変な奴やめたい
変な奴やめたい。
私は変な奴だ。変な両親に育てられ、変な男と付き合い、変な友達と遊び、笛を吹き、羊と遊んで暮らしてきた。もう嫌だ。変な奴はもうやめたいのだ。
最初に変な奴と言われたときのことをぼんやりと憶えている。ゴミを拾っていた時だった。
私は小学生の頃ゴミを拾いまくっていた。
とは言っても、ゴミに強烈なロマンを感じる変態キッズだったわけではない。私にそうさせたのは物心ついた時からの妙な真面目さである。
小学生になり、保護者から「保護されていない時間と空間」をわずかながらに獲得した私たちは、近所のマーケットで買った駄菓子を持ち寄って公園に集まった。当然、お菓子を食べればゴミが残る。
みんなが当たり前のようにそれを道に放り捨てた。そして、なぜか私だけがその新しい習慣に順応することができなかった。
この話をして、大人が「考えが大人だった」「真面目だった」と評価すればそういうことになるが、倫理観を抜きにしてみれば、あれは小学生間のステータスに関わる行為で、私も同じようにポイ捨てをするべきだったのだと思う。躊躇なくポイ捨てできることが「オシャレ」だったのだ。
それができなかった私には「順応できなかった」という表現が正しい。
小学生の私も薄々それを感じとっていたはずだが、それでも他人のゴミをポケットに詰め込み、風に飛ばされるゴミを血眼で追い回した。変な奴だと言われた。
それでもゴミを拾わなければと思った、誰に褒められたいわけでもなく、強迫観念に近かった。もはやゴミの声が聞こえていた。
私は変態キッズだったのかもしれない。
シンプルに言えば私は空気が読めていなかった。行為自体の是非は成長するにつれ自然と判断できるようになるだろう。現に今ポイ捨てする大人なんてほとんど見かけることはない。ポイ捨ての快感をきっかけに、さらに重大な犯罪に足を踏み入れてしまった友達もいない。
あの時ポイ捨てしても人生は狂わなかった。
むしろ、あの時ポイ捨てしなかった私の人生が、現時点で、ポイ捨てしていた奴のどの人生よりも狂気じみている。
なぜだと思う?お前は空気が読めないからだ。
空気が読めないから変な奴だと言われる。変な奴にもいろいろいるが、私の変はどこからきているかというと、おそらくは「真面目」から抽出されている。たぶん青のベンザを飲んでも治らない。
真面目さはしばしば私と同級生との交友を阻んだ。自分の振る舞いは砂場に礼服を着ていくような居心地の悪さを感じさせた。自分の服が汚れることにはどうとも思わないが、周囲が私の服を汚さないように用心してしまう。
それに、変な奴は周囲から変わっているだけの成果が求められる。凡才な変人には居場所がない。
あの時ポイ捨てをすれば、赤信号を渡れば、私は変な奴にならなかったのだろうか。
このお話は書籍『変な奴やめたい。』(ポプラ社)に収録されています。
【新刊】お知らせ【発売】
新刊「変な奴やめたい。」が11月19日に発売です。
今作では肩の力を抜いて、くだらない幼少期の話をお届けします。
装丁は鳴田小夜子さん、装画は矢野恵司さんです。
推薦文はパンサーの向井慧さんにいただきました。よろしくお願いいたします
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note に他の公開話もありますので是非!
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