や貧困は、その人の尊厳を損なわない。周囲に、あるいは支援者にできることは、その尊厳をこれ以上、損なわないようにすることである。
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